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2006年1月17日 (火)

関西という土地

 大阪を離れて長年経った。今日は阪神大震災11年目である。(私のゲジゲジより嫌いな村○元首相が「阪神・淡路大震災」と名付け直したので、意地でも「阪神大震災」で通している) 私はその頃もう千葉に来ていたけど、母が宝塚で被災した。テレビで地震を知り、(こっちはビタとも揺れなかったからねー)慌てて電話したが、母はしばらく音信不通になった。…後に連絡が付いたら、幸運にもピンピンしていた。当時母が住み込んでいた会社の寮(寮母さんをやってたので)は被害が少なかったため、ご近所の避難場所となり、人やら食料やらがどんどん集まって大忙しだったらしい。電話で「もー食べもんとか送るらんでいいよ!」と言われた時には思いっきり力が抜けたが… それでも付近で4人ほど亡くなった、と後で聞かされた。同じ日本なのに、いざという時は情報は遮断されてしまうのだ、という事をこの時教えられた。

 でもな。うちの近所には、地震の事を本気で心配してる人間など、何故かほとんどいなかったのだ。関東からも必死で救助やら援助に駆けつけた人たちだっていた筈なのに。ご近所の奥様の主な話題は「うちの子供が可愛くてー」だった。災害の話をした時、あからさまに「あなたは人を不愉快にさせて平気な人間なの」と言った人もいた。…関西人は割りとオープンでお人好しが多く、赤の他人だろうがよその人間だろうが、苦しんでたら「どないしたんや!」と走り寄るくらいの事はするぞ。少なくとも私のいた頃はそうだった。私はこの時生まれて初めて「人間は恐ろしい」と思った。

 関西は、特に大阪は平和な土地ではない。悪名高いホームレスのメッカはあるし、ヤーさんのメッカはあるし、いわゆる同和問題があるし、交通マナーが悪くて危険だし。だからこそ、同じ環境でキビシイ人生を生き延びてきた者同士には、言葉で言わなくても通じる一種の連帯感みたいなものがある。関東は…孤独だよな。大阪ほど人間ドラマもないしな。憧れはセレブであって、ご近所の暖かさではないのだろうか。

 いかにも上品で人柄が良さそうな人はいくらでもいるけど。もちろん、人はその行いで量られるから、現実善良な事してれば善良なんだけど。同じ国内で大災害があったりした時、そんな事どーでもいいと思ってニコニコしているのと、残酷な殺人を犯しながら「自分は優しい」と本気で思っているどっかの死刑囚と… その心根には共通の無感覚さがありはしないか。ふとそんな事を考えてしまった。私は泣いたり笑ったり、本音の見えやすい人間の方が好きである。自分もそうあり続けたいと願っている。

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コメント

関西でも、京都の人は本音が見えなくて怖いです。

投稿: t-v | 2006年1月18日 (水) 08時55分

(^^;)コメントありがとうございました。
京都って、住んだ事ないからよく分からないけど、コミニケーションがひねってあるらしいです。「こう来たらこう返す」みたいなセオリーがあって。それ知らないとヒンシュクを買うとか…

投稿: いくたまき | 2006年1月18日 (水) 09時04分

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