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2006年5月24日 (水)

PC狂乱

Xp この所、ずーーっとPCの不調と戦っていた。

詳しい事は本宅「生玉荘」http://homepage2.nifty.com/IKUTAMA/や、音楽用ブログ「いくたまヒルズ」http://ikutama.abgo.jp/で書いたから、ここで3回も書きたくないのだけど。(ちなみに、いくたまヒルズの文章とこちらでは、私は人格が違うぞ。この連絡帳は基本的に、本音のボヤキを書くのが目的なので)XP home editionなんだけど、とにかく急にマウスカーソルぶっ飛び、キーボードで打った字が別の字に、もしくは入力不可に。(つまりパスワードログインや検索もできない!)CD焼付けは出来ずデータバックアップも無理、その上、上書きしようとしたもんだから、かつてのバックアップCDまでぶち壊れ。そーこーするうち突然シャットダウンの再起動。…パソコンの、しかもこーゆー凶暴な挙動不審というのは、神経にぢごくのストレスを与えてくれるな。4~5日ろくにメシも食えなかった。寝れば、夢の中までディスプレイの世界で、次から次へと正体不明のウィンドウが開いていく…という悪夢を見る始末。(T^T)ダイエット出来なくて悩んでいる人は、白インゲンなんか食べず、パソコンをクラッシュさせてみるといい。げっそりやつれる事受けあい。

もちろんリカバリのインストールはしたけど直らなかったのよ。入力がばぐったままで、ID打ち込むのも大苦労。最低、データバックアップはしておかねばと思い、もう一台のデスクトップのハードに運ぶため、フロッピを沢山用意し、データリレーはしたのだが。それでなくとも膨大なファイルを順番に移したので、ちゃんと欠損なく全部コピー出来たかは何とも心許ない。…その上。小文字のネット用ファイル名がほとんど文字化けしやがって大文字に。全部(T^T)(アナログで)書き換えないと使えないじゃないかー! もちろんフロッピに入らないのは移動できないしな。引っ掛かったのはワードの文書群(意外と重いんだ。いらんテンポまであって)とムービー。ムービーの方は圧縮し、ネットの空き容量を物置代わりに使って保管。ワードは新規のだけテキスト形式に変換。とても全部はやれない。多過ぎて… お助け人に来てもらい、ハードから直接データをコピーしてもらうまで、恐くて再インストールは出来ない。

それでも、何とか少しでも状況回復しようと足掻いたおかげで、XPについては知らなくていー事まで随分勉強した。直接の引き金はスパイウエアの削除だったようだが、それで元々存在した不安定が暴走したらしい。調べたら、DドライブのCD書き込みドライバに、サードパーティの「署名のないデバイス」がどっさり!入っていた。なんとかほとんど取ったのだがあと一つ、アプリケーション自体がもう無いので安全に削除できない。これがレジストリにいらん値を残したため、CD書き込みのためコピーした一時ファイルがどこかに残り続け、CDをぶっ壊すのみならず、いらんメモリを消費し、IMEを暴走させ、ひいてはパソコンをシャットダウンさせるようだ。(スキャンしたら何のデバイスだか分からんのがあと2つあった…)本来XPは著作権に頑迷なあまり、このような「第三者のデバイス」にはすげー弱いらしい。マイクロ本家のサイト見ても、CDがらみのトラブルは多く、時には「弊社の問題であると認識しております」と認識してるだけで、対処法の記事もなかったりする。修正プログラムはあるものの、「テスト版だから次のサービスパックを待った方がいいですよ~」というのもある。修正のカタマリ「Service Pack2」をダウンロードさせといて、まだPack3も出すつもりらしい。CD焼付けソフトがなくても、標準機能のドラッグ&ドロップで簡単にデータCDが作成できる、というのがXPのウリの筈なのにな。色々見てたら、なんとマ○○○○○ト社員の方のブログ!があって、そこに「できたらうちのCD焼付けは使わないで欲しい」みたいな事書いてあるのには泣けてきました。(T^T)

他の、メディアだの音声認識だのはどーでもいい。(つーか後で付ければ)入力だけは基本中の基本だろー。入力できないパソコンなんて(ノートだから)ただの板。なのに、そもそも日本語キーボードの機械に、(しかもソレ外せないノートに)標準で英語キーボードのデバイスが入ってるたぁどういうこった。…それでも、周辺機器やソフトが手に入らないのを恐れ、長年このシリーズを使ってしまった。そろそろ考えた方がいいのだろうか。マック使いになりたくない、というよりは、マック使いにリフォームするだけの資本金がないんだけども。

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2006年5月 9日 (火)

第三の漫画家

Welles ←突然ですが「第三の男」のオーソン・ウェルズです。強めにぼかしを入れ、拡大してもあまり使えないようにしたのでお許しを<(_ _)>。(絵で描いてみたけど似なかった) 連休中はポートタワー、深川江戸資料館、近所の海っぺた等に行ったが、安売りしていたDVDでこの映画を見て、結局それが一番印象に残った。これを最後に見たのは子供の頃だったか。当時は、ハリー(オーソン・ウェルズ)のやっていた悪事が何だったのか全く理解できなかったっけ。今見ると、第二次大戦後の監視付きの危うい平和や、4カ国の分割統治下のウィーンの事情の複雑さ、といった時代背景も分かってやっぱりいい。光と影の使い方とか、「鳩時計」の名セリフとか、ラストの長回し…なんて、映画解説に必ず出て来る事はともあれ置いといて。今回印象に残ったのは、三文作家ホリーの「みっともない講演」のシーンなのよ。

たまたま熱烈なファンがいたおかげで、高名な作家と勘違いされ、小説についてのブンガクテキな講演を依頼されたホリー氏。そのお陰で金も無いのにウィーンに滞在できたのだが、いざ壇上に立たされると… なんせこの人の専門は娯楽西部劇もの。難しい議論を吹っかけ、何も知らないのだと分かって失望した聴衆が、ナダレのように席を立って帰っていく。笑うシーンなのかも知れないが、私にはとても笑えなかった。昔、私が「漫画家」だとゆーので、「子供たちに漫画の描き方を教えてくれ」と頼まれた時の事を思い出したのだ。

マンガつってもねあーた、私が描いてたのは麻雀劇画誌とロリコン漫画誌と4コマ誌…なんて恐ろしい事、細々説明できる訳ないじゃない。かくて成り行きで。その時私の背後にはホワイトボード、前面には子供の群れがいた。子供たちの声。「サザエさん描いてー」「キティちゃん描いてー」… (T^T)描いたよ。あたしは。リクエスト全部。『あたしはマ○ガ太郎さんじゃないんだよ』とも、『いいかガキども、漫画家に別の作者のキャラを描かせるのは最大の侮辱なんだぜ。覚えときな』とも言わなかった。人間腹さえ据えれば何だってできる。しかし…悲しかった。

ともあれ、連載をもらった時はいつもそれなりの結果は出した…と思うし、いつも最低限「自分でつまらないと思う作品だけは、絶対描かなかった」。それだけが誇りだ。本音で喜んでくれた人も結構いる筈だ。だが、編集とか「売る立場」の人種は、私の作品を見ると取り合えず「あ、これはウレナイ」と思っちゃうらしいのな。私は自分の世界!とか言ってこだわるタイプに見えるらしい。ひどいのになると「売るとはどういう事か」について説教まで始める。人の気持ちを考えてないように言われる。そういう連中の論調は大体同じだ。違うと言ってるのに。私は人を反応させたい一心でものを描いてるし、世間的に「めじゃあ」でないだけで、自分と同じ感覚の人間も多く存在する事を知っている。なのに「それを分からない人間が大多数だ」という妄想はいつまで続くんだろう。パパとママと子供2人の「平均的世帯」すら平均で無くなっているこの時代に。

私は間違いなく、もう現役でないと思われてる。何の売れ線にも引っ掛からないのに、今更大きな所へ出て行ったら、どれ程冷酷な扱いをされるかも大体分かっている。だから人前に立つ気は無いが、きっと本は出すよ。それを喜んでくれる人間も居る事を知ってるから。そして、私が昔描いた事の一部を使ったり、「参考に」したりしながら、作家としては私を評価しないで侮蔑してきた人種、もしくは本を、私もまた評価してやる義理はないから。正義の行いをして、女を助けようとした映画の中のホリー氏は少しも尊敬されず、最後まで一瞥もくれられずにフラれるが、だからって別の行動も取れなかったろう。そして、彼がもし「悪の」ハリーを倒して女と結ばれバンバンザイ、になってたら、「第三の男」は随分つまらない映画になっていただろう。だから。

やせ我慢でも、人はそれぞれ自分の行くべき道をまっすぐに行くしかないのだ。たとえその為に、安楽をもたらす誰かと永遠に行き違ったとしても。

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