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2006年5月 9日 (火)

第三の漫画家

Welles ←突然ですが「第三の男」のオーソン・ウェルズです。強めにぼかしを入れ、拡大してもあまり使えないようにしたのでお許しを<(_ _)>。(絵で描いてみたけど似なかった) 連休中はポートタワー、深川江戸資料館、近所の海っぺた等に行ったが、安売りしていたDVDでこの映画を見て、結局それが一番印象に残った。これを最後に見たのは子供の頃だったか。当時は、ハリー(オーソン・ウェルズ)のやっていた悪事が何だったのか全く理解できなかったっけ。今見ると、第二次大戦後の監視付きの危うい平和や、4カ国の分割統治下のウィーンの事情の複雑さ、といった時代背景も分かってやっぱりいい。光と影の使い方とか、「鳩時計」の名セリフとか、ラストの長回し…なんて、映画解説に必ず出て来る事はともあれ置いといて。今回印象に残ったのは、三文作家ホリーの「みっともない講演」のシーンなのよ。

たまたま熱烈なファンがいたおかげで、高名な作家と勘違いされ、小説についてのブンガクテキな講演を依頼されたホリー氏。そのお陰で金も無いのにウィーンに滞在できたのだが、いざ壇上に立たされると… なんせこの人の専門は娯楽西部劇もの。難しい議論を吹っかけ、何も知らないのだと分かって失望した聴衆が、ナダレのように席を立って帰っていく。笑うシーンなのかも知れないが、私にはとても笑えなかった。昔、私が「漫画家」だとゆーので、「子供たちに漫画の描き方を教えてくれ」と頼まれた時の事を思い出したのだ。

マンガつってもねあーた、私が描いてたのは麻雀劇画誌とロリコン漫画誌と4コマ誌…なんて恐ろしい事、細々説明できる訳ないじゃない。かくて成り行きで。その時私の背後にはホワイトボード、前面には子供の群れがいた。子供たちの声。「サザエさん描いてー」「キティちゃん描いてー」… (T^T)描いたよ。あたしは。リクエスト全部。『あたしはマ○ガ太郎さんじゃないんだよ』とも、『いいかガキども、漫画家に別の作者のキャラを描かせるのは最大の侮辱なんだぜ。覚えときな』とも言わなかった。人間腹さえ据えれば何だってできる。しかし…悲しかった。

ともあれ、連載をもらった時はいつもそれなりの結果は出した…と思うし、いつも最低限「自分でつまらないと思う作品だけは、絶対描かなかった」。それだけが誇りだ。本音で喜んでくれた人も結構いる筈だ。だが、編集とか「売る立場」の人種は、私の作品を見ると取り合えず「あ、これはウレナイ」と思っちゃうらしいのな。私は自分の世界!とか言ってこだわるタイプに見えるらしい。ひどいのになると「売るとはどういう事か」について説教まで始める。人の気持ちを考えてないように言われる。そういう連中の論調は大体同じだ。違うと言ってるのに。私は人を反応させたい一心でものを描いてるし、世間的に「めじゃあ」でないだけで、自分と同じ感覚の人間も多く存在する事を知っている。なのに「それを分からない人間が大多数だ」という妄想はいつまで続くんだろう。パパとママと子供2人の「平均的世帯」すら平均で無くなっているこの時代に。

私は間違いなく、もう現役でないと思われてる。何の売れ線にも引っ掛からないのに、今更大きな所へ出て行ったら、どれ程冷酷な扱いをされるかも大体分かっている。だから人前に立つ気は無いが、きっと本は出すよ。それを喜んでくれる人間も居る事を知ってるから。そして、私が昔描いた事の一部を使ったり、「参考に」したりしながら、作家としては私を評価しないで侮蔑してきた人種、もしくは本を、私もまた評価してやる義理はないから。正義の行いをして、女を助けようとした映画の中のホリー氏は少しも尊敬されず、最後まで一瞥もくれられずにフラれるが、だからって別の行動も取れなかったろう。そして、彼がもし「悪の」ハリーを倒して女と結ばれバンバンザイ、になってたら、「第三の男」は随分つまらない映画になっていただろう。だから。

やせ我慢でも、人はそれぞれ自分の行くべき道をまっすぐに行くしかないのだ。たとえその為に、安楽をもたらす誰かと永遠に行き違ったとしても。

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