バルトで泣くねん
今日、「バルトの楽園」見て来ました。タイトル画面で「楽園」にルビが出るまで、ずーっと「らくえん」だと思っていた(^^)。「がくえん」だったのね。私は単純なので、そして映画は「チケット代のモトを取る為、意地でも感動する」主義なので、単純に感動して帰って来たのだけど。うるさい人間なら、色々ツッコミ所がありそうな気はした。
ストーリー自体は史実だし、戦争がらみの出来事の中では稀に見る、爽やかで感動的な物語。いまだ(しかも世界的に)最悪の象徴のように言われている旧日本軍人の中にも、気骨と人道主義を持った人物がいたという話。…それはいいのだが。松平健の「松江所長」の人格が素晴らしすぎて、「あまりにも正しい者が勝ち過ぎ」の感がある。ドイツ人捕虜の人権を守った、模範的なこの「奇跡の収容所」は現実に存在した。しかし、とーぜん他の場所には、陰湿で残酷な定番の「地獄の収容所」やら、「非人道的行為」も多々存在しただろう。そういう闇の部分が、物語の初め以降ほとんど出て来ないのだ。んでもって、捕虜を大切にして軍部から睨まれる、正義の所長が松平健で、捕虜をいじめてブン殴る、悪い所長が板東英二でしょう。(^^;)こりでは悪が勝てる訳がない。(なんか板東さんの配役が気の毒で…)見てるうちに、第一次大戦下とか、捕虜とかそーいう事すっかり忘れて、異境の地でのドイツ人たちの元気な自活生活、という感じに呑まれてしまう。これでいいのか…と思いながらも、反面、当時の日本軍の残酷さや高圧さ、なんてドロドロした描写はもー見たくねー(嫌というほど想像付くから)、だから感動的な所だけ見せてくれ…という気持ちにもなってくる。
闇の部分をを飛ばすのが、たとえ映画的に問題だとしても、同じ日本人だから、ではなく、分かり切った「悲惨の描写」自体にもう倦んでいる気がするのだ。昔、悲惨な出来事というのは非日常だった。だからタマには映画やドラマで見るものだった。今や悲惨で残酷な現実の方がよっぽど日常じゃない。何か、それ以外の結論や選択肢が見たいのだ。可哀想だからといって、人は人を救わない。そういう現実を、我々はもう散々見せられている。「死んではいけない!」というが、何故死んではいけないのか? それに答えた物語も多くはない。(「愛」とか言うくらいで)この映画はそれにちゃんと答えていた。そこが偉い。私が感銘を受けたのはその部分。
収容所内で祖国ドイツが敗れた事を知ったハインリッヒ総督は、自決を図ろうとしてマツケン…でなくて松江に助けられる。そこで彼が生きろと言った理由。「あなたはみんなの誇りなのだ。だから死んではならない」― そう、この話の大きなテーマの一つは「どんな状況下でも誇りを失わない事」なのですね(^^)。愛でなく、命が惜しいからでなく、ただ自分の生き方に誇りを無くさない為に生きる。これはかなり説得力があったなあ。少なくとも私には。愛よりもプライドで感動する人間が、そんなに多いのかどうかは分からないが。
あと所感・
1・捕虜の中に一人、黒眼鏡を掛けた盲目のお兄さんがいてね。仲間に助けられながら労働もして、最後この人で泣かせに来るな…と思ったら案の定きました。すっかりハマって涙ぐんだ私。(T^T) 見終わって、同居人と感動した部分について話そうとしたら、彼は言った。「そうそう、あの、メガネ掛けた嘉門○夫みたいな…」 (しーん)そ、そのヒトにだけは似てるとゆーなー! ああ、涙がすっかり乾いた。(--;)
2・ドイツと日本の混血の娘役の、大後寿々花さんがすげー美少女に見えた。アイコンタクトして、青い目に黒髪。これいけますよ。エキゾチックで。
3・クライマックスの第九の音源はカラヤンのベルリン・フィルだ。ぜーたくだなあ…音楽的には、かなりいいもの聴かせてくれます。こういう所にお金掛けるのは許す(^^)。でも市原悦子さんの使い方はもったいなかったよーな。
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