御巣鷹山の日
21年前のその日、私は下宿にいた。
その頃かつかつ漫画で食っていたとは言え、あまり金持ちでは無かった。飛行機は1度だけ使った事があった。故郷は大阪。3時間程のフライト。楽は楽だが、贅沢だと思ってそれっきり乗った事はなかった。―御巣鷹山の墜落事故のニュース。私が、もしもう少し贅沢できる身分だったら乗ったかも知れないルート。目の前に巨大な鉄の壁が落ちてきたような衝撃を受けた。夜中まで、ラジオの報道にずっと耳を傾け、読み上げられる犠牲者の名前の中に、よもや知っている名が有りはしないかと集中した。幸い、知った人間はその中にいなかった。知った人間さえ乗ってなければ幸いなのかと、自分を責めて自問自答した。確かに他の事故や災害でも、犠牲になる人間はいる。これだけが悲劇ではない。だが、私は個人的に、「自分はこの災いに巻き込まれなかった。その分が誰かに回ってしまった」かのような感覚を覚え、深い衝撃を受けた。
その頃、本屋で「この名前は飛行機事故に遭う!」という姓名判断の本が平積みになっていた。なんか、脅しで儲ける霊感商法と大差ない気がして、無性に腹が立った。ちなみに結婚前の私の本名はまさしく「飛行機事故に遭う」画数だった。そんな本絶対買わなかった。そして結婚したので… 私の苗字と画数は変わった。
あの事故から。世界には大事件が頻発するようになった。そんな気がするのだ。阪神大震災、サリン事件、バブル崩壊と湾岸戦争、ペレストロイカ、ベルリンの壁の崩壊… あまりの目まぐるしさに、人々は自分が生き残る為だけに汲々とし、多くの事を忘却してしまった。そんながするのだ。21年も経って、その頃生まれた子供が成人してしまう程年月が経って、ようやくその頃何が起きたのか、世界に検証する勇気が戻ってきた。ならいいのにと思う。第二次世界大戦と原子爆弾に対する反省は、戦後61年経ってもまだ完全にはなってない。少なくとも日本以外の一部の国家では、いまだ原爆を熱望する声がやまない。その轍を踏まぬように。
慎んで、御巣鷹山で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。
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