観音開きのステレオ
ポール・モーリアが亡くなった。という記事が挙がっていた。…別に凄く知っている訳じゃないが、この名前は子供の時の原体験に繋がっているので、ふつふつと記憶が沸いた。そういう私は今日も、仕事にもお金にもならないオリジナル曲を、せっせとパソコンで作っている。なんで作曲なんかやり始めたのかなあ… ともあれ、私の音楽の原体験が、母親の大事にしていた何枚かのLP(もちろんレコード世代だ)だったのは確か。
子供用の童謡のドーナツ版なんかも買ってくれたけど、別に好きではなかった。(すいません)聴いていたのはトリオ・ラ・パンチョス。サム・テイラー。コンチネンタルタンゴ。そしてこの重い布陣の中に、1枚だけ混じっていたイージーリスニングが、ポールモーリア・グランドオーケストラのヒット曲集だった。オリーブの首飾り。愛の賛歌。これに比べると…日本の歌謡曲はなんて、暗くて重くてださいのだろう。とか本気で思っていた。(ほんとにすいません)自分で歌うとやっぱり演歌みたいになる癖に、演歌的な「いつも女は不幸」みたいな世界がとってもヤだった。それは多分本当に、すげー不幸の一歩手前くらいの環境だったから。あと一押し!で落ちそうなのに、なんでこれ以上不幸な歌を聴いて、背中をドンと押されねばならん。…だからおそらく、私がガキの癖に曲を作りたいと思った原因はこの辺だろうと思う。自分の中にあるニッポン的な重いリズムを、異世界の明るい音律で消してしまいたかったのだ。でもポール・モーリアはともかく、サム・テイラーが軽い訳じゃないのに聴いてたのは何故だ。(^^;)どうにも矛盾してるね。
母親は、若い頃からずーっと1台のステレオを大事にしていた。今時のステレオを思い浮かべてはいけない。木製である。4本の木の足が付いている。スピーカー部分には、ゴージャス(そう)な模様の付いた布が貼ってある。その上部全面になんと、仏壇のような観音開きの蓋がある。…左右に開くと右側が、当時大きな体積を必要としたラジオ。そして左側の空間がレコードプレイヤーだ。箱の中だから暗い。よって、電源を入れると小型のぼやけた照明が灯るようになっている。物心付いた時から見ているので、ステレオとはこういう物だろうと思っていた。しかし長じて後に、人に「観音開きのステレオ」の話をしたら、誰も信じてくれなかった。珍しい物だったのかな。買った当時は高かったんだろう。母親はどんなにビンボーしても、意地のようにこのステレオで洋楽を聴いていた。だから私にも染み込んだ。母親がさすがに飽きた頃には、私がこれで勝手にポール・モーリアを聴いていた…というわけ。子供は親の背を見て育つと言うが本当だ。おかげで子供向きの音楽に反応しない、4拍子よりも3拍子で乗る子供ができてしまった。
中学で初めて買った洋楽はカーペンターズ。高校以降はヒネて変な曲を聴いていたが、自分で曲を作ってみるとやはり、この時代の影響が大きかったのが分かる。透明感のある音が好きである。重くて暗めの曲が出来てしまう事もあるが、半音のネジマガリ方にジャズの影響がある。(さすがにジャズは作れないが…)日本人にはどうしても、「天国のような」明るくて軽くて美しくて透明、な音は作り切れないんじゃないだろうか。軽くて美しく、しかも広がりがあるというのは大変な事なのよ。自分で譜面書いてみると分かるが、音に深みを持たせようと楽器を多く重ねていくと、どうしても音が濁ってくるんだ。軽く作ったから軽いんではないという話。聴き手に負担を掛けない曲を作るため、ポールモーリアさんは影でどんな苦労をしたんだろうな。
ともあれ、合掌。作曲家にも何もなれそうもないけど、私も頑張ります。
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