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2007年2月27日 (火)

君も泡立ててみないか

Chiffoncake_2 ←先日焼いた、紅茶のシフォンケーキでやす(^^)。私だって、いつも社会とかの堅い事ばかり書いてる訳ではないのだぁ。以前焼いて、ぺちゃんこになった苦い経験から、ずっとリベンジを考えてたのだ。今度は大成功したのだ。嬉しいのだ。(^^)ぺちゃんこになった原因は、冷ます時上下そのまんまにしてたせいだと分かった。シフォンケーキは柔らかいから、引っくり返して冷まさないと自重で沈むんだね。でも、テレビのお菓子教室なんかで見ると、ちゃんとシフォン冷まし用の引っ掛け台みたいのを使っている。もちろんうちにはそんな立派なものはない。大体、シフォン用の蛇の目型が金属でなく、百円ショップの紙製の奴なので引っ掛けられないと思う… 仕方ないので、ちょうど直径が同じくらいのグラタン皿に端を引っ掛け、浮かせて伏せたの。これは成功!だったんだが、ちょっと蒸気がこもって水分が抜け切らなかったね。でも、それがまたシットリな感じで美味しかったので良しとする。知り合いの奥さんにおすそ分けしたら、喜んでなんと、お寿司を持って来てくれた。(注・お寿司屋に勤めてる人)そんなつもりじゃなかったので申し訳ないが…素直に嬉しい。(^^;)ゞ

昔から不思議に思ってるのだが、どうして日本の食文化では、こういう「ケーキ」や「パン」が発展しなかったのだろう? 麦は昔から作ってる筈なのに。練って煮るだけなんだもんな。もちろん小麦はそのまま水溶きして焼いたって美味くもなんともないけど、空気さえ含ませたら柔らかく、食べ易くなる。イースト菌が無かったら、卵を思い切り泡立てて混ぜれば膨らむわけだけど。卵も昔は高価だったからかな。…ちなみに、ケーキに使うメレンゲを泡立てるのは、電動の泡立て器がない限り、本当に体力仕事で大変である。実は夜始めたので、泡立てだけで夜中まで掛かってしまったのである。私は一応、電動ではないが、歯車式手動のちっとは楽できる泡立て器を持ってるので、どうにか作ろうという意欲が沸くが、こんなんふつーの(あの涙型の)泡立て器でやったら腕つります。夜、一人でゴリゴリ泡立て器を回してると、「昔の主婦もこうやって味噌すったりしてたのかな」などという考えが沸いた。昔の主婦は、家事だけで人生の時間の大半を消耗したから、不倫だの夜遊びだの子育て放棄だのをしてる暇は無かっただろう。人間の手間が減って余暇が出来た分、人間性が…上がらず下がっている気がする昨今。ひょっとして、そういう風に崩壊した家庭ではみんなで味噌すったりワラジ作ったりすれば一家まとまって仲良くならんかな?…そういう訳にもいかんか。

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2007年2月22日 (木)

日陰の著作権

この所著作権騒動が起きている。あの作詞者の強い態度を見て、「そーだ、作者には大きな権利があったのだな」と改めて認識した。…いや、書きたいのは名曲の心について、の話ではなく、実はごく私的な事ですので。ニュース関連と思ってここを覗いちゃった方は飛ばして下さい。

漫画家といっても色々いる。売れっ子や巨匠作家、に関しては私は分からない。(そーゆー立場に立った事がないので(^^))ただな。私のようにマイナーでコバカにされている作家の場合、編集はネームくらい平気で変えるぞ。…という事が言いたかったのだ。それは頻繁にあった、どころか、時には連載のほぼ毎回だった。もちろんセリフの微妙な言い回しくらいで、大きな内容の変化はなかった…と言いたい所だが、あった場合もあるよな。理由は「これでは読者に分かりにくいから」とか何とか、私には明確に分からん。無論作者にいちいち許可なんか取ってくれない。しかし私は大抵文句もクレームも付けなかった。立場の弱い作家だし、仕事が無くなっても困ると思って。あと、誤字を直されている場合もあったので。(^^)ただ単行本になる場合は、原稿チェックの際全部自分で修正したけどね。明白に「おまえなんざいつ切っても別にこっちは困らねーんだ」という態度を取る編集なんていっぱいいました。ベストセラー作家とかになれば、きっと急に態度変えるんだろうな。どれ程そういう立場になってみたかったか。…今でもなってみたいぞ。

最近はネットがあるから、盗作した作品などはすぐに掲示板で情報が流され、ばれる事になっている。著作権に関する意識も、昔に比べると随分高くなったから、今はそんな事もないのかも知れない。でもだね。「この作品にパクられてる!」と原作が擁護されるのは、あくまでそれだけ人気がある作品だけでね。たとえば私のように知名度のない人間が、ネットに上げている作品を盗作され、しかもその盗作の方が人気が出て、ファンがいっぱい付いちゃったとしよう。果たして世間は「これはいくたまきのアレの盗作だ!」と追求してくれるか。…自分で言うのも情けないから、これ以上は言わないが。実際、昔明白に取られた事は何度もあります。(今はもー恐いので、そもそも人の作品をあまり見ません)その当時、とある知り合いに訴えたら「いやいやこの世界は持ちつ持たれつ」みたいな、殴りたくなるよーな返答が返って来た。誰の著作権を守るか、誰の著作権を無視するかは、世間の人気と出版者の意向だけで決まってるような気がしなくもない。そういうものを全て無視して、「著作権侵害だから歌わせない!」とツルの一声を発せば、相手の権利を全て差し止められる、大御所の立場ってうらやましいなあ…と、思った次第です。

これば聞いた話なので信憑性は分かりませんが。結構前にやっていた、女の子が変身して戦う系のアニメで、主人公キャラクターが完全に他の作者のパクリ、つまり盗用されていたものがあったという。オリジナルの作家は出版社に怒鳴り込んだらしいが、多分無視されたんだろう。相手は大手出版。アニメ企画には多大な経費が動いている。まるで指先で弾くように、この件は簡単にもみ消したに違いない。そんな話全然知らなかったものな。そう考えると、大手会社というのは発覚しないだけで、これまで何度そんな真似して来たか分かったものではない。(…必ずしもそんな所ばかりではない、と思いたいが)私は資本力と知名度より、個人の資質や尊厳の方が大事にされる世の中になって欲しいと願うものです。(だからホムペの作品評価して下さい(^^))

あと・蛇足。大昔「メディウム」という本に掲載された、いくたまきの「そして誰も…いなかった」というタイトルの読み切り。その中の「いい思い出」というセリフが、「思いおい出」という、訳の分からない誤植になっております。単行本にもならなかったので、とうとう修正できなかった。(T^T)今さら言ってもどーしようもないが、ずーっと心に小骨のように引っ掛かっているのだ。

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2007年2月 7日 (水)

平均ってなに。

ちょっと頼まれ物があって半徹夜した。出来上がったのでやっと寝れるのだ。…と思ったら、眠るまいとしてコーヒーがぶ飲みしたせいで、今度は寝られない。(T^T)

この間の「不適切発言」に輪が掛かっちゃいましたね。あれが無ければヒンシュクぐらいで済んだかもしれないのに、既に大臣のイメージが地の底に落ちてるから、「健全」という言葉がまー悪く聞こえること。カンに触らない物の言い方のできない人だな。…でも、「子供を生まない女性」「生みたくない女性」なんて、あまりテレビで取り上げて連呼されるのも何だかである。別に私個人に言ってる訳ではないだろーけど。もう「どっちだっていい」という展開にはなってくれんのか。

「子供が欲しくない」なんて女性、昔から結構いたけどなあ。だからそんなに大きな問題だとは思ってなかった。人間は人間である事が肝心なんで、男か女かは後の問題だと考えてたし。少なくとも私は。別に政治家に言われたって作らない人は作らないし。でも、確かほんのちょっと前まで、「夫婦二人、子供二人が平均的世帯」って世の中は言ってたぞ。それは間違いない。ところが、とある団地で調べたら「平均的世帯」が一軒もなくて、それがニュースになったりもしていた。いつから「平均でないのが平均」に変わったのだろう? その方が謎だ。私は元々、何かというと「変わり者」扱いされていたので、自分が世間の「平均」でないからって気にした事はない。ただ、「今時の人が何を平均と思ってるか」くらい知っておかないと、とは思っていた。ところが最近、もはや「平均」が何だか良く分からないのである。たとえばストーリーを一つ考えるとする。主人公は「普通の人」だとする。…で、その主人公の家庭は? 両親は? ここで登場するのが「平均」なのだ。ひと昔なら安直に「主人公は男子高校生。父はサラリーマン、母は専業主婦。弟一人。隣の家に幼なじみの女子高生が住んでいる」これくらいで、読者は「ああ普通の少年だ」と納得してくれたのだ。今はそうでもないぞ。「主人公はヒキコモリ中の男子高生。母が離婚して以来母子家庭。隣の家の陰から時々覗いているのは別れた父親らしい」…このくらいにしないとイマドキにならない気が。(とは限らないけど)ともあれ、「これがあるべき平均値」「基準値」というのは、もはやどの世界にも残ってないのかも知れない。

私は子供の頃から「世間的な家族」でなかったせいか、上京して自立して以来、「サ○エさん」を真面目に見た事がない。実は「○びまる子ちゃん」すら見ない。ホームドラマは論外。家庭がもめたり崩壊したりする話は、特に苦手で絶対見ない。「家庭の描写」というのにあまり感情移入できない、もしくは不幸な家庭を見たくないからである。でも、世間の人はそういう「家庭物」をよく見てるんじゃないのか。やっぱり「状況さえ許せば、家庭を持って子供二人くらい欲しい」という夢を持つ人は、本当は多いんじゃないのか。カテーもへったくれもなく生きている「筋金入りのヲタ」は、やっぱり一歩引かれてると思うし。私もまだ「家庭に縛られなくて自由な所が素晴らしい!」なんて褒めてもらった覚えはないし。(^^) でも、子供を増やす事を考える前に、国家はしなければならない事が山のようにあると思う。それは、今いる子供や若い人間を大切にする事だ。せめて、いじめ関連で自殺したり、虐待されたり事故にあったり、犯罪被害にあったりするのを防ぐ事から初めてくれ。先輩たちが悲惨な目に遭ってるのを見て、なんで次の赤ちゃんが「この世界にどんどん生まれて来よう」なんて思えるだろう。その辺をしっかり考えないで、不適切発言の言葉尻だけ追及するなら、与党も野党もほんとに国会経費の無駄遣いだ。

せっかく子供を産んでも、諸所の事情で大変苦労している人も何人か知っている。そして、そういう人を追い詰めたり苛めたりするのが、男性であるとは限らないのである。ほんと。男vs女なんて構図にする事自体、まさしくカビの生えた昭和の発想だと思うよ。人間はあくまで「人間性」で判断して欲しい。なんなら、医療を進歩させて、心優しい男性が子供を生めるようにしたっていいじゃないか。…そのうちにね。(多分同居人は大反対(^^))

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2007年2月 2日 (金)

いやあどうも不良機械で

これはまずいだろう、とは思ったが、予想以上に火種が炎上してますね。例の発言。女性の怒りのせいもあるが、それでなくても不祥事続きの安倍政権を叩き潰す絶好のちゃーんす!とばかりに、野党が張り切っているのもあるだろう。まあ野党というのは文句を付ける為に存在するのだから、この件に喰い付くのは無理もないけど、私は社○党時代の審議拒否とか牛歩とかが大嫌いだったので(^^)、やり方として共感できない。だから炎上を煽るような事は書かない。そんなに言うなら、出て来て具体的に女性を尊重する法案を出せよ。

私は子供のない「女性」である。少子化に貢献しちゃっている。実際に産んでないせいか、この発言にも「まー失礼な奴ね」くらいで、感情的な怒りはそれほど沸かなかった。こういう思想から見ると、「計算外の不良機械」という事になるのだろうが… まあ、女性として良く出来ているとは自分でも思えないし。(自分として良く出来ていればいいよね(^^))ちなみに、知り合いの子供が3人いる女性は、やはりそうとうムカついてました。子供を産む実感のある人の方が、生理的に許せないんじゃないかな。ちなみに私が子供を作らなかった原因は、体力不足と金銭不足。あと、同居人も親も、それ程「子供」を強く期待しなかったから。でも確かに一時期、子供がいない事をコンプレックスには感じた。どこで感じたかというと…実は「子育て支援法案」なんだな。子育てを優遇する制度にカネを回すため、煙草とかガソリンとか車とか(タバコは弁護してもらえないと(- -;)分かってますが)こちとらのよく使う物から税金を取られるのかと思うと、すごく逆差別されているように感じた。でも実際子供がいると大変なのも分かっているので、仕方なくぐっとこらえた。子供が減るのは先進国の宿命らしいが、日本の急激な少子化の本当の原因は、バブル崩壊以来の金不足と、それに付随する社会不信、人間不信などの精神的な問題の両面だろう。お金の不足は法案で救えるかも知れないが、「今時産んでも幸せにしてやれないかも」という精神的な不安は根が深い。これは政治家にはどーにもできない部分。だから、こればかりを少子化問題の論点に据えるのもずれていると思う。まず人々が安心できる社会にする方法論をしっかりと打ち立て、それに応じて必要な法案を作っていくべきでは。

私が女性として、今まで最も許せないと感じたのはこの発言ではなく、とあるタレントの奥さんが癌で子宮を摘出した時の、夫の「子宮を取ったらもう女じゃない」という発言だった。これは感情的に一番嫌だったな。なぜなら、実は私も取られかけた事があるんですねー。巨大子宮筋腫で入院した時。筋腫だけ取れば済む事なのに、医者が「子宮取る方が簡単」とばかりに、すごく取りたそうな顔をした。私はゾッとした。どーにか説得して取らずに無事手術を終えたが、こんな…医者のメスの振るい方一つで左右されるものかと思うと本当に恐かった。実際、今時は代理母とか、精子バンクとか人工授精とか、ただ「物理的に人間を製造する」方法はどんどん発展してるようだ。子供を産む事を機械的に考えたら、極論的には「じゃあ子宮と精子を政府で買い上げて納税者を製造」という事にもなりかねない。日本人が、トキのように本当に絶滅寸前になったらやるかも知れないが、まあまだ絶滅までは行かないと思うので。もう少し「生きやすい世の中にする」という基本的な方向で考えてもらいたいもんですね。

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