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2007年3月28日 (水)

もいちどゲド戦記

NHKで、宮崎駿監督の密着取材を放映してたのを見た。それ以前のニュースでもチラッとイラスト1枚だけ見せていたが、次の作品は「金魚姫」だそうですね。そしてテーマが「海」… でも…金魚って淡水性だから海にいたらおかしいのでは… 泳ぎが下手で、何度も塩辛い思いをした私は、(海の水ってほんとーーに辛い(T^T))どーしても頭の中で「海」と「金魚」が結び付かないのだった。でも、物語の中で「何故金魚が海にいるのか」きっと説明してくれるに違いない。…と思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070320-00000970-reu-ent

私と同居人は、もらったタダ券で(^^)しっかり劇場まで「ゲド戦記」を見に行ったクチである。しかし、とある漫画関係者のなかで一言「ゲド」と言ったら、「あのク○映画を」「ムダ足」と頭から馬鹿にされてしまった。ネットの総意としては「叩くべき」とされてるようだ。でも、私達は「結構楽しんだ」のである。なぜ楽しめたかは以前のブログに書いたが、もう一度書くと「あのジブリが、今時の暗い問題を真正面から描こうとしている」のが新鮮だったのだ。しかし世間が「ジブリ」に期待してるものは、やっぱり違ったのだな。「世界三大ファンタジー」というのに期待した人、うっかり子供を連れて行った人、毎回のお約束「コナン走り」(千尋でさえやってた…)が見られなくて失望した人、「親殺し」の主人公がどうしても許せない人、朔太郎の盗作だと怒る人… まあ、普通に考えたらそうかもな。でも、エヴァとか、その他深夜アニメなんかがどんなに暗かろうと反社会的だろうと、暗いからという理由で叩かれたりはしないだろうに。もちろん、物語的にも「そーとー説明不足」「世界観に比べてストーリーの密度が低い」「未熟」なんて、難癖付けようと思えばいくらでも付けられる。すごく完成度が高いとは思わない。でも、「完成度が高くて面白くない」作品、というのもあるのよ。「完成度が高くて面白い筈なのに、ワンパターンだから感動呼ばない作品」だってある。ともあれ、本来なら感情移入できないような人物の「感情」がちゃんと伝わってきたのは凄いことだと私は思うんだが。…映画を見る前に「大体こんな作品だろう」と考える、その予測を外し、何か別の物を見せてくれたら、曲芸がなくてもある意味それだけで価値だ。でもまあ、後は好き嫌いだから。

「宮崎アニメ」は、「ラピュタ」を境にして別の物になった。と私は思っている。それは作り手だけの問題ではない。この頃を境に世間の「善vs悪」という不滅のパターンが壊れ始めたのではないかと。どう見ても、ラピュタまでの主人公たちは「善」で「正義」だった。主人公も悪党もある程度パターン化されている。私はどうしても「コナン」(探偵じゃなくて!)から考え始めてしまうのだが、典型的な悪役「レプカ」→「カリオストロ伯爵」→「ムスカ」(同じ人に見える…)の流れが、ここで途切れたように思うのだ。宮崎アニメの世界ではこの「権力をカサに着た冷酷な男」というのが、最大の悪として描かれていた。でも、ラピュタの最後で失明し、「目が見えない!」と叫び、さ迷い、己の城に潰されていくムスカを「可哀そう…」と思ってしまったのは私だけ?当時は思わなかったが、カリオストロ伯爵だって本気でクラリスに惚れてたのかも知れない。彼ら「悪キャラ」は単に友達が出来ず、権力しか信じられなくなった、気の毒で孤独な男だったのかも知れない。そう思ってしまうようになったのは、こういう悪役とは比較にならないくらい「非人間的な犯罪」が社会に起き始めたせいもある。しかも年少者、信頼されている人間、あるいは「ごく普通の人」が凶悪犯罪を犯す。「世界支配を企む権力者」だけが犯す訳ではないのである。…じゃあ、物語を構成する上で必要な「悪」は一体誰だ?

だから、「トトロ」からの流れは「悪役」が本当にいない。「困った事件」は起きるが、(メイの迷子とか、タタリ神とか)憎むべき者がいない。世界的にジブリの評価が凄く高くなったのもそのあたりから、のような。簡単に「悪役」を作らない所が、見る者に安心を与える。でも…「現実」の社会は更に悪くなっていったのだ。いくら心温まる物語を作っても、不幸は確実に起き続けるのだ。一体誰のせい? …で、ついに持って行き場のない悪の元凶を「自分自身」に求めてしまったのがゲド戦記、ではないかと。それは「自分の中の悪」なんて覗きたくない(もしくは無いと考える)人には、生理的に受け入れ難いかも知れない。自分の暗黒面ばっかり見てたらやってられないのも確か。でも、「簡単に決められない」とはいえ、この世には「悪」と「正義」の峻別は、やっぱりあるのである。私はそう思う。でなければ普通に暮らせる秩序さえなくなってしまう。ただ間違ってはいけないと思うのは、「正義」は「悪」を裁くために存在するのではない、という事だ。正義はただ黙々と「正義で有り続ける」ためにだけ存在する。カッコ良くなくても、メリットがなくても。そして裁く者は「ルール」それ自体である。執行するのは代理人に過ぎない。(月光仮面だって、「正義の味方」とは言っても「私は正義」とは言ってない)ゲド戦記のテルーが「命を大切にしない奴なんて」と言っておきながらクモを丸焼きにする、というのが矛盾だ、と笑うムキもあるようだが、あれは人間の法でなく(正体は人間でなく竜だからね)「自然の摂理」という法を代行したものと受け止めて、私は違和感は無かった。むしろ、ここまで持って行かなければ「この悪党め、成敗してやる!」とすら言えない世の中なのかと、むしろ現実の方に重さを感じるのであった。

普通に、やや幸せに暮らしている人を楽しませるのは割と簡単だ。だが不幸や、重い悩みや心の傷を持った人たちは、どうやったら心底楽しませ、幸せな気持ちにさせられるのだろう? 多くの期待を寄せられ過ぎて、ジブリはそんな重い課題を背負ってしまったのかも知れない、と思った。

(追伸・宮崎アニメに残酷シーンは絶対ない、と思われてる気がするが、カリオストロ伯爵の最後。…あれ、描いてないだけで、後で時計台に接近したら「とっても見たくない状態」だったと思うんだけどなあ…少なくとも私は、見た限りのどんなアニメの悪役の最後より恐かったぞ。)

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2007年3月26日 (月)

だってそんな不労所得

最近、本宅HP「生玉荘」へのエロ広告書き込みが凄く増えてきて困っている。(- -;)特にムカつくのは、女性を貶めるような「えすエム」系の(←検索されないよう、わざと仮名にしました…)宣伝と、人妻がどーのこーのという奴。悪かったなこっちはリアル人妻だよ。性格がコレで亭主の性格がほとんどネコでも、一応分類上人妻なのよ。それなのに「人妻は浮気しまくりが当然」みたいな、まして、ネットのエロ広告に引っ掛かるようなバ○男に、金まで渡して尽くしてくれるみたいな…そんなクソ広告書かれて黙ってられるかてーんだべらぼーめ。しかし、ああいうのは機械的に自動配信してるらしく、削除以外防ぐ方法がない。しかも、あれを間違えてクリックすると、貼った人間に報酬が入ったりするのだろうと思うと、二重三重に腹が立つのだった。

ネットで、特に労働しなくても稼ぐ方法はこの「広告費」らしい。広告バナーを貼っておけば何%か貰えるものや、実際に広告商品が売れたら何%かバックしてくれるものや色々あるようだ。…最近、Yahooのニュース記事に「関連ブログ」が付いているのに気が付いて覗いたら、ほとんどがこういう「アフェリエイト」目的だった。最新ニュースは検索されやすいから、関連ワードさえタイトルに貼ってあればアクセス数が増え、間違えてブログを覗き、更に間違えて広告クリックする人間も増える…という算段。この手のブログでも、ちゃんと記事に関する感想や意見が書いてあるのはまだいいんだが。酷いのになると、ネットニュースを丸々コピペで貼っただけ。更に酷いのは、タイトルだけで記事すらなく、広告リンクだけが大量に並んでいる。こんなんで金稼ぐなんて…なんて…「許せない!」と思った反面、「あ、これやったらうちのビンボーだって穴埋めが」と思ってしまったのも事実であった。私個人は、広告バナーが多かったり、広告が別ブラウザで立ち上がったりするサイトは大嫌い(^^)である。うち(生玉荘)に来る人も嫌いじゃないかと思うから、本宅には決して貼りたくない。だが、ニフティが7月で今の「ふつーの」無料掲示板を終了してしまう事が分かったのだ。新しい掲示板には無料の分、元から広告が貼ってある。この先、嫌でも広告が付いてくるのである。だったらいっそ、(本宅以外の)どこかに自分で選んだ広告を貼って、幾らかでももーけた方がマシなんじゃないか…と思った次第。

でもなあ。ただニュース記事に感想書くだけのブログなんていっぱいあるし、そんなの自分でやったらすぐ飽きると思うのな。(- -;)で、考えたのが「似顔絵ブログ」。有名人の似顔絵だけを載せ、その方の知名度にだけオンブしてアクセスを貰おう、という他力本願作戦。(^^)もちろん似顔絵は真面目に自分で描くから、データ価値はあると思う。一応、試しに描いて見たのだが…

Mao ←浅田真央さん。あんまり可愛くならなかったのでもう一枚描いたから、こっちはサンプルのボツ分なんだけど。これはイケるかも…と思った反面、ひょっとして肖像権とか、個人に対するナントカで問題になるかも、と思うとなかなか踏み切れないのだった。描く時ネットニュースの写真を参照したが、表情やポーズは別。本人の造形さえ把握できれば、私はそのくいらいの応用は出来ますゆえ。こういう企画は大丈夫なんだろうか?もう少し考えてみよう…

追伸・結局、試しにブログ開設だけしてしまいました。広告貼ってません… 宣伝する勇気はまだないな。

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2007年3月19日 (月)

MAZDAに恋する人達

Cx7昨日は同居人の付き添いで、横浜の「マツダR&Dセンター」という所のイベントに出掛けた。ここには、これまで何度も足を運んでいる。マツダの研究所みたいな場所らしいが、博物館もあるし、こういうユーザーとの交流にもよく使われているようだ。イベント会場としては小ぢんまりしているが、空間が広くて清潔で、(あまり余分なものがなくて(^^))天気のいい日に、一面ガラスの壁から展示場に陽光が射したりしていると、実に気持ちのいい場所。イベントの内容も、マツダの車作りのポリシーを語る講演だったり、マニアが喜ぶ開発の裏話だったりと、ある意味「マツダ大学のキャンパスでの講義」みたいな雰囲気である。今回は売り出し中の「CX-7」についての講義である。同居人がマツダオタクで随分引っ張りまわされた割には、私はいまだに車無知なので、下手に解説書いたら大恥かくかも知れないが…なんでも、「スポーツクロスオーバー」とか言って、RVとスポーツカーの融合、みたいなコンセプトらしい。つまり「カッコ良すぎる四駆」かな。マツダはとにかく、デザインには(デザインだけじゃないけど)物凄くこだわる。優秀なスタッフや職人のみなさんが、仕事と言うよりは本人の思い入れで(^^)人生掛けてやっている感じである。だからこのCX-7も、よく見るとすごく複雑なラインである。「なんでこんなトコまで?」と思う程切れ込みとか出っ張り(なんと呼ぶのか分からない(T^T))が入っている。ガソリンを入れる時に開ける丸い蓋まで平面でなく、流れるラインの膨らみが。(ガソリンスタンドで「おおっ」と驚くだろうなと思った)…テールランプが、クラクラするような複雑な反射鏡で、LEDに見えるように出来てたり。こんなのとても傷なんか付けられない。あんまり酷いオフロードには持って行けないかも。(^^)

最近は、「車は単なる道具」「走ればいい」という人間が多いらしいが、マツダのファンの思い入れは、そんな世間の風潮とは完全に隔絶している。もうほとんど「恋」である。恋だから無償でつくしてしまう。ファン同士はすぐ仲良くなるし、ファンやスタッフの方の人間関係や雰囲気もとてもいい。それは一企業に対するヨイショというより、走る事に関する「哲学」そのものに対する恋のようである。確かにこんな企業は他にはないだろう。車を作る前に製作される「クレイモデル」(つまり粘土模型)の技術者がすごく大切にされてたり、(どうしてもコンピュータだけでは出来ないものらしい(^^))講演で「車はエンジンだけでなく、人も乗せなきゃならない訳ですから」なんてセリフが飛び出しても、皆さん普通の顔で聞いている。…他の車会社のユーザーの前で言ったら「人間が中心の筈だろう!」と怒りの声が飛ぶかもね。でも、ここに来る人たちは、そもそも「走って素敵でない車」に乗りたい訳ではないのだ。「美学」というものがあるからマナーだっていいのだ。世の中全てがそうはならないだろうけど、ある意味で理想郷かも知れない。

つまり…うちの同居人が最大に「恋」してるのは、いちおー物書きだった私の作品ではなく、MAZDAなんだよね。(T^T)(本人は否定してますが)私の意見も聞かず、勝手に車をドンドン乗り換えられても(バブル期の話です。もうしたくても出来ません(^^))文句言うと恋人と裂かれるような顔で落ち込むので…結局私まで巻き込まれて今までやって来た。どんなに誠実に思いを込めて作品作っても、業界では使い捨ての塵のように扱われてきた私には、羨まし過ぎて涙も出ない世界だな。このくらい人に恋してもらえる作品を、何か残してから死ねたらと最近切実に思う。

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2007年3月17日 (土)

面白すぎる都知事選

Applepie これは先日焼いたアップルパイだけど、記事の内容とは何の関係もありません。(- -)同居人が風邪で寝込んだので、りんごが効くかと思って作っただけっす。(完品の写真撮る前に、バクバク食われてこんな姿に…)

いやあ…他人事だけど、都知事選面白いなあ。キンゾーさんまで出るとは。主要と言われている候補は4人だけど、その他名前が挙がっている顔ぶれを見ると、とてもシリアスだと思えなくなってきた。皆さん至って本気みたいだから、偏見持っちゃ失礼だとは思うのだが、つい、昔のドリフのコント「もしシリーズ」を思い出して…「もし、この人が都知事になったらどうなる?」

ふ○ろう博士…歌舞伎町をふくろうが夜警する。 ドクター○松…防犯の完璧な、入り口のない東京を作る。 羽柴○吉氏…天下統一の証に、都庁に天守閣を作る。 桜○造氏…都内の心霊スポットを全て解明し、タタリのない都心を作る。 なんてネタがどんどん頭に沸いてしまうな。(- -;)(冗談ですから!) あと、今回出なくて残念だったが、もし出てたら 筑紫○也氏…毎日議会で「異論反論オブジェクショーン」を放映する。(編集可) 丸○弁護士…パネラー形式の議会にして、司会者の副知事にツッコミを入れられる。(全部冗談ですからね!) とか。きっと面白い東京になるだろう。でも、4年も「ただ単に面白い」東京だと都民は迷惑するだろうな。

私は千葉県民なので、何の投票権も関係もございません。眺めているだけでございます。今東京に住んでなくて、良かったような残念なような。

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2007年3月11日 (日)

君の瞳は星のようだ

タイトルと、これから書く話はギャップがありますので、ロマンチックを期待しないで下さい。(^^)

先日、書きたい事書いてスッキリしたもんで、ついでに吐き出してしまいたい記憶がむくむくと沸いてしまった。「君の瞳は星のようだ」というのは、私の母が昔父からもらったという、ラブレターの文面である。…という話である。子供の頃散々聞かされた。母親の話は何かというとコレか、さもなくば「特攻に行ったお兄ちゃんとの淡い初恋の物語」になるのであった。(ただし母親の離婚後)母親の話によると、父は自衛隊で楽器をやっていて、その当時田舎のモダンガール(つーか放蕩娘)でダンスホールなどに行きまくっていた母と知り合い、こんなラブレターまで出し、あげく母は婚約者を棒に振って駆け落ちしたそうなのである。まあ本人談なので、信憑性は定かではないが、一見ドラマチックである。しかし… 幼い頃のおぼろげな記憶にある父親は、どー見てもラブストーリーの主役には見えなかった。丸顔で、既に毛が薄かった。既に自衛隊員でもなくサラリーマンをやっていた。しかも…その家庭生活の末路はハタンであった。情熱的な恋なんて長続きしないものね。母親は父の、写真という写真を全て焼いてしまった。本当である。一緒に撮ったものか集合写真だと、母は自分の部分だけ器用に切り抜いて、残りを棄てていた。よって、今の私に父の顔の記憶は全くない。街でバッタリ会ったって分からなかっただろう。女の恨みは恐いなあ… それでも母が離婚後この話を私に何度もしたのは、「自分は愛されていた」「お前は自信を持て」と励ましてくれたものと受け止めている。でもまあ、長いのでその話はここらで置くとして。

「ジエータイ」が何をするものなのか、子供の私は知る由もなかったが、高校ぐらいになった頃、「自衛隊は違憲か合憲か」というテーマで、ちょっとモノ知ってる風の学生は議論をやっていた。…議論なんてものではなかった。当時の風潮だと、ほんの少しでも「自衛隊に賛成」な意見を言うと、鬼のように「戦争賛成論者」と決め付けられ、攻撃された。当時隆盛だった、社○党系の発想である。(だから私は、今でも社○党系が死ぬ程嫌いです(^^))私は「元自衛隊」の父親なんて既に記憶にすら無かったのに、自分も攻撃のターゲットになっている気がしてひどく傷付いた。違憲なら犯罪なのか?国や国民を守るために命を掛けて、しかも犯罪者扱いされなきゃならないのか?…だったら、こんな国も国民も守らなきゃいいのに。戦争状態になって攻め込まれたら、「私たちは平和主義です~」とニコニコして、みんなそのまま○されてりゃいい。ガンジーさんならやるだろうし。…などとすさんでいた。ほんと、あの時代の現実と理念のギャップは凄まじかった。私は精神の暗黒時代だったと思っている。ほんのちょっとでも結論的な事を言えば、必ず「ウヨク」か「サヨク」かどっちかだと決め付けるし。(どっかの裏ネットではまだやってるのだろう。明らかにこの世代だな)そして、この世代の若者は「三無主義」と呼ばれた。無気力、無関心、無感動… 冗談じゃねーよ。何か気力出してモノ考えようとしたら、問答無用で全て叩き潰してきたのは一体誰なんだ。そして憲法9条を説く教師は、法律違反なのに(つまり公務員なのに)年中ストをやって生徒の事なんか眼中になかったのであった。今の日本人の倫理観がどんどん壊れていってるのは、この時代の「思想を持つ事自体が危険思想」みたいな、ねじ曲がった価値観の結果である。と私は思う。そして時代は流れ…

世間の風潮も随分変わったなと思う。湾岸戦争、北朝鮮の各問題、そしてイラク。昔は半島やアラブ諸国の事など、話題にするだけでも「こいつ危ないんじゃないか」と疑いの目で見られる有様だったのに、(そーゆーこと考えていいのはゴ○ゴ13だけでした(^^))報道でバンバン流れ始めてからというもの、知ってるのが常識にまでなった。この国は日本人の意志ではなく、大国の意志で運営されていたのだという事も改めて思い知らされた。そしてあの時代を考えれば…確かにその方が国家にとって「安全」な運営だったという事も。今や自衛隊を合憲にするため、憲法まで改正しようかという勢いである。理屈で平和をコネても、現実ミサイルやら犯罪が国を狙っていると分かると、国民の総意なんて簡単に変わるものだな。私は通信大学の試験論文で、一度憲法改正テーマにした。私の意見は「持てる、もしくは行使できる武力の上限を定めて合憲にする」というものだった。なし崩しに認めては危険だが、現実的には放棄なんてできないだろうから。そして、こういう事を考え、ささやかに意見表明までできる時代になった事をある意味感謝している。この世の最大の悪の一つは「封殺」である。存在そのものを認めようとしないこと。この国は随分長い間それをやってきた。今でも多々にしてある。そして、ある一つの「立場」だけで出来た世界の人間は、自分達が何を封じ込めているのか、大抵は自覚がないのである。いじめを「している」立場の人間には痛みがないのと同様に。

私は「生みの父親」をいまだに「父」とは感じられないでいる。そいつには別に家族があり、私にとっては最後まで、どこか知らない所で生きて死んでいった赤の他人のままだった。それでも半分遺伝子が入ってるばかりに、こういう事まで考える羽目になるのかと思うと…少々複雑である。

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許すのか?あんなの…

政治や社会について、みたいな話をブログで書くのは、本当は恐いから嫌である。思想が凝り固まっているように誤解されそうだし。反感を覚える人間は必ず存在するだろうし。でもなー、最近のアメリカのやり口がどうしても好きになれなくて一言言いたくなった。石油が取れそうな国家は平気で攻撃し、戦争起こしてもメリットの無さそうな国家はゴハンあげて許し、懐柔するのか。ミサイルばら撒いて偽札作りまくって麻薬を流し、外国人を拉致する国家でも裁かれないのか。本当の所、国連なんて戦勝国の作った組織でしかないし、拘束力も無いから、アメリカみたいな主導権を握る強国がワガママ言い出したら誰も止められないんだものな。(この間実証してくれましたね)さすがに日本も、拉致問題では引かない覚悟らしいけど、アメリカはいざとなったらこの国を平気で見捨てそうである。「北」は本当に核なんか使わないだろうし、日本は今まで何でも言いなりになってきた国なんだから、自国の都合でどうにでも出来ると思われているような気がしてならない。自国の権利は主張するけど、踏み荒らした外国の権利を尊重したことないし。それなのに、日本人がアカデミー賞にノミネートされたり、マツザカがメジャーで大評判だったりするとこの国は大喜びしちゃうのである。悲しいのである。「友達」に過ぎないのに恋人と思い込んで尽くしてるみたいで。もちろん、国家と国民一人一人の人格は別だから、「国家がそうだから国民も全部そう」ではないし、文化と政治は違うものだが。

日本人は「有名」や「名声」に弱い。知名度に弱い。テレビで飲酒運転や金属泥棒や給食費未払いが報道されると、「これはいけない止めよう」と思う(人もいるだろうけど)のではなく、みんなやってるんだと安心するのか、かえって増えたりする。国を動かすのは、憲法によれば国民の総意だが、その「国民の総意」自体が捻じ曲がっている場合も確かにある。そういう時は政治が解決する…事になってるのだが、政治もアテにならない。というか、本当は政治は「政治家」が勝手に作っちゃいけないのであって、正しい理念や法に基づいて真面目に仕事をしてくれればそれでいい…筈なんだけど。なかなかそうはならない。世論はどうしても政治家のキャラクターの好感度に左右されるのよね。そうなると露出度とかパフォーマンスのうまさが一番重要、てことになってしまう。違うでしょ…それは芸能人の条件でしょ…と思うけど。「美しい国」なんてキャッチフレーズも、そういう意味ではイメージに過ぎない。別に少しも美しくはなかったけど、小汚い都会で頑張れば夢が見られた時代が私は好きだったよ。ルールのない、明日の見えない平和より、正しいルールの機能している苦労の時代の方が、私の性には合っている。でも時代は戻らないしなー。今や「正義」なんて言葉、馬鹿にしてないとおかしい、くらいに人の倫理観は下がっちゃってるしな。

だからさ。他国に倫理観を求めたら世界的に通用するくらい、まずこの国を倫理観の高い、信頼される国にして欲しいのよ。どっかの国やどっかの国を「許せない」と思っても、思ってる国家の内情がこれでは説得力ないから。でもって、「国」の倫理観を高めるのは政治家ではなく、ふつーの国民一人一人だという事も忘れないで欲しい。

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2007年3月 7日 (水)

100円ショップの功罪。

Orangechiffon (^^)調子に乗ってオレンジシフォンケーキを焼いた。大成功。オレンジの香りが爽やかでうまい。…いや、実はこれ以前に一度しくじったのだ。紅茶シフォンのレシピで、紅茶をオレンジの絞り汁に替えたらそのままいけるだろー、とタカをくくって作ったら見事にしぼんだの。ジュースが多かったらしい。紅茶シフォンの場合、紅茶葉を入れるので、それが水分を吸う計算になってたのだな。仕方ないので、今回はネットでレシピを探して「そのとーりに」作りました。(^^;)お菓子作りは食べる理科実験である。正しい配分と手順が絶対必要なのだと改めて痛感。

で。レシピは、そういう他のお料理上手な方のサイトに任せるとして。今回、道具でちょっと苦労したのでその話。この間はあったのに、探したら100円ショップにシフォン型が置いてない。あっても小さすぎるか浅すぎるか… 通常よくあるお菓子レシピの分量には合わないと思うのになあ。で、考えた。普通のケーキの18cm型はある。コレに穴があれば良いのである。そこで、やはり昔100円ショップで買った、天然石のぐいのみ(そんな物があるんですねー)、これが円筒形だったので、型の中心に置いて即席蛇の目型の出来上がり。…さて。いつも苦労する泡立て作業だが、実は買い置きの「100円ショップ製・電動泡立て器」があった。これを使ってみようと考えた。

何を隠そう、買ったのはうちの同居人である。実を言うと彼はこういう、100円ショップの訳の分からない便利グッズが大好きなのだ。いわく「目玉焼きを丸く焼く型」「袋を挟んで密閉する棒」「レンジで調理する入れ物」「牛乳瓶の付け替え蓋」「ペットボトルを傾けないで汲み出せるポンプ」…その他その他。そして、その大半は使えないか、すぐに壊れる。(- -;)イラネーと言ってもまた買って来て、いつの間にかそういう小物が増えていく。でも、今回の「電動泡立て器」はちょっとスグレモノかも知れないと期待した。なんせ、ケーキの泡立てって電動がないと本当に力仕事なので。…電池を入れてみる。単三2本である。(学研のふろくを思い出してやや不安になる)取りあえず、スイッチを入れると景気良くブィーンと回る。まず黄身から泡立てねばならないのでグラニュー糖を入れて混ぜてみる。始めのうちはうまい!いける!という感じ。しかしだ。しばらくやってると、黄身と糖分でタネはどんどん粘度が上がっていく。そして「電動」が悲鳴を上げる。ガガガガと雑音。だんだん回らなくなる。まるで「わしは、こんな固いもん混ぜるようには出来とらんのじゃ!やめんかい!」とでも言うように。そして…それは壊れた。(- -;)10分ももたずに。結局その時と今回、私は愛用の歯車泡立て器でガリガリと肉体労働したのであった。

100円ショップの品で充分間に合うものはたくさんある。何かと重宝させてもらっている。しかし、「これはどーもならん」という物品にも多々遭遇する。たとえば化粧品。口紅やアイシャドー、眉墨くらいは大丈夫。しかし白粉はねー。全部が全部ではないだろうが、私の買ったヤツはパウダーが「粒」だった。塗って鏡で良く見るとツブツブがそのまんま。まあ一日付けて、汗で馴染んだら溶けるだろうと思ったら…夜まで粒のまんまだった。なんて丈夫な顆粒… 使えるものと使えないものは、実際体験してみないと分からない。お菓子なんて、ちゃんとした道具を揃えると高く付くから、できれば経費100円台で済ませたいんだけどね。まだこれからも色々失敗するかもなあ。ちなみにここで買った粉ふるい、これくらいは大丈夫だろうと思ったら、すでにシミが出来てへこみかけている。

ちなみに、100円ショップ製で今一番役に立ってるのは「袋の密閉蓋」である。開けちゃったレギュラーコーヒーの袋に回してはめ込むと、湿気を防げるのである。こういうヒットもあるんですがね。

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2007年3月 2日 (金)

この際新バージョン

いや、ブログに書く程の事じゃないですが… 「吉幾三さんがおふくろさんを歌わせてと名乗りを上げた」という話なので。「別の歌手がおふくろさんを歌ったら?」シリーズ。

浜崎あゆみの「おふくろさん」…♪このごろ流行のおふくろさん

ささきいさおの「おふくろさん」…♪宇宙(そら)を見上げりゃ宇宙にある(多分スターシア)

のこいのこの「おふくろさん」…♪パタパタおふくろさん パタパタおふくろさん

コブクロの「おふくろさん」…♪コブクロさんよ コブクロさん

色々あっても面白いよなあ。…いや、失礼しました。<(_ _;)>

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