あーあさましい
最近はあまり本当の事を書くと怒られるらしい。なんたってネットだ。世界中に即時で繋がってる上、私を含め書く人間に掛かる規制が何もない。(^^)でもあまりにオバカなニュースを見たので、つい一言言いたくなった。
「あさましいぞ、某大国!」
日本を含め世界の名車、有名アニメキャラクター、DVDなんかをパクるだけでは済まず、自国の夢を掛けた「高速列車」の部品まで盗みまくっているという。日本人の品性が落ちてるのもガックリくるけど、なにか。最近こういう倫理観の低下は世界的なのかと思う。高度経済成長期ってそういうもんなのかなあ。でもさすがのこの国でも、当時の新幹線の部品は盗まなかったと思うな。ただその頃の日本人、国内では真面目な顔をし、海外で羽目を外して暴れまくっていたようだから、多くの暴挙は知られてないだけかも知れない。社員旅行と言えば○春ツアー、途上国は環境破壊しまくり。昔、筒井大先生の「農協月へ行く」という作品があったが、ああいうもの、今おおやけに広めると大問題になりそうだ。当時の社会の裏側を鋭く突いてたんだが。あと「アフリカの爆弾」とかね。当時はかなり過激だったけど、今は世の中の現実の方が余程バカになってるので、そうぶっ飛んでいるようにも感じないのが怖い。
ネットがない頃は感想ひとつ、評論ひとつを世の中に出すのも大変だった。ライターが一生懸命字を書き、その汚い字を編集者が一生懸命解読して校正し、ゲラ刷りし、作家が確認し、やっと製本、輸送、販売店…、そして読者がわざわざ本屋まで出向いて、お金出してそれを買うわけである。一つの感想にも多くの人間が関わり、手間が掛かっている。さんざんチェックも入るから、あまりに下らない物はそもそも世に出ない。ひとつの文章にはそれだけ高い価値があったのだ。だから、文にされたものはじっくり読んだし物も考えた。頭にきたり、衝撃を受けたからっていちいち反撃できない代わりに、自分の中で内容を噛み締め、「この文章はどこまで本気で受け止めるべきか」と客観的に考える余裕があった。だから、その頃は耳に痛い話でも人はちゃんと聞けたのだ。今はダイレクトだものな。書かれた物も思いつきでチョコチョコッとな文が多く(そうでない書き手もいるが)、読む側もザッと読んで、気に食わなかったら受け止める暇も無くクレーム。時には感情的に中傷。人類バカになるわけだ。反省する能力なんて決して身に付かない。もし鋭いが耳に痛い社会評論があっても、ネット上で何万人もが寄ってたかって叩いたらあっという間に潰されるのココロだ。「耳に痛い良識」は絶滅の危機にあるのかも知れない。だからしつけもされず、自分が何してるのかも分からず、衝動だけで生きてる人間が増えたのかも知れない。願うのは、「何万人」の大半が良識を持ってくれる事だけだが… どーすればそうなるのかはまるで分からない。
でもやっぱり、最近の世界中に向けて。私は「あさましくなるな」と叫んでおく。ネットでは無料で気軽にデータが得られるかも知れないけど、現実の物品は買わない限りあんたのもんじゃない。ゲームの中では人は何度○んでも生き返るが、現実は○んだら終わりだ。決してその先はないし、ひどい○に方した人間は、そんな簡単には生まれ変わらない。映画の中では人殺しはチノリと特殊メイクに過ぎないが、現実に起こるそれはあなた自身を壊す。人間をモノ扱いした者は人でなくモノにしかなれない。ここは世界の中心でも何でもなけど、取り合えず叫ぶのだった。
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