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2007年6月30日 (土)

原子力爆弾発言

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070630-00000067-jij-pol

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070630-00000055-mai-pol

あー… ニュースで怒るのもう疲れた。なんで偉い人はこうも省察のない発言するの。決して「落とされて良かった」という意味ではないと思いたい。が。

原爆投下がアメリカの新兵器実験でしか無かった事は、ほとんどもう確実なんでしょう。(でなければ大都市を狙っている)「原爆投下が、戦争終結に絶対必要なものではなかった証明」なら、もっと詳しい人がいくらでもやっている。だから細かくは書かない。ただ、もし仮に「本当に原爆を投下しなければ、日本は降伏しなかった」と証明されたとしてもです。それでも日本は、原子兵器の存在と行使に反対し、非難し続ける責任がある。なぜなら、いまだ戦争状態で原子兵器の実験場にされた国家は日本だけだから。被害者が肯定しちゃったらどうにもならんでしょ。止める者がいなくなる。まして防衛大臣。この人、防衛大臣の発言は国の防衛意識の象徴と取られる、という事を自覚してないんじゃなかろうか。遠い未来に、教科書が昔の国家について簡単に解説するしたら、日本はどんな国と書かれるか。フジヤマもゲイシャもオタクも多分筆頭には来ない。「最初の核兵器が投下された国」と書かれる筈だ。(…と思う)これは日本が世界に堂々と主張できる最大の課題であって、一個人のおじさんの感想の問題ではない。日本だけの問題でもない。全人類共通の生存権の問題だ。

私の個人的な感想としては、兵器である以前に、物理的な問題で人類が「核力」を完全に支配できる時は永久に来ないと思う。重力を支配できないのと同様に。だから核の所有と行使を「国家」その他の権力が「力」と考える事自体が、人類の不遜と慢心に見える。宇宙の4つの力のうち、今の所電磁力だけが割と人間の味方をしてくれているが… それにだってこれだけ振り回されているのに。コンピュータ文化のおかげで、もう「電気が無くなれば文明が滅ぶ」所まで来ちゃってる気がするから… むしろ自覚の無いまま人類は「電磁力に支配されてる」と言った方が正しいかも知れない。

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2007年6月29日 (金)

悪は勝ってはならない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070627-00000915-san-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070628-00000174-jij-soci

異常な裁判のニュースをさんざん聞かされた。この被告人に関しては、「21人の弁護団」とやらを除いて国民の大半がほぼ同じ意見だと思う。ほんと、どんな爽やかな気分もぶっ潰してくれる連中だ。法治国家のルールとはいえ、こんな話まで真面目に聞いたり、記録取ったりしてやらねばならんのか。この裁判に関しては既に、数多くのブログで非難の声が上がっているのみならず、弁護団に対する懲戒請求の動きも起きている。(広島弁護士会は無視) 私が記事に書くまでもないとは思うんだが… 大体、ドラえもんと魔界転生と罪と罰と異邦人を並べて読み、しかも子供のように甘えたがる人間って、一体どういう物体なんだそれは。まさか万万が一にも死刑を免れたりはしないだろうけど、この件に関して考えた事は「この裁判のおかげで、今まで死刑廃止論者だった人も『いや、やっぱり死刑は必要だ』と思い直したのではないか」という事だけだ。この事件のみならず、訳の分からない理由で過剰に弁護され、「自分は犯罪おかしても裁かれないノダ」と思い込んでいる輩が他にもいるかも知れない。(その逆にほんとの冤罪もあるからややこしい) 法は元々万能ではない。とはいえ、もっと「悪が確実に裁かれ、正義が確実に救われる」道はないのかと思ってしまう。

絶対に何も間違いを犯さない神様が現れて、「お前は悪。罰! お前は善。ご褒美!」と正しく世の中を裁いてくれるなら、ほんと何も苦労はない。しかしそうはならず、悪党が痛みも感じず被害者の気持ちも分からないままなら、一体何者がこの世のルールを正せるのだろう?「悪い奴には罰が当たる」という発想の根拠はなんだろう? …あまり頼りにならない考えかも知れないが、それは多分「論理障害」である。ハードをクラッシュさせるあれだ。人間の脳や思考にも、身体のシステムにも一定の「論理」と「秩序」がある。それがあるから人間は普通に生き、目的に沿った行動が取れる。しかし、嘘に嘘を重ねたり、我欲のために「自分は人権を守られながら、人の人権を平気で害する」といった矛盾した行動を取り続けていると、人間は行動原理そのものが壊れていくと思うのだ。しばらくは何事もなく人らしく稼動してるかも知れないが、いずれ心身の全システムが噛み合わなくなり、自分をかばおうとして自分を攻撃し、追い込み、メチャメチャになって自己崩壊していく。一般に言う「天罰が下った」というのはそういう状態を指すのではないかと思う。この世には「納得のいく状態」と「いかない状態」が確かにある。より多くの人間が「納得できる状態」をして、普遍的に正義とか道理と呼び、人は社会秩序を作ってきたのだ。それが、生きる上で最も自然で、自分も人も守られる法則だったからだ。単に「死刑を廃止して人命を守る」事が人間を守ってきた訳ではない。

なんて。難しく書き過ぎたけど、要するに。「甘えたくて、ドラえもんが何とかしてくれるなら、殺人しても姦淫しても無罪」なんて世の中になったら、恐ろしくて誰もそんな社会で生活できねーだろ。というだけの事だ。社会秩序を破壊する者が法曹を名乗るべきではない。この事件に関しては犯人のみならず、法を守るべき人間の質も強く追求して欲しい。

(追記・でも、この事件結局、酷い「祭り」になっちゃったみたいです。あーあ。それをやったら終わりだ。正論も正論じゃなくなる。私はそっちの世界には接触しません。匿名で発言に責任取らない人間にも正義はないと思う。まあそれを言うなら、月光仮面も仮面ライダーもウルトラマンも別に正義じゃないが。)

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2007年6月24日 (日)

国家に友情はないそうだ

日高義樹ワシントン・リポートを見た。…半分寝た。(- -;)この番組、英語で会話して、バイリンガルを付けてくれないからしっかり字幕を読まねばならないのである。途中でちょっと飽きてしまうのである。…で、また起きて見たんだが、最後のまとめが終わる前に用事で外出した。だから「しっかり見た」とも言えないのだが… なんか超絶アメ○カに腹立ちました。一口に言うと、「別に北○鮮がアメリカに攻めて来る訳じゃないから、拉致問題なんてどーでもいいもん」というのが、今のア○リカの完全な結論らしい。「悪のすーじく」とか言っておきながら、そこまで悪でなかった(つまり核持ってない)イラクをぐちゃぐちゃにし、そのケツも拭けない状況のくせに。でも、どうも始めからイラクしかやる気はなかったようだ。親ブッシュの遺恨か利権か知らんが。本当の所は「固いのとまずいのはやめて、腹見せてる美味しそうな獲物に食いついた」という感じだろうか。同盟国の日本は、えらい困難を抱えながら自衛隊を協力させたというのに、日本が北の脅威で苦しんでも助けない。で、言う事は「勝手に軍事力増強して自分を守ればぁ? あーでも、当然米軍にはもっと協力してね」…どーいう了見だ、くらぁ。中国は資本力と物資があるから大事、北はそれなりに闇に精通してそうだから利用価値がある、でも日本なんて「単なる基地の島」以外特にメリットはないという事か。「日本人は長年の友情を裏切られたと感じています」と日高さんが切り込んだら、「国家間に友情はない、あるのは国益だけだ」と堂々と返してましたから、多分そういう意味でしょう。日本もいつまでこんな国のポチやってるのだろう。私にはもう彼らが味方とは思えない。

だからって、日本が軍事力増強するなんてのは、明らかに策にはまった破滅の道だ。彼らは「日本が核を持つのは止められない、しかし賛成するとは言ってない」という明らかに自分においしいスタンスを取った。うっかり乗せられて軍備を増強してみろ。周囲の危ない国家全てが完全に敵に回る。そして○メリカは「対話路線」とか言いながらその周囲と関係を深め、建前だけの同盟国である島国は孤立して逆らえなくなる、という算段。敗戦国、小国、そして世界に信頼されてない国の悲しさ。大戦が終わった後の外交戦略でも、この国は負けっぱなし。戦後、この国は何かというと体制がゆらぎ、国民の意思もまとまって来なかった。「国を守る」というとすぐ戦争するのかと誤解し、ヒステリックになって口論を始めた。まとまらない大部隊は、少数の精鋭部隊にだって負けるのだ。戦争以外の方法で「国を守る」という、当たり前の事が何故考えられないのかと思う。国とは国民と国土である。生活である。政府ではない。国民主権なら、政府や国家機関は国民が税金で「雇ってあげている」平社員に過ぎない。国家の運営の責任は、「社長」「オーナー」である国民にあるんだ。

日本でも、もっと小さいレベルでそんな事件が多発している。問題が起きる。社長や責任者がしぶしぶ謝る。辞める。で、後はどうするの。彼らには責任はあっても責任能力があまりない。事態の解決には別の誰かが動かねばならない。でも…この国がどうにかなってもほんと、誰も助けてくれないんだからね。人の悪口言うだけの人間より、現実に黙々と問題を解決するため現場で働いている人間を大切にし、評価してくれ。そういう人間は必ずいる。目立たないだけで。

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2007年6月23日 (土)

邪道クラシック

この所の記事は、自分でも中々読み応えがあるなあ…と思ってたんだが、アクセスは反比例して減った。(^^;)このブログは単に本音のはけ口というか、本宅「生玉荘」に載せられないボヤキに過ぎないから、アクセス数気にしても仕方ないんだけど、ちょっと深刻な事書き過ぎたかもなー、と思った。もちろんそれだって本気で書いてるんだが、なんか年中難しい事考えてるように期待されても困るし… どうせ私はいくたまきだし… 世の中が騒然として、書くに書けなかった「どうでもいいネタ」を今ちょっと書いてみる。

「喰いタン2」が終わりますね。そこそこ面白いので見られる時は見てますが、あれのおかげでうちの同居人は、ビバルディの「春」なんかが流れると「あっ喰いタンのテーマ」と言うようになってしまった。昔、トイレの防臭剤でキンモクセイの香りが大流行した時、子供がどこかの庭先のキンモクセイを指差して「あっトイレのにおい」と言ったという逸話を思い出した。(- -;)(そのせいか最近はキンモクセイ防臭剤見ないね) クラシックって、よく聞く曲でもタイトルを知らないものが多い。「春」なんかは分りやすいから覚えてるが、あとは何度聞いても「なんだっけ」になってしまう。だから、「ほら、あの曲」と、頭に思い浮かべて曲の話をしようとしても、口パクパクになるだけ。間違って正式タイトルを覚えていて、人に「チャイコフスキーのなんたら」と説明出来たとしても、今度は説明された人が「なんだっけ」になる…という訳で、「クラシックに強引に歌詞を付ける」というのを考えた。もちろんお笑い感覚で考えたので、「木星(ジュピター)」に付けられた、ああいう真面目なヤツではない。

「四季」より「春」…♪ひばりピーチクピー♪ひばりがピーチクピー♪ひばりを見てたら落ちる ♪ひばりピーチクピー♪ひばりがピーチクピー♪ひばりを見てたら落ちる ♪ひばりを見てたら♪ひばりを見てたら♪突然田んぼに落ちる

「白鳥の湖」…♪つー♪足がつる♪つる♪つるが顔出さず ♪またつる♪足がつる♪つる♪つるが顔出さず ♪バレエする時は 崩れたらダメよ ♪つー♪足がつる…(つづく)

「くるみ割り人形」より「葦笛の踊り」(喰いタンで使ってるやつ)…♪ピタピタピタ あっ冷たいなー♪なぜだか洋服濡れている♪ピタピタピタ♪ピタピタピタ♪体についたら冷たいじゃーないか

実は昔、「ツァラトストラはかく語りき」のイントロでこういうのを作ろうとしてうまくいかなかった経験がある。映画「2001年宇宙の旅」で使われて有名になった曲だよ。と言っても今の人は知らないか。とっくの昔に2001年過ぎてますけど(^^;)、あんなSFのような時代にはなりませんでしたね。…まあそれはいいとして。どんなのかと言うと、ツァラトストラに無理矢理「炭坑節」の詞をはめたもの。♪つーきーがーーー♪出たーーー(ティンパニ部分:出 た 出 た 出 た…)♪つーきーがーーー♪出たーーー(ティンパニ部分:出 た 出 た 出 た…)♪三池炭鉱ーーの・う・えに出たーー…(これ以降詞が合わない) 実は私、この曲にはとっても思い入れがある。昔ラジオで流れたベルリン・フィルのツァラトストラを録音したんだけど、これが凄く貴重な曲になったからだ。何を隠そう、イントロ部分、あの迫力ある静けさで、♪パー♪パーー♪パーーーーー…ときた後、絶妙のタイミングで「♪ぷす」というホルンか何かの屁のような吹き損ね音が入ってるの。(^^;)いやー聞いた時は転げて笑った。ある意味お宝テープのような気がするんだが、世間はそうは思わないか。

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2007年6月20日 (水)

足の下はガスの海

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070620-00000001-jij-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070620-00000050-mai-soci

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070620-00000001-jij-soci

渋谷シエスパの爆発事故。ちょっと信じられないような事故直後の光景。私は千葉の田舎暮らしなので、そもそも東京のど真ん中でそんなにボコボコ温泉掘ってる事すら知らなかった。日本は火山島みたいなもので、全国まんべんなく、どこを掘っても大抵温泉は沸くそうだ。今まで「ボコボコ」掘ってなかったのは、単に掘削技術と経費の問題。元々温泉好きの日本人だから、可能になったら好きなだけ作ってしまったのだろう。でも、東京なんかそれでなくても地下鉄や、地下のライフラインや地下街や、で穴だらけなのである。あまり好き勝手な事してると、そのうち「日本沈没」の矮小版、「首都沈没」が起きるかも知れない。

メタンが原因らしいという事だが、実はこういう「天然ガス」は千葉の名産の一つである。家の近所は、「掘れば出て来る」というくらい天然ガスが豊富だという。昔は住民がその辺の地面を勝手に掘り、ガスを出し、普通に煮炊きに使っていた…という話を聞いた。(^^;)使わない時穴には灯油缶なんかを被せておき、(…缶て)メタンは水に溶けるので、水通ししてボコボコさせ、吸わせていたそうだ。(あくまで話を聞いただけだからね)もちろん最近はそんな事はないが、そこまでアバウトなくらい、ガスはありふれた物だったのだろう。現実、「いわし博物館」という所で2004年にガスによる爆発事故が起きている。近場なので、爆発の前にちゃんと行った事があるが、この間近所を通り掛ったらまだ休館していた。内容は割と地味だったが、個人からお借りした貴重な「いわし漁の歴史」に関する物品などが展示してあった。こんな事件を起して資料はどうなったやら。もし無事でも、もう貸してくれないだろうな。もともとここらは、見渡す限り田んぼと点在する家だけで、他は地平線と空、さもなければ水平線と空、という空間の広い所だから、ガスなんてすぐに散るので、昔は危険は感じなかったのかも知れない。でも、町が発展すると密閉空間が増えてくる。溜まったガスの閉所爆発は何より怖い。千葉も、今のうちに色々気を付けた方がいいのではなかろうか。(追記・千葉はさすがにガス慣れしていて、温泉からメタンを分離するセパレーターは必ず屋外に設置し、立ち入り検査も行っているらしい。ただし全国的な法的基準ではないようだ。こんな事件がなければ、ガスの知識なんて巷間にも知られなかったろうし)

それでなくても、今の地球は色々と環境が激変している。地震も多い。温泉にはメタンが溶けた形で含まれているが、それは地下に密閉されているからで、汲み上げれば炭酸飲料のようにガスがボコボコ沸いてくるようだ。それなら、たとえ微細なものでも、地震の振動のせいで水脈にわずかな隙間ができたら? ガスはそこに集中しないか?高圧状態で溜まるんじゃないのか?…私は学者じゃないので、正確な事は何も分らないが、自然の物理法則はいつも、人間の浅薄な知識をはるかに超えて働くと思う。新しい技術が開発された時は、常に「そんな事したらどんな影響が出るのか」綿密に検証を重ねた方がいい。でも、「安全・点検」のために金を掛けた末、結局技術が「危なくて使えない」と分ったら、事業は丸損になるからなあ。あまり民間はやりたがらないと思う。という事は、一体誰が検証責任を負うべきなんでしょう…ねえ政府さん。とはいえ、この国は今、年金問題やら選挙やら中国からの輸入食品の管理やら、本当に手一杯のようで困ったものだ。

追伸・今、報ステで「メタンガスの温室効果は二酸化炭素の20倍」と言ってました。そう言えば、太古地球が全球凍結した時、メタンの塊「メタンハイドレート」が融けて地球が暖まったんじゃなかったっけ。…とは思ってたんだが。温泉堀りまくってメタンを「安全に」空中に逃がし続けたら、ちっとやそっと、二酸化炭素排出量を規制したって何の意味もねーじゃん! 温泉は地球を滅ぼす。かも。

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2007年6月19日 (火)

国連改造法案(SF)

志村先生がブログで、中東情勢が少しも平和の方向に動かない事を憂いておられた。私はやっぱり、世界が平和にならないのは国連が頼りにならない事が一番の問題だと思った。ていうか、たとえ国連の責任でなくても、他に持って行く所がないもんね。私は先生のような知識人でもなし、社会的立場とやらもなし、ブログアクセスも大してなし(このブログは、記事リンク貼らなきゃ一日20足らず(^^))何を書こうと社会的影響力もないので、ここはひとつ「もし、国連を好きに改造できたらどうするか」を試しに書いてみようと思った。以下の国連改造案はSFです。何の根拠も実効性もありません。

①まず、常任理事国制を撤廃。国連理事国は毎年、「人権」「治安」「文化・教育」等のレベルが高いと判定された国を、上から何国か選ぶ。経済力や人口は無関係。(レベルには関係しますが)つまり人権侵害してたら大国でも入れない。(^^) ②「拒否権」もヤメ。そんな我儘許したらあかん。議案は理事国の高い比率と、(満場一致でなく)非常任理事国の一定数(半分とか、2/3とか)がなければ決議できないとする。非常任理事国が野党化しそうだ。 ③国連の存在目的を、「世界の平和と発展の維持」にのみ絞る。いらん事はしない。 ④それを可能にするため、国連法を地球上全国家の最高法にする。国連軍は各国からの短期ハケン。 ⑤各国の所有する大量破壊兵器は、形の上で国連が全部没収。各国に貸している形にする。決議がなければ動かしてはいけない。世界征服をたくらむ悪の帝国、くらい出て来ないと現実には使えなくする。(^^) 国連軍は平和ボケで非常時に使えないと困るから、普段は「リアル・サンダーバード(国際救助隊)」として世界中飛び回って活躍及び訓練にいそしむ。

で、イスラ○ルとパレ○チナのような状態の国は、「要監視国」として平和になるまで国連がセッケンする。この二国の場合は、近い事だし合併して連合国にしちまう。要監視国は問答無用で全武器・兵器没収。もちろん、国連以外のどんな国の指導も受けてはならない。戦争レベルの武器を使用、もしくは騒乱を起こした者は国外追放。10年以上、ボランティアで世の為人の為に働く。ボランティアだから当然無報酬、飯と最低限の備品(下着とか歯磨きとか)しか与えられない。組織の場合は、かたやアフガニスタンの井戸掘り、かたや道頓堀のドブさらい、という風に世界中に分散させる。政治の方は、この二国のそれぞれから同数の議員を選出して議会制を取らせる。どんな決議をしてもモメるに決まってるから、任期は1~2年と超短命にする。ごたごたしてると何も決まらないぞ。戦争で殺し合うより、生きた支持者を増やした方が絶対トク、という世界にするのだ。それでも騒乱が解決しなかったら国連の直接施政にする。(それは嫌だから避けたいだろうし) 平和になって、要監視国の指定を外れたら何をしようと自由。ともあれ、20年くらいは平和な状態にする。人間20年戦争が続くと「戦争が普通」と思うが、平和が20年続くと「殺し合いはまっぴら」という考えになると思うの。日本は敗戦後すぐだったけど。それでもまた崩れたら…また監視するのみ。

という訳で…考えるだけってのは楽だなあ。この物語、というか法案はフィクションです。実在する人物・団体・ポリシーとは何の関係もありませんのでご了承下さい。<(_ _)>

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2007年6月17日 (日)

光あれ!と地方は叫ぶ その2

「その1」の続き。ご面倒でしょうがどうか「その1」からお読み下さい。<(_ _)>

説明会で、NTTの井上さんが推奨したのは「小さな地域で加入希望者を募る」という方法だった。つまり町や市の単位でなく、町内の自治体くらいの規模で。大きな所から通達して「光引いて欲しいですかー?」と聞いても反応は1割くらいだし、戸別訪問したらシッシされる。顔見知りの町内で連携して募った方が希望者が増える…という事らしい。現実、それでうまく光が敷設された例を(アンケートとか)いっぱい見せられた。でも本当の所、工業団地とか集合住宅のある所の方がうまく行く。(ここいらは田んぼばっかりです(^^))あと、住民の平均年齢が若い方が。(ネットしたがる人は…多くはそうだろうけど、うちの方は年齢不問でみんな切望してますよ)住居の密度などによっても敷設費用は変わるし、要望があれば確実に光が引かれる、とも言えないようだが…「NTT光の仮申込書」みたいな形でアンケートに記入すれば、顧客になる確度が上がるので引かれ易くはなるようだ。しかし、今回の説明で初めて知って驚いたのは、NTTの「配線地域」の区分が、行政上の区分、つまり市町村単位じゃないこと。これは同じく光通信を引いている東電なども同じらしい。行政でインフラ整備したり、取りまとめたりしにくい筈だよ。(注・東電は電気の線、NTTは電話線を利用してるからケーブルが引ける。よって他社の参入は難しい。事実上この2社の対決)

こっちの希望としては、この際企業はどこでも、とにかく光ケーブルだけ引いてもらって、あと個人個人が自由に企業を選択できる…というのがベストだけど、事はそう簡単ではない。超勝手な希望を言わせてもらえれば、NTTと東電が合併、もしくは提携して、行政と共同出資でどんどん光を引いてくれれば。どうしても採算の取れない地域には工業団地を誘致して。…そんな簡単には行きませんよね。うん。現実、当面どうしてもネットが必要、という人は取り合えず「無線LAN」をすると言っていた。既にネット環境があるご近所から電波を飛ばしてもらうのだそうだ。とはいえ速度も遅いだろうし、「応急処置」に過ぎませんよね。政府はネットのインフラ整備に力を入れると言っているが、諸所の複雑な事情が絡んでいるので、結局は自治体が動かなければ勝手に環境が良くなる事はなさそうである。実際に敷設するにはどのくらいの光希望者が必要か、という試算はまだ出てないので、この話は後日に持ち越された。果たしてうちの自治体は「陸の孤島」「ネット格差」から解放されるのか?

ともあれ、本日は井上さん初め、ご参加の自治会の皆様、本当にお疲れ様でした。<(_ _)>

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光あれ!と地方は叫ぶ その1

今日、自治会の会合に出席して書くと公言したもので(^^)、議題となった「地方のインターネットは何故繋がらない!」についてレポートします。NTT銚子の井上さんという方が、(本人が「名前出していい」と言われました)僻地であるうちの住宅地にわざわざ出向いて説明会を開いて下さいました。NTTさんも、それなりに光通信普及に躍起…いや、努力されているようである。

私はもちろん、多分7年以上前からインターネットを使っている。YahooのADSLである。ところが最近は、うちの地域ではもう「線が足りない」とかでインターネット加入を断わられるというのだ。当然、入れない人は困る。このままでは陸の孤島になる。先に入って使っている私も立場がない。しかし、ADSLははっきり言ってもう打ち止め、増やす予定はないらしい。NTTから「加入者を50名以上集めたら光ファイバーが引ける」という話を聞いたものの、どうもシステムが明確でない。それで今回の説明会となった次第。

ADSLは、中継局から遠くなればなる程繋がりにくくなる。電線の中をただの電波が走っているような物だそうだ。つまり、海まで車で10分、という我が家も環境的にはギリギリ。これが海岸縁だと全然繋がらなくなる。もともと不平等の生じるシステムなのだ。で、(井上さんが言うには)NTTは「こんなシステムは使えない」と引くのを保留していた。ところがYahooがどんどん回線契約を広げてしまった。NTTは出遅れて追従する形になる。とはいえ、使ってる回線自体はNTTの電話線。そこでNTTとYahooの間で「公正な競争」をするため、NTTが新しい線を引いた時は、ユーザーがNとYを自由に選べるよう、契約なんか取る前に情報開示せよ…という義務が課せられた。(調べたらNTT、結構公取にやられてます)資金を投入して新たに線を引き、お客だけYahooに持って行かれてはたまらん、という訳で(Yahooから回線使用料は出るんでしょうが)NTTは事実上、新規ADSLから撤退、全力を光ファイバーの普及に傾ける事になった。だから、今新たにADSLで契約をするためには、その地域の配線が「余って」なければならない。余ってなければNTT、Yahoo双方から断わられる。しかし、「Yahooで一杯だと断わられ、NTTに加入した」という人もいるから…その辺枠組みがあるんだか、何だか良く分らない。ともあれ、ネット出来ない地域の新規ネットの選択肢はもう、光しかなさそうだという話。確かに光なら、距離があろうと通信は安定しているし、本来は「地方向き」なのだ。ところが、これが全国まんべんなく引かれるか、というとかなり厳しい状況。地方は人口が少ない。ネット人口は更に少ない。多くても3割。加入者が少ないのに配線工事しては赤字に決まっている。(こういう所は「民営化」だねと思う)ちなみに今、光通信に手を出しているのはNTTと、東京電力(関西なら関西電力)だけだそうで、普及地域はNTTの方が格段に多い、という現状らしい。では、人の少ない地方でインターネットするにはどうすればいいのか?

以降、「光あれ!と地方は叫ぶ その2」に続く。長くなってすみません。<(_ _)>

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病気して思い出したこと

ちょっと病気した。ウイルス性腸炎だって。ふつー冬の病気でしょ。(^^;)とにかく「下り」がひどくて年中トイレ。腹部に疼痛もある。熱も出た。食欲もなくなった。それでも深刻な病気ではないし、医者で薬も処方してもらったからそろそろ治るとは思うんだけど、苦しい時って本当に苦しいもんだ。

私は普段、はっきりした病気はほとんどしないが、微妙に低血圧で調子が良くない、という体質。今まで入院・手術までした病気は「子宮筋腫」だけである。この筋腫が巨大だったお陰で結構大変だった。傷口も中々塞がらなかった。何が辛いったってトイレが「しみる」のである。手術直後のトイレは、まさに難行苦行の重労働だった。退院してからも痛みが長引き、トイレで「いでー!」と叫んだりしていた。この時、ただ普通にトイレに行く、という行為がいかにエネルギーを消耗するか、いかに精緻な身体の機能を必要とするか思い知った。(だからトイレの話を「汚い」とか「下ネタ」とは思わない)人間、どこか少し調子が狂っても、当たり前の行動が取れなくなるものだ。この程度の痛みでも辛いのに、もっと深刻な病の苦痛はいかばかりか。普段そこそこでも健康でいられる事に感謝しよう。

こんな病気で思い出しては不謹慎と思いながら、中学の時の出来事を思い出した。同窓の女の子が一人、重病で亡くなったのである。私は同級ではなかったし、彼女の顔も知らなかった。ところが、とある先生が私に声を掛けた。彼女の追悼文集を作るから挿絵を描けというのだ。私が「漫画家志望」という事が知れ渡っていたからだろう。私は一度断わった。知らないのに、そんな重要な仕事を担っては偽善になると思ったから。でも「いいから描け」という事で…急いでたんだろうな。私はペンと墨汁を前にして悩んだ。今思うと病名も聞いてない。入退院の事情も分らない。何を描いても嘘になりそうな気がする。私なんかに描かせて、彼女に悪いと思わないのか!…でも、結局自分のキャラクターを、素直にイメージ的にいくつか描いた。他に思い付かなかったのだ。鉄条網の前の子犬。爆発する太陽と熱血。森の中の沼で迷う少年。…持って行って先生に見せた。「こんなもん使えん。使えるとしたらこれくらいだ」先生が使える、と言ったのは、暗い背景の前の少女の横顔の絵だった。私は「ああやっぱりボツだったな」とぼんやり考えていた。しかし、文集が出来上がってみると、私の絵はほとんど使われていた。「彼女の強さを忘れない」という締めくくりの寄稿文の後に「爆発する太陽」…など、意外なくらい内容と合っていた。そして不思議な事に、「暗い少女の絵」だけが使われていなかった。「可哀そうな悲しいイメージ」でなかった事が、むしろ良かったのだと気が付いた。…文集の最後には、彼女の自筆の闘病日記のコピーが掲載されていた。病気の苦しさが切々と伝わってきた。日記の最後は「明日は手術 がんばろう」で終わっていた。そして、その先の日記は永久に書かれない。私は初めて悲しみを覚えた。

頑張りたくても頑張れなかった人もいる。だから、頑張れるのに頑張らないのは、そういう人に対して大変失礼だと思う。無理はいけないが、ともあれ多少の事で「暗くならない」のが、絵を描かせてくれた彼女に対するお礼だと考えたい。

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2007年6月14日 (木)

で、地球を壊してるのは誰なんだ。

ちょっと調べ物をしていて、携帯の光るストラップを作る実験、というページを見つけた。なんかダイオードと発光ダイオードを繋げるだけで出来るらしい。あれって電気でも電池でもなく、電波で光るらしいな。(持ってないけど)携帯の電波って結構強力なんだ。と思ってたら、「飛行機で携帯電話を使用して逮捕」というニュースが流れた。思わず携帯について調べて、恐ろしい事を発見した。…というか、今まで知らなかった。携帯電波は、実は電子レンジより細かい超マイクロ波なんだそうだ。実際に、携帯を使用したせいで飛行機に異常が生じた事もある、とかないとか…

「携帯と電子レンジでは出力が全然違うので、同じように考えるのはナンセンス」という学者もいれば、本気で心配してる学者もいるようで、実際の影響は定かでない。でも、ある種の電磁波で脳腫瘍ができるとか、(脳のDNAが切断されるそうで…)ネズミに照射したら脳からカルシウムが流れ出した、なんて話を聞いたら、心穏やかはでいられんわな。ホットスポットといって、脳内が暖まっちゃう(脳みそレンジチン?(^^;)(^^;))という話もある。別に普通に電話掛けてるし、すぐさま死ぬ訳ではないにしても、「見えない影響」なんて先にならねば分らない。時々用事で電話する、くらいならまだしも、子供が病気のようにケータイゲームやネットにはまって、年中いじり回すのはどうなのか。大体、マイクロ波は自然界にほとんど存在しない電波だそうだ。だからノイズが少なくて「使える」電波な訳だけど。環境ゴミ同様、自然界に存在しないものを大量に作っちまうと、あと大変になるのは周知の通りだ。そういえば、最近人類はどんどんアホになってきている気がする。忍耐力や自制心もどんどん落ちている。ウイルスや病原菌は強力になってきてるのに、免疫や抵抗力、体力は減る一方。モラルハザードや温室効果が現代の最大の脅威だけど、そこにケータイも一枚噛んでいるとしたら…わーそんなもの止めようがない!

どんなに学者が警鐘を鳴らしても、本当の所、人類は「目先儲かる」か「目先ラク」しか選択しないのが常だ。それでも反省する為には、「この問題を解決しないと不利益が生じる」所まで追い詰められないと社会は動かない。最近の気象異変にも、「もし」マイクロ波が絡んでたらどーなるの。飛行機だけでなく、「全地球的に携帯禁止」ったって、もう、ずぇったい誰も認めないだろうなあ。いつも思うんだが、すぐ「人体に影響はない」とか言う。人体だけでなく、ウイルスや細菌、小動物、気象なんかへの環境への影響はそんなに真剣に調べてるのだろうかと。自分の事しか考えない、という欠点は全人類的かも知れない。一人の「ちょっと」はちょっとだが、65億の「ちょっと」は地球を揺るがすのだ。とりあえず65億分1の対策として…ケータイはやたらに使わないようにしようっと。(- -)

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2007年6月10日 (日)

ブログは何タッチ?

世の中年金問題で大騒ぎ。正直、まだ年金の実感がない世代なので、確認もしていない。私はかつて9ヶ月だけ銀行に勤めた。その間、多分厚生年金とゆーものが引かれていた筈である。でも、勤めも1年もたなかったし、その後上京して引っ越したし、ビンボー暮らしの時は払えなかったし、(^^;)更に結婚して苗字が変わったし、銀行の方は統廃合で消えて無くなったし…これでデータが残ってたら変だ。おかしい。間違いなく消えてると思う。でも、証明する方法はないからドーしようもない。大体、東京にいた頃は「どうせ最後は野垂れ死によ」と開き直っていたので、そんなに年金権(?)を主張する資格はないと思っている。

年金の問題では怒ってる人が多いから、あまり意見を書いて誰かとぶつかるのも嫌である。ただ、コトの根源にあるのは政府の無責任というより、社保庁自体の無責任だと思うの。そんな社保庁を監視しなかったり、天下りをだらだら許したりしたから、管理者として政府が無責任、という話になるのだ。信頼を回復したかったら、年金データの対応策だけではなく、「そういう職員」「天下りしたトップ」にケツをちゃんと拭かせないと、国民は感情的に収まらないわな。「ダメ長官の退職金を没収する法案」とか出してくれたら、きっと大拍手するわな。でも、この大騒ぎの時にそんな法案出したら、大反対する人間が出て、国会は更にすったもんだになり、ますます役に立つ対策が遅れるじゃん…と思うと、中々言えなかったりする。政治って難しい。

ただー。呆れたのはアレです。労働組合の取り決め「1日5000タッチ以内」…て、なによそれ。何回押したかいちいち数えてるのか。ただの掲示板書き込みマニアだって、賃金なしでもっと打ってるぞ。文書にすると1日A4用紙1枚分らしい。そんなの仕事したうちに入らんだろー。こうなったら、職員全員マウスで画像のキーボードを打つ入力にしたらいい。タッチしてないから無限に仕事できる。(^^) なんか、こういう公務員の「組合」体質って、昔の○教組を思い出してしょうがない私。生徒が人生に悩んでても、間違ってその悩みを聞いても、労働時間が終わると、もしくはストに突入すると「じゃっ そーいうコトで」とシュタッと帰ってしまう、みたいな。(今時の「先生」はもっと本当に大変みたいなので、そんな事ないと思います)公務員は国民に奉仕する仕事であって、利潤追求が目的ではない。でも、利潤がアップしなければ結局熱意やヤル気は失せていく。そういう構造なのかなあ。「国民への真心」だけで一生頑張れる人間なんて限られているのかな。こういう組織に、それでも一生懸命やってきた職員がもしいたら、その人こそ本当に気の毒だと思う。

ちなみに、同じ体質の「税務署」にこの問題を任せるなんてとんでもねーと私は思います。かつて私の知っていた、とても頭の良い先輩は、「ラクだから」という理由で税務署に就職したのよ。勤務時間が延びないから、仕事は稼ぐだけの為にやって、あと趣味の時間に使えると。いいなーと思ったものだ。学生は、公務員は頭さえ良ければ、つまり入る時だけクリア出来れば、あとは「ラク」という考えで見てたのだ。私もそう思ってた。大抵の国民がそう思ってた。サービスを受ける時は「国民への真心で尽くせ」と言い、自分が就職する事になったら「ラクしたい」と思う。責任をなすりあっているのは、決して政治の世界だけじゃないと私は思いますね。…ところでこのブログって、総計何タッチだったんだろ?最近ローマ字入力だからカナ入力の2倍だねえ。

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2007年6月 9日 (土)

丘を越えて馬車が

また、タイトルと内容には大きなギャップがありますので、期待しないで下さい。(^^;)

この間、「仕事くれるかも」と書いた所の出版社からようやく本が届いた。忘れられてはいなかったようだ。しかし…(^^;)これが結構すごい内容でねー。「芸能界の裏話」ネタ、という話だったので、「ああ似顔絵をご所望だな」くらいに軽く思って、私は「あまり悪意あるものや、性的なものでなく、基本的に笑えるものをご希望なら有り難い」と返信したのだった。しかし、実際来た雑誌はコテコテの劇画、ほとんど実名に近い仮名の芸能人が、悪意満開えっちも全開の本ではないか(^^)。どーしたものか。

追って連絡します、という事だったが、最初の返信で、「こりゃ脈がない」と思われたかも知れない。だから仕事になるかどうかまだ分からないんだけども。私も…あまりモロなHシーンは描いた事ないものなー。芸能界の事も、ネットにデータが載ってる分しか知らないし。それでも、いざ本当に仕事となったら一生懸命描いてしまうと思うのよ。仕事ってそういうもんだからね。昔の「ブリッコ」とか知ってる人は許してくれるかも知れないけど、学研の子供向き漫画しか知らなかった方に見られたら…と思うとちょっと恐い。ご近所にでも知られたらもっと恐い。(^^;)親戚一同も…特に恐くはないがヒンシュクしそう。実は親族、このブログをチェックしてる可能性があるのだ。というのも、この間ネットなんて一生見ないうちの母親に電話したら、いきなり「あんた!パソコンにあんな事書いたらあかんよ!」と言われたのだった。「ネット上に」とか「ブログに」という言葉を知らないので、「パソコンに書いた」という表現になるんだろうけど(^^)、まあとにかく、親族の誰かが母親に記事を教えた事は間違いない。えー、そんな訳です。売れてない分際で仕事を選んではいけないと思うので、描いてもいいでしょうか。問題あるでしょうか。親族友人の方、チェックしてたらご連絡下さい。(^^)

よくよく、似顔絵とか替え歌とか、実在人物や人の作品にオンブしたものばかり書いてる気がする。完全なオリジナルで立ちたい。でも、「その人が元々興味を持ってるもの」を持ち出して来ないと、私オリジナルのキャラだけではそこまで人を惹きつける力がない気がするのね。悲しいかな。ちなみに作曲は完全な我流でオリジナル。勉強もしてない音楽を一生懸命作ったりするのは、それが自信持って「誰にも頼らないで作った」と言えるものだから。…なんだけど。音楽は私の中の、最も純粋で綺麗な部分だと思うが、なかなか、それ単体で感動してくれる人は少ない。

ドロドロした世界を描きたいのか、もうそういうのは卒業して心優しく清らかな作品を描きたいのか、自分の中でも踏み迷ってる部分がある。どっちも自分の世界であって、嘘ではないんだけどね。長年引きずって「描きたい」と思ってる作品は結構ドロドロしてるから、そうなのかなとも思うんだけど、「H」はともかく「レ○○」シーンは正直生理的に嫌である。私って清純だから。(^^)でも。私が干される前、成人商業誌で最後に描いた作品というのも…実はヒドかったんだよな(- -;)… ○毛のアンが結婚詐欺師になって稼ぎまくるという… この時「アンのアオ○ン」描いちゃって…「丘を越えて馬車が」「来るっ来るっ」とか言ったりして(- -;)(- -;)… だって編集が名作物のパロディでH、つったんだもん… これ描いたのが、その後の不幸の元凶だった気がするから、もう清廉潔白になりたかったんだけども… いまさらかなあ…

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2007年6月 5日 (火)

言い訳はしたくないから。

前回のブログを読んだ友人にメールですごく怒られた。(追記・あとで「怒ってないよー!」というメールが来ました。めんね(^^;))他にも記事を読んで、ムカついてしまった人が大勢いるかも知れない。でも、今さら記事を削除するのも卑怯だと思うからそのままにしておきます。決め付けた書きようをして済みませんでした。

「三無主義でも、やる気がない訳でもない!」と怒る人が多かったら、それはそれでいいと思う。何を言っても聞いてない、無反応、という方が人間の状態として危険だから。少なくともここは無記名の掲示板ではない。発言の責任は私にある。どこの誰とも分からない人間に誹謗中傷されれば、傷付く以上に不安や恐怖が沸くだろうが、この件で腹が立つ人は私「いくたまき」個人に腹を立てればいい。前回の記事が「現代の全てを言い表している」訳では全くないとしても、私はそういう要素も多いと思っただけ。友人は「頑張ってる人も一杯いる」と主張し、それは全く正しいのだけど、自分の理解できる範疇以外ではほとんどコミニケーションを断っている人種は昔より増えたと思う。前向きに生きるか生きられないか、という問題でも人による「格差」が激しい。自分の感覚で言えば、「かけがえのない人」と「どーでもいい人」を、これは政治とかの問題でなく、人間社会自身が勝手に分類してしまっている気がするのだ。

本来はもちろん、全ての人間はかけがえがない存在だ。どんな傾向を持った人間でも、教育とチャンスがあればあらゆる可能性を引き出せる。しかし、「自分のジャンルはこれ」と自己を閉じてしまえば、それ以上の可能性は失われる。そこでもう一歩踏み出すかどうかは本人の問題だ。それ以上の無理強いはできない。少なくとも、「無理強い」してでも励ます事が許されるのは家族か、家族同然に親密な人間だけだ。その人の人生に責任を負う覚悟のある人間。しかし、そうである筈の「家族」にも心を開けない場合もあるわけで…結局の所「信頼された人間」しか、多くを語れる発言権は持たせて貰えないという事になる。で、そういう私はそれ程信頼されてきた人間ではない。私が励ましたって嬉しくない人間は多くいる。(だから、タマに信頼されたら必死で相手の事を考えますが(^^))場所もネットだ。不特定多数に責任持って言える事は感想だけだ。友人に「建設的な事を書け」と言われたけど、専門知識のあるカウンセラーではないから、勝手な概念を建設したらまた怒られるだけだろう。だから、自分の考えだけを述べておく。…「前向きに生きる方法は、その人が前向きで幸せになった時、心から喜んでくれる人を作ることだと思います」これに尽きると思うの。私はね。

友人はお巡りさんの記述で一番反感を持ったらしい。(追記・これもメールで誤解だと言われました。<(_ _;)>誤解を招く文だという意味を私が誤解…あああ)確かに、詳しい状況は報道されなかったから(しなくていいと思う)勝手なイメージ持ってはいけなかったかも知れない。でも、報道だけ見て感動するのだって勝手なイメージだ。自殺を止めるのは悪い事なのか!自殺はヤル気がないのか!…そんな事はないけど。私は「あんな事態にならないよう、何とか出来なかったのか」という気持ちの方が強かったのだ。しかし世間はどんどん感動的になってしまい、「感動」以外の意見を言ってはいけないような空気になった。悲劇でなく「さわやかな出来事」みたいな報道になった。いくら何でもさわやかは無いだろう。と私は引っ掛かり続けた。こんな事が起きないようにする最短の方法は、「死にたくなっても助けてくれる人がいる」より、「自殺なんてそもそも考えるべきではない」の方がいいと思ったのだ。都心の路線には年中人が飛び込んで電車を止めている。それを警官がみんな助けなきゃいけなくなったら、警官は命が幾つあっても足りない。自分を救えるのも社会を救えるのも、結局個人個人の意志の力だと私は思う。意志がなければ、優しさや思いやりだって通じないのだから。書きようがきつくて悪かったですが、書いた事を訂正はしない事にします。

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2007年6月 2日 (土)

無責任の時代再来

ひょっとしたら仕事が入るかも!…というメールが届いた。OKな返事を出したんだけど、まだ連絡がないなあ。(^^)まさかこのままシカト? それともそれは私の誤解? いやね、そういう事よくあったんんです。ウミウシだってアニメキャラにする、という話があって、とあるスタジオの人と打ち合わせまでした事がある。なのにそれっきり。昔、私の戯曲を芝居でやりたいと言った人もいたんだが、劇団が解体したらしく立ち消えになった。知る人ぞ知る漫画「○人ロック」は、掲載誌が必ず潰れるという都市伝説があるらしいが(伝説じゃないぞー。それは史実だ(^^))、私なんか載る前にコレだもんねえ。仕事下さーい。

とある知り合いの方が、息子の携帯の待ち受け画面の絵の事で嘆いておられた。なんかウサギが寝そべって「頑張る?なにそれ」とか言ってる図柄らしい。最近は頑張ると馬鹿にするのがトレンドなんでしょうね。無気力、無関心、無責任な世代。政治などを嘲笑するが、自分は生産的な事は何もしない。…て、何の事はない。それは私の青春期、55年体制時代の空気そのままではないか。目新しくもなんともないぞ。私の同世代くらいが子供を持ってこうなったんだから、たとえ本人自覚はなくても、今の若者はしっかり親の道を継いでるとしか言いようがない。上記の嘆きの母は、今は正義感のある子の方がいじめられるのだ、とも言っていたが、それだって55年体制当時からそうです。間違いありません。今の親の世代が、「自分の若い頃はもっと真剣だった」と言うなら、その方は周囲から浮いて叩かれた経験があるはず。お子さんは突っ込んでみて下さい。まー私のような熱血バカはやられました(^^)。こういうのをバカにしないと、自分がバカにされるからバカにするのだ。くだらない苛めの構図はその当時から変わらない。

いつの間にか「社会の中核」みたいな年齢になってしまった。悲しいかな失業中で、ぜんぜん社会の中核なんか担ってないけど。良く考えたら、団塊の世代が一掃されると次に荷物を背負うのは私くらいの世代なんだよな。どーなってしまうのかと思う。上記の、無気力、無関心、無責任で「三無主義」と呼ばれた世代なのだぞ。大半が現実の社会や人間に目を向けず、アニメの設定や美少女キャラの名前を(まあ他のジャンルもあるでしょうが)暗記することに頭脳を費やしてオタク化した世代なのだぞ。この世代は総じてテレビ中毒で、一方的に垂れ流された情報を丸鵜呑みにする傾向がある。テレビは会話してくれないから、そういう人間は会話の訓練が出来てないので、現実の人間と話し、思いがけないリアクションを食うことを極端に恐れる。その癖、シュミレーションゲームの会話の持って行き方なんかは熟知してるから、「こういうパターンで帰って来る」という予想の付く範囲でならベラベラ喋る。日本の政治をどうすればいいのかは分からないが、ジオンが連邦軍に勝利するための条件なら挙げることができたりする訳だ。…心配なんてもんではない。本来、漫画その他の「文化」は現実社会の鏡であった。しかし、この世代があまりにも現実から目をそむけ続けた結果、今の架空は本当の架空で、現実をいい方に変える力は全く持ってないと私は思うのよ。いい人ばっかり出て来るラブロマンスや、感動物語も同様。悪い方向にはすぐ影響与えるけどな。(○スノートとか(^^))人間、いい事するのは難しいが、負の行いは簡単に出来てしまうという証拠だ。

この国は減点主義である。いい事をしても評価しないが、ミスをすれば評価を下げる。だから、無難に何もしないのが一番。それが日本国民の基本的な発想だ。何もしなければ無罪だと思っている。「なんとなく頷いただけ」は意見を述べた事に当たらないと思っている。…もちろん違うのだ。例えば困ってる人や状況を無視するのは「看過の罪」だし、悪を止めないのは「与同罪」だ。反対意見を述べないのは賛成と見なされ、止めなければ同意と見なされる。それが民主主義の基本だ。結果を求める状況に「なんとなく」「どっちでも」は有り得ない。結論を選び、自分が選んだ結論が間違っていたら、潔くリスクをかぶる。それでいんじゃないの。間違いがあれば反省し、またどんどん変えればいんじゃないの。そんな心構えの出来てない人間に限って「もっと議論を尽くして」などと言うが、なあにそういうのが何年議論したって結論なんか出ませんって。現に、55年体制以来ずっと結論の出てない事案が、この国にはうだる程ある。私の最大の敵、「ダラダラ誤魔化す三無主義」は、この時代からずっと健在で、今現在もダラダラとし続けているのだった。…これだけは言っておきたい。私の場合、自分をぶん殴る奴がいたら、そいつに腹が立つのは言うまでもないが、「憎い」と思うのは「え?私は何も見ませんでしたよ」とばかりに無視をする通りすがりの人間の方だ。

この間、自殺志願者を命懸けで助けたお巡りさんが涙を誘っていたが、自分の子にも「こういう風に生きなさい」と言った親はいるのだろうか。「お前は厄介事に巻き込まれるな」と言った方が大半なのでは? まあ、私は子供はいませんが、私が仮に親の立場でも言わないとは思う。どうせ命を懸けるなら、死にたがる人間より、生きたいのに生きられない人間を助ける方に懸けて欲しいと思うから。もう時効だろうと思うので言うが、あの事件に関する私の感想はそれです。ヤル気のない人間を心配して甘やかす事には、私はどうしても好感が持てません。

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