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2007年6月 5日 (火)

言い訳はしたくないから。

前回のブログを読んだ友人にメールですごく怒られた。(追記・あとで「怒ってないよー!」というメールが来ました。めんね(^^;))他にも記事を読んで、ムカついてしまった人が大勢いるかも知れない。でも、今さら記事を削除するのも卑怯だと思うからそのままにしておきます。決め付けた書きようをして済みませんでした。

「三無主義でも、やる気がない訳でもない!」と怒る人が多かったら、それはそれでいいと思う。何を言っても聞いてない、無反応、という方が人間の状態として危険だから。少なくともここは無記名の掲示板ではない。発言の責任は私にある。どこの誰とも分からない人間に誹謗中傷されれば、傷付く以上に不安や恐怖が沸くだろうが、この件で腹が立つ人は私「いくたまき」個人に腹を立てればいい。前回の記事が「現代の全てを言い表している」訳では全くないとしても、私はそういう要素も多いと思っただけ。友人は「頑張ってる人も一杯いる」と主張し、それは全く正しいのだけど、自分の理解できる範疇以外ではほとんどコミニケーションを断っている人種は昔より増えたと思う。前向きに生きるか生きられないか、という問題でも人による「格差」が激しい。自分の感覚で言えば、「かけがえのない人」と「どーでもいい人」を、これは政治とかの問題でなく、人間社会自身が勝手に分類してしまっている気がするのだ。

本来はもちろん、全ての人間はかけがえがない存在だ。どんな傾向を持った人間でも、教育とチャンスがあればあらゆる可能性を引き出せる。しかし、「自分のジャンルはこれ」と自己を閉じてしまえば、それ以上の可能性は失われる。そこでもう一歩踏み出すかどうかは本人の問題だ。それ以上の無理強いはできない。少なくとも、「無理強い」してでも励ます事が許されるのは家族か、家族同然に親密な人間だけだ。その人の人生に責任を負う覚悟のある人間。しかし、そうである筈の「家族」にも心を開けない場合もあるわけで…結局の所「信頼された人間」しか、多くを語れる発言権は持たせて貰えないという事になる。で、そういう私はそれ程信頼されてきた人間ではない。私が励ましたって嬉しくない人間は多くいる。(だから、タマに信頼されたら必死で相手の事を考えますが(^^))場所もネットだ。不特定多数に責任持って言える事は感想だけだ。友人に「建設的な事を書け」と言われたけど、専門知識のあるカウンセラーではないから、勝手な概念を建設したらまた怒られるだけだろう。だから、自分の考えだけを述べておく。…「前向きに生きる方法は、その人が前向きで幸せになった時、心から喜んでくれる人を作ることだと思います」これに尽きると思うの。私はね。

友人はお巡りさんの記述で一番反感を持ったらしい。(追記・これもメールで誤解だと言われました。<(_ _;)>誤解を招く文だという意味を私が誤解…あああ)確かに、詳しい状況は報道されなかったから(しなくていいと思う)勝手なイメージ持ってはいけなかったかも知れない。でも、報道だけ見て感動するのだって勝手なイメージだ。自殺を止めるのは悪い事なのか!自殺はヤル気がないのか!…そんな事はないけど。私は「あんな事態にならないよう、何とか出来なかったのか」という気持ちの方が強かったのだ。しかし世間はどんどん感動的になってしまい、「感動」以外の意見を言ってはいけないような空気になった。悲劇でなく「さわやかな出来事」みたいな報道になった。いくら何でもさわやかは無いだろう。と私は引っ掛かり続けた。こんな事が起きないようにする最短の方法は、「死にたくなっても助けてくれる人がいる」より、「自殺なんてそもそも考えるべきではない」の方がいいと思ったのだ。都心の路線には年中人が飛び込んで電車を止めている。それを警官がみんな助けなきゃいけなくなったら、警官は命が幾つあっても足りない。自分を救えるのも社会を救えるのも、結局個人個人の意志の力だと私は思う。意志がなければ、優しさや思いやりだって通じないのだから。書きようがきつくて悪かったですが、書いた事を訂正はしない事にします。

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コメント

同感ですが、あの警官は自殺の意図の有無にかかわらず、迫る危険から市民を守ろうとしただけだったのではないでしょうか。鉄道自殺という多くの人に迷惑をかける方法は、納得しにくい自死の方法です。世の中への復讐・抗議の怨念を感じることもあります。
 いくたまきさんが前向きに生きて幸せになることを、心から喜ぶ人間が、ここに一人います。

投稿: 志村建世 | 2007年6月 6日 (水) 13時46分

志村先生・
もちろん、警官は「命を懸けた」というより、本当はどちらも助かるつもりだったのでしょう。悲劇なのに、どこかのキャスター達が「さわやか」と言っていたので唖然としました。マスコミは恐いです。「鉄道自殺は一番迷惑だからよそう」「じゃあ他のやり方ならいいのか」…という話になっても困るから、やっぱり全面否定です。こういう事態で、安全に止められるケースはごく僅かです。ビルから飛び降りて、無関係な人を下敷きにする事もあるし。

最後の一行、有り難うございます。はずかしーですが頑張ります。先生は既に前向きだと思いますが、それ以上に幸せになられる事を祈ります。

投稿: いくたまき | 2007年6月 6日 (水) 15時35分

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