病気して思い出したこと
ちょっと病気した。ウイルス性腸炎だって。ふつー冬の病気でしょ。(^^;)とにかく「下り」がひどくて年中トイレ。腹部に疼痛もある。熱も出た。食欲もなくなった。それでも深刻な病気ではないし、医者で薬も処方してもらったからそろそろ治るとは思うんだけど、苦しい時って本当に苦しいもんだ。
私は普段、はっきりした病気はほとんどしないが、微妙に低血圧で調子が良くない、という体質。今まで入院・手術までした病気は「子宮筋腫」だけである。この筋腫が巨大だったお陰で結構大変だった。傷口も中々塞がらなかった。何が辛いったってトイレが「しみる」のである。手術直後のトイレは、まさに難行苦行の重労働だった。退院してからも痛みが長引き、トイレで「いでー!」と叫んだりしていた。この時、ただ普通にトイレに行く、という行為がいかにエネルギーを消耗するか、いかに精緻な身体の機能を必要とするか思い知った。(だからトイレの話を「汚い」とか「下ネタ」とは思わない)人間、どこか少し調子が狂っても、当たり前の行動が取れなくなるものだ。この程度の痛みでも辛いのに、もっと深刻な病の苦痛はいかばかりか。普段そこそこでも健康でいられる事に感謝しよう。
こんな病気で思い出しては不謹慎と思いながら、中学の時の出来事を思い出した。同窓の女の子が一人、重病で亡くなったのである。私は同級ではなかったし、彼女の顔も知らなかった。ところが、とある先生が私に声を掛けた。彼女の追悼文集を作るから挿絵を描けというのだ。私が「漫画家志望」という事が知れ渡っていたからだろう。私は一度断わった。知らないのに、そんな重要な仕事を担っては偽善になると思ったから。でも「いいから描け」という事で…急いでたんだろうな。私はペンと墨汁を前にして悩んだ。今思うと病名も聞いてない。入退院の事情も分らない。何を描いても嘘になりそうな気がする。私なんかに描かせて、彼女に悪いと思わないのか!…でも、結局自分のキャラクターを、素直にイメージ的にいくつか描いた。他に思い付かなかったのだ。鉄条網の前の子犬。爆発する太陽と熱血。森の中の沼で迷う少年。…持って行って先生に見せた。「こんなもん使えん。使えるとしたらこれくらいだ」先生が使える、と言ったのは、暗い背景の前の少女の横顔の絵だった。私は「ああやっぱりボツだったな」とぼんやり考えていた。しかし、文集が出来上がってみると、私の絵はほとんど使われていた。「彼女の強さを忘れない」という締めくくりの寄稿文の後に「爆発する太陽」…など、意外なくらい内容と合っていた。そして不思議な事に、「暗い少女の絵」だけが使われていなかった。「可哀そうな悲しいイメージ」でなかった事が、むしろ良かったのだと気が付いた。…文集の最後には、彼女の自筆の闘病日記のコピーが掲載されていた。病気の苦しさが切々と伝わってきた。日記の最後は「明日は手術 がんばろう」で終わっていた。そして、その先の日記は永久に書かれない。私は初めて悲しみを覚えた。
頑張りたくても頑張れなかった人もいる。だから、頑張れるのに頑張らないのは、そういう人に対して大変失礼だと思う。無理はいけないが、ともあれ多少の事で「暗くならない」のが、絵を描かせてくれた彼女に対するお礼だと考えたい。
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コメント
いい話を読ませていただきました。死者は生き残った者に力を与える。私が今日書いたこと、同じだと思いました。
投稿: 志村建世 | 2007年6月17日 (日) 12時11分
志村先生・
いつもコメント有難うございます。先生のブログの内容は、もっと社会的に大きな出来事だと思いますが…
「交通事故0」を目標にしても、どこかで必ず事故は起こる。それでも目指すのはあくまで「事故0」であって「事故少し」ではない。戦争もそういうものだと考えては、喩えが悪いでしょうか。
投稿: いくたまき | 2007年6月17日 (日) 13時02分