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2007年7月30日 (月)

大勝と大敗の日

うわー… 選挙が終わったが、ほんとに与党が惨敗してしまった。確かに、こんなに投票日ギリギリまで問題が出まくった内閣は他になかった。今までは与党閣僚に問題があったり疑惑があったりしても、せめて選挙期間中くらいはいい子のフリをしているもんだったが。なんか終盤になればなるほど集中力というか、結束力が落ちていく感じだったものな。まるで豪雨で地盤が揺るみ、足元が崩落していくかのような。与党が批判されるのは仕方ないとしても、真剣にやってる人間までかなりこの崩落に巻き込まれたのかと思うと、何とも痛々しい。

ただ不思議なのは、マツオカ問題とかアカギ問題にしたって昔から、もちろんコイズミ時代あったもので、決してアベッチの時代に突然悪くなった訳ではないと思うのに、いまだにコイズミは好感度が高くてアベッチは最悪だという点だ。ただ、コイズミは身辺調査はちゃんとやっていたらしく、こういうのを閣僚には入れなかった。人を見る目はあったんだろう。その分格差やら自民党分裂やらの置き土産も残したが、何故かマキコ以外誰も責めない。講演すれば笑いも取るし。…それに引き換え首相の方は、なんか喋れば喋るほど不信感を煽るのね。同じ事を繰り返すだけなので「もう黙ってたら」という感じになる。これはトークの下手さ、という問題ではない。どこまで行ってもキッパリとした結論が見えない不明感から来る不快さなんだろう。ほんとに国民が求めているのは「ハッキリした結論」「証拠」なのかも知れない。何が起きてるのか分かる事。どうやら続投したいみたいだが、この首相でそういう爽やかな処理が出来るのかしら。満身創痍のマスゾエさんが倒れねばいいが。

だからって。(- -)大勝したミンシュトーのマニフェストも、その通りに実現したら大変な金が掛かる事は間違いないのだ。それを全部消費税で賄うとしたら、20うんパーセントくらいの税率にしなきゃいけないそうで…皆さん払えるのだろうか。お金持ちだね。じゃー頑張って働いて、たっぷり税金払って下さいね。うちは多分餓死します。(- -)(- -)税金の無駄遣いを無くせば全部賄える、ような事を言ってるが、無駄遣いがどれだけで、具体的にいくら、いつまでにどうやってそれを減らし、どういう形で財源に回すのか、肝心な事はまだなにもハッキリしていないから、大丈夫だろうとも言えない。「中身の分からない不快さ」という点では、目くそ鼻くそだと思うのは私だけだろうか。政治もこの先急展開していくんだろうから、こうなったら見守るしかない。…ちなみに世界情勢も急展開している。イラク派遣をやめたらどうなる? 中国と仲良くなったアメリカと疎遠になりFXも買えず、北に睨まれて韓国にサッカーで蹴られる。そうこうするうちに温暖化は進む。ガソリンは上がる。こんな時代に求心力を発揮して事態をまとめるなんて、並大抵の人物に出来る事ではないと思うんだが… せめて、災害の起きた時に政府内が混乱して動けない、なんて事態にならない事だけは祈っている。自然災害だけが災害とは限らないけどな。

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2007年7月21日 (土)

私的マニフェスト(^^)

この国は大赤字である。だからその昔、景気が良くて浮かれていた時代と違い、国民は異様に公金に敏感である。(昔は汚職の類だって「世の中そんなもんさ~」とヘラヘラ眺めていた連中もいっぱいいたのにね)そこで、選挙も近い事だし「兎にも角にも国の収益を上げる」という観点で、「私見マニフェスト」を考えてみる事にした。(^^)もちろん冗談だからね。真に受けないように。

①「政治家なまけ防止法案」…国会を開くにはかなり高額の税金が使われる。それなのに会議で寝る議員、無駄話する議員、あまつさえ会議に出席せず休んじゃう議員がいるのはけしからん。町内会の掃除だって休めば罰金だ。そこで、こういう不埒な行為に及んだ議員から罰金を取る法案を提案する。明らかな無駄話は1回3千円。居眠り、舟漕ぎは5千円。熟睡は1万円。無断欠勤は1回10万円。徴収したお金はもちろん国庫へ。思ったより儲かりそうな気がする。

②「セレブカジノ法案」…どっかの都知事ではないが、年収5千万以上のセレブしか参加できない、公営カジノを作る。そういうステータスを持つという特権意識で、結構客が集まると思う。特典は世界のセレブとの交流や、「セレブカジノガイド」(そういう限定雑誌を作ってだね)でのグラビア特集。その月一番稼いだセレブには、オリジナルデザイナーズジュエリーのプレゼントがあるかも。で、もちろん収益は国庫へ。胴元しか儲からないのがギャンブルなのさ。格差是正にもなるね。

③「オタク登録法案」…無償で専門分野のプロになったやつ、つまりオタクは、申請すれば「国家認定オタク」になる事ができるという案。もちろん技能検定のテストはするが、大々的なイベントにすればかなりの経済効果も期待できるぞ。で、認定されたオタクには支援金が回され、専門分野のグッズに限り格安での購入が可能となる。その代わり、月何回年何回と決められた日には、やはり格安のギャラで国のための仕事に赴かねばならない。政府広報のアニメや公共システムだって安く作れるし、フィギュアや鉄道マニアも使い道がありそう。でもアイドルオタクは国益には向かないかも…

④「児童虐待者年金還付法案」…子供は、将来税金や年金を払ってくれる(はずの)国の宝。なのに虐待したり、性犯罪の対象にしたり、ましてや殺害するような人間に年金を受け取る資格はない。よって、児童に悪い事した人間は、たとえそれまで年金を払っていても、将来交付しない。もしくは罪の程度によって減額する。当然児童ポルノも同罪。(…まあ、漫画やアニメは、相当悪質なもの以外おいといて)しつけと虐待の境目が難しい場合は裁判の判定に順ずる。これも、今時はかなり交付金削減に繋がると思うなあ。

とまあ、「ある所から取り、やらなくていい奴にはやらない」というポリシーでいけば、税金上げなくてもこの国の赤字は相当埋まるんじゃないか、と思うんですがいかがでしょう。

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2007年7月16日 (月)

大震災が…

この三連休は、連休どころでなくなった。台風の恐ろしい風雨の音が千葉を通り過ぎて、やっと晴れ間が…と思ったら、新潟で大地震のニュース。凄い続き方だ。これではリゾートも選挙もやってらないだろう。大自然は本当に人間の都合で動いてくれない。

マグニチュードの規模は、先の中越地震とは比較にならないくらい大きく、阪神大震災に近いようだ。中越地震で学び、地震対策に建物を補強していた所も多かったらしいのに、やはり築年数の経っているものはもたなかった様子。今回は家屋、道路、ライフラインの損傷が激しい。これからの救助と復旧は大変だろう。しかし、あの阪神大震災の頃から比べると、政府や自衛隊の動きは格段に早くなった。ひどいパニック状態にもなってない。それだけは評価していいと思う。

阪神大震災の時、私が激怒したのは当時のM首相(名前呼んでやりたくない)の対応だった。長田区という、あまり裕福でない町並みがまだ炎上している真っ最中の震災二日目に、財界人のパーティに出ていたという話を聞いたのだ。もし震災直後に、この首相にどこかでバッタリ会ってたら、私はかなり危険なコトになってたんじゃないかと思う。(会わなくて良かった…)ノロノロな対応、見殺しに近い無策、目の前で起きている事を把握できない無能さ。「こんな政府や政治家はこの世にいらねえ!」と思った。あれが私の人生最大の怒りだったと思う。今は年金や政治とカネ問題でそう思ってる人がいるんだろうけど…ごめんな、そんな訳でどうしてもあの時を超える怒りは沸かないのだ。私にとって「最悪の政治」とはあの時代であって、今ではないから。とは言えべた褒めできる程素晴らしくもないんだから、今後も真剣に対応して欲しい。

自然界に起きる大規模な異変に、勝てる人類は誰もいない。だから私は、この世の王者は人間の権力者ではなく、自然界だと思っている。自然は、人類にはもともと都合良くも優しくもしてくれない。ところがこの「自然」がなければ、人間も地球上のどんな生物も生きられないのである。その恐るべき「自然という権力者」に人類は暴挙ばかり振るってきた。台風が巨大化したりするのは、間違いなくそのしっぺ返しだ。地震のメカニズムは環境破壊とは直接関係ないと思うんだけど…人類の傲慢が通用しない世界がある事を思い知らされる出来事ではある。だからって、人類も自然界にお仕置きばかりされてはいられないのだ。防いだり、助けたりしなければならないのだ。その為に科学技術や国家や税金が使われるのは仕方ないと思う。よって、この先政治が色々変わるとしてもです。いざ非常事態の時、何の手も打てない政府にだけはなってくれるなよ。というのが私の願い。本当の所、人類はもう自然災害の復興に追われて、戦争なんかしてる余裕のある国家はどんどん無くなっていくと思いませんか。

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2007年7月12日 (木)

そんなん政治のせいじゃないって。

いよいよ選挙公示なのだ。こういう時期は下手に政治についてあれこれ書かないのだ(^^)。今回の参院選は事件だらけで結構な盛り上がりだから、むしろ正反対の事書いたろーと思った。「もし今。日本の政治家がみんな善良で正直で有能で、素晴らしい政治をしたら、世の中は天国になるのか?」…私はならんと思う。

何故なら、ますます混迷してる世界情勢のおかげで、どう転んでも経済が安定しない。まず「あみりか」が疲弊する。中東に手を出すたびに大失敗、それでも手を引けない場所を作り過ぎてしまった。いくら武器たくさん持ってても、先行きの真っ暗な戦闘を場当たり的にやっていては体勢なんか取れる訳がない。発展著しい「いんでぃーあ」とか「ちゅーごく」にじりじり侵食される。で、その「ちゅーごく」はというと、最近の暴走ぶりは酷い。あれだけの毒物を輸出するなんてどういうこと。責任者を厳しく処罰しても止まらない。大体人口多過ぎ。今までは貧しい地域が多かったから、仕方なく国民はまとまってたのだろうけど、それぞれお金と権力持っちゃったら、不当な我慢なんてしないだろう。一つの体制だけで制御し切るなんて無理難題に決まってる。…で、も一つの「いんでぃーあ」はと言うと、やっぱし「ぱきしたん」と険悪。その「ぱきしたん」の過激な所は反米テロ育成の温床になっている、という話もある。この先も平和にはいかないだろう。もう一つの勢力「ろしーあ」、はそれでなくても紛争抱えてる。カニも木材もその他も、資源はできるだけ抱え込もうとしてるようだ。みんな自分の都合ばっか。世界ぐちゃぐちゃ。大体経済って危機の時代には落ち込むんじゃないの? あと、深刻な環境破壊の問題がある。今までの「公害」クラスなら、被害者の口さえ封じれば影響は隠滅できたかも知れないけど、気候や自然環境が変わっちゃったら「オレだけいい目を見て助かる」なんて誰も出来ないんだからな。そんなこんなで、もし日本が天使のように善良な国になっても、どっかの北の犯罪が解決しても、日本一国だけハッピー、にはなれないだろう。「なるべくいい政治を」と望むのは当然の事だが、どういう結果であれ、過度の期待は暴挙ではないかと。

ネットの時代になり、人と人とはより繋がりが深くなったかというと…結果的には逆だった。昔のような、見知らぬ人にも信頼を掛けられた時代の暖かさは、今はかなり失われている。(これからも状況は変わるだろうけど…)無記名の掲示板のおかげで、人間は陰ではこんなに悪意に満ちて陰湿なのかと、私はかなり愕然とさせられた。人を誉める言葉、人を尊重する発言は「嘘くせー」「工作」と嘲笑され、ただ悪口とプライバシーの暴露だけが人気が上がる。世の中を良くするため、他人に「良くなれ」と言い、自分が「良くなろう」とは考えない。もしそんな人間が大半だったら…そんなもん、政治がいくら天使になっても、いい世の中になんか絶対なりませんって。選挙に行くのも、政治を考えるのも結局は自分のレベルを上げるためだと思うんだ。できればそういう選挙にして欲しいものです。

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2007年7月 6日 (金)

ガンジーは無抵抗なのでなく

マハトマ・ガンジーという、あの有名な人を「無抵抗主義」というのは間違いだそうだ。正しくは「非暴力・非服従運動」である。要するに「暴力は振るわないけど、イギリスの言う事はきかないよ」という意味で、「服従しない」という形でちゃんと抵抗したという事。

第1次世界大戦前後。当時、イギリスの植民地としてインドはいいように支配・搾取され、インド人は差別されていた。イギリスに留学してエリート弁護士となったのに、南アフリカでやっぱり人種差別を受けたガンジーは闘争を開始した。…以降、長いのでちゃんとした教科書を読もう。ともかく、その人はイギリスの不当な圧政に徹底的に「抵抗した」のである。単に武力を振るわず、敵を憎まず、人徳の力で戦っただけの話。(それを「単に」とは言わないが)彼には多くの民衆が続いた。…こんなエピソードがある。(アムリトッサル虐殺事件の事らしいが)軍隊が武器を持たない民衆の集会に発砲。400人以上が死亡した。ガンジーは「私の仲間に、一人でも背中に銃弾を受けた者がいるなら見せてくれ」と言った。つまり背中を撃たれるというのは、背を向けて逃げた証拠だから。そして、死体は全て胸に銃弾を受けていたという。この話を聞いた時、私は「日本人は決してガンジー主義にはなれない」と思った。真の「非暴力」はかくも激烈なのである。ニッコリ笑って丸腰で銃に向かって歩く、そんな度胸のある平和主義者がこの国に何人いるものか。なんか、取り合えず前を歩いてる奴の背後に回り込み、人を盾にしてどうにか生き残り、「私は弾をも恐れず行進したノダ!」とか後から主張する人間ならいっぱい出そうな気がする。すごくそんな気がする。

貧困。人種差別。国家全体が長年に渡り植民地化されてきた屈辱。それでなくてもカースト制の身分差別。そしてヒンズーの強い信仰。こういう、当時のインドの極限状態の中だからこそ、人々は命を懸けられたのだ。第二次世界大戦で敗北したものの、その後いいようにアメリカに利用されてきたものの、戦前より格段に暮らしは豊かになり、自由になり、一気に戦後復興し、先進国の仲間入りまでした日本に。ある意味「戦争に負けて良かった、お陰で幸せになった」という空気のあるこの国に。こんな真似が出来る訳がない。戦争を放棄したのに自衛隊がある。核廃絶を訴えてるのに核まみれのアメリカに守られる。この国は矛盾だらけだ。だが…この矛盾した環境の中にしか、この国のふつーの人が現実に生活して行ける道はなかったのだ。

日本に領海侵犯や領空侵犯…に近い事態は年中起きている。昔は主に「地図の上の方から」だったのが、昨今では「左の方から」来るのが多いらしい。非武装で自衛隊は出動させず、侵入者を「あらいらっしゃいませー」と迎えるべきだ、と主張する人はさすがにいない。大体、日本の自衛隊は大抵警察法の範疇で動くらしいから、年中発砲するなんて事は有り得ない。警告して着陸させる、もしくは追い払うのが仕事。ここで侵入者が警告を聞かないと大事。まして撃って来たりしたら…それでも、下手に反撃すると本当の戦争になり兼ねないから極力撃たない。一度だけやむなく撃ったら大問題になった。つまり、「本気で戦争し掛けて撃ってくる奴がいても、できれば黙って撃たれろよ」というのが国家の姿勢だ。で、自国に帰れば反対する人間がいて「違憲!」と犯罪のように言われる。一般国民は「ああアメリカに守られて平和だなあ」と外国に感謝するだけで、有り難いとも思ってくれない。正直、こんな国よく守ってきてくれたなあ、と思う。ある意味ガンジーの精神に近いのはこの職務ではなかったろうか。…先の事は分からないが。

「戦争が起きると怖い、だから平和主義」というのは、ほんとは平和主義ではないんだと思う。こちらに戦意がなくても襲ってくる人種はいつの時代にも存在する。そういう非常時にどう行動するかで、どのくらい平和主義かが問われるのだ。平和な中で平和にしてるのは当たり前の事だから。つまり、臆病な人間に平和主義はできない。臆病な奴は、緊急事態でパニック起こすと大抵焦って味方を撃つのである。これはほんとである。銃は持ってなくても、それに似た現象なら随分見たような気がする。だから、この先も日本が平穏に暮らしたいなら、何よりもまず「勇気」を出すべきじゃないか。パニック起こさない程度には。ガンジーさんにはなれないけども。

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2007年7月 3日 (火)

核のおさらい

もうこの話題から離れたかったんだけど…一応。どっかの大臣、とうとう辞任する騒ぎとなった。多分本人、本当に何の気なしに「しょうがない」と言ったのだろう。およそ核に関する事を(しかも防衛大臣の立場で、しかも長崎出身で、しかも選挙目前で)何の気なしに言えてしまう、この壮絶な鈍感さでは仕方ない事か。しかし正直私も、冷戦終結以来「本当に核戦争の起きる時代はもう来ない」と安心し過ぎていた気がしたのである。核戦争は起したくない、と本気で考えているのは大国だけ。(それだって本気かどうか)むしろ今、発展途上国は持ちたくて持ちたくてウズウズしている国が多い。そう考えると、核戦争の危険度は冷戦時代の比ではないのだ。核の危機について改めて考えさせてくれたという点で、今回の騒ぎにも何か得る所はあったかも知れない。

まず ①日本が「核はしょうがない」と発言する事が、なぜそんなに危険か。前々回の記事に書いたが、日本は世界唯一の「戦争における現実の被爆国」である。(核実験とか原子炉の事故は除く)その日本にも、昨今は「核武装すべき」という意見が出始めている。悲惨な被害に遭ったからこそ廃絶を目指す、というのが一般的な考えだが、核があれば攻撃を受けない、被害に遭ったからこそ持つべき、という過激な発想もある事は事実だ。そういう微妙な情勢で「しょうがない」と投げた発言をすれば、捻じ曲げれば「日本が核を持った時、敵となった国は撃たれてもしょうがない」とも受け取れる。またそうではなくても、「被爆した国家さえ核兵器の有用性を認めているぞ」と、持ちたくて仕方ない国に核製造の口実を与える可能性もある。どちらにしろ、世界の非核化には大きなマイナス効果しか与えない。北なんか大喜びかも知れない。

次に ②核兵器と通常兵器はどこがそんなに違うのか。普通の武器を持っているなら、その延長線上で核を持ったって…という甘い考えがある。それとこれとは別の物だ。なぜなら、ミサイル等は(だからいいとは言ってないが)基本的には「敵軍」を倒す為のものだ。非戦闘員のいる普通の領土に撃ち込むのは最大級の悪であり反則である。が、核ミサイルで軍隊を狙う事はない。核は明白に「国土の破壊と住民の殺戮」を目的とした兵器である。その広範囲な破壊力は決して非武装の人間を避けていかない。そして…何よりも放射能の恐怖がある。ウランの半減期は45億年だそうだ。地球が出来てから現在までくらいの長大な時間が経過して、やっとその放射能は半分になる。つまり、人間のレベルから言えば「放射能は絶対消えない」と考えても同じだという事。劣化ウラン弾ですら恐ろしい被爆が起きるのはご存知の通り。(知らない人います?)そしてその処理方法といったら、これは原子力発電の廃棄物の場合だが、コンクリで固めて地下に埋めるだけ。ただ燃えた物はどければいいが、汚染された物は触る事もままならない。ロケットで宇宙に打ち上げる方法でも開発されない限り、これ以上汚染物質を地球にばら撒くべきではない。(…ロケット墜落したりして…)(…うっかり宇宙人の船にでも当たったら宇宙戦争に…)

そして ③発展途上国が核を持つ事はいけないのか。いけない。これには異論のある国が多くあるだろう。でも私個人の意見として端的に断言するが、絶対いけない。じゃあアメリカやロシアが持つのはいいのかと言うと、もちろんそれだって良くはない。しかし、彼らには冷戦時代の経験というものがある。冷戦時代は、世界は本当に一触即発の状態だった。核のボタンを押す→世界のオワリ、というギロチンが地球の上にぶら下がっていた。だから、大国は核ミサイル発射までに何重ものセーフティを掛けている。発射命令が下っても、何人もの承認や工程を経なければボタンは機能しない。(…最近はどーなのかな、とも思うが)しかし、核持って大喜びしている発展途上国がそこまでの気遣いをするだろうか。下手するとボタンにはガラスのカバーすらなく、剥き出しかも知れない。しかも発射権限を握るのが軍だったりする。将軍がミサイル発射システムの視察に来る。うっかりつまずいてヒジを突く。「あっ押しちゃったぁ」…世界オワリ。絶対無いと言い切れるのか。じょーだんではない。人間、持ってる玩具はいつか使ってしまうのである。持たないに勝る安全はない。

と、他にも色々言いたい事はあるけどこの辺でやめておきます。どこかの大臣のみならず、世界中の人と国家にもう一度「核は恐ろしい」という事を改めて認識して欲しいと思った。特にどこかの日本の同盟国には。

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戦争を知らない中年たち

これは、例によってあまり頼りにならないうちの母親に聞いただけの話である。信憑性の程は分からない。私の爺様、つまり祖父は戦時中に教師をしていたそうである。教師の立場ゆえか戦争に反対し、牢に入れられた。当時はこういう国家権力の横暴で亡くなった方も多くいた。しかし、じさまは無事生きて出て来た。

私がそのじさまのいる田舎にあずけられた時、じさまはいつも黙りこくって、時々爆発する恐い存在でしかなかった。家は女系で親族は女だらけ。その女性の家族からは、「じいさんには苦労を掛けられた」という愚痴ばかり聞いた。命懸けで戦争に反対した立派なじさまを尊敬してる、という話はあまり出なかった。家族にとっては誇りというよりはリスキーな存在だったのだろう。田舎にひとりであずけられ、玩具もろくに持ってなかった子供の私は、ある日、つまらないので家の中の物を散らかして遊んでいた。突然、恐いじさまが部屋に入って来て、私の置いた温度計(部屋にはそんなもんしか無かったんだね)を踏んだ。バリッ。当然温度計は壊れた。私は「あーーー」と叫んでじさまを見た。「あたしには物を壊すなって言うくせに、自分が壊したー」という目つきで。もちろん、どう考えても散らかした私が悪いのである。しかしじさまは私を叱らなかった。何かぼそぼそ呟いてそのまま部屋を去っていった。

それから、何故かじさまが私に優しくなった気がした。運動会の時、カブ(懐かしいスクーター)で学校まで送ってくれると言い出した。そんな事してもらうのは初めてなので、面食らった。祖父と孫は二人乗りで、田んぼの側の道を走り出した。しかし、慣れない事はするもんじゃない。途中でカブは転倒し、祖父と孫は田んぼに転がり落ちたのだった。まあ、無傷だったけど。

私とじさまの心の交流の記憶なんてそんなものである。中学くらいの時に脳溢血で亡くなってしまった。じさまが戦時中にはどういう人間で、どう生きたのか、もはや私には分からない。ただ…いま思い返すと。戦争の時代、戦争に反対する人間は憲兵に連行されたのである。それを何故憲兵が知るのかというと、近所の誰かが密告するのである。そう。戦時中の庶民の大半は決して正義ではなかった。日本が国連を脱退した時、大拍手したのも庶民だった。大戦開始を、提灯行列でお祝いしたのも庶民だった。(情報操作されていたとはいえ)だからつい考える。今、「核はしょうがない」発言を非難しまくっている世間の人たちは、「核に反対すると連行される時代になっても、やはりそれを言い続けられるのか」「近所を密告して自分だけ助かろうとは絶対にしないのか」…と。世間が騒いでる時に尻馬に乗るのは簡単な事だ。だが、政治家が悪くて自分たちは善良、という顔をする庶民も、私はそれ程清廉潔白ではないように思える。貧乏な庶民の気持ちが分かるかのような、稼いでる権力者が許せないような発言を繰り返すニュースキャスターのギャラは幾らなのだろう、と考えるのと同様に。

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