ガンジーは無抵抗なのでなく
マハトマ・ガンジーという、あの有名な人を「無抵抗主義」というのは間違いだそうだ。正しくは「非暴力・非服従運動」である。要するに「暴力は振るわないけど、イギリスの言う事はきかないよ」という意味で、「服従しない」という形でちゃんと抵抗したという事。
第1次世界大戦前後。当時、イギリスの植民地としてインドはいいように支配・搾取され、インド人は差別されていた。イギリスに留学してエリート弁護士となったのに、南アフリカでやっぱり人種差別を受けたガンジーは闘争を開始した。…以降、長いのでちゃんとした教科書を読もう。ともかく、その人はイギリスの不当な圧政に徹底的に「抵抗した」のである。単に武力を振るわず、敵を憎まず、人徳の力で戦っただけの話。(それを「単に」とは言わないが)彼には多くの民衆が続いた。…こんなエピソードがある。(アムリトッサル虐殺事件の事らしいが)軍隊が武器を持たない民衆の集会に発砲。400人以上が死亡した。ガンジーは「私の仲間に、一人でも背中に銃弾を受けた者がいるなら見せてくれ」と言った。つまり背中を撃たれるというのは、背を向けて逃げた証拠だから。そして、死体は全て胸に銃弾を受けていたという。この話を聞いた時、私は「日本人は決してガンジー主義にはなれない」と思った。真の「非暴力」はかくも激烈なのである。ニッコリ笑って丸腰で銃に向かって歩く、そんな度胸のある平和主義者がこの国に何人いるものか。なんか、取り合えず前を歩いてる奴の背後に回り込み、人を盾にしてどうにか生き残り、「私は弾をも恐れず行進したノダ!」とか後から主張する人間ならいっぱい出そうな気がする。すごくそんな気がする。
貧困。人種差別。国家全体が長年に渡り植民地化されてきた屈辱。それでなくてもカースト制の身分差別。そしてヒンズーの強い信仰。こういう、当時のインドの極限状態の中だからこそ、人々は命を懸けられたのだ。第二次世界大戦で敗北したものの、その後いいようにアメリカに利用されてきたものの、戦前より格段に暮らしは豊かになり、自由になり、一気に戦後復興し、先進国の仲間入りまでした日本に。ある意味「戦争に負けて良かった、お陰で幸せになった」という空気のあるこの国に。こんな真似が出来る訳がない。戦争を放棄したのに自衛隊がある。核廃絶を訴えてるのに核まみれのアメリカに守られる。この国は矛盾だらけだ。だが…この矛盾した環境の中にしか、この国のふつーの人が現実に生活して行ける道はなかったのだ。
日本に領海侵犯や領空侵犯…に近い事態は年中起きている。昔は主に「地図の上の方から」だったのが、昨今では「左の方から」来るのが多いらしい。非武装で自衛隊は出動させず、侵入者を「あらいらっしゃいませー」と迎えるべきだ、と主張する人はさすがにいない。大体、日本の自衛隊は大抵警察法の範疇で動くらしいから、年中発砲するなんて事は有り得ない。警告して着陸させる、もしくは追い払うのが仕事。ここで侵入者が警告を聞かないと大事。まして撃って来たりしたら…それでも、下手に反撃すると本当の戦争になり兼ねないから極力撃たない。一度だけやむなく撃ったら大問題になった。つまり、「本気で戦争し掛けて撃ってくる奴がいても、できれば黙って撃たれろよ」というのが国家の姿勢だ。で、自国に帰れば反対する人間がいて「違憲!」と犯罪のように言われる。一般国民は「ああアメリカに守られて平和だなあ」と外国に感謝するだけで、有り難いとも思ってくれない。正直、こんな国よく守ってきてくれたなあ、と思う。ある意味ガンジーの精神に近いのはこの職務ではなかったろうか。…先の事は分からないが。
「戦争が起きると怖い、だから平和主義」というのは、ほんとは平和主義ではないんだと思う。こちらに戦意がなくても襲ってくる人種はいつの時代にも存在する。そういう非常時にどう行動するかで、どのくらい平和主義かが問われるのだ。平和な中で平和にしてるのは当たり前の事だから。つまり、臆病な人間に平和主義はできない。臆病な奴は、緊急事態でパニック起こすと大抵焦って味方を撃つのである。これはほんとである。銃は持ってなくても、それに似た現象なら随分見たような気がする。だから、この先も日本が平穏に暮らしたいなら、何よりもまず「勇気」を出すべきじゃないか。パニック起こさない程度には。ガンジーさんにはなれないけども。
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コメント
無抵抗主義を見事に(確信的に)誤解した例が無防備マンでしょうか。
それはそれとして、ある日の子供との会話。
私「なぁ、将棋で勝つためにはどうすればいい?」
子供「油断を誘う、守りを固める、守りの弱い所から攻める。当たり前じゃん!」
…そりゃそうだよな。
投稿: 茜杳 | 2007年7月 6日 (金) 21時20分
茜杳様・
兵器はこの先、使う為のものでなく、どんどん「将棋の駒」になっていくんでしょう。(まだ本気で使ってる困った国もありますが)手駒が少なくとも名人なら勝てる。国も庶民も、そのくらい冷静沈着なら。
ガンジーは目の前の敵すら、ニッコリ笑って味方に変えられる程の人物だったそうです。願わくばそうやって平和に暮らしたいものです。
投稿: いくたまき | 2007年7月 6日 (金) 22時05分
非暴力の抵抗は、無抵抗とは違う。考えようによっては、どんなに強力な武器よりも手ごわい抵抗でしょうね。
投稿: 志村建世 | 2007年7月 7日 (土) 17時36分
志村先生・
ガンジーの抵抗は敵対ではなく、「自分と異質な相手を受け入れる」という寛容の精神で、味方を増やしていくものでした。だから強力にもなったのでしょう。
そんなガンジーも、カースト制を肯定したとか(後年不可蝕民解放運動をされてますが)国民が機械化を望んでいたのに機械文明が嫌いだったとか、批判する声もあります。その上インドとパキスタンは結局分裂しました。完璧な人間はいないし、何を完璧と思うかは人によって違います。ガンジーの精神だけで全てに勝てる訳でもない。ただ、世界に巨大な影響を与えた事は確かです。
投稿: いくたまき | 2007年7月 7日 (土) 20時47分