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2007年9月29日 (土)

痛い話をしよう

最近歯周病でのたうち回っている。この痛みを誰かと分かち合えればラクかもしんない。(^^)という訳で「痛い話」を書く事にしました。痛い話の嫌いな方は決して読まないように。

以前歯周病で歯の抜けた部分に義歯を入れてたんだが、金具が壊れて緩くなっていた。ストレスからか別の1本の歯がぐらつき始めた。忙しかったので手も打てず痛みをこらえているうちに抜けてしまった。それが始まりだった。バランスが悪くなり、噛み方が変になった。…町の無料診断で歯を診てもらったら、看護士さんが「何かの末期を見るような」青ざめた顔をしてたので、「これはマジやばいかも」と思ってたら…来た来た突然来た激痛。しかも1本ではない。右2本半、左3本以上の集団歯周病。しかし、諸所の事情で私は土日しか歯医者に行けない。そらもー…痛い。ハナかんだだけで、歯が折れて飛び出しそうな痛み。ブラッシングが肝心と聞いたので、決死で丸一週間頑張る。どうするかというと…歯茎の一番触りたくない所に電動歯ブラシを強硬に押し当て、マッサージするのだ。手動だと痛くて手加減してしまうが、そこは機械だから情け容赦なく磨ける。洗面所で何度も気絶しそうになる。やがて疼痛、激痛を通り越し、少し痛みが和らぐ。少し時間が経つとぶり返すので、その繰り返し。肩凝りの血行不良も原因だったらしく、歯の痛みが引くと肩や首筋が痛くなる。ほぐしても、昔凝っていた記憶のある部分が入れ替わりで痛んでくる。ひどくなると、コリというより「首筋に切れ込みを入れられて怪我をした」痛さになる。全身全霊を掛けてマッサージしまくる。歯医者には行ったが義歯を直して薬を入れただけ。大分楽になってきたが、まだ戦いは続いている。

思えば私の人生は、「命に別状はないけど、死にそーに痛い」体験の連続だった。精神的なイタさだけでも、前々回「カミングアウト2」に書いたようなトラウマ体験を10回以上はしている。(^^)まあそれはプライバシーな話なので物理的な事を上げると。子供の時バイクに引かれて宙返りし、奇跡的に助かった。階段から転げ落ちる事もよくあった。小学生くらいの時、遊園地の遊具から落ちて膝下の足の骨をモロに打ち、足なのにたんこぶが出来た。当時は扁桃腺を切除するのが流行ってた。私はよく扁桃腺腫らして熱を出す子だったので、切る事になった。…多少の麻酔はしたろうが、「あんが」と口を開けさせられ、メスだか鉗子を喉に突っ込まれるのを目撃しながら切られたのでトラウマになった。しばらくは水を飲むのも痛かった。中学で水疱瘡を患った。(遅すぎ)水疱瘡自体は治ったが、全身にボコボコ火傷のような円形の跡が残ってしまった。それを取るための注射、というのがあったので受けたら、医師に「痛いよ。続ける根性はあるか?」と聞かれた。…その注射はほんとーーに痛く、しかも全身。やっぱり挫折した。あと、中学の時部屋の中で逆立ちしようとして(←ばか)、ガラス戸の桟にかかとをぶつけた。ふと気付くとかかとの肉が丸くボッコリと「掘れていた」。大慌てで医者に行ったら、黒い木綿糸みたいなので(ほんとーにそういう糸だったのよ)、ブツブツと麻酔なしで縫い付けられた。

…一休みするがまだ続く。(^^)近年では子宮筋腫。何故か「したいのにオシッコが出ない」状態になり、何度も医者に駆け込んで抜いてもらう。原因は…「ボンレスハム大の子宮筋腫ができ、尿道を圧迫してたから」であった。早速入院して切除。手術自体は無事終わったのだが…少々糖がが出ていて、傷口が中々塞がらない。トイレに行くたびに激痛。退院し、外出先のトイレに入っても「いでーー!」と叫ぶ有様。糸が抜けるまで随分かかった。あと、背中に巨大な腫れができて苦しんだ事もある。触るだけでも飛び上がる。痛くて寝転ぶのもままならぬ。なのに医者に行ったら…そのままメスで切開された。今でも背中には勇ましい刀傷が残っている。そして今度の歯周病だ。ほんと、何て美しくない人生だろー。

最近は、ちょっと不満があったり心に傷を負っただけで、自殺したり、逆に凶行に及ぶ奴が増えている。そりゃ本人にとっては深刻でしょうけど、人間全体が我慢が足りなくなってる気もするのだ。世の中にはこんなに痛い思いをしてまだ生きている人間もいるんだから、本当は人間はもっと丈夫な筈だ。何かを悲観する前に「死にそーでも我慢」「気絶するまで我慢」してみてはどうだろう。あまりお薦めする事でもないが。この記事は、そういう「痛さの我慢の鍛錬」にでも使っていただきたい。(^^)

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アメリカ抜きの日本

ミャンマーが大変な事になっている。日本人の犠牲者が出た…という事件を、今の日本人の大半はどういう目で見ているんだろう? 「だから軍事や武力はみんな悪いノダ」という目だろうか? 私は、「最近物騒とはいえ、やっぱり日本って平和なんだな」と感じた。踏み込んだら生きて出られないようなスラム街もない。一度異常な連中がやったが、そう頻繁にテロは起きない。夜中に青少年が笑いながらフラフラ都心をうろつく。この緊迫した世界情勢の中で、こんな呑気な国は他に無かろう。日本人にとって軍事は「異常な状態」であって、自分達の身に迫った問題ではない。だがそれは結局…常に「アメリカの軍事力が背後にあった」お陰でしか無かったかも知れない。

戦後、日本はいいようにアメリカに振り回されてきたが、その分守られてもきた。いや、アメリカにそれ程日本を守る意欲が無かったとしても、「あいつらバックにアメリカ付いてるぜ」というだけで他国に警戒してもらえた。もはや何の戦闘能力もないこの国が。つまり、戦後の日本人は「アメリカがバックにいない状態」というのを誰も経験してないのだ。もし何らかの理由でこの同盟関係が壊れ、もしくは薄れて日本が「自立」しちゃったら…それは未体験ゾーンだ。そしたら本当の所どうなるのだろう?「日本は平和国家だ」と鼻高々で主張し、世界の国々も「うんうん」と頷く。それは日本に恐れを成したのではなく、後ろのアメさんに遠慮してただけだとしたら。まさしく虎の威を借るなんとやら。

不法入国の(犯罪目的の)外国人が増えただけで大騒ぎになる国。実際の所、どんな犯罪者がうろついていても、拉致目的で危ない連中が近付いて来ても、戦闘ひとつ出来ない国。私は、日本が本当にアメリカと対等の立場に立ちたかったら、まず「最低限の自国の防衛」くらい出来なきゃ嘘だろうと思っている。まず他国の核ミサイルを確実に迎撃できるシステムを開発し、(でないと「核を持とう」という話になりかねない)領空・領海侵犯は断固取り締まり、(威嚇で撃っても怒られるんですから)町中で重火器による凶悪犯罪が起きた場合は、全国どこでも特殊部隊が迅速に出動できる体制を作る。(ヤクザ同士の抗争、くらいの事件では出なくていい) 常識的な範囲だ。でも多分、こういう事言っただけで「あなたは戦争が好きなのね!」みたく大ヒンシュクを買うのがこの国だ。戦争が嫌いだから、起きる前に止めて欲しいだけだとゆーのに。

日本人は戦後、「国家」というものを全く信頼して来なかった。国家はいつも自分達を弾圧する「悪の権力」でしかなく、せっかく民主主義になったのに、国家を国民の総意の現れ…だなんて誰も思ってなかった。自分の国の国家や国旗が大嫌いなのは日本人くらいだ。別にキミガヨやヒノマルのイメージが悪いなら、新しく歌と旗を作ってリニューアルしたって私は全然構わないと思うんだが、それもしない。(そのくせオリンピックの国旗掲揚では泣いたりする) 「国家は敵」と思ってる国民に、国家を理性的にシビリアン・コントロールするなんて無理である。そういう考えは「国家に命を捧げる」思想と同レベルに極論であり、危険であると私は思う。ふつーに「自分の国だし税金払ってるんだから、命の安全くらい守ってよ」とい言って何故いかんのかと思う。丸腰で金持ちで無警戒、そういう人間はドロボーされても仕方ないのだ、と豪語する国、地域もいっぱいあるというのに。アメリカ抜きの日本、になったら。…「あそこはいいぜー 簡単に潜入できるしバカで金持ちが多いし 麻薬も銃もどんどん売れるし 暴力ふるってもほとんど反撃しないし 女なんてガイジン好きだから○りほーだいゲヘヘ」なんて、大喜びで噂される国、になりはしないだろうか。最近、アメリカとの関係の雲行きはどうなのよ…と少々心配な情勢なので、ついこういう事を考えてしまった。できればそういう状態になる前に、比較的治安のいい海外に逃げた方がいいかな…という気もするのだが、困った事に私は外国語は堪能でない。

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2007年9月25日 (火)

影のサプライズ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070925-00000078-mai-pol

いやあ…新内閣が決まって、実はちょっと驚いた。続投や横滑りが多くて、しかも若い人間がいなくて地味。顔触れに新しい所はない。なのに驚いた。何に驚いたのかというと…「中心者の首相が違うだけで、こんなに内閣のイメージが違って見える」事に驚いたのだ。ボロボロの木製の塀を「やーいばーかばーか」とみんなでぶっ叩いて壊してたら、木の塀が倒れて、突然その背後から石垣が現れたような。

「木の塀」より、もっとピッタリな表現がある。―始め、クルーザーのような豪華な釣り船が走り出した。誰もがその船は大丈夫だと思っていた。しかしひとたび風が吹き、波が荒れると、その船はあちこちが壊れて分解し始めた。実は木製で、材木が腐っていたのである。もう沈むしかないという状態になった時、クルーザーはドックに入って改装修理を行った。今度は鉄製の丈夫な船底や、防腐処理のしっかりした甲板を付けた。「まあ、マシになったんじゃない」と人々は言ったが、やはり傷物の建材が混じっていて、船は再び解体するかに思われた。誰しもが「この船もう駄目じゃん」と思った。その時、突然船長が寝込み、船のオーナーが変わってしまったのである。新しいオーナーは風に弱い客室を取っ払い、低めの艦橋と、それを囲む丈夫な司令塔を幾つか建てた。前の船と材料はほぼ同じだが、なぜかデッキには主砲が据えられた。…あれ?鉄の船底に司令塔に広い甲板に主砲、って…これって戦艦じゃないの?

まあ、私は政治家の詳しいケーレキや実力なんて何も知らないから、単に印象を書いただけなんだが… 世間の論調は「すぐに解散総選挙」「自民党最後の内閣」「どうせもうダメ確定」みたいな感じだろう。間に合わせの選挙政権に過ぎないと。でも、私は何か鉄の塊がどーんと出て来た気がして、なかなかどうして、この先の展開が楽しみになってきた。フクダさんは長く影の存在だった。という事は、影から人を動かせる人間。いやだいやだと言いながら、最も長く在任した官房長官でもあったらしい。こういうタイプは恐いよ。民主党も、相手がアベだと思ったから「がっぷり四つに組む横綱相撲を」なんて余裕で言ってましたけど。イシバさん相手にがっぷり四つで勝つのは中々難しいぞ。今までの政権は「小結が間違いで横綱に昇格した」奴相手の相撲だったが、今度出て来るのは「横綱より強いくせに、故あって長いこと大関やってた」ような人達だからねえ。ここでどういう勝負をするのかが肝心だね。アベさんのダメダメぶりをかばうつもりは全くないが、弱くて隙だらけ、勝つに決まってる相手をボコボコにして喜んでる野党もマスコミも、最近流行のネットいじめみたいで私は好感持てなかったから、今度こそじっくり「政治の勝負」を見させてもらいたいもんだと思った。

アベ辞任は、歴史に残る最悪のタイミングだった。国民にも迷惑を掛けた。しかし、あそこで一言でも彼が野党の攻撃を受けてたら、今頃自民党はホントの終わりを向かえてたかも知れない。全てにおいて間の悪い元首相だったが、あるいは病気になる事で、最後にギリギリセーフの「自民党が生き残るラストチャンス」を作って去ったのかも知れない。まあどっちにしろ、政策で競い合ってどんどん国民の苦境を助けてくれればそれでいいコトです。(^^)

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2007年9月17日 (月)

カミングアウト2

以下、「いくたまき」という漫画家に興味のない方には無関係な記事ですので、読み飛ばして下さい。

長年溜まったコリのせいで体調不良になった。あんましてほぐしているうちに、不思議なものでコリ、つまりストレスの溜まった時代の事を色々思い出した。「いくたまき」という名を知っていても、「昔青年誌とかで描いていたが消えた作家」だと思ってる人が多いので、唐突ですが今ここで、ブリッコ廃刊以降の「いくたまき」の事を少し書いておく。

私(いくたまき)が結婚以降マンガ描かなくなった、というのは間違いだ。描きたくても恐くて描けない状況に追い込まれたのだ。東京から撤退してからも、私はデビューの時世話になった編集の元へネームを持って行ったりしていた。編集の態度は妙によそよそしかった。ネームは「Holy Joe」という戦闘もの。東京でテロが頻発する時代の特殊部隊とネゴシエイターの物語だ。私は信頼して編集にネームを預けたが、それ以降連絡はなかった。…それから何年経ったか。私は、私が書いたセリフやシーンにそっくりなアニメのシーンが、テレビで放映されているのを見て仰天した。「パトレイバー」である。スペシャル版か何かだったと思うがショックで詳細は忘れた。あれは絶対偶然じゃない。他の誰にも見せてないネーム、編集が流したのでなければ知られる訳がない。…だが証拠がない。その編集の出版社は潰れ、ネームは行方不明。信頼してたからコピーすら取ってなかったのだ。漫研関係の人間にも訴えたと思うが、「偶然」「よくあること」などと言って相手にされなかった。まるでそんな事言い出す私が悪いかのような口ぶり。私は完全な編集者不信、そして人間不信に陥った。所詮人はテレビでやってる知名度の高いものの味方だ。そして私は漫画、特にアニメというアニメは吐き気がするほど嫌いになった。漫画家のくせに。だからろくに描けなくなったのだ。昔は「読者を楽しませたい」という一心で作品を描いていたが、「なんでそんな連中が喜ぶ事を描かなきゃならん」という心性に変わった。

その後学研に持ち込んで再デビューを果たした。子供向け漫画なら、どうにか人間に悪意を持たずに描けたからだ。ネタは無断でよく使い回しされたが、自分にちゃんと描く場所はあったから腹も立たなかった。その学研の仕事がなくなった理由。私のイラストがインパクトあり過ぎて、ウリである教材(ふろく)の写真が目立たないと苦情を言われるようになったのだ。そんなのしょうがないじゃないか。始めは笑って済ませていた。だが、アンケートで人気がない(ストーリーのないカットですよ?)とイチャモンまで付けられ始めた。それまでのストーリーのある作品はかなり人気取れてたから、カットも悪い作品ではなかった筈。何度も描き直しを命じられ、電話口で口論。「子供には毎年ハムスターが1番人気があるんだよ!」「だったらハムスター載せればいいじゃないですか!」…そして本が出来上がると、私のカットは本物のハムスターの写真に差し替えられていたのである。それからもしばらく仕事したが、どんどん冷遇され、やがて切られた。学研の中には親切な編集もいたが、作家に対して権力握ってるなんて思ってる連中はこんなもんである。

別に、これは学研がどうこうしたとは思わないけどね。世間で大人気になったハムスターのアニメ。発表は1997年だ。その前、1994~1996年まで、私は学研で「ハムスターエジソンシリーズ」というのを描いている。キャラは白地に茶の丸模様のハムスター。(^^)いやあ偶然かも知れないですね。でも、明確に年代は私が先なのに、こっちが何かしたように言われても困るから。小学館は色々やってくれるなあ。あと、2000~2001年、同じく学研で「キノコのこのコ」というキノコが主人公の4コマを描いているが、なんか、これにそっくりなキノコ会社のCMずっとやってますよね。いつからかは知らないが、2001年よりは後である事は間違いない。これも、旧作を自分で出したらこっちが悪いかのように言われやしないか心配で。

そんな訳で。私はずっと、業界も業界の人間も、とにかく「売れてる作品」は一切信用できない状態だ。自分のホームページに作品を上げるのは、個人の編集者を信頼するより、その方がまだ著作権の証拠になりそうな気がするからだ。人間不信は続いている。作品を見せたら、曖昧ににウンウンうなずく裏で「面白いが売れ線の絵じゃないな。ネタだけ盗って別の作家に描かせよう」とか思っている編集の顔が目に浮かぶ。アソウタロウさんと違って、私はもう漫画界大嫌いなのだ。それでも、少しは純粋に「いくたまき」を応援してくれる人もいるのである。誰も漫画関係者ではないが。だからまた、本格的に作品を発表できるように体勢を整えたいとは思うのだが…私には味方もお金も体力もごく僅かしかない。時間が掛かっても許して下さいね。それと、最近の漫画やアニメについて私に話さないで下さい。頼むから。ガンバとか、子供の時に見た物以外、私はもう一切他人の作品は見たくないのだ。

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2007年9月14日 (金)

さすらいの阿倍首相

阿倍首相辞任。…の時、私はちょうど歯周病でのたうち回っていた。で、すぐに記事が書けなかった。(--)でもそれからまだ二日目なのに、すでに状況が色々と激変してるなあ。政治の方向性も大きく変わりそうだ。という事は、今までがいかに無理な体勢だったかという事だ。バランスの悪いジェンガは一突きで崩れる。辞める時が最悪のツボを突いてたのもあるだろうけど。「悪い人」ではなさそうなのに、政治史上最悪の内閣を作ってしまった「あべっち」。何でこんな事になったんだろう。

例えば汚職しまくるとか、諸外国にケンカを売って火種を撒くとか、そういう「悪い首相」「政治家」なんてのは歴史上いくらでもいた。でも、阿倍政権の「悪さ」というのはこれまでのどんなタイプにも当てはまらない。鳴り物入りで総裁選に勝ち、アジアの好感を得て万全の体制で出発し…これでうまく行かなきゃ嘘でしょう。という状況から、どーやればここまで全ての事態を破壊できるか。逆に他の首相がやろうったってできないぞこんな事。以前から指摘されているが、「あべっち」は空気が読めない。というより、周囲で何が起きているのか根本的に理解してないフシがある。ぼんぼん育ちで世間を知らないから、と言うが、そんな事言ったら次期総裁候補のフクダさんだってアソウさんだって名門一家のぼんぼんの筈だ。それだけでは理由にならない。今時は掃いて棄てるほど溢れている情報を、収集して把握する力がなかったのか、さもなければ…「周囲に、首相に誠実に尽くしてくれる人間がおらず、逆に甘言で事態を誤解させる悪い部下がいっぱいいた」のではないか。つまり最後まで主導権を取れず、足を引っ張られ続けていた訳。王様や国家が駄目になる時は大抵、こういう「悪い官僚」が横でいらん事を吹き込んでるものと相場は決まっている。もっとも、「そういう部下」しか周囲に呼び寄せられないのは王様の力量のなさの証拠でもある。

時代は激動し、状況は常にクルクルと変わる。かつて起きなかったような事態や事件がいくらでも起きる、もしくは発覚する。こういう動乱期を生き残り、事態を打開するのはどういう人間であり方法論か。いくつか方法はあるんだろう。たとえばコイズミ流に「何を言われようと断行する」。頼りがいはありそうに見えるが、それでも人を説得し、ついて来させるにはコイズミくらいの「ケレン味」「アピール能力」がないと無理なのだ。なんか、あべっちも途中で「強行採決」「強行路線」になってたけど…逆に大不評。あんたがやったって合わないって。元々気が弱そうなのに、「コイズミ流で行きましょう」なんて吹き込んだ人間でもいるのかしら。それ以外は、噴出する疑惑や失言をやたら優しくかばって、選挙に大敗したり。これは誰の真似か分からないが、「人間関係や思いやりを大切に」して、周囲に信望の厚い政治家でも思い浮かべてたのではないのか。確かにそうやって局面を乗り切った人もいただろう。が、こういう格差や社保庁問題で揺れている時に思いやるのは政治家じゃないでしょー。国民でしょー。何をやってもズレているのだ。そして、トドメが辞任の時の「場当たり」である。これは参院選でオザワさんが首を掛けた事に対する…すげー遅れた「真似」なのか。思い付きで過激な行動に出て、状況を変えられる人間は確かにカッコいい。でも、そういうやり方は社会の荒波に揉まれ、過酷な状況を生き残ってきた強者でないとできないのだ。(もっともオザワさんは計算の末、勝てるから言っただけだが)あべっちの行動には統一性がない。どうしても「色んな人のやり方真似したけど駄目でした」に見えてしまう。最後まで真の味方も、確たる行動原理も持てず、ずっとさすらった末に倒れたのではないか。

あの、体調不良と傷心でうつむいたあべっちを思い浮かべると、どうしても「気の毒」という気持ちは沸いてくる。そこはある程度世間も同意のようで、この期に及んで「晋ちゃんまんじゅう」はバカ売れしているという。でも、国家の首相が「気の毒な人」であってもらっちゃ困るって事だね。この先政局はどう展開するか分からないが、結構普通の「政治」に戻るかも知れない。そうしたら「晋ちゃん時代」がいかに未曾有の状況だったか、後からしみじみ分かるかも知れない。所信表明直後に辞任なんて、多分歴史上一度だけだろう。

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2007年9月 7日 (金)

それでもガンバが勝つ。

大変ローカルで恐縮ですが。千葉テレビで今時、「ガンバの冒険」の再放送が始まった。(^^)私は日本一のアニメの名作だと思っている。(注・これ以降、「ガンバ」を知らない人にはほぼ訳の分からない記事になります)

うん十年を経て見ても、やっぱりいいもんはいいねえ。しかし、この時代からいわゆる「アニメ」はどれ程変わってしまった事か。ガンバの世界は、たとえ「悪魔のノロイと戦う」という重い課題を負っていても、元気で明るい。正義感があって情にもろくてドジで、仲間もいいやつら。こういう、昔の「普通の主人公タイプ」の世界って、最近はとんと見なくなった。正義とか友情とか口に出すのはオロカ、みたいな、ねじ曲がった感性の世の中になっちまった。…とか思いながら放送を見てて、ふと「あの当時ほどノロイを恐く感じない」事に気が付いた。もちろん自分が大人になったせいもあるが、それだけではない。よく考えたら、今時流行る物って全て、ガンバより余程ノロイに近いんじゃないのか?

ガンバ達はネズミだが、人間味に溢れている。それと対照的に描かれるノロイは悪、というより「冷酷と残酷の権化」だ。無抵抗でも命乞いをしても、ノロイはただ「ネズミを殺すのが楽しいから」彼らを襲う。だから決して許してくれない。こういう「悪」が存在する事に、かつては慄然としたものだ。しかし、今時起きる犯罪や事件って…大した動機も意味もないし…ノロイそっくりじゃないの。ノロイの手下達は「神」であるノロイの言いなりだ。弱い立場の者を見かけると、「あいつらを殺れ シャー」とか言ってノロイが指を指す。すると寄ってたかって一斉に襲う。ホームレスの人とか苛めやすそうな相手とか。ただ面白いから…うわあ嫌だ。同じだ。○ヴァとかアレとかコレを見て育った子供に、「ガンバのどこが面白かったー?」とか聞いたらどう言うんだろう。中に無表情な奴がいて、ポツっと「イタチがネズミを殺してる所が面白かった…後は別に」とか言いそう。すごく言いそう。私の誤解と偏見ならいいんだが。

ガンバが戦った敵はノロイではなく、こういう「冷酷と残酷」そのものではなかったのか。すごく強引で牽強付会だが、あるいはこういう時代が来る事を予感して、最後に人間性(ネズミなのに…)が勝利する事を証明する為に命を懸けたのではなかったか。なのに、人間の世界はこんなんなっちまった。もはやノロイに洗脳されつつあるも同然。ごめんねガンバ。人間たちはこの先、少しは人間に戻れるだろうか。私は「知名度のあるノロイよりも無名のガンバたれ」と思って頑張ろう。せめてこの作品を知っていた世代として。少なくとも彼らは、どう考えても勝てっこない敵に挑んで勝ったのだから。

ちなみに。「ガンバのリメイク」だけは死んでも作らないで欲しい。心からの願いである。猫娘を「萌え」に改造し、魔王ダンテをシスコンにさせるような今時のアニメ関係者には手も触れないで欲しいのだ。まあキャラがネズミで「売れ線」ではないから、とは思うけど分かんないもんな。「キラキラ可愛い萌え潮路さん」なんて描いたら…祟ってやる… 大体、あの「雑なようでしっかり質感のある、味のある画風」を真似できる作家なんてもういるものか。CGみたいなツルツルした綺麗な世界ならガンバではない。「落ちたら痛い。物は壊れたら戻らない。死んだら終わりだから生きねばならない」という当たり前の現実さえ、今の創作者は描く力がないのだ。そういう方は何度でもデータコピーできる美少女でも夢見て、そのまま別の世界にいて下さい。

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2007年9月 2日 (日)

1本のビス

ちょっと日が過ぎましたが、芸夢・夏の5人展とフネカン2007、夏の行事が無事終了。芸夢については前の記事ご参照のこと。フネカンについては↓こちらへ。

http://twinstars.office110.co.jp/~funekan/liblary/funekan2007/index.html

展覧会にお越し下さった方々、まことに有り難うございました。<(_ _)>またフネカンに参加された方々も本当にお疲れさまでした。<(_ _)> 少しまとめを書いておこうと思う。

展覧会の方は、来客自体あまり多くなく、私の絵もほとんど売れず、どーしたものかと思ったのだが… 中日に志村先生がわざわざ足を運んで下さったのと、最終日、「神」もとい犬神さんが来てくれて、絵を買って下さった事で大きく救われました。<(_ _)>あと、「やまくん」の絵を見たある方が「昔うちにいたネコを描いて欲しい」と依頼して下さったので、2枚ほど描き、先日買って頂きました。<(_ _)>猫の絵は別のポーズでまた描く予定。

売ろうと思ってトウモロコシちゃんなどの「萌えキャラ」を一生懸命描いた。そしたら、「もっと描け!動物とかが売れ線だ」と言われたので、更に「昆虫ちゃん」とか「やまくん」を描いて頑張ったのだ。なのに売れない。ネット販売もしようと思ってデータも上げたけど、今もやっぱり売れない。売れたのはぜんぜん萌えない、暗い方の絵なんだから分からない。

Yamato2 フネカンは、この展覧会の直後から1週間しかなく、突貫で仕上げた。出品は「浮沈戦艦大和」。ふつーの大和プラモを伊号の浮沈装置を付け無理矢理潜らせるという…(しかも去年の半壊れの伊号転用)そんな無茶な、という作品だったのだが、当日最初の1分間アピールで大失敗(T^T)した後、昼休み返上で重りや浮力を調節し、レース本番でどうにか「1度だけ」自動浮沈に成功。私はもー、今年は浮沈さえしてくれれば後どーだっていいやー、と投げていたし、当日は実にいい天気で、熱射病寸前でヘロヘロ。展覧会から連続の作業で疲労していたのも原因だろう。だから賞なんて絶対無理、というか考えてなかったのに…なぜか貰った。賞取ろうと思った時は駄目だったのにな。世の中そーいうもんなのかな。

私は運がないというか、いつも何事も「あと一歩でうまく行きそう!」という所までは行くのだが、はたと気付くと人が散ってたり、企画が無くなってたり、個人的事情で駄目になったり、最終的には何も完遂できないで終わる、という事が多かった。というか人生ほとんどそーだった。だけど…今年は「ぶくぶくと沈んだ後、底の方でかろうじて拾われる」という感じで助かった気がする。少しは運が良くなってきたのだろうか。甘く考えているとまた沈むだろうか。これからは盛り上がる人生、だといいんだが…

フネカンの最後、大和のビスが1本無くなった。プールに沈んだらまずもう見付からない。ちょこっと探して見付かるようなら、天が私を守っているのだわ。そーでないなら投げられてるんだわ、などと思いながらプールを覗き込んだら…あった。すぐ近くにビスが1本沈んでいた。ああ、天の加護を疑ってはいけない!と反省した。…今日、写真を撮るために大和を再度組み直してみたら、それは別の誰かのビスだった。サイズも合わなかった。(--)私の運は本当に良くなったのだろうか。まだ判断には慎重を要するなあ。

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