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2008年3月29日 (土)

重く生きろ。

あー、明るい話題で書きたかったのに。連日の恐ろしい事件でムシャクシャしてしまった。最近はなんで「自分が落ち込んでたら、関係ない人間を殺しても構わない」と思い込む人非人がこんなに多いんだろう。(ちなみに「人非人」て辞書変換しませんね)昔よく「命は地球より重い」と言われてたけど、最近の地球では星雲を1個破壊するくらい命が粗末にされている。

それとこれを直結させると反発を覚える人間も多いだろうけど、やっぱり「ネット時代の安直さ」が背後にあるような気がするな私は。人格の尊厳を下げ、言葉の持つ重みを下げ、「私が神」だの「誰かが神」だの無茶苦茶な事を言っても裁かれない。しかも無記名で責任感もゼロ。「誰でも良かった」と言って人を害する裏には、「そういう自分も別に誰でもない」という存在の軽さを感じる。殺された人の人生はどうなる。殺した本人の人生は。…「人生」なんて考えてないだろう。「生きてるか死んでるか」という状態のオンオフを認識してるだけで、その命には「人生」という情報量の多い重い物が貼り付いてる、という事まで考えてない。今の世の中で一番大切にされてるのは命ではなく、ネットに流れる情報だ。命なんてドーデモイイとか言う人間が、自分のパソコンや携帯ののデータを消去されたりしたら烈火の如く怒りまくったりするのだ。ネットに個人情報が流され、人生メチャメチャにされる人間もいる。自分の隣にいる人間を裏サイトで誹謗するのは平気な奴が、全く無関係な有名芸能人に何か起きたら傷付く。変だよこんなの。

SFではよく、「人格をデータに移す」とか「データ生命体」みたいな話が出て来る。確かに想像するのは面白い。でも現実の人間はもっと重たく、正体不明の要素が大半で複雑で、とてもデータ化出来るようなものではない。それだけに失われたら取り返しが付かないものだ。自分自身も他人も、「これはこういうもの」と簡単に分析できる時は永久に来ないのだと私は思う。それが、「単なる分かり易い物体」のようにしか扱われない感覚自体に大きな問題が有りはしないか。テレビ等のマスコミで言われる事と、データに残る部分だけで人間が出来てると思い込んでいないか。「人間でいる価値」が暴落してるんじゃないか。少なくとも私は、こんなブログに載せきれる程度の存在じゃないからな。私を知りたい人は、せめてホームページの全ページを読んで下さい。とか言ってみる。

最近の若い奴は大半貧乏じゃないし。どこかの国はともかく、この国では政府に生き方を強要される事もなし。これで体まで健康だったら、「生きる痛み」ってものがないんだろう。貧乏して病気して、ご飯が無事に食べられたり無事にトイレに行けたりするだけでも有り難いなんて思ったら、こんな安直になれないと思うんだが。もう早く火星開発にでも着手して、若い奴は訓練の為どんどん広大な宇宙へでも送り込んだ方がいいかも。(- -)何一つ動くものも生きるものもない世界で、呼吸する事の大変さやかけがえのなさを学んで来て欲しい。

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2008年3月16日 (日)

お隣の闇

とても気になるが、あまりに深刻そうなので時事替え歌にできないチベット騒乱のニュース。ネットでちょっと調べてみたら、そもそも報道に片寄りがある、という話で喧々諤々になっていた。確かに「かなりの大事」らしいのに日本での扱いは大きくない。中国当局の発表はもちろん歪曲されてるんだろうし、ネットも当局にかなり検閲、規制されている様子。下手に調べるとアクセスをチェックされる可能性もあるとか。恐いなあ。日本はその点割と自由だから、相当危険な内容でもない限り政治をあれこれ言っても誰かが監視に来たりはしない(と思う…)が、海外は今荒れている。中国は元々多くの問題を抱えていたものが、オリンピックを控えて噴出しているという。報道関係でも現地関係でもない人間は、あまりこういう問題に関わらない方が良さそうではある。

スピルバーグ監督が北京オリンピックの芸術顧問を辞退、というニュースが流れ、その時初めて「スーダンのダルフール」という地名を聞いて「えっそんな事があったの」と思った日本人は私だけではない筈だ。知っていた人間は馬鹿だと思うだろうが、元々知識もなく、報道もされない情報を突然調べだす一般人はいない。しかもニュースは簡潔で不十分。中国とスーダンとスピルバーグに、一体何の繋がりがあるのかさえ分からない。実はスーダンは中国の傀儡政権で、多額の出資を受けているという。それも色々検索して初めて知った話だ。日中には記者協定があり、中国政府に不利な情報は出さないのだと書いてあった。そんなものはないという書き込みもあった。今までネットは過度に自由で、良からぬ物を含めあらゆる情報が流れていると思っていたが、存外そうでもないらしい。特に民族問題が絡む情報は… 触ると本当に危険そうだ。

おそらくチベットの「騒乱」は、日本で知られる何百倍も深刻なものだろう。私なんかが持っていた、高地、澄んだ青い空、信心深い温和な人々…というロマンチックなイメージはもう通用しないのかも知れない。日本人が何の他意もなく口に出来る「ダライ・ラマ」という言葉さえ中国では禁句になっている。この大国は今、どれ程の闇を抱えているのか。ギョーザ騒動にしても、誰が見ても明らかに農薬は中国国内で混入しただろうと思われるのに、当然のように「我が国に責任はない」と言い放つ神経。ある意味、国内での言論弾圧が他国にも通用すると思っているかのような傲慢。大気は汚染、食料は危険、国内は暴動…て、それでもやっぱりオリンピックは開催するのか。行った選手団は無事でいられるのか。ボイコットしようという声もあるようだが、多分全ての騒ぎは封殺する方向で、やっぱりオリンピックはやるだろうし、日本もアメリカも関係を悪化させたくないから多くは語らないだろう。それは恐ろしい事だが、確かに事態に無知な素人がこんな問題をやたら掘り返しても良い結果は出ない。静観する事しか出来はしない。「毒ギョーザで被害に遭うかも」というような、当事者の立場に立った時しか、人は自信を持って声を上げられないのかも知れない。

真実はいずれ全て表に現れるだろう。一部の片寄った所に「真実を知ったリスク」を及ばせない為にも、知らせる時には全世界的に堂々と公然と、「取り返しの付かない」形で発表して欲しいものである。

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