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2008年4月 2日 (水)

ミカンの皮の悪夢

唐突ですが。昔の漫画やアニメを実写化するのが流行ってるが、私が一番実写化したらいいと思うのは「ぼくの動物園日記」である。そう、あのカバ園長・西山登志雄さん原作の、実話の動物飼育物語。子供の頃大好きでね。足りない巻は古本屋を探して集め、何度も読み返したもんだ。この本で動物への愛情と共に、人間と動物という別種の生物の間に横たわるギャップ、というものを学んだ。昨今の「ペットかわいーもの」みたいな甘ったるい世界ではない。一歩間違えば人間が大怪我したり死んだりする。その逆に間違えば動物の方が死ぬ。お互いの通じ合う部分と、相容れない部分を両方理解しなければ、正しい飼育はできない。私の動物観はこれで育まれたから、いまだにイヌネコでも過剰にベタベタ可愛がる感性には共感できないでいる。

その中で最も衝撃的で悲しい話は、戦時中の悲劇(回想)として語られる、猛獣達の殺戮だ。空襲で猛獣が町へ逃げ出しては困るというので、軍部の指令で、檻の中の無抵抗の動物達が順に殺されていくのである。でもこれは有名なエピソードなのでどこかで読んでね。私にとってそれ以上に、トラウマになるほど心に残った話は「キリンの死」だ。

…時は終戦直後。人々もようやく心の余裕を取り戻し、餌を食べる動物達を微笑ましく眺めている。と、誰かがキリンにミカンの皮を投げる。キリンはうまそうに食う。それがあまり嬉しそうに見えるので、観客は喜ぶ。やがて多くの人がミカンの皮を投げるようになる。しかし、お客の多い日曜の次の月曜日、動物達はみんな腹を壊すのだ。原因はお客が投げ過ぎたエサ。野生動物と違い、動物園の飼育下の動物は無制限に食べてしまうのである。キリンも例外ではなかった。しかし、飼育員がエサやりを止めると「あんなにうまそうに食ってるのに邪魔するひどい奴!」と罵られる。戦時中自分達が飢えていたので、食べる事を止めさせるのは悪行に見えるらしい。

やがてキリンにミカンの皮をやるのが流行り始める。わざわざ溜めて、大量に抱えて動物園に来る。バケツごと持ち込む者もいる。飼育員が必死で制止しても、「そら、もっと食え!」と、キリンの頭上を一面のミカン皮が舞い飛ぶ。…そして、キリンは死ぬ。解剖すると、胃の中から大量の未消化のミカンの皮がごっそり出て来る。嘆き悲しむ飼育員。しかし、キリンの檻の前に「キリンは死にました」という札が掛かると、人々は「きっとエサをケチって餓死させたのだ」と憎しみを込めて噂し合う。「キリンを殺したのは、善意。多過ぎる善意なのだ」とエピソードは締めくくられる。…今でもこういう人結構います。ハトやネコを餌付けして周囲に問題を起こす人。でも、ちょっと品行の悪い奴がいるとネットで叩きまくる現象も似たようなものだな。だから私は正直、「民衆の総意」というものが正義だとは信じていない。

いやね。実はこの物語の記憶に、「さあガソリン代が下がって嬉しいでしょー!」と自説を撒きまくってる誰かのイメージがふと重なってね。いつかそれが「地方行政の停止」とか「消費税大幅アップ」という未消化のミカンの皮となって、どこかからゴッソリ出て来やしないかと。ちなみにうちの町の消費者生活センターだか何だかは閉鎖になり、町役場に統合された。まあこれは町が合併したせいだと思うけど。

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