海を見に行った午後
連休最後の休日。…ずっとどんよりしてたのに、今更晴れてもしょーがないだろ!というくらい良い天気である。だから海に行った。(^^)車だとうちから10分掛からない。千葉の海岸、見渡す限りだーーーーっと何も無い砂浜を散歩するだけ。それでもちょっと波が見たかった。
いや…この間「ガンバの冒険」のDVDを借りて見た時、あーやっぱりこれだ、という感覚になったので。私の知る限り、アニメで最も「海っぽい海」を描いた作品はガンバである。この作品、ネズミ以外の風景は劇画調で決してアニメタッチではない。線が荒い。色数も、動きの枚数も多くない。なのに、これだけ進化した美しい動画が描かれてる現代ですら、一番「海に見える海」はガンバの海だという事に気付いたのだ。何が違うのかというと… 他の「海を描いた絵(動画)」の海は大抵ただの「水」だということ。でも、「海」は「水」ではない。海はあくまで海という、別種の何かだ。だから、普通にそれっぽく描かれた海の絵からは「潮の匂い」がしない。ガンバの世界にはそれがちゃんとあった。重く、湿気た空気。濡れた所が粘つく塩分。錆びる金属。人間(あるいはガンバならネズミ)の都合も、予測も通用しない破壊的な重量とランダムな動き。
海は「海水」という特殊な液体で出来ている。塩分や、そこで生きてきた多くの生物のエキスを含み、粘ついている。だから波が通った後には洗剤のような泡が残る。粘ついて重量があるから、波が「砕け」ても漫画のような綺麗な水玉になって飛び散ったりはしない。勢いで盛り上がり、重力の法則に従って落下し、ぐしゃぐしゃと丸められるように崩れ落ちていく。波も、さっきまで浜の遠くにしか打ち寄せてなかった物が、突然足元まで押し寄せて驚かせる程に気紛れである。重い水は簡単に溶け合わず、波ごとに薄い層になって重なっていく。波の発生する大きな原因は風だが、風が無くても地球の律動で海水は常に動き続けている。動いているのが海の普通の状態なのだ。だから「溜まった水がザバザバ揺すられている」感覚では決してない。その上波は「重い」。見るからに重く、当たったら痛い「物体」である。水は優しく従順、みたいな女性的なイメージは沸かない。(まあ、これは千葉の荒波ばかり見てるせいかも知れないが)…要するに、実は絵や動画で描くのが最も難しいのが海であるということ。
いやね、この夏公開になるというジブリアニメが、「海を描いた物語」で「金魚姫」、という時点で私はすごく引っ掛かっていた。海に金魚は有り得ない。それは「淡水魚だから」というだけではない。近所で海を見てると、この海という怪物の中から「か弱く、生きるに不都合そうなヒラヒラした尾を持つ生き物」が出て来るというイメージがどーしても結び付かず、沸かないのだ。最近は「金魚」と言うのをやめて「さかなの子」と言ってるみたいだけど、デザインは金魚のままだしな。海のイメージを出す為か、手描きの上水彩で彩色してるという…手間が大変だろうとは思うが、上に貼った写真を見て欲しい。水彩のイメージだろうか。私にはどうしても海は油絵に見える。前述の理由で、海は「薄い水分」よりはずっと「粘度の高い物体」に近いからだ。もちろん海の描き方なんて千人いれば千通りあるので、どんな描き方しようがそれは作家の勝手だ。ただ、そのアニメでは海の描き方に一番力を入れている…という話だから、私は少々気になったのだ。そのアニメの海からは果たして「潮の匂い」はするんだろうか? もちろん、全くしなくてそれも作家の勝手だとうは思うが。
動画の良し悪しとか枚数とか、そういうアニメ技術的な問題を全部抜きにして… 私は「船の上でガンバが初めて海を見る」というシーンが、「海の感動」を表したアニメ史上最高のシーンだと思っている。夜と悪天候で、黒かったり白かったりする海しか見てなかったガンバ。ようやく空が晴れて船底に光が差す。船酔いでゲロゲロになってる癖に、死に物狂いでデッキへと上がって行くガンバ。…ああっと目を見開く。灰色だったガンバの目がゆっくりブルーに染まっていく。船の向こうは一面の太陽光と、輝く青い海、揺れる波。「海だ!海だ!これが海なんだ!」… 海の感動とは、海であること。それが全て。この事実を超えられる演出は何も存在しないと…私は思うのだがな。
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