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2008年6月29日 (日)

大阪強行バスツアー(^^)3

Seiyasai

(写真は、今回の同窓会特別ステージのもの。顔なんか全く判別できないので掲載を許してね。みなさんカッコ良かったっす。)

今回は禁酒!…と決めてたのに、みんなが飲んでる中一人ソフトドリンクは悲しい。(T^T)という訳で、あまり強そうでないカクテルを頼む。レッド・アイと言ってビールのトマトジュース割り。私はトマジュー大好きなので美味しかった。(それ以上はぐっと我慢)なんか、見た事も無い高級そうなおつまみを次々オーダーする友人たち… うわあ生まれて初めて「イベリコ豚」をつまんだ。こ、これが石塚さんの食ってるやつか…(←他の人間も食ってるって)私も「カラスミの大根サラダ」というのを。大根と思えない程うまいが、どの破片がカラスミなのか(^^)経験の足りない私には分からない。

子供のいる人間も、いない人間も、未婚の人間もいろいろいる。でも特にギャップは感じない。ここには人のどんな個性も認める大らかさがある。それに比べ世間には、「あのひとはこーだから」「やっぱり○○でないと」みたいな、人を分断する発想の人間がいかに多いか。人間だから相性の良い悪いはあるだろうし、人間関係がしんどい事もあるけどさ。最近のこの世の不幸は「人の価値観を認めない」思想にあるんじゃないかと思った。いいじゃんどんな人がいても。闇討ちするような犯罪者は別だけど、意見が違うくらいなら違うままでいいし、協力できる事はすればいい。そういう大らかさがないから、今の人間は自分を追い込んで行くんじゃないのか。「全く同じ考えの人間」なんてこの世にいない。一部が合致したって、全く同じになれると思うのは幻想だ。生物相で言うと、色んな生物のいる「森」なんかのサイクルは、人間の破壊がない限り頑丈である。それに比べ、ただ一種の生物で出来ている…例えば農地なんかは、常に「ただ一種の外敵のため全滅する」危険性があるという話。だから、「全く同じでないと排斥する」という最近の風潮は、私にとってはとても気持ち悪かったのだ。ネットの変な凝り固まりもご近所の陰口も。今日の同窓会のおかげで、私は本来の自分と自由を取り戻せた気がした。そしてもうそれを忘れまいと思った。ちなみに、飲み代は思った程高くなく、割り勘で一人2000円だった。(^^)このくらいだから許してね。

で。同窓会は幸せだったのだが、終わったら急にツキが消滅した感じ。また夜行バスに無事乗り込んだ、のはいいが、飲んだせいか今度は本気で眠く、始めの休憩所で寝過ごして降りられなかった。次の休憩所であたふたしてトイレに行って帰ったら、せっかく買った三冊目の単行本がない。トイレに落としたのか?と探しに行こうとしたら、休憩時間終了間際で運転手さんに睨まれた。とうとう見付からなかった。(T^T)…たどり着いた朝の東京から総武線で千葉へ。行こうとしたら修学旅行生がわんさか地下に溜まっていて、どこが乗り口か混乱。千葉駅に着いたら切符を失くしてる。やれやれ…幸せはほんと長くは続かないな。「お前なんか幸せにしてやるもんか!」という無意味なタタリは、いつもこの世のどこかにある。でも私はもう落ち込まない。光も影もあるのが人生さ。また気を引き締めて生きないと。…前からの約束で、やまくんが千葉まで迎えに来てくれる。もう体グッタリだったから助かった。

帰り、失くしたのと同じ本を近所で探したけど見付からなかった。ディックの「高い城の男」。もしどこかで見つけた…もしくは「持ってるけどもう読まない」という方がいたらご一報下さい。(^^)

(追記・「高い城の男」は、後日亭主やまくんが再び買ってくれました。<(_ _)>)

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大阪強行バスツアー(^^)2

Kyobasi_2大阪の朝。…松屋の朝定が泣くほどうまい。(T^T)パンしか齧ってなかったからなあ。着いたのが朝7時、肝心の同窓会は昼2時からである。久し振りの京橋、(かなり)昔に比べると随分綺麗になったが、一歩裏へ回ると小汚…もとい生活感のある町並みがまだまだ残っている。関東だととても嫌な感じに見えるスプレーの落書きさえ、この辺りの閉店した店のシャッターに描かれていると妙に風景に馴染む。あまり馴染んで見えるので写真撮ってしまった。 綺麗な部分を撮らなくてすいませんね。

また昼まで時間を潰さねばならない。背中も尻もギクギクいってるので、また本を買いマクド(関東で言うマック)の喫煙席に居座って時を過ごす。今度の本屋は京阪モールの紀伊国屋。京阪モールとは「♪ビルの間を電車が走る~」と一部地域では昔から有名な所。買ったのはディックの短編集。やっぱりカビの生えたハヤカワSFがいいんだ。40年以上前に描かれた未来社会が今見ると面白い。太陽系まで制覇しながら、コンピュータのデータは穴開きテープ。通信は画像やテレタイプ。それでも彼ら(の心)は宇宙を駆けていた… アイデアそのものは今でも古びてないのだぞ。何故なら電気羊とかマイノリティ・リポートとかジャンパーとか、いまだにこの辺りのSFからネタを取って映画が作られている。というか、人類のアイデアはいまだに黄金期のSFを越えられないんだね。…とか思ってたら、分厚いのに読んじゃったじゃないか!仕方なく予備にもう一冊買い、その辺をぶらぶら。

会場ロビーのソファにどっこいしょと腰を降ろす。本入りのバックパックが重い。学年となると知らない人も多いし、知ってる奴来るのかなあ…とか、こんなに持って来たけど2,3冊売れたら御の字だなあ、などと考えてるうちに大音響が鳴る。今回は、元楽器をやってたメンバーで演奏するとは言ってたが…すげープロみたい。腕は上がっても落ちてない。ドラムをやってる責任者が元気そうにゼイゼイいっている。久し振りに練習して頑張ったらしい。偉いなー。(^^)そーだ青春はこれからだ。開会前に挨拶がてら薦めてみたら、二人ウミウシ買ってくれた。ありがとう。いい前兆。…ぼちぼち人が来る。おお、結構馴染みの人達が来てるじゃないか。会場に入ると、ステーキやサーモンなどやや(^^)ゴージャスな料理が。会費もそこそこ掛かったからちゃんと食うのだ。始めの同窓会の時…好物の卵サンドが並んでて「わー卵サンド♪」とバクバク食ったら、後からロースとビーフや刺身が出て食えず泣いた記憶がある。(^^;)良く考えて食べます。でも酒は控える。あのバスツアーで今日帰らねばならんのに、ぐでんぐでんになったらハクから。

演奏がとても楽しかった。(^^)私らの年代の「ツボ」の選曲。ボーカルまで付いてるぞ。セイコにアキナにセクシャルバイオレット、私はやっぱり「雨上がりの夜空に」だー。ノリまくって一緒に歌ったが、時々1番と3番が入れ替わってて混乱したりする所が(^^)また同窓会らしくていい。…ウミウシ持ってきた事を言ったら、友人が「もっと宣伝しないと」と背中を押してくれたんで、責任者に告げてテーブルの上に本を積んだ。個人の営業だから申し訳ないし、ヒッソリやろうと思ってたのだが…でも、何のかんの途中で、そして会が終わった帰りがけを合わせると、この時点で7冊売れる。ありがとー。(T^T)うちの同窓生はいい人ばかりだ。多少そうでない例があっても、もうそう決め付ける。「いい人ばっか!」…私はその後、帰りのバスの時刻である9時までまた待ち時間になるので、2次会に参加させてもらう。外はすでに小雨。大阪は蒸し暑いので、多少濡れても苦にならない。

「英国屋」という有名な喫茶店へ。ついでにそこにいた人間が最後の3冊も買ってくれ、結果ウミウシ10冊完売。(T^T)かんどー。ありがとー。あの先生はどうしたとか、あれこれと話が弾む。みんな似たような悩みも持っている。最近の子供は打たれ弱い、私らの世代はこんなに元気なのに…みたいな話も。うちの同窓生は、みんな頭はそこそこいいのだが、能力とエネルギーを親や学校が期待する事に向けず、どーでもいい(^^)というか自分の好きな事に向けた世代。高校3年なのに全夏休みを文化祭に消費したり。そういう所が今もみんなを結びつけてるのだろう。命令された団結や、こそこそした陰口の連帯なんて長くは続かない。本人が自分の意思で、楽しく、自由に選んだ価値観や人間関係しか結局は残らないのだ。世の中がどう変わっても、「自分を失わない」という彼らの美点はそのままであって欲しい。

そのあと男性が抜け、女5人で3次会へ。こ…高給そうなパブだぁ。いいのか。ウミウシ買ってもらった身の私がこんなん入って許されるのか?  (つづく)

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大阪強行バスツアー(^^)1

あーー行って来たぞ強行軍の旅。4年ぶりの学年同窓会という事なので、千葉-大阪の長旅とはいえ、ここは一つ頑張って参加しようと思った。しかし旅費は馬鹿にならない。そこで…「前日東京からの夜行バスで大阪へ、当日参加、その日の夜に再び東京到着、千葉へ帰還」という強行スケジュールを立てた。これなら片道3,900円、宿泊費なしで済む。(^^)しかし…体力は消耗しまくる。(T^T)なんせ少しでも交通費の負担を埋めようと、ウミウシ単行本も作者直売するためバックパックに10冊詰めて背負っていったから。…始めは20冊と思ったが、そんな重量には耐えられなかった。さー、この年で自分の限界に挑戦だ。

やまくんが会社の送別会があるというので、東京出社のついでに新宿まで送ってもらう。駅までの足の問題もあるし、新宿は迷子になりやすいからね。しかし…着いたのは昼過ぎ。バスが出るのは9時過ぎだ。待ち時間の長かったこと。なんせ東京は路上でタバコ吸えないから、喫煙所を探さねばならないし。ケンタッキーをコーヒー一杯で粘り、小田急うろつき、野外ラウンジでまたコーヒー、三省堂で本を買い、ゆーーくり読んだのにすぐ終わり、吉野家で晩飯を食べ…最後にたどり着いたのは「ピース」という喫茶店。ウインドウにタバコのピースの鳩の絵が描いてある。これは…と思って覗いて聞いたら、やっぱり今時「全席喫煙」とのこと。こ、こんな良心的(^^)な店があるとは!居心地も良かったし、4時間以上の場所代と思えばコーヒー500円も高くない。

9時過ぎやって来たバスに乗車。ネットで予約、振込みで運賃先払いだから、本人確認して乗るだけでいい。しかし乗客は…20代前後の若い…しかも女の子が大半だー! 最高齢でも30代くらい。はじめ「この年で」と書いたのはそういう意味。ああ、未知の世界に来てしまった… 夜行バスと言ってもランクがあって、私が乗るのは通常シートの安いツアーだ。「らくちんシート」でも「サルーン」でもない。これで一晩は、中年では体力がもたないからどうしてもこーなるのだろう。若い子は大抵喋ってるか…ケータイやりまくっている。私の年齢まで観察はしてるまい。まあ知らん顔してよう。…バスは新宿を出発。いつまで経っても高速乗らないな…と思ってたら大阪直通でなく、東京と横浜でお客を拾ってから乗るとのこと。その間混んだ市内をグルグル走るから、揺れまくってしばらくは寝るどころではない。

東京でしばらく止まった時、飲み物も何も持ってない事に気付き、近所にあるなら買おうかと思い下車した。添乗員(おじさん(^^))の方に聞いたら「丸ビルの地下にありますよ。ちょっと遠いけど」と指差されたので走った。…見付からん。地下なんて分からん。迷って置いて行かれては一大事! と考え、諦めてすぐ取って返す。バスに帰って、「わかんないから」と告げると、今度はおじさん「じゃー東京駅のキオスクはどーですか?すぐそこ」と再び、確信のある態度で指差す。…もういいのよ。でもおじさんは毅然とゆるぎなく駅入り口を指している。この確信に勝てない!再び走り出す。地下に降りる。進んでも進んでも店なんてないか閉まってる。もうあかん、と思った時、そこにようやくキオスク…ではなくコンビニが見えた。お茶とパンをゲットして「あああ降りてきた階段どこ!」と焦りながら探し…どうにかバスに戻った。あーしんど。このツアーで一番疲れた一場面でした。

かくしてバスは無事に高速に乗る。今度こそ寝られるか(^^)とゆーと…手足も伸ばせず尻も痛く、ついでに実は先日から背中が腫れてたので背中も痛く、もはやゴーモン。ほとんど起きてた。(他の若い子達はくーすか寝ていた)2時間ごとに停車して休憩取ってくれるので、つど飛び降りてタバコを一服。はあ…真夜中だと浜名湖でも閑散としたもんねえ…などと考えつつ。バスは消灯していて全面カーテンも閉めてるので、寝る以外出来る事はないのだが、朝方ほんの少し気絶しただけでほぼ徹夜。…ぼーっとしたまま大阪・梅田の阪急三番街付近に下ろされる。ピカピカの東京と違い風景は小汚く、路上には吸殻も落ちている。ああなごむ。(T^T)懐かしや。(T^T)この生活感がいいんだ、大阪は。 (つづく)

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2008年6月24日 (火)

水素は宇宙の基本です

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080623-00000013-maip-bus_all

この記事見ましたー?(^^)マツダが水素ハイブリッド・プレマシーをリース販売開始(の予定)だそうだ。正直いらん心配をしていた。自動車メーカー各社がどんどん新型エコカーを発表しているが、路線はどれも電池自動車。しかしデザインとエンジンに死ぬほどこだわるマツダのこと、「電池」だけはやらないだろうと思ったのだ。私は何度かイベントに参加して、水素RX-8には2回ほど乗った事がある。これはロータリーエンジンを回すのにガソリンと水素、両方が使えるというスグレモノ。走ってる最中に水素に切り替えてくれる。少しも違和感はなく、むしろやや静かな走りになって快適である。しかし!最大の課題は「水素での走行距離」が短い事と、街中に水素インフラが無いことだ。(つまり水素スタンドね)せっかくエコしてもあっという間に水素が切れ、あとガソリン走行、では意味がない。この分じゃ水素の未来は遠そう、今後は「と」の付く会社にやられっぱなし…と思ったのだが、さすがマツダだった。コアな技術にはムキになる。このプレマシーは「水素&ガソリンでロータリーを動かし、それで発電してバッテリーを充電し、結果エンジンとバッテリーモーター両方のパワーで走る」…というとんでもないシステムなのだ。まさかロータリーと電池の両方を生かすなんてなー。今後の課題は(^^;)、やっぱりリース価格だろう。でも、レアメタル使わないと作れない「燃料電池車」より安く付くのは確か。

知らない人もいるだろうから一応解説。燃料に水素を使う場合、レシプロよりロータリーの方が格段に有利なのである。何故ならエンジン内部の構造が違うから。レシプロエンジンはピストンが並んでいる。このピストンの筒の空間に混合気(つまり燃料。爆発するガス)が噴射される。同じ空間には点火プラグも突き出ているので、それで点火。爆発で筒内部の空間が「ぼんっ」と広がり、ピストンが回り始める…という構造。しかし水素はあっという間に燃える…つまり燃焼が早い。なのにレシプロはプラグのある部屋に直接「危ないガス」を吹き掛ける事になる。結果、色々不安定になって危ない。これを防ぐために水素を薄めると…出力が下がる。しかしロータリーの場合、ガスの「吸気」の空間とプラグの空間は完全に隔絶してるので、直接ガスが掛かる事はないのだ。知ってる人は知ってるが、繭型の「ハウジング」という部屋の中で三角のローター(おむすび)が回る構造。つまり常に「分離した3つの隙間」が存在し、その空間もぐるぐる回るということ。この隙間が移動しながら順番に「吸気」「圧縮」「爆発」「排気」のプロセスを繰り返す。隙間がぐるっと回って「圧縮」の領域に来た時、はじめて突き出たプラグと「ご対面」するから、別に危険はないのだ。ただし「水素は圧縮比を高くするのが難しい、だからロータリー回すの大変」というイチャモン(^^)もある。でも…水素で回ってる実物に乗った感覚として、別に大変そうではなかったから、多分解決してるんだろう。

「水素は危険だ!」とか、「水素を作る方が二酸化炭素使うだろ」とか色々な突っ込みもあるので、別に水素万能とは思わないが、様々な知恵を絞れば解決する気がする。じゃー水素よりガソリンはそんなに安全だったのか。「エコ替え♪」とか言って新車に乗り換えたら、廃車の処理でよっぽど二酸化炭素出すんじゃないのか。…言い合いを始めるとキリがない。ともあれ、世間は今「温暖化をなんとかしよう」という共通目的を持ち始めてるんだから、試行錯誤色々頑張って悪い事はないと思う。(アメリカのバイオエタノール計画だけは悪いが(^^)) 今日、テレビで新たなCO2削減技術の話をやっていた。二酸化炭素がよく溶ける液体にこれを吸収させ、地中に埋めてしまうというもの。これは良さそう!…なんだが、地震でも起きて放出しちゃったらパアだ。パア以前に、大気中に2パーセント以上のCO2があると死んじゃうらしい。じょーだんではない。他に「二酸化炭素と石油でとある微生物を培養すると、メタンガスが発生して燃料になる」というのもあるらしい。どれが一番エコなのか、と考える以前に、私は「よくこれだけ色々考え付くな」と感心してしまう。

温暖化が切迫しなければ、あるいはガソリン代が無意味に高騰しなければ、人類もこれだけアイデアを出す事はなかったろう。不景気の中で新技術を開発するのは大変だと思う。しかしあのバブルの時代、カネの余りまくってた時代に、「よし、未来を考えて環境保護に投資しよう」なんて考えたカネモチが何人いたのか。…人間は、あるいは全生物は、余裕があるから進化するのではない。「どーしてもそうしなきゃ生き残れない」という状況になり、追い詰められて初めて真剣に新しい道を探すのだ。今は厳しい時代だが、この厳しさは多分「不幸」ではない。人類が「地球にとっていい生物」に進化するための、歴史の必然ってやつじゃないだろうか。そんな気がしてきたのだ。「私は不幸!」「社会が悪い!」なんて愚痴ってる奴は、多分次の時代に進めない。だからなんとかしよう。知恵を絞ろう。今が進化の時、「トカゲのままか鳥になるか」の境目かも知れないから。

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2008年6月18日 (水)

あるいは闇の終わり

あー…今の若者はミヤザキ事件を知らないのか。死刑囚がようやっと裁きを受けた。悲しいかな、私は震撼した当時の事をよく覚えてる。(- -)たまたまこの異常な犯人が漫画やビデオをたくさん持ってたお陰で、それ以来漫画やアニメ関係者は物すごく肩身が狭くなったから。この事件以降、オタクはただそれだけで犯罪者予備軍のように誤解されたり、白眼視されるようになったのだ。確かに、それ以前もコア過ぎて不気味な人間はいたし、冗談抜きで危なそうな人間もいた。でもそんなの世間にだって一定の確率でいるだろう。基本マニアはマニアに過ぎない。浅いの深いの、元気なの暗いの色んなタイプがいる。なのに「オタク」という言葉で全てがくくられ、特別なニュアンスや意味付けの色眼鏡で見られるようになったのは、まさにこの「ミヤザキ事件」が元凶だったのだ。こいつと、図に乗った偽評論家連中のせい。漫画やアニメは一種の「被差別階級」にまで落とされた。…落とされたんだよ。持ち上げられたんじゃないの。今まで「漫画やアニメが流行ってる」と言われてたのは一種の大嘘。「アキバ」「コミケ」といった、特殊なゲットーの中に追いやられ、見世物にされてただけさ。

元々、自分にない知識を持ってたり、自分の描けないレベルの絵を描く人間を嫉妬してる連中がいた。屁理屈を述べる以外芸の無い人間が。そういう奴らが、とある異常者の事件を契機にしてここぞとばかりに「そうら、漫画アニメ関係者は特殊なのだ。異常なのだ」と定義し、追い詰めて行った。追い詰められる様を20年間ニタニタ眺めていた。私は、当時「闇の最先端」にいて被害を被った当人だから、何があったか一端くらいは知っている。今「某ちゃんねる」に巣食ってドロドロ溜まってる悪の根源もこういう連中の系統だ。自分はアタマガイイと信じ、善や希望を否定するのがカッコいいと思い込み、他人を中傷するフレーズを作り出す事だけが得意な連中。何も知らん世代がそういうクソにネットで洗脳され、扇動されている様を、私がどれ程の思いで眺めてたか分かるまい。漫画もアニメも「普通の物」だったんだよ。というか本来そうなの。最近再放送やDVDを見てるんだけど、昔の漫画やアニメは暗かったですか? かつて美少女=エロなんて発想がありましたか? ガンバに正義が無かったですか? 「フェードイン」や「パイルダーオン」で燃えませんでしたか? 侍ジャイアンツはバカでも男の友情じゃなかったですか?

許し難い死刑囚がつつがなく死刑になった。良かった良かった。なのに、「死刑が多過ぎる」だの「アキバ事件の見せしめだろう」だの…一部マスコミや政治家は、この当たり前の出来事にまで文句を付けている。多分死刑囚達の味方なのだろう。同じような心情を抱いてるんだろう。(^^)としか思えん。これまで「死刑が確定してるのにいつまでも執行されなかった」事の方が余程異常なんだよ。法治国家なんだから。たとえば冤罪の可能性があり、長年主張して戦ってる人間なんかは別に考えるべきだろうが、法務大臣はそういう曖昧な事案はちゃんと執行を避けている。何の問題もない。死刑がイヤならどうすればいいと思ってるのか。問題があるというならちゃんと対案を述べるべきだ。殺人して何の反省もない人種を無期でそのうち釈放し、社会に放逐すべきとでも言うのか? それとも終身禁固にして、国民の税金で食わせ、年取ったら保険料も払わないのに無償で介護してやれと言いたいのか? 対案も出せない癖に批判だけする卑怯さはどっかの党と変わりない。

ミヤザキ事件のせいで、「心の闇」という言葉が使われるようになった。…実は私は、その定義は嘘だと思っている。こういう無差別殺人に走る奴は、不気味は不気味だが「心の闇」なんて高尚なものは持っておらず、単に「心が空っぽ」なのだと思う。持ってれば、専門家が分析すれば「どういう理由でこういう犯行に走ったのか」しっかり分析できる筈だから。むしろ、自分が何を考えているのかすら分からないのだ。事件を起せば、誰か偉い人に「この人にはこういう不幸や苦しみがあったんですねー」とか分析してもらえてステキかも、自分は凄いと思えるかも…その辺が本音なのだ。あれだけ「模倣犯」が出るのを見れば一目瞭然じゃないか。どんなバカでも真似出来るって。「心の闇!」「彼の人生に一体何が!」なんて報道が騒げば騒ぐだけ、そういうバカは大喜びするって事が分からないのか。…分からんだろうな。マスコミも同レベルだもの。

ともあれ、被害に遭った可哀そうな女の子たち程ではないにしろ、私もこいつのせいで苦しめられた人間の一人ではある。だからこの、つつがなくスピーディな(…20年でスピーディですか)死刑執行を歓迎する。秋葉原も追悼の町になった。もう「社会現象」の一言で無法を許す無責任の時代、狂気のごとき偏見と陰湿の時代は終わらねばならない。明るい話題ではないが、彼の死刑執行で一つの闇が消えた。これが闇の終わりの始まりだ。そう信じよう。

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2008年6月12日 (木)

せめて・人間らしく

久し振りの記事です。…あまりに衝撃だった秋葉原事件。しばらくはこれに関してブログを書こうとも思わなかった。知り合いにアキバ常連が多いので、当日は思わず亭主やまくんに連絡を取らせ(みんな男だからね)、無事を確認してしまった。我々だって良く知ってて、必ず通る目抜き通りだものな。幸い、直接の知り合いに被害者はいなかった。まだしも…と思ってたら、後で「知り合いの知り合いの知り合い」くらいの距離の人が一人亡くなった事を知って愕然とした。やまくんの参加してるメーリングのメンバーだったそうだ。別に直接関係は無いんだが…無関係でもない。私はしばらく凍り付いてしまった。

いくらお悔みを申し上げても、こんな亡くなり方では悔やんでも悔やみきれないだろう。今までも酷い事件は色々あったが、この事件は特別だ。犯人が…無意味すぎる。呆れ果てる。悪人として、つまり人物像として考える気さえ起きない。起こした事態の深刻さに比べ、なんて薄っぺらな思考なんだ。どう考えても犯人の性格に問題があるだろう。なのに、この事件は何故起きた?何の責任?どうすれば防げた?…と報道はすぐ「犯人探し」をする。まるで「本人以外の何かが悪い」とでも言いたげに。曰く派遣社員の不遇とコイズミ改革の責任。曰く殺傷力の高い刃物の責任。親の責任。ネット掲示板の責任。ホコテンの責任。じゃ、給料の安い派遣の人はみんな危ないとでも言いたいのか。(しかも、正社員に昇格しても理由もなく辞めてたって話)名人が作った出刃包丁は売っちゃいかんのか。25過ぎても人格は全部親のせいか。掲示板はチヤホヤする人間しか書き込みするべきでないのか。ホコテンはみんな危険地帯か。ふざけんじゃねーぞ。それなら、高校時代か何かの文集に「赤い瞳の少女」と書いてた以上エヴァにも責任があるわな。

あと、「ゲームをやってた」「カーマニアだった」なんて事を強調する報道もあったが、今時ゲームくらい誰だってやるだろ。それと「カーマニア」と名乗るのが正直許せない。車が好きだったというが、絶対あれはカーマニアではない。一度自殺を図ってスポーツカーに乗ってどこかに突っ込み、それ以来車を失ったという話だし、犯行にも使ってるからだ。私は隣に「本物のカーマニア」がいるので良く分かるが、マニアなら愛車を自ら破壊するようなマネは死んでもやらない。車好きとは、ちょっとした擦り傷がついても「がががーん!」と嘆き悲しむような人種なのだ。…車ではないが、とある伝説のバイクマニアの話。転倒した時、自分の体をクッションにしてバイクを守り、バイクは無事だったが自分は大怪我をしたという。その時の彼のセリフ。「傷はなめてりゃ治るが、バイクはなめても直らん」…何かを大事にする人間なんてそこまでケナゲなものだ。犯人は仕事が不安だとか彼女がいないとか、色々周囲の責任にしてるが、あれが仕事にしろ恋愛にしろ車にしろ、「何かを大事にしてた」とはとても思えない。

掲示板に書き込むのが生きがいだったような事も言ってるようだが、たとえば落ち込んだ事を書いて、親切にも励ましてくれるレスが入った時だって…更にひがむ。思いやりに感謝する気も無い。そして非難されたら「そらきた」とばかりに社会に対して凶暴になる。ここまで来ると掲示板持つ事自体がインネンだ。何もかも人のせいにしてインネン付ける以外楽しみがなかった、という事でしかない。もちろん、人間は周囲や社会に影響されて生きている。でも「社会」に人格がある訳ではない。社会は単なる物理現象の一種だ。その物理現象が思い通りにならなかったら生きていけない…というなら、そもそもこの世界に生まれて来るべきではないだろう。空が青いのにも地球が丸いのにも不満がある、というのと同じだ。どうも自分の心、というものを自分で理解したり、調節したりする能力が全く無かった人間のように思える。

心というのは、どこかの誰かが勝手にメンテしてくれるものではないのだ。自分でコントロールしない限り。それの分からない人種が今時増えてるなら…確かに恐い現象ではある。でも、この事件のおかげで「自分で幸せになろうと努力せず、なんでも人の責任にする人間の末路がどうなるか」はっきり示されたかも知れない。人間は、人間らしく生きたいと思っているから人間でいられるのだ。自分らしくありたいから自分でいられるのだ。それを失ったらもはやただの「人型生物」でしかない。報道が何でも政治のせいにするのも、自分の意思より占いやランキングを信じる人間が多いのも、最近はある意味「自分自身を見失う」傾向が強いという事じゃないかと思う。だから、警鐘を鳴らすならそこに鳴らしてください。天は勝手に誰かを世界の王にはしない。たとえどんなに政治が良くても。占いが最高でも。

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