毛糸のパンツの大冒険。
これは私の、子供の頃の記憶の中で一番古いものだ。(^^)…生まれは、大阪のとあるボロい「文化住宅」だった。文化住宅というのは、関西の高度経済成長期にボコボコ建てられたアパートの名称である。どこか「文化」かというと、長屋と違って「一軒ずつ別にドアとトイレが付いている」というだけ。風呂はない。ドアが違うというだけで壁は長屋並みに薄いから、お互いの生活音も筒抜けで、実に隣近所のフレンドリーな(^^;)環境。…記憶ではちょっと石段を下った、湿っぽい窪地にあった。幅30センチほどの裏庭は完全に日陰で洗濯物が乾かない。だから階段の付いた共同物干し台があり、子供たちの遊び場になっていた。(私はよく転げ落ちた)…まあ、つまり表通りからは目立たない場所だった訳だ。
もう顔も思い出せないが、隣だかその隣だかに同年代の男の子がいて、よくその子と遊んでいた。まだ幼稚園に上がる前だったと思う。幼なじみ、生まれて最初のボーイフレンドだな。(^^)でも、まだ男女の違いなんて理解してないからただの友達だ。…ある日、何がきっかけかは不明だが、私はその子と一緒に「遠い所に行ってみる」事になった。物干し台にも飽き、穴倉のような自分の家を離れて冒険してみたくなったんだろう。…文化住宅の石段を登り、てくてく歩き出す。歩く。歩く。ただ歩く。ほんの近所は知ってるが、それより遠くは見た事がない。何の変哲もない町なのに、小さい子供にはただそれだけで未知の世界への大冒険だった。
幼稚園以下の子供だからお小遣いなんて持ってない。もちろん交通手段は使えない。…だんだん疲れてくる。雨上がりだったのか、道には水溜りも出来ている。根性で隣町くらいまで来たのかな。「もう帰ろう」という話になった。…今度は逆に歩き出す。日がゆっくり傾いてくる。おかしい。こんなに遠かったっけ…歩いても歩いても知ってる場所に出ない。疲労すると、帰り道が遠く感じる事なんかその年では分からなかった。二人で手をつないで…だんだん涙ぐんで来る。足が重くなる。ついに私は水溜りでこけた。
その当時…というか小学校に上がるまで、私は母の手製の「毛糸のパンツ」を履かされていた。(^^;)すぐ寝冷えしたり、お腹を壊す子供だったらしい。だからその時も毛糸のパンツ。それで水溜りに突っ込んだんだからたまらない。パンツぐっちょり! 気丈な幼女の私も、ついに「びえーっ」と泣き出した。男の子困る。こんな気持ち悪いんじゃ歩けないよう! で、どうしたかと言うと…パンツ脱いだ。(^^;)脱いだパンツを片手にぶら下げ、さすがにもう手はつながず、更に二人は歩き続けた。つまり…人通りの多い町の中を、下半身すっぽんぽんの女の子が、男の子と一緒に泣きながらてくてく通過していく…という光景だった訳だ。日がもう赤くなってきた頃、やっと自分の文化住宅に辿り着いた。家の前では大人たちが騒ぎになっていた…ような気がするが、その辺はもう思い出せない。ただ大泣きしながらも、自分の足で冒険し、自力で帰って来た事に私はちょっと満足していた。
小さかったとはいえ。(^^;)…見せびらかしながら町を歩いたんだもんなあ。それでも無事に帰って来れたのは、まだ時代が今ほどすさんでなかったからかも知れない。大人は誰も助けてくれなかったが、悪さをしようともしなかった。子供にとっていい環境って、そういうもんじゃなかったかと今でも思う。
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