扁桃腺物語。
これは、私の人生を大きく変えた、扁桃腺手術の物語。(^^)
小さい頃…私はすごく病弱で、食も細かった。ご飯時になると逃げ回って、母は苦労させられたそうだ。学校でも食べるのが遅く、給食がいつまで経っても終わらない。昼に掃除をする事になってたから、まだモソモソ食べている私の机だけを残し、当番が他の机をガタガタ後ろへ下げてしまう。始まった掃除の横で、取り残された私は1人半泣きのまま給食を食べ続ける。…その上頻繁に40℃近い高熱を出した。扁桃腺が弱く、すぐに腫れるのである。母は夜中に医者に走らされる事もしょっちゅう。相当参っていたようだ。
…で。最近はあまり勧められないようだが、当時は「扁桃腺手術」がすごく流行っていた。流行ってたと言うと何だけど、ちょっと熱を出す子供がいるとすぐ「切りましょう」と言う医者が多かったのだ。そんな訳で、ついに私の母も医者に手術を相談した。かしこまっている私と母を前に、耳鼻咽喉科の医者は難しい顔で言った。「お子さんを歌手にするつもりはありますか?」…はあ?私はあまりの唐突さに目がてんてん。母はそんなつもりは無かったし、私も将来漫画家になるつもりだったので、「ないです」と答えた。医者が言うには、扁桃腺を取ってしまったら歌手になるのは無理なんだそうだ。今は扁桃腺切除のデメリットとして「風邪を引きやすくなる」「免疫が弱くなる」なんて言われてるようだが(そんな事はない、という解説もある)、私にとって扁桃腺はただ歌手への登竜門に過ぎなかった。(^^;)…そんな訳で、手術する事になった。
局所麻酔で、意識があるまま口を「あんが」と開けさせられ、口の中に冷たい金属の鉗子やメスを突っ込まれる。「痛くない?」「はがはが」…痛くは無いが、目の前で自分の体の一部を切り取る所を目撃させられるのだから、ショックは並大抵ではない。手術は無事終わり、私の扁桃腺とアデノイドは切除された。やがて医者はホルマリンに漬けた扁桃腺を見せた。…スモモくらいある。でけえ。こんなんが無くなったのか。医者には切ったモノを家族や本人に見せる風習がある事をこの時知った。…あれってどーなのと思うけど。(- -;)
しばらく学校は休み。一週間ほど、痛くてつばも飲み込めなかった。というか「つばを飲み込んではいけない」と言われた。一々口を洗いに行くから大変である。喉の中には甘苦い薬を塗られる。これがヒジョーに不味くて食欲も沸かない。ただ、何故か「トマトジュースだけはいい」と言われたので、数日間主食はトマトジュースになった。…実は、それまで私は好き嫌いが多く、トマトジュースも大嫌いだったのだ。なのにこの時飲んだトマトジュースの美味しかったこと。(^^;)…食料それだけだったからかも知れないが、私は自分の食が変わったのを感じた。
さーそれから。…私は完全に人格が変わった。ゴハンがうまい。何杯でも食う。好き嫌いも無くなった。給食はクラスで一番に食べ終え、他の肉の嫌いな子供が残してたら「それちょーだい」と意地汚くもらって食べる。熱も出さないから元気一杯。うまくはないが歌もちゃんと歌える。病弱な美少女(?)は、活発でやかましい関西のガキに生まれ変わったのだ。してなければ、全く違う人生を歩んでいただろうと思う。…ただし手術をしても「相変わらず熱も出すし、デメリットの方が大きかった」という人もいるようだ。これは体質によると思うので、万人がそうはならない事をお断りしておきます。<(_ _)>私の場合は体が適合した。
ただまあ…障害物がなくなり、喉鼻が弱くなったのは確かなようで、小学6年くらいの頃は「アレルギー性鼻炎」が酷くなった。しょっちゅう鼻が詰まり、授業中だろうが見境なくハナをかむ。机の上は鼻紙だらけ。ついに「鼻の神」というあだ名が付いた。(- -;)おかげでシリアスしてても通じなくなったので、それ以来ギャグ志向になった。…という深刻なデメリットはあったものの、大人になってこれも治ったし、歌手にもならなかったし、何よりメシがうまい人生になった事は今でも感謝している。
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