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2011年3月29日 (火)

レンチキュラーってアレの事だよ。

レンティキュラー。もしくはレンチキュラー。…ぱっと聞いても何の事だか分からない。(^^)実はこれ、昔シールやワッペン、バッジなんかによく使われていた、「角度を変えると絵が変わるやつ」の名称なのだ。…そう、透明のスジスジの入ったシートの下に絵があって、1枚で2個以上の図柄が見られる、アレ。まさか…あれがそんな難しい名前だなんて、調べるまで知らなかった。(あまり知られてないとは思うが)今はネットにこの「レンチキュラー」を製作する会社が載っていて、頼めば自分の好きな図柄をレンチキュラーにしてくれるらしい。どころか、スジスジのシートだけ買い、フリーソフトで図柄を製作すれば、自分の家のジェットプリンタでレンチキュラーが自作出来てしまう。パソコンは万能だなあ。…しかしオモチャやおまけの範疇では、これが最近とんと見掛けなくなった。

私は知らないが、日本のレンチキュラー…「変わり絵」の元祖は、昭和35年に大ブームになった「ダッコちゃん」の目玉らしい。角度によって片目が開いたりつぶったりしてウインクする。当時はまだこのレンチキュラー印刷の技術が難しく、本物のダッコちゃんはウインクするが偽者はしなかったという。自分の一番古い記憶のレンチキュラーは、ハイアースという殺虫剤のオマケに付いていたバッジだ。ちなみにハイアースは水原弘でおなじみ、昭和レトロ看板の代表の一つ。当時はこのオマケバッジの効果もあって大人気だったと思う。バッジの絵柄は何かというと…「巨人の星」(^^)。星飛雄馬と伴宙太が交互に出て来るの。そんなん交互に出されても…とは思うが、なんたって絵が変わるだけで子供は嬉しかった。…その他に記憶にあるレンチキュラーといえば、アニメ「ひみつのアッコちゃん」のコンパクト。無論1970年頃の第一作な。これは大ブームになり、アッコちゃんの変身コンパクトは女の子の憧れの的だった。私も「欲しい欲しいー!」とワガママ言い倒し、何とか買ってもらった。飛び跳ねるほど嬉しかった記憶がある。アッコちゃんはコンパクトを開け、鏡に自分の姿を映して変身するのだが…このオモチャのコンパクトの鏡の部分に貼ってあったのが、キャラクターの絵が変わる「レンチキュラー」だった訳だ。でも…よく見るとこのコンパクト、アニメと全然デザインが違う。形もスリムでなく、ぶっとい厚みがあって「中に宝物を入れましょう」みたいな箱仕様になってる。これ、コンパクトと違う…(- -;)と気付いて夢破れた私は、やがてレンチキュラーを剥がし、ただの物入れとして使用した。

あと、記憶にある「市販のレンチキュラー」は、カバヤの「ジューC」というお菓子の蓋だ。大抵のレンチキュラーは全然違う2つの絵が現れる物だったが、このジューCの蓋は少し違う絵を重ね「2コマアニメ」になっていたのだ。例えば目玉がまばたく、鳥が羽を上下に羽ばたく、蕾が花になる…みたいな。これは…感動した。ただそれが見たくてよく買った。やがてジューCのパッケージデザインは変わり、レンチキュラーの蓋はなくなったが、ここから学んで(^^)教科書なんかによく「2コマアニメ」を落書きした。私はこれでアニメーションの原理を知ったのだ。…癖は治らず、高校の頃には教科書の隅に大長編パラパラマンガが描かれていた。(^^;)…が、まあそれは余談。

一時期これだけ知られたレンチキュラーが、なぜ最近世間の商品から影を潜めたかというと…印刷が難しく「経費が掛かるから」というのが理由らしい。(- -)じゃあなんで昔は経費を惜しまず、あれだけオマケに付けられたのか。噂では「ダッコちゃんの目は職人が手で描いていた」という話もあるから、要は人件費が上がったという事かも知れない。レンチキュラーの原理は…まあこんな記事より専門サイトで調べた方がいいと思うが(^^)、要は透明シートのスジスジがレンズになってるので、その下に細ーく分割した別の絵を交互に並べると、見る角度でレンズ右側のAの絵は見えるが、左側のBの絵は見えない…みたいな現象を応用したものだ。つまりスジシートの下は「細ーい絵のパーツ」だ。しかし一つのスジの幅は平均規格で0.4㎜ちょっとと言うから…その半分、0.2㎜にほんとに手で絵を描き込んでいたのか(^^;)どうかは定かでない。

レンチキュラーは変わり絵だけでなく、アニメーション、そして視差(右目と左目の角度差)を利用して立体映像なども作れる。技術や経費のある人は、自作するとかなり楽しめるだろう。…そんなん特にない私は、子供時代に作った「おっきなレンチキュラーもどき」なら語れる。(^^)昔、そういう付録があったのだ。あれがそうだと当時は気付かなかったが、今にして思うと原理はレンチキュラーだ。…まず紙に、1cmくらいの同じ幅の線を引いて切り込みを入れ、台紙にする。次に、この台紙の切り込みより小さい幅の紙を交互に切り込みに通し(縫い物みたいな感じね)、台紙から覗いてる部分に絵を描く。台紙には描かない。…で、一つ幅をずらし、今度は台紙に隠れてた部分に別の絵を描くのだ。通した紙を引っ張ると…交互に別の絵が出て来る訳さ。(^^)ただし台紙の部分は隠れたままだから、ちょっと欲求不満は残るけどな。子供の頃、「なんでこんな牢屋の格子みたいな、半分隠れた絵を引っ張らせるんだろー」…とか思ってた謎が、今ようやく解けたということ。

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2011年3月27日 (日)

もう一人のやま少年。

やまくん小学三年生。…小学校のプール。その頃やま少年は泳げなかった。(^^)

友達が、からかい半分にやま少年に言った。「おい、お前クロールできるか?」…そんなの出来るわけがない。でも意地っ張りなやま少年はムキになり、「できるわい!」とデタラメに手足をバタバタさせ、泳ぎ始めた。泳ぐつもりが…沈んでいく。あれ?息が出来ない。苦しい。やま少年は溺れ始めたのだ。いけない、このままじゃ死んでしまう…

ふと気付くと、やま少年は「溺れている自分自身」を眺めている自分に気付いた。水中でバタバタしている自分のやや上方、後ろに「彼」は浮かんでいたのだ。…いわゆる幽体離脱。あ、あんな所に僕が…と驚き、またふと気が付いた時、彼はどうにかプールの端にたどり着き、ゴホゴホしていた。助かったのだ。自分がいつ体から抜け、いつ体に戻ったのかはよく分からなかった。

一度抜けると「抜け癖」がつくらしい。…それから数年間、やま少年は気が付くと体から抜け出し、寝ている自分自身を眺め下ろしている事があった。夏、吊ってある蚊帳の上から見ていた事もある。寝ている時にだけ起きるようだ。でも、浮いている場所から遠くへ行こうとは思わなかった。あまり自分の体から離れると、そのまま戻れなくなる気がしたのである。…やがて彼が成長するとこの現象はなくなった。今でも、この出来事は彼にとって幼い日の幻のように思える不思議体験である。

(蛇足。寝ている時に幽体離脱する。これがもし私だったら、きっと学校の授業中(^^)に抜けていただろう。)

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2011年3月25日 (金)

オカルトな母の話。

実は… 私の母親はオカルトマニアだった。(- -;)

物心付いた頃から、とにかくテレビで怪奇物さえやっていたら、「あっオバケのオバケの♪」と必ずチャンネルを合わせて見ていた。当時は「文化住宅」という名の狭い長屋に住んでたから、当然部屋は1つしかない。親がそれを見ちゃうと子供は逃げ場がない。(- -;)私はそんなに好きじゃない…というか恐くて嫌いだったんだが、母は絶対容赦してくれなかった。見終わって家族全員布団に入っても、子供の私だけさっきのテレビが恐くて眠れない。…一度「恐いよー」と起き出して母の所に行ったら、一言「うるさい!」と怒ってまた寝てしまった。(- -)母は読書も好きだったが、そんな訳で読んでる本も…そーいう系ばかり。ちょっとソフトでもミステリー。時代が下って私が中学の頃には、棚には横溝正史の角川文庫がほぼ全巻ずらーっと並んでいた。表紙の絵が杉本一文という人で…これが美しいんだがすごく恐いの。(^^;)一度どこかで見ていただきたい。もうかなりトラウマだった。

で。そんな母だから、子供の私によく「人魂を見た話」を聞かせた。夜の田舎道を歩いていると、こーんな(手でボール大を作る)大きさの青白い光の玉がスーッと飛んで行って…ある家の屋根の上にスポンと入った。そしたら翌日、その家の子供が死んで…どうのこうの。こういうエピソード自体はよくあるらしいが、母が語るとこの話の最後に「キレイだったー♪」という感想が入るのである。(- -;)…青白い人魂はキレイらしい。でも、「わーキレイで良かったねー♪」だの「私も見たいわー♪」…なんて相づち入れられますか。どうリアクションしていいか分からず、「そ」と言って固まるしかない私だった。

今は母も年を取ったが、読書欲は健在である。祖母の葬式の際にうん十年ぶりに帰省した時、今は図書館で借りまくって海外物のミステリーばかり読んでいると言った。「私の読む本は、最低5人以上人が死ぬ」とか平然とのたまわった。(- -)…でも、そんな強靭な母がガンと診断され、手術する事になったのだ。あわててもう一度帰省し、病院で他の親類たちと手術まで付き添った。元気そうだったが、不安を紛らわすためかいつも以上によく喋る。(普段だってよく喋るが)…葬式なんていらないとか、墓になんて入りたくない、みたいな豪胆な事を言った後、彼女はとんでもねー発言をしたのだ。

「だいたい、私はオバケなんて信じてないから。人間は死んだら終わりだから」

…なにー! お岩さんやら心霊現象やら恐い番組を見まくり、私におとぎ話の代わりに人魂話をしまくったあんたが…なにーー! あまりの宗旨替えに思わず突っ込んだら、「あ、そーだったっけ。」とシレッと目線を逸らすのだった。この人って死なないんじゃないかなーと思ったら…

ほんとに手術は大成功し、初期だったのかガンもキレイに取れたそうだ。母は今も元気である。…この際だから、オバケを蹴倒してでも末永く元気でいて欲しい。(- -)

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2011年3月22日 (火)

「お」の付く飴細工のこと。

小学校低学年くらいの思い出だと思う。…いつ、どこでは思い出せない。

道ばた。飴屋のおじさんが、色々な飴細工を作る路上パフォーマンスをやっていた。子供たちがその周囲にわんさか集まって、おじさんの作業を眺めている。私も入り込んで見た。…割り箸の先に柔らかくした飴を付け、指で形を作り、金バサミのようなものを使ってちょんちょんと切り込みを入れ、それをまた伸ばし、変形させ…ただの飴の固まりが、かなりリアルな動物の姿になっていく。見事な腕前。あまりハッキリした記憶はないが、馬か何かを作ってたのかな。屋台にも数多くの見事な「飴」の動物が刺して陳列してある。子供たちもすっかり感心して見入っている。無論私も。…どうやら、リクエストをしたら「飴でなんでも好きなものを作ってくれる」らしい。こ、これは頼まない手はない!…しかし、恥ずかしいのかあまりリクエストを言い出す子供はいない。私は手を上げた。その当時から恐いもの知らずというか、肝がすわってるというかデタガリというか…まあそーいう性格だった。(^^)私の見たかった飴細工は一つだった。

「女の子作って!」

…その頃は少女漫画をよく読み、お目々パッチリの女の子の絵なんかを描いていた。そーいうのを作って欲しいと思ったのだ。つまり美少女フィギュアの飴細工な。(^^)動物専門かな、とも思ったが、女の子だって植物じゃないんだから動物だろう。それにだめなら「だめ」、出来ないなら「出来ない」と言われるだろう。取り合えず言ってみようと思ったのだ。…おじさんは断らなかった。黙って新しい赤い飴を割り箸に付け、ひねり始めた。…ひねる。なんか時間が掛かっている。今、女の子のどの部分を作ってるのか良く分からない。じっと見つめる。やがて飴の一部をつまみ、むにょんと引っ張って曲げ、垂らすような部分を作る。「あっ、これ女の子のポニーテールだ!」と思った私は更にワクワクして眺め続ける。…ちがう。女の子になっていかない。あれ?

やがて、「ほらよ」とおじさんが私に手渡したのは…ニワトリだった。つーかオンドリ。あのポニーテールは、オンドリの立派な尾羽に変わっていたのだ。…え??

おじさんは、飴を出しながら頑として動じない表情で私を見つめていた。その時、私は悟った。今、私が「これ女の子じゃないじゃん!」と突っ込んだら、このおじさんは「え?オンドリつったんじゃないの?」…と言い返すであろうという事を。

全く納得のいかないまま、しかしおじさんを追求する事もできず、私は別に欲しくなかった「オンドリ飴」を買い、なめなめ一人帰ったのだった。さすがに美少女は作った事がないのに、職人の意地にかけて「そんなん作れねえ」とは言えなかったのかなー、あのオヤジ。(- -)…飴は形が形なんで、とってもなめにくかった。

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2011年3月20日 (日)

昔々、ある所にカラーテレビが…

さすがに昭和初期のテレビなんて知らないが。(^^)物心付くか付かないかの頃、家中がテレビの事で大騒ぎしていた記憶がある。…その当時は真空管の、おっきな箱型の白黒テレビだった。もちろんリモコンは無いからチャンネルは手でカチカチ回し、スイッチを入れても暖まるまでしばーらく画面が映らない、あれ。それが壊れ、映らなくなったというのだ。調べてみたら、故障の原因は…ネズミだった。(^^;)テレビの内部にはかなりの隙間があり、おまけにいつも暖かいので、中にネズミが巣を作り、オシッコこいたのが原因だったのだ。まあ牧歌的と言うか何とゆーか。

別にテレビそれ自体は珍しくも何ともないが、白黒からカラーになり、小さくなり薄くなり、プラズマや液晶が現れ、地デジ化し、3Dが登場し…形態や機能はどんどん進化していく。でもやはり、白黒からカラーに変わった時のギャップが一番大きい。確か田舎にいた頃、初めてカラーテレビを目撃したのかな。近所のお金持ちのおばさんちが村で一番早く導入した。特に用事もないのに遊びに行って、カラーテレビを眺め「へー」とか感心したりして。(^^)…その後、町に戻ってもカラーはなかなか買ってくれなかった。確かにカラーは羨ましかった。移行期にはカラー放送と白黒放送の両方をやっていて、カラーの番組は画面の隅っこに「カラー」と出る。あれは「えっカラーなのにまだ白黒で見てるの?」というアオリだよな。(^^)地デジ化してないと画面に「アナログ」と出るのと同じ。

その当時…あまり記憶が明確じゃなく、家で見たのか、店で見たのかも覚えてない。…が。「おたくの白黒テレビをカラーテレビに!」というアイテムがあった。何かというと、これが色の付いた透明のアクリル板みたいなの。(^^;)つまり…サングラスと一緒。白黒テレビに被せると緑なら緑、赤なら赤の一色だけ色が付く。それカラーテレビじゃないからー! カラーテレビってのは色んな色が出るやつだからー!…と子供心に思ったが、庶民はそんなんを買って見たりしたんだな。「なんか違う…」という気持ちを一生懸命抑えながら。

余談。(^^)やがてうちもカラーテレビ(すげー小型だった…)を手に入れ、人並みにカラー放送で育った。でも上京して四畳半で独立した時は、さすがに親のテレビを奪って持って来る訳には行かなかった(^^)から、現地のリサイクルショップで小型の中古テレビを買った。1万くらい。もちろんカラー。もういちいち「カラーテレビ」なんて呼ばない訳だが…これが中古だけの事はあり、そのうちカラー調整がおかしくなってきた。だんだん全体が黄緑色に偏って来る。始めは「やや」だったが、だんだん酷くなる。そのうち赤も肌色も分からない、単色の真緑状態になる。…どっかでこんなの見たような。その時、あの「色板を被せただけの偽カラーテレビ」の事を思い出したのだった。結局それに戻ってしまったのかなー(T^T)とか思い。私が「緑しか出ない」と文句を言ってたせいか否か、中古テレビはやがて画面の一部に「赤紫色」が被るようになってしまった。…緑と合わせるともう茶色。(^^;)見てらんない。その頃から私は…テレビ嫌いになった。今の液晶なんかの画面は、そんなたまげた壊れ方は決してしないんだろうけどな。技術がいかに進歩しても、それを買えなきゃ意味がないというお話でした。(^^)

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2011年3月17日 (木)

小さ過ぎる命。

母の実家の田舎にいた時。…まあ昔だし、元々古い農家なので、長いこと火力は薪だった。ご飯もお風呂も薪で焚く。ご飯の火力にはそれなりの技が必要(^^)なので、私は触らせてもらえなかったが、風呂の火の番はよくしていた。じいさんが短くした丸太を斧でパコンパコンと割った薪が、くくられて家の裏に積んである。火付け用の細い枝をまとめた物もある。それらを使って火を焚く方法を、子供ながらに覚えていた。

薪はいきなりあぶったって火は点かない。かまどに数本太い薪を入れた後、上に細い小枝を適量突っ込み、更に新聞紙を丸めて隙間に入れる。マッチで火を点けるが、この時点で燃えるのは新聞紙だけだ。紙だから勢い良く燃え上がるが、すぐ消える。燃えているうちに小枝に引火させねばならない。小枝は細いだけあって乾燥してるから、これもすぐ火が点く。火力が上がって来たら、更にその上に薪を乗せ、今度は本格的に薪を燃焼させる。…割って積んで乾かしてあるとはいえ、元が生木だからこれだけやらないと中々燃えないのだ。松が多かったから、燃え始めるとヤニが染み出し、火力が上がる。そこまで来たらもう普通に他の薪を突っ込んでも大丈夫。…子供ながらに火掻き棒を持ち、薄暗い風呂かまどの前にしゃがんで、真っ赤におこったオキを見張りながら火力を調節する。自分にそれが出来る事がある意味楽しく、誇らしかった。だからよく頼まれもしないのに火の前にいた。

ある夜。かまどの土間にしゃがんでいた時、ふと足元を見ると、小さな変な物体が落ちている。1㎝ちょっとくらい。ピンク色。うごめいている。なにっ!?…ともう一度よく見たら、それは確かに何かの赤ん坊…いや、「胎児」のような形をしていた。…胎児。目を閉じ、小さな四肢をちょこんと出したあの姿。人間も、他の動物も、母親のお腹の中で発生し始めた頃は似たような形をしている。どこで見たんだか忘れたが、その頃はもうそんな事を知っていた。…まさか人間の子供?…って訳はないだろうから動物だろう。でも、見た目はそれもこれもそんなに変わらない。何の子供? …うごめいている。毛のないピンクの皮膚のまま、土間であがいている。このままじゃ死んじゃう。なんかドキドキしてくる。何か食べさせなきゃいけないんじゃないかな? ミルク? …でも何の動物か分からないのに、普通のミルクなんか飲むんだろうか? …助けてあげたいが、どうすればいいか分からない。第一触るのが恐い。「おばあちゃーん!」…そのまま祖母に知らせに行った。

良く覚えてないが、多分「そんなもんネズミの仔だろうから放っておけ」とか言われたような気がする。…ネズミだったら、助けたら家の迷惑になるかも知れない。がっかりし、助けられなかった罪悪感に少々苛まれた。気が付いたらもういなかった。誰かが捨てたのかも知れない。…でも、たとえばネズミだとしても、多分まだ生まれた直後か生まれる寸前、くらいの小さいやつが、一匹だけ放り出されてた理由は何なんだろう。その理由は大人になった今でも分からない。

真っ赤なオキの照り返しの中、「命は大事だ」と教えられたのに、放置するしかなかった小さ過ぎる命が、足元の土間の上でうごめいていた姿は今でも忘れられない。 

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2011年3月15日 (火)

地震の時に来たもの

東日本大震災。亡くなられた方に心からのお悔やみと、被害を受けられた方に心からのお見舞いを申し上げます。この震災は、日本の、あるいは世界の全ての人間にとって人事ではありません。どうか負けずに頑張って下さい。

これは…正確に言うと「珍しいものを見た」ではなく、「聞いた」のだが。

私は千葉在住。…その日、買い物から帰り、さあ一休みと思った瞬間だ。グラグラ来た。…え。地震。でもしばらくすれば収まるだろう。…収まらない。長い。まだ続いてる。しかもだんだん大きくなる。電気が消える。これはまずい! ストーブを消し、身構えて家具の様子を見る。物が落ち始める。…しばらくし、ようやく少し収まった。が、停電は続いている。やれやれ、えらい事になったな…と落ちた物を拾い始める。食器は割れてないが落ちかけている。ビンが倒れて中身がぶちまけられている。それを一通り元に戻した頃…再びグラグラ! 余震だ、あわてる事はない、と思いたかったが、これが「さっきのよりでかいんじゃないの?」と思うほどきつい。さっきのが落ち、新たにDVDデッキが落ち、籠がひっくり返り、紙片がぶん撒かれる。…少し収まる。また片付け直しだ。微妙な揺れは続いてるし、これはちょっとテレビで確かめなきゃ、と思うのに停電で付かない。携帯は繋がらない。パソコンでネットを見れば「大きな地震があった」事だけは分かるが、停電でバッテリー仕様になってるから、あれこれ探してたらすぐバッテリーが上がってしまう。…今回はそう簡単に停電が復旧しない予感がする。後々を考え、取り合えずパソコンを落とす。

町内防災無線の受信機が置いてある。一局しかないラジオみたいなものだ。これは停電してもしばらくは大丈夫。それが低く唸り始め…「おっ、地震について何か言うか?」と期待して耳を澄ましてたら、いつも午後3時に時報代わりに鳴る「恋は水色」が流れただけだった。…なんだがっくり。(- -)防災無線なのに、いつも情報遅いんだから。…そーだ、2階がどうなったか見てなかった!と今頃気付く。上がってみると…うわぁ。物は壊れてないようだが、積んであったプリンタ用紙が部屋真っ白に散らばってるじゃないか。まだ揺らめいてる部屋の中、一生懸命拾ってたら…

何か、広報車のスピーカー音みたいのが遠くから聞こえる。あ、さすがに役場が、町内を心配して見回りに来たのね!…と思って耳を澄ます。聞こえてきたのは、

「♪パーフィ~~~…」 豆腐屋の音だった。

思考が真っ白になり、そのまましばらく固まった。「豆腐の移動販売中です」というおっさんの声も。録音だろうけど…なぜ今。この地震の今。いつもは滅多に来ないくせに。車だと地震があまり分からないというが… いくら何でもアレは分かるだろー。それとも豆腐屋が地震から逃げようと、とっさに商売の車で走り出したのか?…しかし「♪パーフィ~」はゆっくりと、余裕たっぷりに通り過ぎる。窓を開けたけど、うちからは見えない。このユラユラしてる時に、外に走り出して本体を探し出し、「おっさんこの非常時に何やってんねん!」と叫ぶ根性までは…さすがに無かった。(- -;)

よって、あの豆腐屋が何だったのかはいまだに分からない。幸いうちの方にまで津波は来なかったから…流されてはいないと思うんですけど。

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2011年3月12日 (土)

緊急連絡。

大地震が発生してしまった。ここを見てて下さったみなさん、ご無事ですか。うちの近辺は大した被害はなく、停電していたがそれも一夜明けて復旧した。この所、ほぼ毎日このブログに記事を書いてたけど、こういう事態なのでしばらく休止します。ここは近況報告が趣旨のブログではないので。私個人の近況は、HP「生玉荘」の日記掲示板「廊下の壁」に書きます。ご興味がおありの方はこちらへ。↓

http://www3.ezbbs.net/23/ikutama/

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2011年3月11日 (金)

まあ子供にそんなアニメをっ

この話は…まあちょっと番外編という事で。(^^)昔のアニメに詳しい人しかピンと来ないかも知れない。

私は「ルパン三世」のファースト、あのいまだ評価の高い作品のテレビ放映の前に…伝説の「パイロットフィルム」を見た記憶がある。確かだ。気のせいではない。…まだ小さかった。私は幼稚園の頃から「漫画家になる!」と豪語し、漫画大好きだった。それで私が喜ぶと思ったのか、母親がある日アニメのイベントに連れて行った。…というか、何かのイベントの前座だったのかな。そこで見たのだ。まあ当時の呼び名は「アニメ」でなく「テレビまんが」だが。テレビで放映するものはテレビまんが、劇場アニメは劇場まんが、もしくは長編まんが。世間の認識では漫画とアニメの間に見境はなく(^^)、「どちらも同じ子供向けの、つまらないもの」程度に思われていた。そのくらい軽んじられていたのだ。…アニメ全盛時代に生まれた人たちには信じられないかも知れない。

そんな時代、世間の偏見をぶち破る大人向けアニメとして製作されたのが「ルパン三世」だ。…といってもその後いろいろ紆余曲折がある。(^^)ファーストシリーズはクオリティは高いものの、「子供ウケ」せず視聴率が低迷し、打ち切りとなった。それが再放送で高年齢層に火がつき、人気となって第2シリーズやその後の作品が作られる。つまりファーストのルパンが一番「大人向け」な訳だが、このファーストのテレビ本放送前に「パイロットフィルム」が作られていた。そのクオリティは半端でなく、キャラクターも更にハード。視聴者でなく、原作者や関係者に見せる為のプロモーションだったのだ。いわば「ルパンの原点」である。…伝説にはなっていたが、一般にそれが流れたのは私がもう上京してた頃。ファーストの20年もの後である。なのに…私はそのパイロットフィルムの内容を確かに「見た事があった」。

…以下はおぼろげな記憶である。そのイベントは、割と小さい劇場のような場所で行われていた。舞台では司会のおねーさんがマイクを握っており、アニメのキャラクター型に抜いた立看が3つばかり並んでいた。一番右端が「ルパン三世」。走ってるルパンの足元に土煙が立ってるような図柄だ。あとの二つは…どーしても思い出せない。ルパンと違い、普通の子供向けアニメだったと思う。おねーさんが「これから始まる、新しいまんがを紹介しまーす♪」みたいな解説をする。やがて幕が降り、試写会のようなものが始まる。…ルパン三世。いきなりマシンガン撃ちまくり!ええっ? その後…まあこれは今は動画サイトに上がっている(^^)ので、内容はそこで見て欲しいが、銭形が将棋の駒をぶん撒き、ルパンが笑い、次元が撃ち、五ェ門が跳び… 人はバンバン撃たれるわ、不二子は全裸でベッドにいてルパンが飛び掛るわ。子供の私は考える。「全然、おねーさんの雰囲気と違うやん。まーあたしはこのくらい平気だけど(←生意気)、こんなの子供に見せちゃっていーのかしら」…母親は「失敗した!」と思ったんじゃなかろうか。良く分からんが。

そしてテレビ本放送を見る。オープニングは何度も変わったが、あそこで多く使われていたのがパイロットフィルムだ。特にルパンの登場人物の紹介ナレーションで進行する、「俺の名はルパン三世」ってやつ。…ルパンは笑ってるシーンでアゴ向けてるし、とっつあんはいきなり将棋の駒を撒いている。子供だから「この絵が出るなら、あの話(パイロット版)もそのうちやるだろー」とか思っている。…出ない。「なんだー、これじゃこの場面しか見れない人、何の事だか分かんないじゃん」とか思う。峰不二子もなんかこーゆーのと違ったような。…テレビで放映されるアニメには、色々「大人の事情」がある事を知るのはもっともずっと先だった。ただしかし、当時一部関係者しか見てなかった筈のルパンのパイロット版を、「子供を集客するテレビまんが」と思い込んで使ってしまった…あのイベントは一体何だったのか。それだけがいまだに分からないのだ。

…それでもルパン三世にはそんなに残虐な描写はないし、エロと言っても脱ぐ程度だ。(^^)教育上悪いって程ではない。しかし…それよりもっと見てはならぬものを、確か中学の頃に見てしまったのだ。もう子供でもないので、親と一緒に映画なんてそんなに行かなくなっていた。なのに、珍しく母親が「アニメに連れてってあげる」と言い出した…んだと思う。細かいいきさつは忘れたが、ともあれ私と母親は上映会に向かった。それは「虫プロアニメ一挙公開」みたいな催しだったのだが…

メインはあの、「アニメラマ三部作」だったのだ。(^^;)

この一言では分からない人のために蛇足を付けると、それは虫プロが大胆に大人向けを狙って製作した、劇場用のエロい長編アニメである。(^^)「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」…そらもーHしまくり。それでも千夜一夜はストーリー自体にスケールがあるし、実験的な(=子供には良く分からん)部分やアクションも多く、「映画」として見られる。クレオパトラはもっとエロいが絵が柔らかく、全体に手塚風の「どーでもいいギャグ」が満載されていて(キャラデザインは小島功ですが)毒気は多少和らいでいる。だからこの二本はテレビでも何度か放映された筈だ。…ところがだな。「ベラドンナ」はなー。(^^;)…まー凄いんだよ。ミシュレの「魔女」を元にしてるだけあって、エロが冗談でなく本気なの。まず絵が違う。「マンガ」じゃなく美術的官能イラスト。だからこれだけは、いまだテレビで放映された事はほとんどない筈だ。とーてー流せる内容ではない。(^^;)大体、初っ端から幸せな花嫁がゴー○ンされるんだ。その傷付いたヒロインの元にポコ○ンの形をした悪魔がやって来て、それからあーなってこんなコトして…うわぁうわぁ!そーかHってあーするんだ!(←初めて知る)残虐シーンはほんとに残虐で、媚薬のせいだか何だか忘れたが、女王が身分の低い小姓と浮気をする場面がある。ベッドで重なってたら夫の王(領主)がやって来て、上から二人をまとめてぶってえ剣で串刺し。(^^;)…さすがに。中学生には刺激が強過ぎた。こりゃちょっと早いなと自分でも思った。

鑑賞後、母親は…何て言ったか覚えてないが、「ちょっとHだった」くらいは呟いた気がする。多分「虫プロの手塚アニメらしいから安心ね」という深刻な誤解をし、少年漫画にはまってドカンバキンばかり読んでる私に、「少しはいい物を見せよう」…みたいな判断でこのイベントに連れて来たんじゃないかと思う。…「しまった!また失敗した」と思ったかどーかは定かでない。(- -)

まーそういうファーストインパクトの元に育った私ですが。(^^)別にぐれもせず、立派にただの大人に成長した。子供はショックを受け易いけど、適応するのも早いんですよね。

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2011年3月10日 (木)

メロスはマジ走った

…これは私個人の話ではないので、書いていいもんか悩んだんだが。(^^)今でも強烈に覚えてるし、カンドーしたのであって、決しておちょくる気はないからやっぱり書いておこう。

小学6年だか中学だか。年代は忘れた。まあ、そのくらいの頃。…いわゆる文化祭。今はどうだか分からないが、各クラスが必ず舞台で何かやる事になっていた。大体はお芝居である。子供が脚本を書いて子供が演じる訳だから、そう本気で面白いとか、見られるよーな作品はあまりない。場所はもちろん「体育館」だ。…どこでも大抵そうだと思うが、正面に舞台があって、横が舞台袖。舞台袖に引っ込んで階段を下りると、体育館内のアリーナ側に出るドアがある。それともう一つ…ここには体育館の裏に出られる鉄製のドアがあった。裏は確かゴミ焼却場、石炭置き場などがあったから、ゴミ捨てや石炭運びに便利なように付けられたんだろう。

文化祭は各クラスが順番にこの舞台袖から入り、演じ、終わると引っ込んで席に戻る。自分たちが登場している間以外、生徒は観客にもなる。いちおー終わったら審査や表彰もあったと思うから、他のクラスの演目は「む、こいつらどのくらいうまいんだ?」という感じでそれなりに見ているが、大抵は「まーこんなもんね」というレベルだから…段々退屈はしてくる。(^^)それでも自分たちが演じた時は拍手して欲しいから、他のクラスにもちゃんと暖かい拍手を送るのだ。…「次は○組の『走れメロス』です」というアナウンス。なんでぇ、教科書に載ってるアレか。友情を大切にってヤツだな。また硬くて面白くないネタ選んだなー…などと、見る前は完全に期待してなかった。

芝居は、教科書で読んだ通りの展開。オリジナルじゃないから台本書くの楽だったろう、などと可愛くない事を考えながら見ている。でも原作がしっかりしてる(^^)訳だし、真面目に演じているからこれがそこそこ見られる。メロス役の男の子は上半身裸で、ちゃんとギリシアっぽい雰囲気を出している。…話は進み、いよいよメロスが約束を果たすため走るクライマックスシーン。ナレーター役がト書きを読む。「メロスは走った」

メロス役が走り出した。…と言っても、そんなに広くない舞台の真ん中あたりから向かって左、つまり下手の舞台袖に走り出したのだから、あっという間に姿が消える。…しーん。何も起きない。舞台の役者たちも何もしない。…あれ? 時間が経過していく。主役のメロスがいなくなったまま芝居は止まってしまったのだ。どーしたんだ? さすがにちょっと不安になった頃、メロスが突然反対側の上手から走り出てきた。「メロスは走った、なんたらかたら」とナレーション。来た!…と思ったら、彼はそのままタッタッタと舞台を横断し、あっという間に再び下手へ消えてしまったのだ。…しーん。再び待たされる。何だろーなー…と思ってたら、メロスはまた上手からタッタッタと走り出てきた。

そこでよーやく気が付いた。メロスは下手に引っ込んだ後、袖の外扉から体育館の外に出てタッタッタと走り、上手側の外扉から再び中に入り、上手から登場していたのだ。…つまり体育館の中と外を通り、ぐるぐる周回していた訳。外扉から行き来するには階段を上り下りしなきゃならない…そのメロスは演技ではなく、ほんとーに大変なランニングをしていたのだった。(^^;)舞台を往復すれば済むものを、わざわざ周回したのは…往復では「前へ走り続けた」感じが出ないせいなのか、それとも「大変な距離を走った」というのを実践したかったのか。それを彼が通った時だけ見られる観客は、マラソンのギャラリーのような立場だった事になる。いつまで続くのかと思ったが…3回くらい周回したかな。やっと終わりが来て、メロスは到着、親友と殴り合ったりひしと抱き合ったり、王様も喜びめでたしめでたし。私はカンドーし、思わず惜しみない拍手を送ってしまった。無論芝居にではなく、走り切ったメロスの根性と体力に。つまりマラソンの感動と同じ。…よく考えたら、芝居ではなくそっちで感動を呼ぶという、○組の周到な戦略だったような気もする。

ところで…この時の「メロス」くんは、まあそんなに親しくは無かったんだが、たまたま家が近所だったので小、中、高と学校が一緒だった。同窓会で会った時住所を聞いたので、今も年賀状だけは出している。…こんな話書いちゃってごめんね。(^^)でも、君の偉業は決して忘れない。

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2011年3月 9日 (水)

隠された怪談・殺風景な部屋

やまくん曰く。「…もう幽霊の体験なんてないからな!大体、俺はやばい場所に行くと変な緊張感みたいな感じがあるんだ。そんな感じがしたのは、あの九州のホテルと…大阪のホテルに泊まった時くらいで」

自ら墓穴を掘って暴露した。(^^)大阪のホテルに泊まった時、何かあったらしい。…問い詰めて聞き出したのが以下の話である。

やまくんサラリーマン時代。大阪に出張になった。地元の地理には明るくなかったので、ホテルは現地の業者に頼んで予約してもらったという。…たどり着いたホテルは、繁華街からは少々離れた場所にあった。見掛けは4~5階建ての普通のビルだが、入り口がなぜか通りに面してではなく、裏に付いている。

私「…それって変じゃない?」 やま「いや、そういうホテルもよくあるよ。雑居ビルの間なんかのやつに」 私「…そお。」

入ると、受付の女性はいやに無愛想。むしろ泊まるのが迷惑そうにさえ見える。しかも、そのホテルは「門限」があった。10時までに戻らないと入れてくれないというのだ。…でも、細かい事にはこだわらない大雑把な性格のやまくん、気にせず鍵を受け取って部屋に向かおうとした。フロントの横にエレベーターが… ない。あれ? フロントの横は階段になっていた。エレベーターはその奥である。まあいいや、2階だし、奥まで行くのも面倒だから階段で上がっちまえ。…という訳で、彼は歩いて2階へ向かった。

私「客商売なんだから、普通エレベーターの方が近くにあるでしょ。構造おかしいよ、そのホテル」 やま「そういう建物もあるって」 私「…そーかなあ」 

ほんとに、何の飾り気も愛想もない建物である。部屋に入ると…そこは、ただの四角い空間。壁は白っぽいだけ。窓はあるが、他には額もない。棚もない。作り付けの家具や構造物は一切無いのだ。入り口付近にかろうじてトイレがあるが、クローゼットはその横にポンと置かれた、ロッカーのような代物だ。風呂さえもない。入浴は大浴場に行かねば出来ないらしい。…何も無い部屋の真ん中にベッドがある。なぜかどの壁からも離して置かれている。ベッドの照明は、後から壁に取り付けた、勉強机なんかに使うアームライト。あとは天井に蛍光灯があるだけだ。

やま「…確かに、言われてみればホテルと言うより、病院みたいな作りだけど」 私「つーか、元病院だろそれ。後からちょこちょこっとホテルに改造しただけの」 やま「…かも知れん」

いや、寝るだけなんだしこんなもんだろ。大浴場まで行くのもかったるいので、彼は早々にベッドに潜り込んだ。…深夜。どこからか声がする。隣の部屋で誰か騒いでいるらしい。よく聞くと…それは口論だった。男と女が何か言い合いをしているのだ。しかもそれは延々と終わらない。いつまでも、離れている筈の壁を通過してベッドまで聞こえて来る。うーこれじゃ眠れないよ!…と布団を被ってぼやきつつも、基本寝付きが良く、一度眠ると中々起きないタチのやまくん、結局そのまま寝てしまった。…次の朝。さすがに苦情を言ってやろうと思い、やまくんはフロントの例の無愛想な受付に向かった。

やま「あの、昨日隣の部屋がやかましくて眠れなかったんですけど」 受「隣の部屋は誰も泊まってませんが」 やま「…はあ?」

じゃあ、一晩中響いてたあの声は?…そうか。客がいないので、従業員でも入り込んで話してたんだな。しょーがねえな。…そう結論付け、やまくんはホテルを後にした。世は全て事もなし。めでたしめでたし。

私「…ちょっと待ってよ。そのホテル門限があるんでしょ? つまり、夜になると従業員が帰っちゃうタイプのホテルでしょ?」 やま「そーだよ。夜、何か用事があったらブザーを押すんだ。それが詰め所みたいな部屋に繋がってて、そこに留守番が1人…」 私「じゃあ夜中に部屋に入り込んで話してた従業員って誰なのよ?」

…やまくん、それでも「気のせいだ気のせい!」で済ませようとする。私にはどーしても納得が行かない。

私「大体ホテルそのものが変過ぎるやん。門限があったり、客商売とは思えない構造だったり」 やま「だから多分、業者用の、関係者だけが泊まるホテルなんだよ。そーいうホテルはこんなもんなの。門限も、従業員が帰るのもよくあるの。北海道のホテルに泊まった時だってそうだったし」 私「…北海道?」

そりゃ北海道とか、この辺(千葉)のド田舎ならあるかも知れない。でもあんたが泊まったのは「大阪のホテル」でしょ。いくら繁華街の外れだって、外は町並みだし、そこまでするほど夜中人がいなくなる訳じゃないでしょ。…でも、やまくんはこういう事は「気のせい」だと思わないとやってられないらしい。(- -)まーそうだろうな。だから、これ以上は詮索しないでおこうかと思うのだが… ただ一つ。彼はこの話をする前に、すでにそこで「やばい場所で感じる緊張感」を感じた、と言っちゃってるのである。直感には素直に従った方がいいと思うよ。従いたくても逃げられない事だってあるだろうけど…

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2011年3月 8日 (火)

蝶は義理堅いのだⅡ

ごく近年の話。(^^)

フリーのフラッシュ製作ソフトでネット脱出ゲームを作った。…脱出ゲームは結構好きで、フラッシュ以外の変な方式で何個か作った事はあるが、本格的なものはそれが初めて。一作目は、「椅子な脱出」という。これは別にいいんだが…二作目に作った「待合室」が、なんかちょっと… 作ってて自分でも不可思議な事があった。

そもそも「椅子な脱出」を作り終わってグッタリしてたから、二本目までやる気はなかったのである。設定も「田舎の駅の待合室からの脱出」というだけで、始めはアイデアすらろくに出てなかった。…なのに、何か他の作業をしようとしても、これが頭に浮かんでしょーがなくなる。ついに、「えーいこれじゃ作った方がマシだ!」と製作に踏み切った。詰まってた謎解きのネタは、「そうだ、昆虫を使おう」と思いついたら、あと全部出せた。いやあ虫のおかげ。(^^)絵やシステムの製作も大変だったが、入れ込んでいるので苦にならない。で…クリアアイテムの入ってる最後の宝箱の仕掛けを考えた時、パスワードは謎を解けば見られるので、あと一つカラーコードも付けようと考えた。色を正しい順番で並べないと開かない。その色のヒントはどうする…? 「蝶にしよう」と思った。この際昆虫づくしで。誰でも知ってる蝶を白黒で描き、羽の色をヒントにすればスッと解いてくれるだろう。今ここで書いてしまうが、選んだのはアゲハチョウ、アオスジアゲハ、アカタテハ、トリバネアゲハである。

アゲハチョウの幼虫は柑橘類の木に付く。庭木にする家も多いから、町でも結構飛んでいる。アオスジはややレアだが有名だし、ちょっと近くに雑木林でもあれば見られる。アカタテハは野原の足元によくいる。どれも日本の平地に普通に生息する種だ。トリバネアゲハだけは…東南アジア産で、美しいので乱獲されて最近は希少だが、昔は昆虫図鑑の最後の方の「世界の大きな昆虫」とかの特集ページに必ず載っていた。模様も特徴的だし、図鑑を見れば分かるだろう。一つくらい難易度を高くしてもいいよな。…という訳でこの4種にしたのだ。さて、完成したゲームをアップし、プレイしてもらい、ミスがあって慌てて直したり…ともあれ公開に漕ぎ着けた。難し過ぎるとか(^^;)評価は色々あったようだが、おおむね喜んでもらったと思う。しかし、作者としては思いもよらなかった感想が多くあった。「蝶の羽の色が分からない」というのだ。

え?…蝶の色はこのゲームの謎の中で、一番易しい部類だと思っていた。模様だけでも分かるだろうと。しかし「分からない」「図鑑を調べまくって大変だった」という声が多数。「ゲーム中に蝶の羽の色のヒントがないのはおかしい」というクレームまで。最近のネットやる人たちは全然見た事ないのか?…少し悩んだ。(- -;)何かヒントをと言われても、私はそれ以上のヒントをゲームの中に入れたくなかった。むしろ近所を観察したり、いなければちょっと郊外の野原に散歩に行って欲しかった。別に今すぐ解けなくても、どこかで蝶を見かけてからクリアしたっていいじゃん。その辺にいる蝶なんだから。…そういう考えはネット住人には通じないのかなあ。と、少し悶々としていた頃。…蝶たちがうちに訪れたのだ。

始めはアゲハチョウだった。私の目の前をヒラヒラ飛び、うちの庭の伸び放題で雑草化したパセリの花に止まった。人間がいるのに逃げもせず、しばらく悠然と羽ばたいて美しい羽を見せびらかす。…ほんとに「見せ」ているように思える。平凡なアゲハチョウでも…こうやって近くで見るとほんとに美しいなあ。などと感心していると、やがてゆっくり飛び去った。私には「ゲームに出してくれてありがとー」と言っているように思えた。まあ、自分に都合のいい解釈だが。

次にアオスジアゲハが来た。アオスジは低い所は飛ばないので、少し見上げる格好だったが、ともあれ庭を通った。アゲハより人間に近付きたがらない蝶なのに、よく来てくれたと思った。「4羽の蝶・その2」にも会えたと喜んでいたら…後日アカタテハも来た。庭の雑草の上でパタパタしている。「4羽の蝶・その3」だ。1羽や2羽なら偶然だろうが、3羽まで来るとはただ事ではない。(^^)無論、毎年庭で見掛けるほどたくさんいる訳ではないのだ。…だが、4羽目の「トリバネアゲハ」だけは絶対目撃不可能である。なんせ日本にはいない。3羽が来ただけでも凄い事だ。…しかし、その後私は4羽目を「目撃」するのだ。

やまくんの車で、スーパーに買い物に行った時のこと。近所なのでナビはテレビにしていた。…ちょうど夕方で、テレビにニュース映像が映る。「違法に輸入された珍しい蝶が押収されました」…ええっ!? アップになっているのは、確かに「4羽の蝶・その4」トリバネアゲハじゃないか。電波が悪く画像は汚かったが、あの模様と色は間違いようがない。家に帰って再び見たニュースでも映っていた。…まさか。考えてみて欲しい。最近テレビに蝶がアップで映る事なんて何回あるだろう。しかもそれが、絶対見られないと思っていた「最後の1羽」なのだ。偶然にしても出来過ぎている。…無論映ってたのは標本な訳だが、私には、トリバネアゲハが他の3羽に負けじと「あたいはここー」と存在を主張したように思えたのだ。

こうして…その夏、私はゲームに登場させた蝶全てに会う事が出来た。あるいは、私がゲームに出したから現れたのではなく「そうよ、あたしたちは現実にいるのよ。もっとちゃんと観察して欲しいわ」と、蝶が世間に自分をアピールしたかったのかも知れない。ファンタジーな解釈が過ぎるだけで、つまらない偶然かも知れないが… 下宿にいた頃のモンシロチョウの事件もあるし、以降私の考えでは「蝶は作品に登場させたら、ちゃんと挨拶に来るほど義理堅いのだ」という事になった。(^^)

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2011年3月 7日 (月)

トイレの紙様ごめんなさい

「トイレの神様」の歌が流行った時、あれっと思った。…教えられた事が違う。「掃除をすると美人になる」なんて母親は一言も言わなかった。大体「トイレ」なんて呼ばない。言われたのは「下半身すっぽんぽんで便所に入ると、便所の神様が怒るよ」…だったのだ。でも、お風呂に入ろうとして服を脱いでしまった後、急に「行きたく」なる事ってあるじゃないですか。緊急事態なので再びパンツを履いてられない。それ以来、そういう状態で入る時に私は「便所の神様ごめんなさい、便所の神様ごめんなさい」と唱えるようになった。…この癖は今でも少し残っている。(- -;)一部では言われてた教えなのかなー。それとも行儀を教えるための、我が母親のオリジナルか。

昔、田舎に預けられていた時は、屋外のいわゆる「ぼっとん便所」だった。(^^)木造の小屋に入ると、四角い穴がボッカリ開いた板間があるだけ。その穴を覗くと…見たくない物が見える。結構落差もあって恐い。だからあまり見ないようにしてサッサと済ます。手を伸ばすと届く位置にあったのが四角い「ちり紙」だった。その頃は洋式便所なんてどこにもないから、紙は当然しゃがんだまま取る。あの四角い紙は、その体勢で取って丸めるのに非常に適していた。…やがて町に戻っても、同じようにしゃがむ和式便所に置いてあったのはまだ「ちり紙」だった。普段ハナをかむのも「ちり紙」。しかしマンションに住み、近代的な洋式水洗便所、いや「トイレ」を使い始めるようになると…その時初めて丸くなった「トイレットペーパー」に出会った。座っていて姿勢が高いから、この体勢だと壁に取り付けられた丸い紙でないと取りにくい。それでもまだしばらく「四角いちり紙」は売られており、母親は買ってよく押入れに入れていた。安いから大量に使う時はこっちにしろと言うのだ。しかし…いつからかそれも無くなり、普段ハナをかむのも箱入りの「ティッシュペーパー」に統一された。気が付けば、「四角いちり紙」は音もなく町から消滅していた。

「四角いちり紙」はティッシュと違い、吸水性はいいが紙質がやや硬く、ゴワゴワしている。試しにペンで字を書くと滲む。ボールペンだと少し書けるが、すぐに筆圧で破れ始める。メモには使えない。しかし裂くと、ティッシュはバラバラになるが、「ちり紙」には方向性があって、ある方向で破くと綺麗にピリリと細長く裂ける。…この性質を利用してよく作ったのが「こより」だった。…今はこの名称も通じなくなって来てるかな。紙をよって、やや丈夫な紐状にしたものだ。母親が作り方を教えてくれた。細長く裂いたちり紙を端から斜めに、30度くらいの鋭角で丸めていく。右手で先端を丸めながら左手で巻き具合を調節する。(右手と左手で巻くスピードを変えろ、とか言われた)最後の端は三角の平面のまま少し残し…完成だ。うまく巻けたものは端を持って立てるとピンと立つが、下手糞でよりが弱いと「ふにゃ」と折れる。これを何に使うかというと…本当は昔、和紙なんかで美しいものを作り、本を綴じたり髪を結わえたりしたらしいな。(^^)でもちり紙のこよりだから、応用範囲は狭い。鼻の穴をくすぐってクシャミさせる事と…あと、「七夕の飾り」に使った。

今はそんなに凝ったものは作らないかも知れないが、私は小さい頃七夕になると奮闘し、短冊のみならず色紙で色んな物を作った。買ったオーナメントを下げるだけのクリスマスより力が入ってたかも知れない。(^^)赤と緑の色紙を切って貼って、黒い点を散らせて「スイカ」とか。紫に黒い頭を付けて「ナス」とか。お供え物の代わりだと思っていた。うまく切り込みを入れると、網のような見事な紙のレースもできる。…それらを下げるのに「ちり紙のこより」が必要だったのだ。先の、三角の余白部分を色紙のオーナメントにぺたっと貼り、もう一方の端を笹の枝にくくる。願いを書いた短冊も同様。これが実に合ってるというか、具合がいい。当時は七夕の終わった笹は平気で川に流したりしてたから、「自然に帰る」という面でもこよりは良かったんじゃなかろうか。(どっち道詰まるか(^^))…やがて七夕は雨の日が多い事を知り、面倒なお祭りはしなくなった。こよりはハナをくすぐるだけの物になり、そして…それも消えた。そう言えばちり紙で、お誕生会なんかの飾りの花も作ったよなあ。細長く蛇腹に重ね折りし、真ん中を輪ゴムで止めてそーっと開くと、ポンポンみたいな花になる。ある世代はすごく作った筈だ。これはティッシュでは花びらが立たないので出来ない。…絶滅したのかと思ってたら、最近100均で「始めから折って縛ってある紙の飾り花の材料」を売っていた。その世代の発想だろうな。(^^)

便所がトイレになったように、ちり紙はトイレロールになった。絶滅ではなく進化しただけだろう。…でもじゃあ、「便所の神様」も「トイレの神様」に進化したのだろーか。進化した神様の教えの方が大事だろうか。(だろうな)でも、それならもう「すっぽんぽんでトイレに入る」のはタブーでなく、罰は当たらないのだろーか。うっかり入った時ほんの少し気に掛かるのである。

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2011年3月 6日 (日)

無敵タケノコとの出会い。

これは…田舎ならどこにでもある、平凡なネタだと思うんだ。しかし連れ合いのやまくんが「絶対に平凡じゃない」と言い張るので一応書いてみる。

小学1年。田舎に預けられていた頃。娯楽施設も何もないが、自然だけは豊かだったのでよく意味もなくその辺を走り回って遊んでいた。近所の子供は…やや年長だったし、私と違って地元民だから、虫捕りも川遊びもうまい。しかし私にはオニヤンマもチョウチョもセミも高嶺の花。(^^)どんくさいオハグロトンボ、ミミズ、カエル、羽化し損ねたセミの幼虫(たまにいた)なんかを相手に、1人で遊ぶことが多かった。だから今でも長いものは平気である。あとは…採っても逃げない植物。笹舟、ひっつきむし(正式名称はオナモミ)、スギナを抜いて「どこ繋いだ」…たまにカタクリの花もあったな。まあそんな訳で、面白い植物を探して、何もない藪の中なんかに1人で入り込んだりしてた訳だ。

ある時、どこかのおっさんに突然「こらー!」と怒鳴られた。そんな事は初めてだ。

あわてて逃げ出し…後で大人の話を聞いたら、「そこは人の土地だから」と言われた。えっ、土地には持ち主がいるの?…何をしても自由だと思ってた大自然に、所有者がいる事を初めて知った。どうやら竹薮でタケノコが取れるので、泥棒かイタズラに来たと思われたらしい。…しょんぼりである。しかし、うちの一族所有の竹林もある。そこでタケノコを採る分には文句は言われないという。これは行かねば!…という訳で、タケノコ採りの日、大人たちと一緒に深い竹林の奥に向かった。その時に目撃した…んだと思うんだな。別の時だったかも知れないが、普段通らない道だったから。マクラが長くてすいません。<(_ _)>

竹林の中を見て驚嘆した。それまでタケノコというのは全て、あのほら貝みたいな円錐形だと思っていた。それはまだ「芽を出した」ばかりのやつ。…出た芽は育つ。育ち過ぎたタケノコを、その時初めて見たのだ。それは天辺だけ尖った、定規線のような真っ直ぐの筒だ。無論あのタケノコの皮はしっかり被ったまま、2m3mシュイーンと地面から突き出している。…こええ。ほとんど槍。これでもタケノコなのか。そして、それが槍と同じように凶器である証拠を別の場所で見た。

…道の片側の藪の中。廃屋があった。なんでそんな藪に?と思うが、元は藪じゃなかったのかも知れない。ともあれすでに草に覆われ、道側の壁だか障子はなくなって、家の中が丸見えになった状態の旧家屋。その部屋の中を、床から天井まで「槍タケノコ」がズボ、ズボと数本貫いているのだ。…もちろん人が居なくなり、後に家屋の下の地面から生えてきた…んだと思うんだが、どう見ても「タケノコに貫かれて滅んだ家」にしか見えなかった。植物って、動かないだけで実はえげつない力を持っている。私は感動した。(^^)そしてそれ以来、タケノコを心の師として尊敬するまでになった。

その後。まだ小学生。漫画を描いていた。野原を走っている女の子を描いた後…少し考え、彼女の走っている地面を指して矢印を引き、「だれのものでもない土地」と記入した。(^^)無闇に他人の土地を走り回ると、タケノコに怒られるかも知れないからである。

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2011年3月 5日 (土)

赤ちゃんはどこから…っておい。

赤ちゃんはどーやって生まれるの。(^^)今は情報が氾濫しまくってるから、子供は嫌でも早いうちに知るんだろうな。…私がそういう事を疑問に思ったのは、小学校の1,2年だったと思う。母親に聞いてみた。さすがにコウノトリさんが運ぶとは思ってなかった(そんな鳥見た事なかったし)が、お母さんのお腹から…までは分かるものの、どーやって出て来るのかが分からない。そこんとこを具体的に尋ねたのだ。母親は顔色一つ変えず、服をめくって自分の下腹部を見せた。

「ほら、線があるやろ。ここがパカッと割れて出て来んねん。だから入院するねん」

母親が示したのは「妊娠線」だった。子供の私は「なーるほどー」と納得してしまったじゃないか。(^^;)…妊娠線は妊娠すると出る線。私を生んだ時の名残りだろう。おかげで結構長い間、「子供はお腹の皮が割れて生まれる」と信じていた。…でもそれじゃ「100%帝王切開」みたいなものだし、たまたま野外で産気付いて生んだ人の場合、大変な事にならないか?…と、更に疑問が沸いて真相を知るのはもっと後の事になる。

小学3年くらい。その頃はもう、漫画家になる気で漫画ばかり描いていた。…クラスに、同じように漫画を描くのが好きな子がいて、くやしいが私よりややうまかった。(^^)ある日、彼女が「私の描いた漫画を見せてあげる」というので彼女の家に遊びに行く事になった。家でしか見せないというのだ。

彼女の部屋。…机の引き出しの奥から、私が使ってるのと同じようならくがき帳を出して来る。いやに慎重に仕舞われてるなー。…めくる。コマが割ってあり、それなりにストーリー漫画ぽいものが描かれている。絵は当時の少女漫画で、マツゲが長く髪が複雑。しかも割と等身の高い美男美女で、話はラブストーリーらしい。3年生にしてはちょっと背伸びした感じだ。私は昔から「ラブストーリー」にはあまり思い入れがないもんで、ふんふんなるほど、と軽く読み流していった。…しかし。ノートの終盤に入って漫画は驚くべき展開を見せた。ラブシーン。男女の登場人物が全裸(^^)になり、ベッドシーンが始まったのだ。うわぁこいつこんなん描いてたのか!…クライマックス。裸でベッドに横たわった女の上に男が覆い被さり、「すきだ」と言ってやらしい所を触っている絵。うわぁ、うわぁこの先どーなる!…ページをめくる。突然赤ちゃんらしきものが登場し、次のコマはお腹の大きい妊婦の「断面図」になる。断面の中に胎児。…え!? そしてとーとつに物語は終わってしまった。作者を見ると、彼女は真面目な顔でこう言った。

「いや、話にどーしても赤ちゃんを登場させたかってん」

…いや、だからって何もHシーンと断面図を描かんでも。(^^;)小学3年、彼女はその時持っていた知識を総動員して「赤ちゃんが生まれるプロセス」を描いてみたに違いない。ただ、最もやらしいシーンでも「触る」までだったし、赤ちゃんがお腹から出て来る場面もなかったから…「なんかHな事をする」のと「子供が出来る」現象の間に何が必要か、という知識はスッポリ抜けてたのだろう。(^^)彼女がその後、漫画を描き続けたかどうかは分からない。ただ、この出来事はあまりに衝撃的だったので、私にとっては軽いトラウマになった。ベッドシーンの次のページをめくると、いきなり「妊婦の断面図」になってやしないか。…心配で、その後Hなシーンを見ても冷静になってしまうようになったのである。

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2011年3月 4日 (金)

鉄板怪談・これが「出る」ホテルだ

やまくんサラリーマン時代。その頃、彼はよく北に南に出張していた。…ある出張で九州のホテルに泊まった時の話である。タバコを吸わないので、彼は禁煙室を予約していた。夕食の前に荷物を置こうと、彼は早めにチェックインを済ませ、フロントで鍵をもらって部屋に入った。

チェーンの位置が変だ。ふと見ると、ドアに鍵を付け替えた跡がある。

こ…これは! そう、部屋で何か事件があり、鍵を壊して入った証拠ではないか。…ちなみに、ホテルなどで「部屋に幽霊が出るかどうか」を調べる方法が二つあると言われている。一つは、額や家具の裏にお札が貼られているかどうか確かめること。そしてもう一つが、鍵に付け替えた跡があるかどうか確かめることだ。ただお札は巧妙に隠されている場合があるので、事故物件かどうか確かめるには「鍵の付け替え」を調べる方が確実なのだそうだ。…すごく明白な証拠を見付けてしまった。やまくんは「よもや」と思って部屋を見回した。額は…ない。じゃあお札はないのか。少し安心したが、鏡が掛けてあったので念の為めくってみた。すると…

鏡の裏に、何かが赤い字で書かれた怪しいお札がドンピシャで貼ってあった。

うわぁ!…あわててその辺りを見回すと、今度は床のカーペットに気が付いた。一部分だけ色が違う。カーペットを張り替えた跡だ。当然…カーペットが、掃除では取れないほど「何か」によって汚れてしまった結果だろう。つまり、彼は「この部屋で事件が起きました。オバケが出ますよ」という証拠物件を、ご丁寧に3つも発見してしまったのである。しかし、予約までしておいて今さら「部屋を変えてくれ」とは言えない。…なあに、一晩泊まるだけだ。今からお客さんと飲んで、帰って来てバタンと寝てしまえば大丈夫さあ。常に前向きなやまくん、それからすぐに食事に出掛け…夜遅く、再びその部屋に帰って来た。

深夜のホテル。休んでいると、「コンコン」と部屋をノックする音がした。

ガチャッとドアを開けるが誰もいない。…もちろん、特に友人もいない出張先で、しかも深夜にホテルに訪ねて来る人間などいる筈がない。非常階段が近い部屋だし、風かな…? でも、それは風でガタついたような音ではなかった。明らかに何かがドアを「叩いて」いるとしか思えなかった。

「コンコン」…再びノックの音が。開ける。…誰もいない。だぁーもう嫌だ!! その後やまくんは部屋の電気を全部付け、テレビを大音量で流しながら一晩を過ごした。幸い、それ以降怪異は起きなかった。…朝。やまくんは「あの部屋で何か事件があったんですか?」と、ダイレクトにフロントに尋ねてみた。しかし、フロントは要領を得ない顔で「いえ、何も…」と答えるだけ。鍵の付け替えや不自然なカーペットから考えても、ほんとに何も無かったとは思えない。おそらく、事件のことを何も知らない人間をフロントに置いているのだろう。これでは真相は調べようがない。 

…恐い出張をどうにか乗り切ったやまくんだが、再び災難が彼を襲った。また同じ場所に出張を命じられ、同じホテルに泊まる事になったのである。今度はホテルに入ってフロントで聞く。部屋がほぼ満室だという。「禁煙室なら一つ空いておりますが、よろしいですか?」…当時は今ほど禁煙ブームではなかったが、喫煙室から埋まっていくというのも妙な話である。しかし、仕方ないので彼はその部屋でいいと答えた。

そこは、あの日泊まったのと同じ部屋だった。(^^)…なぜだ。呼ばれているのか!? その夜、この間と全く同じ深夜の1時半頃に、誰もいる筈のないドアの向こうからノックの音が聞こえた。彼はこの間と同じように、テレビをガンガン鳴らしてベッドに潜り込んだ。

…そして。同じ場所に3度目の出張を命じられた時、彼はホテルに予約の電話を入れた。「喫煙室でお願いします」…今度はやっと別の部屋。こうして、やまくんはようやく「恐怖の禁煙室」から逃れる事が出来たのだった。余談だが、山道でタヌキやキツネに化かされた時は、タバコを一服すると災難を逃れられるという。どうやら怪異はタバコの煙が嫌いらしい。だから私が「ねっ、タバコにもそういう良い効能があるでしょー」と持ち掛けても…彼は「いや、それとこれとは別だ」と、いまだタバコをかばうつもりは無さそうなのだが。

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2011年3月 3日 (木)

手書きラインアート・スピロデザイン

私が子供の頃、オモチャも非常にバリエーションが豊富だった。まあ子供が多かったせいもあるが、「よくこんなの思い付くな」と思うようなアイデアが満載。面白くてキラキラしたCMがテレビを飾り、オモチャ売り場はチンチンガーガー稼動音がやかましく、子供たちがプラレールや動くぬいぐるみのいる広場にたかっていた。…でもファミコン発売以来、ほとんどがゲーム機になっちまうのよね。(- -)これは進歩じゃないと思うなあ。発想を刺激されない今の子供が可哀想である。

もちろん、全ての子供が全てを買ってもらえた訳ではない。(^^)すごく欲しかったのに買ってもらえなかったのが「ネオンブライト」。穴に透明プラスチックのピンを挿すと、後ろに光源があってネオンのように輝く模様が作れる。…高かったのかなあ。大ヒット商品だったらしく、進化した復刻版も出たようだ。あと、友達の家にあるからいーや、と思ってたのが「ツイスター」。色の丸の描いてあるただのシートだ。ルーレットで指示された場所に手や足を置く。姿勢がむちゃくちゃになるので、仲間とやるとかなり笑える。…買ってもらって結構遊んだのが「パーフェクション」。変な形のブロックを、同じ形の穴の中に制限時間内にはめ込む。タームオーバーするとバン!と全部飛び出す。面白いんだが…何度もやると穴の位置を覚えちゃうので、そのうち飽きた。そして、無理言ってよーやく買ってもらった、何とも謎なオモチャが「スピロデザイン」だった。

黄色の平らな、箱というか板である。上部は透明な蓋の付いたボックスになっていて、そこに大きさの違う歯車が4つ、赤と青のボールペンが2本入っている。…「板」本体には丸い大穴の開いた、これも透明の上蓋が被さっている。この「丸い大穴」が肝心なのだ。円周がやはり歯車の歯になっていて、ここに4つの歯車のどれかをはめ込む。歯車の方にもいくつもの小さい穴が開いている。…本体と上蓋の間に紙を挟み、歯車をセットし、小さな穴にボールペンの先を突っ込んで、描きながら円周に沿って歯車を回していく。すると、ある周期性を持った何とも不可思議な曲線が大穴の中に描かれていく、という訳だ。高等幾何学の問題のような。(^^)「円Aの内周を小さい円Bが回転した場合、円Bの中の任意の点Pはどのような軌跡を描くか」…だな。文章にしちゃうと難しいが、アホでもグルグル歯車を回しさえすれば、それを目で見る事ができる。

綺麗な曲線なんて描けるもんじゃない。やや成長し、親からもらった雲形定規(…なぜ持ってたんだ、親)で描いたって、元々の曲線がそんなにカッコ良く出来てない。更に成長して買った「自在定規」なんて全く自在にならない。(^^)…でもこの「スピロデザイン」で描く模様は実に美しかった。当時まだ夢の彼方だった「コンピュータ」の仕事のような、理数系の匂いがした。それをガキの自分が手で描けるのである。なんとなく「理数的」になった気もしてくる。しばらく夢中になった。どの歯車のどの穴にボールペンを入れたら、どんな模様が出来るか。慣れてくるとある程度覚えた。気に入った曲線を描く穴だけ、妙にインクで汚れていた。大歯車の外側の穴だと、ガーベラのように端がビロンビロン伸びる。中歯車のある穴を使うと、中に隙間のない鞠のような円が出来る。小歯車のある穴は、描くと毛糸玉状の線が組まれる。…でも。「だから何?」と考え始めると…どーしよーもないのなコレ。(^^)基本「円形の何か」が描けるだけだから、イラストに応用しようにもしようがない。何かになりそうなのに…ならんなー…と、悩んでるうちにボールペンのインクが切れてくる。「別のを使えばいいじゃん」と思ってはいけない。実は、セットに入ってるのは専用の特殊なボールペンなのだ。ペンの中のインクの芯の先が異様に長いの。(^^)長くない普通のボールペンだと、歯車の厚みを通過できず、先が紙に届かないのだ。…これは盲点だったなあ。普通のボールペンから芯を出してやってみたけど駄目だった。何か引っ掛かる。そんなこんなで、私はスピロデザインを卒業した。(- -)

今、「復刻版」として安価なスピロデザインが売られている。板定規みたいなもので、中に穴が開いていて歯車も付いている。だいぶ前に懐かしくて買ったけど…サイズが小さいから。(^^)昔の本家ほど複雑なバリエーションは描けない。でも、逆に大サイズしか描けない本家と違って、ちょこっとカードに模様を描いたりするにはこの方がいいかも知れない。ただ…どんなにこれでグルグルしても理数力は上がらないぞ。体験した私が言うのだから間違いない。(^^)

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2011年3月 2日 (水)

蝶は義理堅いのだⅠ

蝶。それに関する謎の出来事が何件かある。これは昔の目撃談。

高田馬場の下宿にいた頃。確か2階部屋だった。後期に1階に越したから、まだ上京前期だろう。…コタツで寝ていた。横になっていたのではなく、コタツ板に突っ伏してうたた寝していたのだ。…ふっと目が覚めた。夜だったと思う。目の前に何かいる。正面を向き、じっとこっちを見ている。

モンシロチョウだった。

「○≠×◇☆※▲□÷ー!!」 驚いたなんてもんじゃない。訳の分からぬ悲鳴を上げ、私は飛びのいた。その後蝶は悠然と窓から出て行った。…別に、モンシロチョウチョである。珍しくもない。恐くもなんともない。…普通なら。真昼間のキャベツ畑や野原の花の周辺で見掛けたら、なごんだだけだったろう。でも…ここは高田馬場の狭苦しい四畳半である。窓の外には西武新宿線と山手線が走り、轟音が鳴り響く。キャベツもなければお花もない。無論私の部屋にも、蝶の気を引きそうな物は何もない。…キャベツはあったかも知れないが、だったらコタツの天板にちょんと止まるこたーないじゃないの。しかも人間の真正面。その上夜だ。どう考えても蝶の飛ぶ時間帯ではない。なぜ? …しばらくショックから立ち直れなかった。ヒラヒラ飛んでいる時は分からないが、蝶だって昆虫だから、正面アップになると思いっ切り複眼が見えるのだ。てーか、モンシロチョウの正面アップをじっくり見た人なんて少ないだろう。…結構迫力があるぞ。

その後、高田馬場でもう一回蝶を目撃した。…コンビニ。こっちも夜だった気がする。その当時は、まだ都会のコンビニにも多少の野菜や生鮮食品を置いていた。私は適当な晩飯でも物色していたんだろう。…気付くと店内に蝶が飛んでいる。モンシロチョウ。ええっ!? よく見ると飛んでいるというより、棚のあたりにたかっている。その棚には…ラップにくるまれたキャベツ、もしくはレタスがあった。(どっちか忘れた)蝶はその玉野菜に何とか産卵しようとあがいているらしいのだ。何度か止まろうとしては離れ、止まろうとしては離れる。蝶って確か味覚器官が足にあるんだよな。つまり見た目確かに自分が卵を産めそうな野菜に見えるのに、触ってみるとラップのせいで味がない訳だ。「おかしい!これは野菜の筈なのにぃい!」…という叫びが聞こえるようだ。(- -;)「あのね、それはラップした売り物だから産めないよ」と教えてやりたかったが…不幸にして私は蝶語(?)は知らなかった。

卵を産む場所もない、東京の片隅に迷い込んだ可哀想な蝶の物語、である。長年それだけだと思っていた。でもしかし、なんで私の前にうまく2回も出現したのか? …で、これは最近気付いて、「ああっ!」と思った事なんだが。当時下宿で描いていた「貧民通信」という4コマ漫画に、モンシロチョウをネタにした話があったんだな。漫画の主人公はキャベツを主食にしている貧乏下宿人。(^^)彼女に蝶が舞い寄って来るので、「まあ、私って花と見まごうほどに美しいのかしら」などとほざいてたら、実は体にキャベツの匂いが染み込んでるので、間違えて産卵に寄って来ただけだった…というオチ。まさかあの蝶、リアルでキャベツの匂いを嗅ぎ付けたのでは? 私に産卵し損ね、やっと探し出した別のキャベツがコンビニだったのでは? …でもそこまでキャベツが香ってたとは思えないから、この仮説にはあまり信憑性がない。(^^;) 大体それなら体にたかる筈で、正面アップでコタツに止まったりしないだろう。

で。ファンタジーな仮説だが、もう一つ考えた事がある。蝶が「あたいを漫画に登場させたのはこのヒト?」と私の顔を見に来た…という説。まさかそんなワケなかろう、と一笑に付されるだろうが…実は、蝶には何かそういう、魂を持ってるような不可思議な面があるんじゃないか…と思うような出来事が近年起きたのだ。でもまあ、その話は「蝶は義理堅いのだⅡ」で。

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2011年3月 1日 (火)

人生で一番ツイた瞬間。

私は大体クジ運がない。(^^)思い出す限り、クジに当たって何かもらった…というのは、小さい時の駄菓子屋、高校の時のアイス、そして「これ」の3回だけだ。駄菓子屋の方は、もう記憶がほとんど消えているので気のせいかも知れない。滅多に買わないのに、ある日思い切って買ったらチョコが当たった。…気がする。駄菓子屋にしては大当たりだから喜んで食べた。…食べた瞬間、「シュワ」と口の中で溶けて消えた。チョコならではの「トロ」がまるでない。何で出来てたんだ。あれ本当にチョコだったのか。(^^)…あと。高校の学食の食堂でアイスを売っていて、そこで「チョコバリ」というアイスを食った。食い終わって棒を見たら「もう1本」と書いてあった。オニの首を取ったよーに嬉しくて、3年間チョコバリを食い続けたが…二度と当たらなかった。が、まーそんなせこい思い出はいいとして。

高田馬場で漫画を描いていた頃。数回仕事をした某出版社から、パーティの招待状を貰った。その頃はまだバブルで景気が良く、出版社もあまり縁の深くない作家にまで気前良くサービスしてくれたのだ。私と違って売れっ子、金持ちの漫画家センセイの中に混じるのはすごく気が引けたが、多少仕事しててもまだまだビンボだった私としては、「食費が浮く!」というだけでこの招待は落とせなかった。

…細かい事は忘れたが、かなり華やかなパーティだったと思う。立食バイキング、好きな物を食べていい。メニューも結構豪華。(^^)着飾ってオホホと談笑する出席者を物ともせず、私はその間を走り回って食った。食った。また食った。ローストビーフ、エビ、あとキャビアらしき物があったのを覚えている。…本物だったなら、この時食ったのが生涯初の、そして多分生涯最後の(^^;)キャビアだろう。誰か知り合いがいて、「あれが○○先生だよ」とか教えてくれた気がするが…すいません食い物だけで、出席者の事は何も覚えていません。<(_ _;)>

パーティの最後に、定番のくじ引きがあった。入場の時にもらった番号札と同じ番号が出れば賞品がもらえる。会場の奥を仮の舞台にし、そこにクジや賞品が並べられ、進行役が説明を始める。…1等は何か忘れたが、電化製品だったかな? もちろん一番高いものだが、私はぜんぜん興味がなく、生意気にも「なんだ、あれだったらいらねーや」とか思っていた。しかし2等は「ジバンシーのコーヒーセット」だったのだ。…これは欲しい!と思った。なんせコーヒー大好きで、1日5~6杯は飲んでたが、素敵なカップってのを持ってなかったのだ。長年愛用のマグも小汚くなった。そこで出会った高級なコーヒーセット。…モノを、あれだけ素直にストレートに「欲しい」と思った事はあまりない。私は隣にいた奴に笑顔で話しかけた。「もし私が1等取ったらあんたにあげる。その代わり2等が出たらちょうだいね」…パーティのノリの軽口に過ぎなかった。しかし。

マジ。私のクジ引き換え番号は、2等のコーヒーセットに大当たりしたのだ。

大びっくり!しながらも、私は大喜びで舞台へ名乗り出て、ジバンシーコーヒーセットの大箱を抱えて戻って来た。さっき話し掛けた人に「2等だから私のね」と言ったかどうかは定かでない。多分、人生で一番「幸運の女神」が降りた瞬間だったんだろう。…でもその後は体調を崩したり、住んでた下宿が地上げ屋に買い叩かれて転居するハメになったり、結婚したり…ロクな事がなかった(^^)。幸運はまれに人に訪れる。しかし、その代償としてどこか別の部分に回されているラッキーが回収されてしまうんじゃなかろうか。だから私はそれ以降、クジや賭けの類には一切夢を持たない事にしている。

余談だが…このコーヒーセットは今でもうちにある。カップ以外は。(^^)カップは邪魔なので親にでもあげたかな。ブランド品だが、良く見ると真っ白なだけで面白くも何ともないから、結局あまり使わなかったのだ。ブランドカップでコーヒーを出してあげたい客も別に来ないし。でもまあ、「当てた」という事実が肝心だから別にいい。ちなみに、コーヒーは今でも、下宿時代以来愛用の「小汚いマグ」でおいしく飲んでいる。

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