カテゴリー「幻のアイテム・こんなんあったよね」の記事

2011年3月29日 (火)

レンチキュラーってアレの事だよ。

レンティキュラー。もしくはレンチキュラー。…ぱっと聞いても何の事だか分からない。(^^)実はこれ、昔シールやワッペン、バッジなんかによく使われていた、「角度を変えると絵が変わるやつ」の名称なのだ。…そう、透明のスジスジの入ったシートの下に絵があって、1枚で2個以上の図柄が見られる、アレ。まさか…あれがそんな難しい名前だなんて、調べるまで知らなかった。(あまり知られてないとは思うが)今はネットにこの「レンチキュラー」を製作する会社が載っていて、頼めば自分の好きな図柄をレンチキュラーにしてくれるらしい。どころか、スジスジのシートだけ買い、フリーソフトで図柄を製作すれば、自分の家のジェットプリンタでレンチキュラーが自作出来てしまう。パソコンは万能だなあ。…しかしオモチャやおまけの範疇では、これが最近とんと見掛けなくなった。

私は知らないが、日本のレンチキュラー…「変わり絵」の元祖は、昭和35年に大ブームになった「ダッコちゃん」の目玉らしい。角度によって片目が開いたりつぶったりしてウインクする。当時はまだこのレンチキュラー印刷の技術が難しく、本物のダッコちゃんはウインクするが偽者はしなかったという。自分の一番古い記憶のレンチキュラーは、ハイアースという殺虫剤のオマケに付いていたバッジだ。ちなみにハイアースは水原弘でおなじみ、昭和レトロ看板の代表の一つ。当時はこのオマケバッジの効果もあって大人気だったと思う。バッジの絵柄は何かというと…「巨人の星」(^^)。星飛雄馬と伴宙太が交互に出て来るの。そんなん交互に出されても…とは思うが、なんたって絵が変わるだけで子供は嬉しかった。…その他に記憶にあるレンチキュラーといえば、アニメ「ひみつのアッコちゃん」のコンパクト。無論1970年頃の第一作な。これは大ブームになり、アッコちゃんの変身コンパクトは女の子の憧れの的だった。私も「欲しい欲しいー!」とワガママ言い倒し、何とか買ってもらった。飛び跳ねるほど嬉しかった記憶がある。アッコちゃんはコンパクトを開け、鏡に自分の姿を映して変身するのだが…このオモチャのコンパクトの鏡の部分に貼ってあったのが、キャラクターの絵が変わる「レンチキュラー」だった訳だ。でも…よく見るとこのコンパクト、アニメと全然デザインが違う。形もスリムでなく、ぶっとい厚みがあって「中に宝物を入れましょう」みたいな箱仕様になってる。これ、コンパクトと違う…(- -;)と気付いて夢破れた私は、やがてレンチキュラーを剥がし、ただの物入れとして使用した。

あと、記憶にある「市販のレンチキュラー」は、カバヤの「ジューC」というお菓子の蓋だ。大抵のレンチキュラーは全然違う2つの絵が現れる物だったが、このジューCの蓋は少し違う絵を重ね「2コマアニメ」になっていたのだ。例えば目玉がまばたく、鳥が羽を上下に羽ばたく、蕾が花になる…みたいな。これは…感動した。ただそれが見たくてよく買った。やがてジューCのパッケージデザインは変わり、レンチキュラーの蓋はなくなったが、ここから学んで(^^)教科書なんかによく「2コマアニメ」を落書きした。私はこれでアニメーションの原理を知ったのだ。…癖は治らず、高校の頃には教科書の隅に大長編パラパラマンガが描かれていた。(^^;)…が、まあそれは余談。

一時期これだけ知られたレンチキュラーが、なぜ最近世間の商品から影を潜めたかというと…印刷が難しく「経費が掛かるから」というのが理由らしい。(- -)じゃあなんで昔は経費を惜しまず、あれだけオマケに付けられたのか。噂では「ダッコちゃんの目は職人が手で描いていた」という話もあるから、要は人件費が上がったという事かも知れない。レンチキュラーの原理は…まあこんな記事より専門サイトで調べた方がいいと思うが(^^)、要は透明シートのスジスジがレンズになってるので、その下に細ーく分割した別の絵を交互に並べると、見る角度でレンズ右側のAの絵は見えるが、左側のBの絵は見えない…みたいな現象を応用したものだ。つまりスジシートの下は「細ーい絵のパーツ」だ。しかし一つのスジの幅は平均規格で0.4㎜ちょっとと言うから…その半分、0.2㎜にほんとに手で絵を描き込んでいたのか(^^;)どうかは定かでない。

レンチキュラーは変わり絵だけでなく、アニメーション、そして視差(右目と左目の角度差)を利用して立体映像なども作れる。技術や経費のある人は、自作するとかなり楽しめるだろう。…そんなん特にない私は、子供時代に作った「おっきなレンチキュラーもどき」なら語れる。(^^)昔、そういう付録があったのだ。あれがそうだと当時は気付かなかったが、今にして思うと原理はレンチキュラーだ。…まず紙に、1cmくらいの同じ幅の線を引いて切り込みを入れ、台紙にする。次に、この台紙の切り込みより小さい幅の紙を交互に切り込みに通し(縫い物みたいな感じね)、台紙から覗いてる部分に絵を描く。台紙には描かない。…で、一つ幅をずらし、今度は台紙に隠れてた部分に別の絵を描くのだ。通した紙を引っ張ると…交互に別の絵が出て来る訳さ。(^^)ただし台紙の部分は隠れたままだから、ちょっと欲求不満は残るけどな。子供の頃、「なんでこんな牢屋の格子みたいな、半分隠れた絵を引っ張らせるんだろー」…とか思ってた謎が、今ようやく解けたということ。

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2011年3月20日 (日)

昔々、ある所にカラーテレビが…

さすがに昭和初期のテレビなんて知らないが。(^^)物心付くか付かないかの頃、家中がテレビの事で大騒ぎしていた記憶がある。…その当時は真空管の、おっきな箱型の白黒テレビだった。もちろんリモコンは無いからチャンネルは手でカチカチ回し、スイッチを入れても暖まるまでしばーらく画面が映らない、あれ。それが壊れ、映らなくなったというのだ。調べてみたら、故障の原因は…ネズミだった。(^^;)テレビの内部にはかなりの隙間があり、おまけにいつも暖かいので、中にネズミが巣を作り、オシッコこいたのが原因だったのだ。まあ牧歌的と言うか何とゆーか。

別にテレビそれ自体は珍しくも何ともないが、白黒からカラーになり、小さくなり薄くなり、プラズマや液晶が現れ、地デジ化し、3Dが登場し…形態や機能はどんどん進化していく。でもやはり、白黒からカラーに変わった時のギャップが一番大きい。確か田舎にいた頃、初めてカラーテレビを目撃したのかな。近所のお金持ちのおばさんちが村で一番早く導入した。特に用事もないのに遊びに行って、カラーテレビを眺め「へー」とか感心したりして。(^^)…その後、町に戻ってもカラーはなかなか買ってくれなかった。確かにカラーは羨ましかった。移行期にはカラー放送と白黒放送の両方をやっていて、カラーの番組は画面の隅っこに「カラー」と出る。あれは「えっカラーなのにまだ白黒で見てるの?」というアオリだよな。(^^)地デジ化してないと画面に「アナログ」と出るのと同じ。

その当時…あまり記憶が明確じゃなく、家で見たのか、店で見たのかも覚えてない。…が。「おたくの白黒テレビをカラーテレビに!」というアイテムがあった。何かというと、これが色の付いた透明のアクリル板みたいなの。(^^;)つまり…サングラスと一緒。白黒テレビに被せると緑なら緑、赤なら赤の一色だけ色が付く。それカラーテレビじゃないからー! カラーテレビってのは色んな色が出るやつだからー!…と子供心に思ったが、庶民はそんなんを買って見たりしたんだな。「なんか違う…」という気持ちを一生懸命抑えながら。

余談。(^^)やがてうちもカラーテレビ(すげー小型だった…)を手に入れ、人並みにカラー放送で育った。でも上京して四畳半で独立した時は、さすがに親のテレビを奪って持って来る訳には行かなかった(^^)から、現地のリサイクルショップで小型の中古テレビを買った。1万くらい。もちろんカラー。もういちいち「カラーテレビ」なんて呼ばない訳だが…これが中古だけの事はあり、そのうちカラー調整がおかしくなってきた。だんだん全体が黄緑色に偏って来る。始めは「やや」だったが、だんだん酷くなる。そのうち赤も肌色も分からない、単色の真緑状態になる。…どっかでこんなの見たような。その時、あの「色板を被せただけの偽カラーテレビ」の事を思い出したのだった。結局それに戻ってしまったのかなー(T^T)とか思い。私が「緑しか出ない」と文句を言ってたせいか否か、中古テレビはやがて画面の一部に「赤紫色」が被るようになってしまった。…緑と合わせるともう茶色。(^^;)見てらんない。その頃から私は…テレビ嫌いになった。今の液晶なんかの画面は、そんなたまげた壊れ方は決してしないんだろうけどな。技術がいかに進歩しても、それを買えなきゃ意味がないというお話でした。(^^)

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2011年3月 7日 (月)

トイレの紙様ごめんなさい

「トイレの神様」の歌が流行った時、あれっと思った。…教えられた事が違う。「掃除をすると美人になる」なんて母親は一言も言わなかった。大体「トイレ」なんて呼ばない。言われたのは「下半身すっぽんぽんで便所に入ると、便所の神様が怒るよ」…だったのだ。でも、お風呂に入ろうとして服を脱いでしまった後、急に「行きたく」なる事ってあるじゃないですか。緊急事態なので再びパンツを履いてられない。それ以来、そういう状態で入る時に私は「便所の神様ごめんなさい、便所の神様ごめんなさい」と唱えるようになった。…この癖は今でも少し残っている。(- -;)一部では言われてた教えなのかなー。それとも行儀を教えるための、我が母親のオリジナルか。

昔、田舎に預けられていた時は、屋外のいわゆる「ぼっとん便所」だった。(^^)木造の小屋に入ると、四角い穴がボッカリ開いた板間があるだけ。その穴を覗くと…見たくない物が見える。結構落差もあって恐い。だからあまり見ないようにしてサッサと済ます。手を伸ばすと届く位置にあったのが四角い「ちり紙」だった。その頃は洋式便所なんてどこにもないから、紙は当然しゃがんだまま取る。あの四角い紙は、その体勢で取って丸めるのに非常に適していた。…やがて町に戻っても、同じようにしゃがむ和式便所に置いてあったのはまだ「ちり紙」だった。普段ハナをかむのも「ちり紙」。しかしマンションに住み、近代的な洋式水洗便所、いや「トイレ」を使い始めるようになると…その時初めて丸くなった「トイレットペーパー」に出会った。座っていて姿勢が高いから、この体勢だと壁に取り付けられた丸い紙でないと取りにくい。それでもまだしばらく「四角いちり紙」は売られており、母親は買ってよく押入れに入れていた。安いから大量に使う時はこっちにしろと言うのだ。しかし…いつからかそれも無くなり、普段ハナをかむのも箱入りの「ティッシュペーパー」に統一された。気が付けば、「四角いちり紙」は音もなく町から消滅していた。

「四角いちり紙」はティッシュと違い、吸水性はいいが紙質がやや硬く、ゴワゴワしている。試しにペンで字を書くと滲む。ボールペンだと少し書けるが、すぐに筆圧で破れ始める。メモには使えない。しかし裂くと、ティッシュはバラバラになるが、「ちり紙」には方向性があって、ある方向で破くと綺麗にピリリと細長く裂ける。…この性質を利用してよく作ったのが「こより」だった。…今はこの名称も通じなくなって来てるかな。紙をよって、やや丈夫な紐状にしたものだ。母親が作り方を教えてくれた。細長く裂いたちり紙を端から斜めに、30度くらいの鋭角で丸めていく。右手で先端を丸めながら左手で巻き具合を調節する。(右手と左手で巻くスピードを変えろ、とか言われた)最後の端は三角の平面のまま少し残し…完成だ。うまく巻けたものは端を持って立てるとピンと立つが、下手糞でよりが弱いと「ふにゃ」と折れる。これを何に使うかというと…本当は昔、和紙なんかで美しいものを作り、本を綴じたり髪を結わえたりしたらしいな。(^^)でもちり紙のこよりだから、応用範囲は狭い。鼻の穴をくすぐってクシャミさせる事と…あと、「七夕の飾り」に使った。

今はそんなに凝ったものは作らないかも知れないが、私は小さい頃七夕になると奮闘し、短冊のみならず色紙で色んな物を作った。買ったオーナメントを下げるだけのクリスマスより力が入ってたかも知れない。(^^)赤と緑の色紙を切って貼って、黒い点を散らせて「スイカ」とか。紫に黒い頭を付けて「ナス」とか。お供え物の代わりだと思っていた。うまく切り込みを入れると、網のような見事な紙のレースもできる。…それらを下げるのに「ちり紙のこより」が必要だったのだ。先の、三角の余白部分を色紙のオーナメントにぺたっと貼り、もう一方の端を笹の枝にくくる。願いを書いた短冊も同様。これが実に合ってるというか、具合がいい。当時は七夕の終わった笹は平気で川に流したりしてたから、「自然に帰る」という面でもこよりは良かったんじゃなかろうか。(どっち道詰まるか(^^))…やがて七夕は雨の日が多い事を知り、面倒なお祭りはしなくなった。こよりはハナをくすぐるだけの物になり、そして…それも消えた。そう言えばちり紙で、お誕生会なんかの飾りの花も作ったよなあ。細長く蛇腹に重ね折りし、真ん中を輪ゴムで止めてそーっと開くと、ポンポンみたいな花になる。ある世代はすごく作った筈だ。これはティッシュでは花びらが立たないので出来ない。…絶滅したのかと思ってたら、最近100均で「始めから折って縛ってある紙の飾り花の材料」を売っていた。その世代の発想だろうな。(^^)

便所がトイレになったように、ちり紙はトイレロールになった。絶滅ではなく進化しただけだろう。…でもじゃあ、「便所の神様」も「トイレの神様」に進化したのだろーか。進化した神様の教えの方が大事だろうか。(だろうな)でも、それならもう「すっぽんぽんでトイレに入る」のはタブーでなく、罰は当たらないのだろーか。うっかり入った時ほんの少し気に掛かるのである。

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2011年3月 3日 (木)

手書きラインアート・スピロデザイン

私が子供の頃、オモチャも非常にバリエーションが豊富だった。まあ子供が多かったせいもあるが、「よくこんなの思い付くな」と思うようなアイデアが満載。面白くてキラキラしたCMがテレビを飾り、オモチャ売り場はチンチンガーガー稼動音がやかましく、子供たちがプラレールや動くぬいぐるみのいる広場にたかっていた。…でもファミコン発売以来、ほとんどがゲーム機になっちまうのよね。(- -)これは進歩じゃないと思うなあ。発想を刺激されない今の子供が可哀想である。

もちろん、全ての子供が全てを買ってもらえた訳ではない。(^^)すごく欲しかったのに買ってもらえなかったのが「ネオンブライト」。穴に透明プラスチックのピンを挿すと、後ろに光源があってネオンのように輝く模様が作れる。…高かったのかなあ。大ヒット商品だったらしく、進化した復刻版も出たようだ。あと、友達の家にあるからいーや、と思ってたのが「ツイスター」。色の丸の描いてあるただのシートだ。ルーレットで指示された場所に手や足を置く。姿勢がむちゃくちゃになるので、仲間とやるとかなり笑える。…買ってもらって結構遊んだのが「パーフェクション」。変な形のブロックを、同じ形の穴の中に制限時間内にはめ込む。タームオーバーするとバン!と全部飛び出す。面白いんだが…何度もやると穴の位置を覚えちゃうので、そのうち飽きた。そして、無理言ってよーやく買ってもらった、何とも謎なオモチャが「スピロデザイン」だった。

黄色の平らな、箱というか板である。上部は透明な蓋の付いたボックスになっていて、そこに大きさの違う歯車が4つ、赤と青のボールペンが2本入っている。…「板」本体には丸い大穴の開いた、これも透明の上蓋が被さっている。この「丸い大穴」が肝心なのだ。円周がやはり歯車の歯になっていて、ここに4つの歯車のどれかをはめ込む。歯車の方にもいくつもの小さい穴が開いている。…本体と上蓋の間に紙を挟み、歯車をセットし、小さな穴にボールペンの先を突っ込んで、描きながら円周に沿って歯車を回していく。すると、ある周期性を持った何とも不可思議な曲線が大穴の中に描かれていく、という訳だ。高等幾何学の問題のような。(^^)「円Aの内周を小さい円Bが回転した場合、円Bの中の任意の点Pはどのような軌跡を描くか」…だな。文章にしちゃうと難しいが、アホでもグルグル歯車を回しさえすれば、それを目で見る事ができる。

綺麗な曲線なんて描けるもんじゃない。やや成長し、親からもらった雲形定規(…なぜ持ってたんだ、親)で描いたって、元々の曲線がそんなにカッコ良く出来てない。更に成長して買った「自在定規」なんて全く自在にならない。(^^)…でもこの「スピロデザイン」で描く模様は実に美しかった。当時まだ夢の彼方だった「コンピュータ」の仕事のような、理数系の匂いがした。それをガキの自分が手で描けるのである。なんとなく「理数的」になった気もしてくる。しばらく夢中になった。どの歯車のどの穴にボールペンを入れたら、どんな模様が出来るか。慣れてくるとある程度覚えた。気に入った曲線を描く穴だけ、妙にインクで汚れていた。大歯車の外側の穴だと、ガーベラのように端がビロンビロン伸びる。中歯車のある穴を使うと、中に隙間のない鞠のような円が出来る。小歯車のある穴は、描くと毛糸玉状の線が組まれる。…でも。「だから何?」と考え始めると…どーしよーもないのなコレ。(^^)基本「円形の何か」が描けるだけだから、イラストに応用しようにもしようがない。何かになりそうなのに…ならんなー…と、悩んでるうちにボールペンのインクが切れてくる。「別のを使えばいいじゃん」と思ってはいけない。実は、セットに入ってるのは専用の特殊なボールペンなのだ。ペンの中のインクの芯の先が異様に長いの。(^^)長くない普通のボールペンだと、歯車の厚みを通過できず、先が紙に届かないのだ。…これは盲点だったなあ。普通のボールペンから芯を出してやってみたけど駄目だった。何か引っ掛かる。そんなこんなで、私はスピロデザインを卒業した。(- -)

今、「復刻版」として安価なスピロデザインが売られている。板定規みたいなもので、中に穴が開いていて歯車も付いている。だいぶ前に懐かしくて買ったけど…サイズが小さいから。(^^)昔の本家ほど複雑なバリエーションは描けない。でも、逆に大サイズしか描けない本家と違って、ちょこっとカードに模様を描いたりするにはこの方がいいかも知れない。ただ…どんなにこれでグルグルしても理数力は上がらないぞ。体験した私が言うのだから間違いない。(^^)

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2011年2月28日 (月)

フリッパーとわんぱく中高年。

すげー小さい頃、アメリカのTVドラマ「わんぱくフリッパー」が大流行した。…ドラマはほとんど覚えてないが、とにかく「イルカが活躍する話」である。イルカかわいー。イルカかしこい。子供にも大人気だった筈だ。やがて、「わんぱくフリッパーのおもちゃ」が発売された。おフロに浮かべると泳ぐのである。潮まで吹く。それは、初めての「電動・水物おもちゃ」の一般販売だった。こ、これは子供としては欲しい!買ってー!…買ってくれなかった。(^^)高かったし、よく考えたら風呂付きの家に住んだのはもっと後だった気がする。銭湯に持ち込むのもあまり良くない。小奇麗なバスルーム、おもちゃを使って楽しく遊ぶ子供のCMは、私の境遇よりビミョーにランクが上だった。

その後、お風呂おもちゃの流れで「スイスイかっぱ河太郎」というのが発売される。胴長短足の体型に長い腕。この腕を振り回し、なんと河太郎はクロールする。(^^)でんぐり返すと背泳ぎする。(^^)陸に上げると…忘れたけどやっぱり腕で移動する。やまくんに聞くと、男の子としてはこっちの方がハイテクに見えて良かったそうだ。ただ、私目線だと…カッパですからね。フリッパーの可愛さにはとーてー及ばない。それでも、フリッパーを買ってもらえなかった代償にこれもすごく欲しかった。…買ってくれなかった。「お風呂は遊ぶ場所じゃありません」というのが親の考えだったと思う。そりゃそーだけど。銭湯で、ポンプを握ってかえるをぴょんぴょん飛ばせている子供さえうらやましかった。

でもまあ女の子なので。(^^)その後は特に水物にはこだわらずに成長したが…男の子はそこから水中モーターに走ったりしたようだ。調べたらフリッパーのおもちゃの数年前にマブチモーターが発売されている。フリッパー放映自体はその1年前だから、「これから水物がくる!」という読みがあった…のかどうかは分からない。以降はやまくんから聞いた話だが、お金のない小さな子はいきなり水中モーターは買えず、まず「ゴム動力」に手を出した。継ぎ目のない単体成型の潜水艦。ゴム動力というのは…(^^)まあ大抵の人は分かると思うが、長いゴムをねじり、それが巻き戻る力でスクリューを回すもの。同じ原理で飛行機も飛ぶ。単純だが、これ初速だけは結構速いのね。でももちろん航続距離がアレなので(^^)、少し大きくなってお小遣いが増えると本物の水中モーターを買う。…この先は、好きな人にはジョーシキだが、一般人は知らない範囲だ。

マブチモーターは非常な優れもので、単3電池1個なのにかなりのパワーを発揮する。赤と白のツートン(発売当初は青と白だったそうな)で、10センチくらいの魚雷のような形。電池を入れてひねればスクリューが回る。舵もあるので方向も付けられる。吸盤が付いていて、水に浮くものの下に貼り付ければ、ただそれだけで何でも水上を走るのだ。洗面器が走る。石鹸箱が走る。普通の船プラモも!…と言いたいが、これは水が漏れたらモーターの自重で沈むから走らない。(^^)ただ、発砲などの浮力材を詰めれば大きさによっては何とかなる。買ったやまくん大喜び。(^^)…しかし、彼より年長の子供はその頃は更にグレードの高い物を買っていた。ちゃんと専用のモーターの付いた、水上用の船プラモや自動浮沈潜水艦だ。ただ、これは組み立てる際にちゃんと稼動するよう配線したり、水密したりする必要があるので、技術的に高度になる。ともあれ、「水上・水中を走るおもちゃ」は、ある時代の男の子の夢とロマンだった。…しかし、今では子供の世界から絶滅しつつあり、フネ世代の一部中高年マニアがこの領域を支えている。なぜ?

…ったって原因は明白だろう。遊ぶ場所がないのだ。(^^;)フリッパーやカッパは泳げても、家風呂じゃ高性能な船を走らせるにはあまりにも狭い。銭湯は少なくなったし、あってもおもちゃの持ち込みは断られる。…その辺の池や川は? はっきり言って子供には危ない。大体池なんかで走らせても途中で止まったら回収できない。(^^)どよーんと濁った水の中に、苦心の潜水艦が沈んで二度と戻らぬ悲しさ。ミニ四駆のレース場のように「船おもちゃ専用のプール」でも作ってくれない限り、この世界の未来は険しいだろう。ちなみにマブチの水中モーターは1997年に一度発売中止になった。今は復刻したようだが…あまり出回ってない。金型を引き継いだ某社のモーターがよく使われるが、出力が違い過ぎるのね。(- -)マブチと競争させると、スポーツカーと軽くらいの勝負になってしまう。

まあキリがないのでここらで止めるが…「水物」自体は幻のアイテムではない。(^^)今もごく一部の人間が維持に頑張っているが、その世代がいなくなると消えて幻になる可能性は充分にある。…ところで。「わんぱくフリッパー」だが、実はやまくんは持っている。トイザらスのワゴンで300円だったそうだ。なぜー!お前は高価な幻じゃなかったのか!…まあ多分復刻版だけど。でも、その夏のワゴンにあっただけでもう見ないそうだから、フリッパーは再び幻の海の底深く~♪…消えたのかも知れない。

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2011年2月24日 (木)

それが私の料理の聖典。

…その時代。昭和40年代。スパゲティーはまだナポリタンとミートソースの2種類しかなかった。コーヒーはミルクと砂糖が当たり前、ブラックなんて誰も飲まない。鯨肉が安く、ビフテキが買えない家は鯨ステーキ。お母さんの定番メニューは、鶏肉・人参・玉ねぎを入れたでっかいオムレツ。キウイ、パパイヤ、マンゴーはなく、トロピカルフルーツはパイナップルとバナナだけ。りんごは酸っぱい紅玉。マック(関西ではマクド(^^))もない。ケンタもない。ミスドもクレープも31もコンビニもファミレスも何もない。グルメという言葉自体誰も知らず、学生の帰り道のおやつは肉屋のコロッケだった。…そんな時代に、とんでもなく先進的な料理の本を私は持っていた。

それは婦人雑誌の別冊だった。まず表紙を開いて衝撃を受けた。婦人雑誌なのに、折り込みのグラビアに金髪美女の一色ヌード写真が。…と言っても背を向けて座り、顔だけ振り向いた姿なのでエッチではない。(^^)ただこの写真の場合、背中の方が衝撃なのだ。彼女の全身には、牛や豚の肉の部位を表す区切り、あれと同じ線があり、英語で肉の名称(ロースとかランプとか)が書かれていたのだ。だからってグロな感じでは全く無く、スレンダーな体型、頭にはカウボーイの帽子を被り、すました表情で振り向いた彼女はむしろカッコ良かった。下には「海外の写真雑誌から転載しました」とサラッと書いてあった。…料理関係の本なのに、グラビアからして只者ではなかった。

その中身。冒頭はカラーで「豪華な食卓」の写真。洋風、中華風、酒の席のオードブル風…とジャンル別に別れていて、当時の日本人がまず知らなかったメニューが並んでいた。詳細はさすがに忘れたが、私はこの本で初めて「杏仁豆腐」を知った。(無論、当時まだどこにも売ってない)息を呑むほどうまそう。おつまみを「カナッペ」と呼び、今では定番のクラッカーにチーズとか、そしてこれは今でも一般的でないセロリのレバーペースト詰めなどが紹介されている。…さらにめくると、やはり当時は誰も知らない「世界のスープ」が。冷たいスープ・ビシソワーズ、ガスパッチョ(東○ガスじゃないよ)、グリンピースの緑のスープ。普通のコーンスープさえ輸入物のキャンベルしかなく、贅沢だった時代にである。…せ、世界ではこんなん食べてるのかー!他にも「豪華な誕生日」など様々な特集が。料理というより、異次元の王宮のように見えた。

写真ページだけでなく、記事も充実していた。特に好きだったのは「世界の珍味」。かなりの情報量で謎の食材が列挙してある。グルメブームの20年も前に、私はこの記事でキャビアもフォアグラも名前だけ知っていた。(^^)「燕の巣」も、それがアナツバメというツバメとは関係のない鳥の巣だとか、洞窟で採取するとか、正確な情報が書かれていた。…おかげでグルメブームが到来した時も、私は特に驚かなかったのだ。(食べた訳ではない(^^))だけではなく、記事にはグルメブーム時でさえ広まらなかったメニューも多々含まれていた。今では保護されていて食べらない、どころか推理ゲームの代名詞になってしまった「ウミガメのスープ」、熊の掌、蚊の目玉の団子。…蚊の目玉は、洞窟のコウモリの糞の中から未消化のやつを洗い出すらしい。食べたいかどーかは別物だな。(^^;)

その他…「偽者に注意」。肉や魚の素材が安い代替品である事を警告し、写真比較したもの。シシャモが実はシシャモでないとか、銀むつはメロだとか、表示と中身が違う事が知られたのはごく最近だというのに。30年前のこの先見性はなんだ。ただ、そこには「鶏肉→実はウサギ」なんて驚きの偽者もあった。今とは違うセレクトだろう。…他にも、「芸能人のコーヒーの飲み方比較」、「新米お母さんのオムレツ製作対決」等、およそ食に関わる情報なら何でもあり。普通の「お料理Q&A」もあった。落し蓋とかアク取りとかかつら剥きとか、さしすせその調味料とか、私は料理の基礎知識をこの本で覚えたのだ。…ほんと、ただの別冊とは思えない、上流から庶民までフォローする凄まじい内容だった。長年何度も読み返した。さすがにもう失くしたが、この本は名作文学なんかよりずっと、私の人格の基礎を作った気がする。(^^)

時代は下り、バブルだグルメだと騒ぎ、それも失い…食文化はあの頃から見ると飛躍的に多様になったのに、この本に載っていて、いまだに世間で見た事がない料理も結構ある。…「豚のあばらのクラウン」。豚の肋骨を王冠のように巻き、中に詰め物をしてローストし、上を白い紙で飾ったもの。「あばらは肉屋さんで巻いてもらいましょう」とあったが、豚のあばら骨を置いてる肉屋なんてあったんだろうか。(^^;)「お誕生日の食卓」の項目だったと思うが、誰かお誕生日にこれを作って食べた、お金持ちの方はいますか。

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2011年2月21日 (月)

これが元祖ポイントカードだ

今、ポイントカードには色々な形式がある。一番スマートなのはICチップか。次が磁気ストライプの読み取り式。少し前のは裏面全体が黒とか茶の磁気シート。それ以前のタイプは大体、区分けした紙のカードにシールを貼っていく。もっと簡単なのは小さなハンコを押す。…これらのポイントカードは今でも使われている。でも、私が子供の頃はこーいうのは無かった。親が熱心に集めていた「市場の買い物券」は…糊貼りだった。

「市場」である。小奇麗な「スーパー」ではない。買い物をすると、その値段に応じた数だけ、小さな切手そっくりの券をくれる。ミシン目を手で切り取るのだ。切手と違う所は、印刷が一色で安そうなこと。そして裏に糊も何も付いてないこと。(付いてるタイプもあったかな?)店の側にはこの券がずらっと並んだ、ミシン目入りの大きなシートが用意してあり、そこから少しずつ破り取っては客に配る。忙しい最中に手で破るので、時として破り方がいーかげんになり、端が欠ける事もある。…高い買い物には多くの券を出す訳だから、シートの原本から幾分繋がったままで破り取られる。そういうのは見た目もキレイで貰う方も気持ちがいい。(^^)しかし、せこい買い物だと「券1枚」という場合もあり、そういうのは破りにくいのかキレイには切れてなかった。

…で、この券をどうするかというと、同じく市場の各店舗に置いてある「台紙」をもらって(これは頼めばいつでもくれる)、そこに手で貼るのである。台紙には券を貼るマス目のラインと、あと薄い色で宣伝なんかが印刷してあった。お母さん連中は大抵買い物券を財布の中に溜め込んでおり、券がある程度集まると「工作用のり」を持ち出して来て、マス目に合わせて貼っていく。…面倒な作業である。だからよく「あんたやっときなさい」と子供に押し付ける。(^^)そんな訳で、私もよくこの「券貼り」をやらされた。大きく繋がったままの券は当然貼りやすくて楽。(はみ出した分は破って次の段へ。わかるね)だが…一枚一枚にバラけたやつは。面積が小さいから、糊を付けるとベチャーっとはみ出してかなりイヤだった。その上、長い間財布の中で眠っていて、出し入れされる札や硬貨にもまれてきた1枚券はかなりボロボロになっている。時として、「そこまで小さくなるか」というくらい折り畳まれている。それを破かないように広げて伸ばして、1枚も無駄にしないように張り込んでいく。何故なら…この「台紙」、ケチな事に両面この買い物券で埋めないと換金してくれないのだ。もう少しで完成!…という所まで来ても、あと1枚が足りなくては使えない。ともあれ、お買い物券の完成は結構真剣勝負だった。完成した台紙は、あらゆるサイズの券を繋ぎ合わせた物なので見た目ガタガタだったが、埋め切った達成感があった。(^^)

出来た物は親に納入(?)するが、親の機嫌がいいとそれで何かおごってくれる。一番ゴージャスだったのはお好み焼き。でもまあそれは時々で、大抵はお茶屋の前かどっかに設置してある「グリーンティ」か「冷やしあめ」だった。…地域によって違うのかも知れないが、当時の行きつけの市場では何故かこの二つが大抵セットだった。冷えた透明のタンクの中で液が回っている。缶でもビンでも売ってない飲み物だから、それだけ妙なスペシャル感があり、飲ませてもらえない普段の買い物時は羨望のマナコで眺めながら通り過ぎた。

この先、ポイントは完全に電子化していくだろう。あの糊まみれで奮闘した時代に戻りたいとは思わないが、一個一個マスを埋めていく庶民の努力は、今も形を変えて健在なんだなーと思っている。

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2011年2月18日 (金)

チラシの裏とノートの裏

今の子供には想像もつかない世界だろうから書いておくが、昔、いわゆる「らくがき帳」をあまり買ってもらえなった子供は、お絵かきしたい時は「チラシの裏」を使った。(^^)そう、今でも新聞に入って来る、「本日大根○○円!」みたいな、スーパーなんかのチラシ。あれの裏の白い部分に描くのである。無論、「お絵かき出来るチラシ」には条件があった。まず両面に広告が印刷されてないこと(当たり前だね)、紙が薄過ぎてインクが透けてないこと(当時は紙質が悪く、裏まで真っ黒なやつが結構あった)、そして何より、紙がコーティングされた光沢紙でないこと。光沢のあるやつには鉛筆が使えないのである。つまりお母さんにとって一番便利であろう「両面にカラー広告、きれいな光沢」のチラシは、描きたい子供にとっては役立たずそのものだった。(^^)…裏が白く、普通の模造紙程度の質のチラシだけ抜き出して集め、二つに折ってホッチキスで止め、ノートを作った。そういうものによく描いていた。だから何の汚れも印刷の透けもない、綺麗な表紙まで付いている市販の「らくがき帳」は、その頃ある意味ゴージャスな憧れの品だった。

今の「らくがき帳」はアニメやキャラクターの絵が付いているものが多いみたいだが、当時は、特に女の子向けのらくがき帳の表紙には、今となっては伝説の領域である高名な少女漫画家の先生たちが、惜しみなくオリジナルキャラクターを描いていた。(男の子向けはロボットや車の絵だったかな)…考えてみればすげー贅沢。(^^;)よくそんなの安価で売ったもんだ。…で、「漫画家になるんだもん」という私の主張をやや理解した親は、小学校の頃はそういうノートも買ってくれるようになった。着飾った美少女が表紙に描かれているだけではなく、めくると表紙裏にも塗り絵みたいな一色のイラスト。1ページ目は「切り取ってお友だちに送りましょう」みたいなカードのイラスト。大サービスである。…そして、何より当時は裏表紙に「着せ替え」が付いていた。女の子のスタイル画と、その周囲に色々なお洋服。バッグとか小物が付いてる場合もある。切り取って遊ぶのだ。お洋服の肩には白い長方形が突き出ていて、この白い部分を折り曲げて女の子の肩に乗っける。うっかり切り落とすと着せられなくなる。(^^)…本体である「女の子の人形」は、上から服を着せる関係上、最小必要限の衣装しか着けていない。つまり…下着とか水着。(^^;)何となく「えっちだけど、いーのかこれ」と思った記憶がある。

「高名な漫画家の絵」と書いたが、それがあるのはさすがにメーカー品で、どことも付かないメーカーのノートには、やはり誰とも分からない作家のイラストが付いていた。絵はうまいヘタ色々。じぇんじぇん可愛くない女の子のイラストのはさすがに敬遠した。(^^;)お洋服のデザインも千差万別で、素敵なのもしょぼい物もあった。…ノートの中身も使ったが、やはり付いてる物は切り取ってみないと気が済まないから、らくがき帳はいつも裏表紙が欠落していた。やっちゃうとノートの傷みが早いんだけどね。お人形は買ってもらっても、玩具屋に並ぶキラキラした「着せ替え衣装」まで次々買ってもらえる子は多くなかったろう。この手軽な紙人形は、そういう女の子の欲求不満のツボを見事に射抜いていたと思う。…でも、私には物足りなかった。ノート片面のスペースなので、着せ替える衣装が2着くらいしかないのだ。「もーちょっと増やせないの?」とか思い、衣装の絵を描いて自作してみる。肩の折りしろもバッチリ。着せてみる…きれーでない。自分にデザインセンスが無い事を思い知る。濃いカラー印刷と、色鉛筆で塗った薄い色のギャップも気に掛かる。ついにはお人形自体を自分で描き、衣装も自分で考え、手製の「着せ替えセット」まで製作した。やったー!これでノート買わなくたって何着でも着せ替え出来る!…しかし、すぐに飽きてしまった。(- -;)やっぱり自分で惚れ込めるほどの美少女や衣装は描けなかったね。そしてらくがき帳本来の使用目的に戻ったのである。

実は…小学校6年くらいの時に漫画を描いた、この「らくがき帳」が今でも1冊残っている。表紙は里中満智子大先生の美少女。コマを割ったストーリーマンガを、生まれて初めてちゃんと完結させた(^^)記念に、取っておく事に決めたのだ。しかし、中身は今でも恐ろしくて開けられない。「昔の自分の絵を見ると、正視できなくてキャッと伏せてしまう」という漫画家は結構多い。…ましてや小坊のガキの頃の自分の絵なんて。(^^;)パンドラの箱か爆弾か、つーくらいのものだ。何かの拍子に見付け、表紙の里中先生の美少女だけ眺めて「うんうんキレイキレイ」とまた仕舞い込むだけなのである。

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2011年2月16日 (水)

お天気ワンちゃんの社会問題

昔…と言ってもいつか忘れた。まだ小学生の頃かな。うちに「お天気ワンちゃん」という人形があった。当時すごく流行ってたと思う。いわゆる首振り人形で、胴の上にでかい頭がバネで乗っかっていた。目は、角度によって絵が変わるやつで、ユラユラするとウインクするという趣向。…でもまあ形状は別に関係ないのだ。このワンちゃんの特徴はその体色にあった。人形の全身にはビロード地(今はベルベットと言うのか?)みたいなものが張ってあり、買って来た時は大体青だ。それが置いておくと、湿度の高い日にはピンクに変わる。つまり湿度計なのである。シリカゲルによく入ってた「青→ピンクの小粒」と同じ原理。ワンちゃんがピンクの日は雨が降りますヨ、という訳で「お天気ワンちゃん」なのだった。これ、最近見ないなあと思ってネットで調べたら、驚くべき事が分かった。…いや、驚かない人もいるだろうけど、まだ一般には知られてないと思う。これに使われている「塩化コバルト」が、発がん性があるというので規制され始めているらしいのだ。

塩化コバルトは、乾燥していると青、水分を含むとピンク(濃ければ赤)に変わる。ブツさえあれば、実験が簡単なので子供でも確かめられる。この性質を利用し、昔から湿度計代わりに使われていた。お天気ワンちゃんはすたれたかも知れないが、シリカゲルの中の青の小粒や、除湿剤の「表示がピンクに変わったらお取替え」みたいな目安表示は長いこと現役だった。これが今使えなくなってきている。発がん性がある、と言い出したのはEU。「指令」とゆーのが発せられたそうだ。「指令」は加盟国に「目的達成を求める」というくらいのもので、本来法的な規制でもないらしいが、影響力はかなりあるんだろう。事実、日本なんてEUじゃないのに業界は既に対応している。塩化コバルトを使わない色変わり湿度表示が開発されたり、そもそも湿度表示をやめたり。言われてみれば最近シリカゲルの中に青の粒が入ってない。でも、長年塩化コバルト含有の製品を作ってきた子会社なんかは、いきなり使用中止を言われて困惑してる風である。で、「規制される法的根拠があるのか」と聞くと…これが明確にはないらしいのだ。

ややこしい話になってしまうが。(- -;)まず「PRTR法」というのがある。これは各国にあり、日本でも1999年に法制化された。(Wiki調べ)PRTRは「特定化学物質の環境への何たらかたら」…という長い名称の略で、要は「危ない化学物質がどーなってるか調べるぞー」というだけの法である。調べなかったら罰があるが、使ったって罰はない。(変だね)で、塩化コバルトはこれの対象に挙げられている。…一方、EUの指令はRoHS指令とも言われ、EU加盟国にしか効力がない。ここでは鉛とか水銀とか、いかにも危ない物質6種類が明確に禁止されている。それは別にいいのだが、塩化コバルトはこの6種類には入ってない。ならなんで文句を言われるのかというと、それ以外の「危険物リスト」に入っており、発がん性は「カテゴリー2」…「すごくヤバくはないけど、結構ヤバい」くらいにランク付けされているから、らしい。でも、日本では含有量が低かったら一応「可」、の筈である。なのに自主的に使用をやめる所が増えている。ブラックリストにある以上、後で被害だ訴訟だ、という騒ぎが起こる前にやめた方がローリスク…という判断だろう。

でも昔、お天気ワンちゃんならさんざん触ったりして遊んだと思うし。シリカゲルのピンクになった玉をあぶって「わー青に戻った」なんて実験もやった事があるし。ほんとに危険なのか、今さら言われたってどうなのか、こちとらには実際の影響は分からない。触っただけでアウトか、なめたらアウトか、湿度が低い時と高い時で危険度は違うのか(つまり揮発したりするのか)、それも分からない。…ちなみに、うちのお天気ワンちゃんは年月が経つにつれ大体ピンクになっていた。雨でなくても。湿気は定着するし、良く考えたら洗面所かどこか水場に置かれていた気がする。…ダメじゃん。(- -;)こういう物は飽きて来ると邪魔にされるんだよな。そしてやがて黒カビが付き、汚くなったので捨てられた。…ような記憶がある。おぼろげに。あの頃無心に首を振っていたワンちゃんには、今環境問題やら法的問題の重ーい鎖が掛けられてしまっている。

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2011年2月 9日 (水)

花の香りは上か下か

キンモクセイという花がある。木にオレンジの小さい花がわーっと群れて咲く。季節になると、キンモクセイを植えている庭の周辺に特徴的な甘い香りが漂う。…しかし、そんな風情のある庭が近所にない場所で育った子供は、それが花の香りだという事が分からない。

昔「EVE」というガムがあった。大人っぽいデザインで高級そう。どんなんだ、と思って買って食べてみた。…うがぁ!な、何だこれは。食品でなく化粧品の味だぁー!…と、子供の私はパニック。これ、キンモクセイの香りを使った、画期的な「香水ガム」だったのだ。調べてみたら、当時このガムのファンだった人の要望で2010年に復刻発売されたりしたらしい。オシャレで大人っぽくて好きだった、という声が結構ある。でもまあ、食べた当時の私は何のオシャレ心もないハナタレガキだったので。(^^)このガムを理解するのに時間が掛かった。…キンモクセイの香りって書いてあるが、キンモクセイって何だ? まず花を知らない。ともあれ、入ってるのは化学薬品でなく花の香料らしいと分かって一安心。食べてはいけないものを食べたのかと思ったのだ。…後に、どこかの庭で「あれがキンモクセイよ」と教えられた。花の香りとして嗅いだら大変いい香りだ。ようやっとキンモクセイが好きになった。

そして…成長した頃。まだ上京前、私の母親が、トイレの芳香剤に好んで「ピコレット・キンモクセイの香り」を置くようになった。へぇーこれって芳香剤にもなるんだ…と感心してたら、そのうち世間の子供が庭のキンモクセイを指差して「あートイレの匂いだー」と言うようになった。それでちょっと世間で「嘆かわしい」とか問題になってたように記憶している。(^^)ただ、問題になった頃は多分、私はもう上京して下宿にいた。共同トイレに自腹で芳香剤を買って置くほど親切ではなかったから、しばらくトイレの芳香剤とは無縁の生活を送っていた。そうこうするうちに、ピコレットが世間から消えた。私はてっきり、この「キンモクセイをトイレと言われた事件」が影響して売らなくなったのだと思ってたが、調べたら発売元の藤沢薬品が家庭用薬品から撤退、事業をライオンに譲り渡し、んでそのライオンが発売を止めたんだと分かった。…複雑な事情があったんだね。でも、じゃーそのライオンはなんで「キンモクセイ芳香剤」を止めてしまったのか。ピコレット世代の人は、いまだにキンモクセイを嗅ぐと「トイレの匂い」と思うらしいから、やっぱりこの件の影響がなかったとは言えないだろう。「風雅な花の香りを、子供にトイレの匂いと記憶さるのはいかがなものか」…という配慮。

そんな訳で最近は、キンモクセイ芳香剤は全く見なくなった。ちょっと淋しい気もする。しかし、無いにもかかわらず「キンモクセイ=トイレ」というイメージは、ある世代に根強く残っている。子供の時の刷り込みって生涯引きずるもんねえ。私の場合キンモクセイ初体験はガムだったから、イコールトイレ、という感覚はない。…しかしだな。「トイレ」のイメージを持った人がキンモクセイガムを食べた場合、一体どうなってしまうのだろう?…それを想像すると、大きなお世話とはいえなんかちょっと心配なのである。

余談だが、結婚して間もない頃「桂花」という良く分からない小瓶を買ってしまった。中国産の薬味で、赤黒くねっとりしてるから「豆板醤」の一種と間違えたのだ。これは実は、あちらで正月用の菓子などに使う「キンモクセイの香料」だった。結局、何に使っていいのか分からないまま破棄してしまった。もったいない。やはり日本人がキンモクセイを食べる、ってのはいまいち板に付かないようだ。(- -)

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