カテゴリー「珍しいものを見た」の記事

2011年5月 1日 (日)

淀長さんの怪談。

ずいぶん昔。…と言っても年代はまるで分からない。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」で有名な、映画解説者の淀川長冶さんがまだご存命だった頃だ。淀長さんが、自分の体験談としてある雑誌に「怪談」を寄稿していた。この方は映画の話以外は滅多にしなかったと思うので、当時でも「珍しいな」と思って強く印象に残っている。ただ、このエピソードが氏のエッセイ集か何かに収録されているものか、それともあの雑誌記事だけで消えてしまったのかが私には分からない。他に記憶してる人はいないだろうか。

内容の細かい所は忘れたし、違ってるかも知れない。が、大体こんな話だ。…淀長さんは母親をとても大切にしていて、親孝行で有名だった。しかしそのお母さんにも死期が迫ってきた。…ある時、淀長さんとお母さんがいる部屋の四隅に黒い影が現れた。ひざまずくような格好で、彼らはこう言った。

「お迎えに参りました」

すぐにお母さんの事だと分かった淀長さんは驚いて、「あと○ヶ月待って下さい」と言った。…この辺記憶がハッキリしない。3ヶ月だったか2ヶ月だったか。まあとにかく、それを聞いた黒い影たちは「分かりました」か何か言ってそのまま消えてしまった。そして、淀長さんが口走ったのと同じ時間が経過した頃、本当にお母さんは亡くなられたという。…こんな話。和田誠氏か、もしくは和田誠そっくりの見開きイラストが付いていた。「黒い影」は角のある悪魔のような形に描かれていて、多分死神だろうと思わせた。それが極めて丁寧な態度で、執事のようにうやうやしくお母さんを迎えに来たというのが鮮烈で、「やはり淀長さんの親孝行がアチラの世界でも分かっていて、そういう人にはそれなりの礼節のある態度で告知に来るんだろう」と思った記憶がある。

永遠に生きている人間はいない。…でもどうせなら、ずさんに「オラ行くぞ!さっさとしろ!」と連行されるのではなく、丁寧に優しく迎えに来てもらえるような終わり方をすべきなんだろうな。(- -)などと思わせる話だ。

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2011年4月25日 (月)

映画とシンセとアメリカの朝食

それがどのくらい珍しいのか分からないから、ちょっと書くのを躊躇してたが…連れ合いのやまくんに「ものーーーーすごく珍しい!」と太鼓判を押されたので、書いてみようと思った思い出。

高校時代。文化祭で映画を撮る事になった。…話せば長いので全部は書けないが、すったもんだの末、私が脚本・総監督をやる事になった。撮影機材はというと、当時だから「8ミリ」。しかも数学の担任の私物を借りての撮影である。(^^)私も含め、スタッフは無論みんな素人。映画マニアのような知識のある人間もいなかったし、全ては試行錯誤だ。私も見よう見まねの「絵コンテ」を切り、演技をどーこー指導したり必死だった(- -)訳だが… まあ人徳がないというかリーダーの資質がないというか、人が付いて来ず映画は何度も破綻しかけた。不評を買って詰め寄られ、一度リコールされ、結局やる人間が他にいないのでまた戻された。その上、コンクールを控えた吹奏楽部の特訓も重なっていたのである。(- -)…過労状態でヘロヘロのヨレヨレ。道が真っ直ぐ歩けない。当然夏休みは全部そういう事に消えたのだが、他の遊びたいスタッフにはよく逃げられた。…秋が来て、文化祭が近付いても中々完成せず、深夜近くまで男子宅に(- -)詰めてプロジェクターでフィルムを編集した。切って貼り切って貼り、フィルムを針で引っ掻いてレーザービームを撃つシーンを作った。(昔はそーいう事したんだよ。(^^)良い子のみんな)…誰も団結しない映画集団だったが、ただ一度、声も全部入れて最終ラッシュを見、ちゃんと映画っぽく仕上がってるのをスタッフで確認した直後だけ…「やったー!」と一同飛び跳ねて歓喜した。(^^)…その一瞬が全てだったな。

…ま、そんな話はどーでもいいいんで。その映画制作の最中の話。私も始めの頃はバカだから、無謀な野心に燃えて「テーマ音楽は自作しよう」とか考えていた。しかしギターやピアノは出来ないし、部活の吹奏楽器はバスクラリネットというどマイナー木管。不気味な森のシーンくらいでしか活躍しない(^^;)音質の楽器で、とーてーBGMには使えない。出来ればシンセサイザーが欲しかった。(^^)…しかし考えて欲しい。当時パソコンはまだないのだ。市販の電子音楽は普通はエレクトーン。…冨田勲の登場以降、喜多郎とかテクノポップでシンセサイザーの存在は有名になりつつあったが、やっと鍵盤の付いたやつが発売されたかされないかくらいで、基本プロしか持ってない。本格的なものは部屋一面を埋めるほどの大きさ。…そんな時代になんでシンセサイザーと思い込んだのか自分でも分からないが、とにかく私はある筈もないシンセサイザーを探し回っていた。すると、あるクラスメートの女子が「うちにあるよ」と言い出したのだ。…ええっシンセ持ってる? これはちょっと触らせてもらわねば!…という訳で、スタッフ一同ゾロゾロと彼女の家に遊びに行った。

…いわゆる「お金持ち」。彼女の部屋にその機械はあった。キーボードっぽいが、何か大量のツマミやスライドスイッチが付いている。電源を入れるとツーと音が鳴り、いわゆる「波形」が表示される。ツマミを切り替えるとそれが「正弦波」、「三角波」、「ノコギリ派」、あと何波だか分からん四角いやつ…と変わっていくのだ。うわぁ波形から作るんだ!すげえ!…しかし、何をいじれば「音楽」になるのかがサッパリ分からない。別の音と混ぜたり、波形の幅や高さを変えたりするらしいが、そもそもどんな波形ならどんな音になるのか知識がないのに、これで素人が音楽なんか作れる訳がない。…持ち主である彼女に使い方を聞くと、彼女も良く知らないらしい。そもそも音楽やってる訳でも何でもない子だ。「じゃー、なんでシンセサイザーなんか持ってんの?」と聞くと、彼女はポーッとした表情でこう言った。

「シンセサイザー欲しいって言ったら、パパが買ってくれたのー」

…パパ。(- -;)それ絶対ハンパな値段じゃないだろ。使いこなせないと分かってる娘になぜ… いや、言うまい。お金持ちの思考は私のごとき貧乏庶民には計り知れんのだ。ともかくその日はみんなでシンセサイザーをいじり倒し、うわーうわーと騒いで遊んで日が暮れた。(- -)…日程の余裕はないとゆーのに。

で。このシンセ、機種は何だったのか。… これが、不思議な事に今資料を調べても全く分からないのだ。当時一般に発売されていた製品など数える程なのに。年代からするとローランドVP330かと思ったけど、デザインが記憶と違う。海外のWavecomputer 340とかは波形の出る窓がない。カシオのVL-Tone VL-1でもない。こんなシンプルなボタン数じゃなかった。…あるぇ? 記憶では確かに「ホワイトノイズ」と「ピンクノイズ」を出すスライドがあった。ノイズの種類なんてこの時初めて知ったのだから間違いない。波形の出る小さな画面も。…専門家のプライベート機種だったのか? 誰か、そんな謎のシンセの事を知ってる人はいませんか。

…結論。結局「テーマ曲の自作」は幻に終わった。(^^)映画のラストに流す曲は、あるスタッフの強い勧めでスーパートランプというグループの「Breakfast In America」(アメリカで朝食を)に決まった。…結構画面に合ってて良かったから悔いはないが… 今でもこの曲を聞くと、当時の苦闘と挫折、シンセで弾こうと頭の中で作っていた自作曲の記憶が蘇る。ほろ苦いというより激苦の思い出である。(- -)

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2011年3月15日 (火)

地震の時に来たもの

東日本大震災。亡くなられた方に心からのお悔やみと、被害を受けられた方に心からのお見舞いを申し上げます。この震災は、日本の、あるいは世界の全ての人間にとって人事ではありません。どうか負けずに頑張って下さい。

これは…正確に言うと「珍しいものを見た」ではなく、「聞いた」のだが。

私は千葉在住。…その日、買い物から帰り、さあ一休みと思った瞬間だ。グラグラ来た。…え。地震。でもしばらくすれば収まるだろう。…収まらない。長い。まだ続いてる。しかもだんだん大きくなる。電気が消える。これはまずい! ストーブを消し、身構えて家具の様子を見る。物が落ち始める。…しばらくし、ようやく少し収まった。が、停電は続いている。やれやれ、えらい事になったな…と落ちた物を拾い始める。食器は割れてないが落ちかけている。ビンが倒れて中身がぶちまけられている。それを一通り元に戻した頃…再びグラグラ! 余震だ、あわてる事はない、と思いたかったが、これが「さっきのよりでかいんじゃないの?」と思うほどきつい。さっきのが落ち、新たにDVDデッキが落ち、籠がひっくり返り、紙片がぶん撒かれる。…少し収まる。また片付け直しだ。微妙な揺れは続いてるし、これはちょっとテレビで確かめなきゃ、と思うのに停電で付かない。携帯は繋がらない。パソコンでネットを見れば「大きな地震があった」事だけは分かるが、停電でバッテリー仕様になってるから、あれこれ探してたらすぐバッテリーが上がってしまう。…今回はそう簡単に停電が復旧しない予感がする。後々を考え、取り合えずパソコンを落とす。

町内防災無線の受信機が置いてある。一局しかないラジオみたいなものだ。これは停電してもしばらくは大丈夫。それが低く唸り始め…「おっ、地震について何か言うか?」と期待して耳を澄ましてたら、いつも午後3時に時報代わりに鳴る「恋は水色」が流れただけだった。…なんだがっくり。(- -)防災無線なのに、いつも情報遅いんだから。…そーだ、2階がどうなったか見てなかった!と今頃気付く。上がってみると…うわぁ。物は壊れてないようだが、積んであったプリンタ用紙が部屋真っ白に散らばってるじゃないか。まだ揺らめいてる部屋の中、一生懸命拾ってたら…

何か、広報車のスピーカー音みたいのが遠くから聞こえる。あ、さすがに役場が、町内を心配して見回りに来たのね!…と思って耳を澄ます。聞こえてきたのは、

「♪パーフィ~~~…」 豆腐屋の音だった。

思考が真っ白になり、そのまましばらく固まった。「豆腐の移動販売中です」というおっさんの声も。録音だろうけど…なぜ今。この地震の今。いつもは滅多に来ないくせに。車だと地震があまり分からないというが… いくら何でもアレは分かるだろー。それとも豆腐屋が地震から逃げようと、とっさに商売の車で走り出したのか?…しかし「♪パーフィ~」はゆっくりと、余裕たっぷりに通り過ぎる。窓を開けたけど、うちからは見えない。このユラユラしてる時に、外に走り出して本体を探し出し、「おっさんこの非常時に何やってんねん!」と叫ぶ根性までは…さすがに無かった。(- -;)

よって、あの豆腐屋が何だったのかはいまだに分からない。幸いうちの方にまで津波は来なかったから…流されてはいないと思うんですけど。

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2011年3月 6日 (日)

無敵タケノコとの出会い。

これは…田舎ならどこにでもある、平凡なネタだと思うんだ。しかし連れ合いのやまくんが「絶対に平凡じゃない」と言い張るので一応書いてみる。

小学1年。田舎に預けられていた頃。娯楽施設も何もないが、自然だけは豊かだったのでよく意味もなくその辺を走り回って遊んでいた。近所の子供は…やや年長だったし、私と違って地元民だから、虫捕りも川遊びもうまい。しかし私にはオニヤンマもチョウチョもセミも高嶺の花。(^^)どんくさいオハグロトンボ、ミミズ、カエル、羽化し損ねたセミの幼虫(たまにいた)なんかを相手に、1人で遊ぶことが多かった。だから今でも長いものは平気である。あとは…採っても逃げない植物。笹舟、ひっつきむし(正式名称はオナモミ)、スギナを抜いて「どこ繋いだ」…たまにカタクリの花もあったな。まあそんな訳で、面白い植物を探して、何もない藪の中なんかに1人で入り込んだりしてた訳だ。

ある時、どこかのおっさんに突然「こらー!」と怒鳴られた。そんな事は初めてだ。

あわてて逃げ出し…後で大人の話を聞いたら、「そこは人の土地だから」と言われた。えっ、土地には持ち主がいるの?…何をしても自由だと思ってた大自然に、所有者がいる事を初めて知った。どうやら竹薮でタケノコが取れるので、泥棒かイタズラに来たと思われたらしい。…しょんぼりである。しかし、うちの一族所有の竹林もある。そこでタケノコを採る分には文句は言われないという。これは行かねば!…という訳で、タケノコ採りの日、大人たちと一緒に深い竹林の奥に向かった。その時に目撃した…んだと思うんだな。別の時だったかも知れないが、普段通らない道だったから。マクラが長くてすいません。<(_ _)>

竹林の中を見て驚嘆した。それまでタケノコというのは全て、あのほら貝みたいな円錐形だと思っていた。それはまだ「芽を出した」ばかりのやつ。…出た芽は育つ。育ち過ぎたタケノコを、その時初めて見たのだ。それは天辺だけ尖った、定規線のような真っ直ぐの筒だ。無論あのタケノコの皮はしっかり被ったまま、2m3mシュイーンと地面から突き出している。…こええ。ほとんど槍。これでもタケノコなのか。そして、それが槍と同じように凶器である証拠を別の場所で見た。

…道の片側の藪の中。廃屋があった。なんでそんな藪に?と思うが、元は藪じゃなかったのかも知れない。ともあれすでに草に覆われ、道側の壁だか障子はなくなって、家の中が丸見えになった状態の旧家屋。その部屋の中を、床から天井まで「槍タケノコ」がズボ、ズボと数本貫いているのだ。…もちろん人が居なくなり、後に家屋の下の地面から生えてきた…んだと思うんだが、どう見ても「タケノコに貫かれて滅んだ家」にしか見えなかった。植物って、動かないだけで実はえげつない力を持っている。私は感動した。(^^)そしてそれ以来、タケノコを心の師として尊敬するまでになった。

その後。まだ小学生。漫画を描いていた。野原を走っている女の子を描いた後…少し考え、彼女の走っている地面を指して矢印を引き、「だれのものでもない土地」と記入した。(^^)無闇に他人の土地を走り回ると、タケノコに怒られるかも知れないからである。

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2011年3月 2日 (水)

蝶は義理堅いのだⅠ

蝶。それに関する謎の出来事が何件かある。これは昔の目撃談。

高田馬場の下宿にいた頃。確か2階部屋だった。後期に1階に越したから、まだ上京前期だろう。…コタツで寝ていた。横になっていたのではなく、コタツ板に突っ伏してうたた寝していたのだ。…ふっと目が覚めた。夜だったと思う。目の前に何かいる。正面を向き、じっとこっちを見ている。

モンシロチョウだった。

「○≠×◇☆※▲□÷ー!!」 驚いたなんてもんじゃない。訳の分からぬ悲鳴を上げ、私は飛びのいた。その後蝶は悠然と窓から出て行った。…別に、モンシロチョウチョである。珍しくもない。恐くもなんともない。…普通なら。真昼間のキャベツ畑や野原の花の周辺で見掛けたら、なごんだだけだったろう。でも…ここは高田馬場の狭苦しい四畳半である。窓の外には西武新宿線と山手線が走り、轟音が鳴り響く。キャベツもなければお花もない。無論私の部屋にも、蝶の気を引きそうな物は何もない。…キャベツはあったかも知れないが、だったらコタツの天板にちょんと止まるこたーないじゃないの。しかも人間の真正面。その上夜だ。どう考えても蝶の飛ぶ時間帯ではない。なぜ? …しばらくショックから立ち直れなかった。ヒラヒラ飛んでいる時は分からないが、蝶だって昆虫だから、正面アップになると思いっ切り複眼が見えるのだ。てーか、モンシロチョウの正面アップをじっくり見た人なんて少ないだろう。…結構迫力があるぞ。

その後、高田馬場でもう一回蝶を目撃した。…コンビニ。こっちも夜だった気がする。その当時は、まだ都会のコンビニにも多少の野菜や生鮮食品を置いていた。私は適当な晩飯でも物色していたんだろう。…気付くと店内に蝶が飛んでいる。モンシロチョウ。ええっ!? よく見ると飛んでいるというより、棚のあたりにたかっている。その棚には…ラップにくるまれたキャベツ、もしくはレタスがあった。(どっちか忘れた)蝶はその玉野菜に何とか産卵しようとあがいているらしいのだ。何度か止まろうとしては離れ、止まろうとしては離れる。蝶って確か味覚器官が足にあるんだよな。つまり見た目確かに自分が卵を産めそうな野菜に見えるのに、触ってみるとラップのせいで味がない訳だ。「おかしい!これは野菜の筈なのにぃい!」…という叫びが聞こえるようだ。(- -;)「あのね、それはラップした売り物だから産めないよ」と教えてやりたかったが…不幸にして私は蝶語(?)は知らなかった。

卵を産む場所もない、東京の片隅に迷い込んだ可哀想な蝶の物語、である。長年それだけだと思っていた。でもしかし、なんで私の前にうまく2回も出現したのか? …で、これは最近気付いて、「ああっ!」と思った事なんだが。当時下宿で描いていた「貧民通信」という4コマ漫画に、モンシロチョウをネタにした話があったんだな。漫画の主人公はキャベツを主食にしている貧乏下宿人。(^^)彼女に蝶が舞い寄って来るので、「まあ、私って花と見まごうほどに美しいのかしら」などとほざいてたら、実は体にキャベツの匂いが染み込んでるので、間違えて産卵に寄って来ただけだった…というオチ。まさかあの蝶、リアルでキャベツの匂いを嗅ぎ付けたのでは? 私に産卵し損ね、やっと探し出した別のキャベツがコンビニだったのでは? …でもそこまでキャベツが香ってたとは思えないから、この仮説にはあまり信憑性がない。(^^;) 大体それなら体にたかる筈で、正面アップでコタツに止まったりしないだろう。

で。ファンタジーな仮説だが、もう一つ考えた事がある。蝶が「あたいを漫画に登場させたのはこのヒト?」と私の顔を見に来た…という説。まさかそんなワケなかろう、と一笑に付されるだろうが…実は、蝶には何かそういう、魂を持ってるような不可思議な面があるんじゃないか…と思うような出来事が近年起きたのだ。でもまあ、その話は「蝶は義理堅いのだⅡ」で。

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2011年2月24日 (木)

北海道の超人。

えー…これは新婚旅行の時の話である。しんこん。(^^)ロマンチックでラブラブ…そんな映像を思い浮かべてはいけない。大体、結婚式が式場の都合で10月の終わりになった。いつかというと、つまりハロウィンの近辺だ。式後の写真はお化けカボチャに魔女の帽子に両刃斧。…どっこもめでたくない。(^^;)まーそれはともかく、旅行にだけは行こうという事になった。秋も終わり、冬に差し掛かるこの11月にどこに行くべきか?…ふつーは暖かい所とか、紅葉の綺麗な場所とか考えますよね。しかし新郎やまくんが提案したのは「東北・北海道海産物食べまくりツアー」…だった。そう、海の幸がうまいのは何たって冬。しかも北の親潮に洗われたものでなければならない!…という訳で、我々はこのクソ寒いのに車で東北自動車道を縦断し、当時はまだあった青函連絡船で北海道に渡り、名曲「落陽」にあやかって苫小牧発仙台行きフェリーで本州に帰る…という、まるで耐寒レースのような旅に出る事になったのだ。(T^T)車に乗ってさえすりゃー幸せ、というやまくんの本性の恐さが、この時はまだ私も良く分かってなかった。

まあ冬の北国も情緒があるし、途中の宿で食った海産物もそれなりにうまかったが…目的地の北海道は札幌に着いたら季節はもう酷寒。時計台見て赤レンガ見て外人墓地見て…ただ寒い。しかもまだ雪がない。秋と冬の観光シーズンのちょうど隙間、実は最も客の少ない季節だったのだ。(- -;)外をウロウロしてる人間は少ない。ロープウェイもあったけど止まっていた。…それでも根性で朝市とか、後に噴火するあたりの近辺とか、まあ車で移動出来る範囲を見て回った。最後は苫小牧である。…崖。海を臨む高台。カーブしたガードレールの向こうに冬の景観が広がっている。何を間違ったのか、ちょっと降りてみようという話になった。

降りた直後に、凍て付いた北の海風がびうー!びぅうー!と吹きまくった。うああー寒いー!海を眺めてロマンどころの騒ぎじゃない! コートを必死で押さえながら、我々は早々に引き上げる事にした。「こりゃーダメだ」「こんな所に10分もいたら凍死しちゃうよね」…その時。1人の男が我々に近付いて来るのが見えた。こんな人家もない、車でなければ誰も通らないような道を一体誰が?

それは、ランニングシャツに短パン姿のマラソンおやじだった。…我々と同じ寒風の中にいるのである。その筈である。しかし彼はそんな薄着で顔色一つ変えず、「寒いよ」みたいなアクションも取らず…全く当然のような顔をしてタッタッタと走って近付き…タッタッタと通り過ぎて行った。しばし呆然と見送る。「北海道人すげえ…」「いや、誰もがあんなじゃないでしょ」「いやいや、北海道人はみんなこの程度の寒さには慣れてるのかも知れない」

それが北海道の平均なのかどうか確かめる暇もないまま…そう長い休みも取れない我々は仙台行きフェリーに乗り込み、帰路に付いたのだった。この程度の寒さで音を上げる自分のふがいなさに立ち向かうため、私はフェリーの上で海風にさらされながら、ハーモニカで拓郎の「落陽」をひたすら吹きまくった。(- -)

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2011年2月20日 (日)

花火は一瞬の幻…

いやー、この話は実はもう周辺状況をほとんど忘れてるんだ。(^^)まだ結婚はしてなかった。某漫画同人会Sグループのメンバーも若く、その頃は海に山に、何かにつけて大人数で行楽に動いていた。…あ、人数は減ったが、今でも独身のメンバーは行ってるらしい。

その夏は伊豆の海だった。メンバーに別荘を持っている恵まれた人間がいて、毎年夏になると集団でそこへ押し掛けていたのだ。海でどう遊んだかは覚えてない。…目玉企画は夜だった。今回は、浜辺で力を入れた花火大会をしようというので、昼のうちに大量に買い込んであったのだ。何と言っても、住宅のある街中ではそんなにでかい筒物やロケット花火は使えない。しかし広い浜辺なら火の玉飛ばし放題、というわけである。あれがいい、これがいいと…そうだな。当時で6000円分くらい買っていた。期待を持たせる、ぶっとい筒の打ち上げ花火もあった。包みでは間に合わないので、大きな紙袋に全部入れて持って帰り、夜になるとそれを浜辺に持ち出した。

メインイベントの筒物は後回し。まずは小さい物から前哨戦を始める。普通の手持ち花火や、地面に置くタイプのネズミ花火の類もある。私はオクビョーなのでスタンダードなのをやってたと思う。(^^)メンバーは当時でも立派に大人だったが、もう大はしゃぎ。…やがて誰かが「プロペラ状の花火」に火を点けた。調べたら名称は「とんぼ」と言うらしい。二枚の、ちょっとねじれた紙の羽が付けられた小さな筒花火で、導火線に点火すると火薬の勢いで飛ぶと同時に回転し、竹とんぼのように舞い上がる。これがまた良く飛ぶのである。…びょーん!わー飛んだ飛んだ…え?

角度が悪かったのか、とんぼ花火は低空飛行し、近くに置いてあった「花火の紙袋」の中に見事スッポリと飛び込んだのである。

誰かが「伏せろー!」と叫んだ。…次の瞬間。どぱぱぱぱ!ぱちぱち!ヒューンヒューン!と袋が大爆発し始めた。浜辺はマインスター状態。色とりどりの花火が一気に燃え上がる。時々、うまく上を向いていた筒物からヒューンと火の玉が空に飛んでいく。…一同呆然。ある意味キレイ。6000円の花火は、1分も経たないうちに全部灰になったのであった。

最近はもう花火もやらなくなったなあ。大人になったから…と言うより、人間一度すごいものを見てしまうと、それに及ばない物では満足出来なくなるからかも知れないな。(^^)

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2011年2月15日 (火)

○○党の花見。

これは…ほんとに単なる目撃譚で、何の展開もない話。

やまくんとうっかり結婚してから、しばらく埼玉の公団住宅で暮らしていた。やまくん唯一の特技(他にもあるわい!と言われそうだ(^^))は車の運転で、その頃は結構、休日にあちこち車で連れて行ってもらった。埼玉だと東京も近いし、結構各所へのアクセスがいいのである。今は千葉の海っぺたなので、動くのも一苦労だが。

で。とある春、水元公園に花見に出掛けた。…ちなみに水元公園は葛飾区だが、実はその頃住んでた場所のごく近所である。(と言うとどの辺りにいたか分かっちゃうね。(^^)まーいいけど)おりしも春爛漫。桜満開。川辺の広大な公園に、それはたくさんの花見客が繰り出している。場所を取り、シートを敷いて宴会をやっている人々と、それと花を眺めながら通り過ぎる人々。我々は、二人で宴会やってもしゃーないので通り抜け組である。ワイワイ楽しそうな騒ぎを見ながら歩いて行くと、明るい宴会風景の中に一箇所だけ、妙に薄暗い感じの場所があった。…何て言うか、そこだけ空気が違う。周囲とは明らかに隔絶した、静けさと寒さが漂っている。漫画で言うと、そこだけ上から「タテセン」が降りている感じ。怪談なら、急に寒くなり、いよいよそこにオバケがいる!…というシチュエーションの雰囲気。

そこにいたのは…「○○党」のノボリを上げた花見の一団だった。

この党が何党かは、せーじてき問題になると困るので絶対書かない。(^^)推察していただきたい。…花見なのだ。無論彼らもシートを敷き、飲み物や食べ物を用意してあるのだ。なのに…誰も喋ってない。全員しんとして体育座りしたまま、一団の中心を眺めている。そこでは1人の男性が、哀愁をいっぱいに漂わせ、感情込めてハーモニカを演奏している真っ最中だった。

いや別に…どんな花の見方をしたって人の自由なんだけどね。なぜハーモニカ。「うまいぞー」と声を掛ける訳でもなく、喋るわけでもなく、「真剣に聞かねばならないっ!」という顔をして、なぜ体育座り。楽しいのかそれ。…私はオバケやUFOを目撃するよりも衝撃を受けた。確かに、桜の下にはなんとかが埋まってる、という話もあるけどね。ふつーは埋まってるのは化学肥料とかミミズくらいだと思うから、別に明るくしたって桜は怒らないと思うよ。(^^;)

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2011年2月12日 (土)

白銀のロードスター。

その当時の事を私はほとんど忘れているので、一緒に目撃したやまくんに確認しながら書きました。(^^)

私は生涯でスキーに行った経験は一度しかない。その時の目撃談である。…ある冬、漫画同人「Sグループ」の有志は、長野の某スキー場に向かうため、つるんで高速を走っていた。機動力、行動力のない私も、やはりSグループのメンバーで車好きの「やまくん」と当時うっかり結婚していたので、彼の車に乗せられて同行する事になったのだ。その往路で彼らの目を引いたのは、この寒い冬場にフルオープンで走っている一台のロードスターだった。車好きの多いSグループのメンバーは「いやあ、根性あるなあ」と感心。蛇足ながら解説しておくと、ロードスターというのはMAZUDAのスポーツカーで、天井部分を完全に外す事ができる。つまり滑らかなボディにフロントガラスとシートだけが突き出している形状になる。スマートだが完全に吹きさらし。ボディの中、座席部分だけが凹んでいる状態な訳だ。まさに風と一体になって(^^)走るので、冬場にフルオープンにする人間はあまりいない。勇猛なロードスターはSグループと同じ方向に彼らを追い抜いて行った。

やがてSグループはスキー場に到着。駐車場には、例のロードスターがフルオープンのまま停車してある。やはり同じこのスキー場に向かっていたのだ。「おいおい、このまま停めてて大丈夫か」という声が上がったが、知り合いでもないし別にどうも出来ない。それはさておき、Sグループ一団はスキーの準備をして、やがて楽しくゲレンデで滑り始めた。…ちなみに私個人の事は聞かないで欲しい。(^^)全くの初心者で、ズボズボ雪に突っ込んだ記憶しかないからだ。そんな訳で、昼頃は天候も良く快調だったが、夕方になると空が荒れ始めた。吹雪いてきたのである。空はどんより暗い灰色になり、雪で視界が悪くなった。これはいかんといのうで、我々をはじめスキー客の大半は麓の施設まで降りて来た。リフトが止まった、という話が流れた。スキー場の職員があわただしく周辺を走っている。

その時…Sグループ一団が見た物は、あの駐車場のロードスターが雪に埋まっている姿だった。

くどいようだが、フルオープンのロードスターは滑らかなボディの中、凹んだ座席部分が露出している。つまり子供用の「プール」、もしくは「箱」にそっくりなわけだ。(^^)オーナーはまだ戻って来ていない。吹雪は遠慮なく、座席部分にどんどん降ってはずんずん積もる。座席の「箱」はたっぷりの雪で埋まっている。これ…オーナー帰って来たらどーするつもりなんだろう… 掘らなきゃシートもハンドルもアクセルも出て来ない… つーか、もしこのまま雪が溶けたらそのまんま「プール」になるのでは… Sグループのメンバーは、だからと言って他人様の車を追跡調査する訳にもいかないので、謎を残したまま帰路に付いたのだった。

当然、その後の事は分からないが、やはりロードスターは暖かい、乾燥した季節に、風に髪をなびかせて乗るべきネ、というのが結論だろう。…でも、私にとって最もショッキングだったロードスターはこれではなかった。(- -)その後のバブル期、私が家に帰って来ると、突然新品のロードスターが家の前に停めてあった事があったのだ。マイカーは既に2台あるのに。やまくんの首を締め上げたら、MAZUDAの営業さんを断れなくて…とかボソボソぬかした。いくらバブルだからって。しかも私に断りもなく。(- -;)…もうあの経済状況に戻る事は二度とないだろう。人間、身の丈にあったカーライフを送るのが一番です。

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2011年2月 8日 (火)

卵のなれの果て…

…あんまりキレイな話ではないので、ちょっとお気を付け下さい。(^^;)

下宿生活をしていた頃。始めは2階の4畳半に住んでたんだが、隣の部屋にいたのが劇団員らしき兄ちゃんだった。「らしき」というのは、付き合いがほとんど無かったので詳細を何も知らないのである。その頃いた下宿、実は隣に知ってる人は知ってるという小劇場があって、名もない劇団がよく公演をしていた。だからその関係の人ではなかったかと思う。

下宿の2階には共同のトイレと台所があった。私もビンボだった(^^)ので、そんなにちゃんとした食材を買って本格的な料理まではしなかったが、残りご飯でおかゆなんかはよく作っていた。…ある日、私が台所に行くと、珍しく隣の兄ちゃんがフライパンを持ち出して真面目に料理をしている。野菜炒めらしい。キャベツなんかの具材に調子よくジュージューと火が通っていく。やがて兄ちゃん、鼻歌交じりで自分の部屋に取って返すと卵を一つ持って来た。これで仕上げするつもりらしい。へえ、そこまでやるかと横目で眺めていたら…

フライパンの上、カパッと割られた卵の中から、およそ今まで見た事のない、正体不明の茶色の物体がでろっと野菜の上に落ちた。…え?? と私は驚いて固まった。次の瞬間、0コンマ数秒くらいの速さで、兄ちゃんはせっかくの野菜炒めごとそれを廃棄してしまった。私も追及するのは恐いので、温まった自分の鍋を持ってそのまま自分の部屋に戻ったのだった。あれって元は卵…だろうなあ。(^^;)さすがにそこまで腐らせた経験がないので、茶色の物体の詳細は分からないが、この先も特に知りたいとは思わない。

私はその後、同じ下宿の1階にある、やや広い部屋に引っ越した。その部屋は極小サイズだが一応台所が付いていたので、2階の共同台所に行く事はもうなかった。しかし、1階の玄関先のやや広い板間、つまり私の部屋の扉のすぐ横には、時々訳の分からない物が置かれていた。巨大なミッ○ーマウスの首とか。(^^)やはり巨大で、人間が入れるほどのサイズのシーフードヌードルの容器とか。劇団の小道具だったらしいが、蛍光灯のあまり利かない夜の板間の片隅に、突然「大ネズミの首!」とかがぬっと見えるのはあまり心臓に良いもんじゃなかった。(^^;)(そのせいか、今でもディ○ニーキャラクターはあまり好きでない)…ちなみにシーフードヌードルの方は、それをテーマにした芝居が隣の劇場で公演されているのを後日目撃したので、使用したのは確かだと思う。その芝居ってどんなのか…それは全く分からない。ごめん、ちょっと見に行く勇気とお金が無かったんだ。

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