カテゴリー「そりゃないんじゃない?」の記事

2011年4月 6日 (水)

ホーホケキョとPC。

私が普段使っているパソコンは、ラップトップのXPだ。ラップトップだけで3台目だが、それ以前はずっとデスクトップの98を愛用していた。…というか、今でも愛用している。(^^)それがないと困るのである。何故なら昔、趣味で作曲するため、MIDI音源や作曲ソフトやスピーカー、外部録音用のMDプレーヤー等々を…全部この98対応で揃えてしまったからだ。今さらXP用に全部買い換えると高くつく。…そんな訳で、ウィルス対策ソフトに相手にされなくなっても、各種ダウンロードが使えなくなっても、作曲の時だけは今も98を使い続けている。

その98。実は当時、知り合いに手組みしてもらった「自作PC」である。その頃は自作が流行ってたんだよね。おかげで安くついたのはいいが…でかい図体でCドライブの容量が640kb(^^)しかなく、そこに各種ソフトやデバイスを放り込んだので、システム領域がぱんぱん。ずっとはち切れる寸前だ。時代が下り、主な作業はほとんどXPでするようになってからはメールソフトを削除し、多過ぎたメディアプレイヤーを抜き…色々やったんだがまだ多い。(- -)だからよく立ち上げの時トラブる。98は外付けのデバイスと相性が悪いとよく言われたが、それもあってか、起動で何もかもいっぺんに読み込もうとして失敗したり、フリーズしたりするのだ。大抵は再起動で直るが。…それだけでなく、まだまだパソコン素人(今でも大差ない(^^))の頃は、基本的な事を知らずに無茶をして何度も致命傷になりかけた。自分であーでもないこーでもないと調べ、色んな手を試してみるものの…なんせ手組みなのでマニュアルもない(^^)し、用語も難し過ぎて覚え切れない。時には更に悪化させてしまう。でも始めの頃はこの98の「製作者」が東京にいたので、ほんとの非常事態には泣きついて直してもらう事ができた。…しかし、やがて製作者ははるか遠方の故郷に帰ってしまった。もう電話相談くらいしか助力は仰げない。私は「父なし子」の98と取り残されてしまったのだ。(- -)

これでも、うちわのよーな5インチフロッピーディスクの時代からずっとパソコンやってたんだが…(- -)長い事自力で稼げなかった上、電脳と無縁な田舎住まいで、自分で備品を買って試したり勉強する事ができなかったのだ。当時はソフトももらい物が主。知り合いには「萌え萌えになる前」からの秋葉原の常連で、パソコンには詳しい人間が多かった。だから私のやる事は大抵ハナで笑われ、バカにされた。でも98の製作者がいなくなった以上、何かトラブルがあったらそいつらに相談するしかない。…そう思ってずーっと耐えていた。(- -)なるべく全部自分で解決できるよう、必死で勉強しながら。

それでも…(- -;)どーしても98がまともに動かなくなり、その類の知り合いに様子を見に来て頂かねばならない時があった。98は起動するのにも長い時間が掛かり、メンテの間ヒマだからか、2人でやってきた。はるか都会からこんな田舎にわざわざ来てくれたのだから、丁重にお迎えするしかない。(- -)…2階。彼らが98を前に、あーでもない、こーでもないと話している後ろに私は座っていた。パソコンの向こうは窓。春先である。うららかな空から、ウグイスの「ホー…ホケキョ」の声が聞こえる。私が「あー癒されるなあ」とか思ってたら…彼らがこんな事を言い出したのだ。

「あれ…録音だろ?」「そうだろうな」「鳥の声のするオモチャがあったよな。そんなもんどこで鳴らしてるんだ」

…はい?? オモチャって…そんな訳ないじゃん。私はそんなの持ってないし、他家の屋内のオモチャの音が聞こえるほど隣接してはいない。第一、田舎だからふつーにウグイスくらいいるんで。しかし…本物だよ、といくら私が説明しても、私の発言を軽んじてるからか、それとも普段都会にいてPCばかりいじっているせいか、彼らは決して信じようとしないのだ。「あんな声は出来すぎてる」「やっぱり作り物だろう」いや、だからね…(- -;)ここらはウグイスもコジュケイもヒバリも鳴くんで。シラサギもバサバサ飛ぶし、たまにキジが田んぼや農道を横断するし、朝方カニは上がって来るし、タヌキは車に轢かれるし、時にはウサギやイタチも…

こうして彼らはPCを調整し、あくまで「ウグイスの声は作り物」と信じたまま、千葉のど田舎の我が家を去って行ったのだった。直してくれたのに「あんたばか?」とも言えず…(- -)とうとう私はウグイスの濡れ衣を晴らしてやる事が出来なかった。…あれから何年経っただろうか。風雪と紆余曲折を耐え抜いた98は今も健在だ。今年の春も「ホーホケキョ」といい声でウグイスが鳴く。パソコンのデータより大切なものがある事を、今でも彼らに教えてあげたい。

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2011年4月 2日 (土)

素人に散髪を頼むなかれ。

高田馬場での下宿時代。…えー、私にその下宿を紹介してくれたのは、とある先輩の女性漫画家だった。(- -)それが誰かという事は…まあ分かる人には分かると思うので、あえて名は出さない。Nという人である。とんでもないキャラクターの人。(- -;)初めの頃は同じ下宿の2階の部屋に私、1階に彼女が住んでいて、何かというとよく行き来した。…だけでなく、彼女が漫画のネタに詰まったり悩んだりした時は、2階の私はよく襲撃され、一晩中グチの機関銃を浴びせられたりした。確かに世話にもなったが…振り回されて色々えらい目にもあったのである。そういう話はいくらでもあるが、全部詳細を書いちゃうとモンダイがありそうなので、当時のエピソードを一つだけ。

今もだが…その頃は特にビンボーだった(^^;)ので、私は床屋や美容院には行かなかった。伸びた髪は束ねてくくるだけ。更に伸びたら、仕方ないので自分で切る。そんな私を見て、ある時このNさんが「私が切ってあげる」と言い出した。腕に自信でもあるのか?…と思って聞いてみたらそうではない。「昔、少女漫画に載っていた髪の切り方があるから、あれをやれば簡単に切れる」と言うのだ。なんかすごくやってみたそうである。

そのやり方とは…「首を曲げ、髪を後ろから全部前に持ってきて降ろし、その顔面の前で垂れた髪の先を真っ直ぐに切る」という物だった。こう切るだけで、髪を後ろに戻した時ちょうどいいバラけ具合になるというのである。ほんとに大丈夫なのか…?と半信半疑だったが、彼女があまりにも自信たっぷりだったので、取り合えず頼んでみる事にした。…うつむいて後ろ髪をバサッと逆転させ、といてもらう。そんな体勢なので前は見えない。じゃり、じゃりと大胆に髪を切る音が聞こえる。…やがて終了し、また髪を後ろにバサッと戻す。

…Nさんは突然爆笑した。「わははは!『かまやつ』や~!!」

えっ!…かまやつひろし。そう、1970年代に流行った、あのマッシュルームヘアが伸び過ぎてザンバラになったような独特の髪型。私の頭は、その「かまやつヘア」になってしまっていたのだ…(- -;) 当時は80年代、いくらなんでもその頃にその髪型はカッコ悪過ぎる。…少女漫画に載ってたって、それ一体いつ読んだんだよ。冗談じゃない!…と言いたかったが、切ってしまったものは二度と再び戻らない。彼女もそうなるとは思ってなかったようだが、要は私の髪で実験してみたかっただけなのだろう。しかし、責任を感じるとか悪びれるとか、そーいう機能は彼女の性格の中には全く無かった。(- -;)…大ウケして笑い続ける彼女を尻目に、私は自分の部屋にしょぼしょぼと帰って行った。

それでも切った髪はいつか伸びる。(- -)…これ以降、私はまた自分で髪をくくり、自分で切るようになった。今でも余程の事情がない限り美容院には行かない。何されるか分かったもんじゃないもんなー。まあプロの美容師の人は、読みかじった漫画を参考に髪切ったりしないだろうけど…

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2011年3月25日 (金)

オカルトな母の話。

実は… 私の母親はオカルトマニアだった。(- -;)

物心付いた頃から、とにかくテレビで怪奇物さえやっていたら、「あっオバケのオバケの♪」と必ずチャンネルを合わせて見ていた。当時は「文化住宅」という名の狭い長屋に住んでたから、当然部屋は1つしかない。親がそれを見ちゃうと子供は逃げ場がない。(- -;)私はそんなに好きじゃない…というか恐くて嫌いだったんだが、母は絶対容赦してくれなかった。見終わって家族全員布団に入っても、子供の私だけさっきのテレビが恐くて眠れない。…一度「恐いよー」と起き出して母の所に行ったら、一言「うるさい!」と怒ってまた寝てしまった。(- -)母は読書も好きだったが、そんな訳で読んでる本も…そーいう系ばかり。ちょっとソフトでもミステリー。時代が下って私が中学の頃には、棚には横溝正史の角川文庫がほぼ全巻ずらーっと並んでいた。表紙の絵が杉本一文という人で…これが美しいんだがすごく恐いの。(^^;)一度どこかで見ていただきたい。もうかなりトラウマだった。

で。そんな母だから、子供の私によく「人魂を見た話」を聞かせた。夜の田舎道を歩いていると、こーんな(手でボール大を作る)大きさの青白い光の玉がスーッと飛んで行って…ある家の屋根の上にスポンと入った。そしたら翌日、その家の子供が死んで…どうのこうの。こういうエピソード自体はよくあるらしいが、母が語るとこの話の最後に「キレイだったー♪」という感想が入るのである。(- -;)…青白い人魂はキレイらしい。でも、「わーキレイで良かったねー♪」だの「私も見たいわー♪」…なんて相づち入れられますか。どうリアクションしていいか分からず、「そ」と言って固まるしかない私だった。

今は母も年を取ったが、読書欲は健在である。祖母の葬式の際にうん十年ぶりに帰省した時、今は図書館で借りまくって海外物のミステリーばかり読んでいると言った。「私の読む本は、最低5人以上人が死ぬ」とか平然とのたまわった。(- -)…でも、そんな強靭な母がガンと診断され、手術する事になったのだ。あわててもう一度帰省し、病院で他の親類たちと手術まで付き添った。元気そうだったが、不安を紛らわすためかいつも以上によく喋る。(普段だってよく喋るが)…葬式なんていらないとか、墓になんて入りたくない、みたいな豪胆な事を言った後、彼女はとんでもねー発言をしたのだ。

「だいたい、私はオバケなんて信じてないから。人間は死んだら終わりだから」

…なにー! お岩さんやら心霊現象やら恐い番組を見まくり、私におとぎ話の代わりに人魂話をしまくったあんたが…なにーー! あまりの宗旨替えに思わず突っ込んだら、「あ、そーだったっけ。」とシレッと目線を逸らすのだった。この人って死なないんじゃないかなーと思ったら…

ほんとに手術は大成功し、初期だったのかガンもキレイに取れたそうだ。母は今も元気である。…この際だから、オバケを蹴倒してでも末永く元気でいて欲しい。(- -)

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2011年3月22日 (火)

「お」の付く飴細工のこと。

小学校低学年くらいの思い出だと思う。…いつ、どこでは思い出せない。

道ばた。飴屋のおじさんが、色々な飴細工を作る路上パフォーマンスをやっていた。子供たちがその周囲にわんさか集まって、おじさんの作業を眺めている。私も入り込んで見た。…割り箸の先に柔らかくした飴を付け、指で形を作り、金バサミのようなものを使ってちょんちょんと切り込みを入れ、それをまた伸ばし、変形させ…ただの飴の固まりが、かなりリアルな動物の姿になっていく。見事な腕前。あまりハッキリした記憶はないが、馬か何かを作ってたのかな。屋台にも数多くの見事な「飴」の動物が刺して陳列してある。子供たちもすっかり感心して見入っている。無論私も。…どうやら、リクエストをしたら「飴でなんでも好きなものを作ってくれる」らしい。こ、これは頼まない手はない!…しかし、恥ずかしいのかあまりリクエストを言い出す子供はいない。私は手を上げた。その当時から恐いもの知らずというか、肝がすわってるというかデタガリというか…まあそーいう性格だった。(^^)私の見たかった飴細工は一つだった。

「女の子作って!」

…その頃は少女漫画をよく読み、お目々パッチリの女の子の絵なんかを描いていた。そーいうのを作って欲しいと思ったのだ。つまり美少女フィギュアの飴細工な。(^^)動物専門かな、とも思ったが、女の子だって植物じゃないんだから動物だろう。それにだめなら「だめ」、出来ないなら「出来ない」と言われるだろう。取り合えず言ってみようと思ったのだ。…おじさんは断らなかった。黙って新しい赤い飴を割り箸に付け、ひねり始めた。…ひねる。なんか時間が掛かっている。今、女の子のどの部分を作ってるのか良く分からない。じっと見つめる。やがて飴の一部をつまみ、むにょんと引っ張って曲げ、垂らすような部分を作る。「あっ、これ女の子のポニーテールだ!」と思った私は更にワクワクして眺め続ける。…ちがう。女の子になっていかない。あれ?

やがて、「ほらよ」とおじさんが私に手渡したのは…ニワトリだった。つーかオンドリ。あのポニーテールは、オンドリの立派な尾羽に変わっていたのだ。…え??

おじさんは、飴を出しながら頑として動じない表情で私を見つめていた。その時、私は悟った。今、私が「これ女の子じゃないじゃん!」と突っ込んだら、このおじさんは「え?オンドリつったんじゃないの?」…と言い返すであろうという事を。

全く納得のいかないまま、しかしおじさんを追求する事もできず、私は別に欲しくなかった「オンドリ飴」を買い、なめなめ一人帰ったのだった。さすがに美少女は作った事がないのに、職人の意地にかけて「そんなん作れねえ」とは言えなかったのかなー、あのオヤジ。(- -)…飴は形が形なんで、とってもなめにくかった。

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