カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2008年10月22日 (水)

あえて景気のいい話

世の中経済危機。(^^)私も、金融も株も全く分からないくせにテレ東の経済番組見てみたり。株価は上がった!…と思ったら下がり、また上がってまた下がる。心配するのがバカバカしくなった。しょせんアメリカの株価にぶんぶん振り回されてるだけだな。ビンボな庶民は生活防衛するしかないけど、「ああこんなに不安だ!社会が悪い政治が悪い」と騒いでるどっかの報道に乗せられて悲観的になったら、ますます景気が悪くなるだけじゃん。他人を責めるだけで、自ら明るい話題を提供しないのは亡国の所業だ。だからむりやり「この先幸せが来そうなネタ」を考えてみる。

まず、原油価格がどんどん下がっていること。これまでが酷かったから漁業関係にとってはまだスズメの涙の減額らしいが、上がるより下がるに越した事はない。今年の冬の灯油代を心配していたので、あと一息頑張って落ちて頂きたいと思っている。円高も、差益を還元して何かを値下げしてる有り難い店もあるから、全てにおいて悪い訳じゃない。ただ、「ガソリンに頼ってると産油国の下僕ね」という事に気付いたのは大きいと思うのだ。これを契機に、国も本当に本腰入れて代替エネルギーの開発にいそしむといい。それにエコ技術は日本はトップクラスだそうだから、ガソリンを使わない、もしくは低燃費で済む商品をどんどん補助して、「エコ製品なら日本」というブランドを作って海外に売りまくる。これしかない。庶民からエコ製品のアイデアを広く募集し、実効性があるものを販売、かつメディアでもプッシュするというのもいいかも。もちろん企業が特許取得などもサポート。「この発明でお金持ち!」となればみんな目が吊るだろう。私は「鼻をかんでも、洗って紫外線殺菌すれば半永久的に使えるティッシュ」を提案する。(^^)あと「発電の日」というのを定め、全国民が一斉に自転車を漕いだり、ハンドルを回したりしてバッテリーに蓄電するというのはどうだろう。どのくらいの電力になるかは分からないが、結構ひとつの県の総電力くらい賄えるかも。一番発電した人には賞金を出す。(^^)そりゃー必死で漕ぐに違いない。

あと、都市鉱山については前も書いたが、これも本格的に携帯なんかの回収に力を入れる。「ご不要になった古携帯、古パソコン、古オーディオなどありましたら…」これを国家レベルでやる。(^^)トラックで町内を回るのだ役人。今日、自衛隊の潜水救命艇の使用済みバッテリーが大量に保管してあった、というニュースを聞いた。このバッテリー、なんと純度90なん%の高純度の銀が回収できる。2年前に売る予定だったのが、入札不備でそのままだったそうだ。ずさんだ。でもやった!売れば9億6千万!探すんだ。この国は、ずさんさ故に放置されたこういうお宝がたっぷり眠ってるに違いない。それは一過性の収入かも知れないが、その資金で前述したような景気対策をどんどん打てば、錆び付いたモーターが回るように国の金回りも良くなるかも。お金は使いようだ。要はつまらない所に使わず、本当に資金を再生産できる実態のあるものに掛ければよいのだ。ただ、そういう企画を役所にだけは立てさせてはならない。最近流行りの「ユーシキシャ」を集めるのだ。

あと。日本やアメリカはダメダメだが、インドなんかロケット打ち上げちゃって上り調子。これから世界を動かすのは発展途上国だ。この際、西洋人はほっといてアジアや中東、アフリカともっと仲良くなるのだ。一方的に利用するのでなく友人になる。ここが大事。今まで否が応でも仲良くしなきゃならなかったアメリカから、そっちに乗り換えよう。断熱性が高くて通気性が良く、なおかつ軽くて低価格なターバンを売る(^^)なんて良くない? 宇宙開発に協力してH2も代わりに打ち上げてもらい、(ちょっと情けない)美味しい宇宙食なんかを提供して協力体制を組む。大国がボロボロの現状では宇宙開発も進まないだろうし、ほっといたらインドや中国が宇宙を支配する訳だから。次の王様には礼を尽くしておくものだ。

まず、気持ちから景気良くなってみよう。気持ちで終わるかも知れないが、人の悪口言ってウツになる人生よりはずっといい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月23日 (火)

新米買って思ったこと

今日、いつもお米を買ってる農家の方が新米の袋を運んで来てくれた。(^^)うちは毎年、近所のこの農家から玄米のまま買ってるのである。玄米だからまず虫は沸かないし、食べる時に精米するので常に新鮮。偽装の心配も農薬の心配もない。(^^)一袋30キロ、前は5袋買ってたが、ここ数年は押麦を混ぜた麦ごはんにしてるので、この3袋でまる1年もつ。今年は3袋7,500円だった。トラックで持って来てくれるので運送代もなし。12で割ったら、押麦代は入ってないが一月の米代が625円。押麦一袋が315円で一週間分。×4として1,260円。これに米代を足しても、一月の主食代が約1,885円というコトだ。最近白いお米の袋は買ってないので良く分からんが…かなり安いと思う。その上うまい。

で、こないだ教えてもらって初めて気付いたんだが、こうやって個人消費者が農家から直接お米を買う事は、昔はできなかった。これが可能になったのは規制緩和のおかげだって。コンビニでATM入金が可能になったのもそう。「残高が足りません!」という通知が来て、おーあわてでコンビニに走り入金、ライフラインの停止を免れる事ができる。あと、うちは子供がいないので分からないが、民間の保育施設も増えて働く母親は助かってるだろう。(その代り怪しい所も多いらしいが…)生活は微妙に便利になっている。最近「キセーカンワ」なんて全て悪者のように言われるが、助かってる部分も確かに多々あるのだ。ただし弊害はもっと凄い。何より日雇い派遣の人権無視。タクシー増え過ぎ。例の汚染米騒動も、元々米流通に関係のなかった儲け主義の商社が、規制緩和で業界に入り込んで来たためこういうコトになった。まあキセーカンワしたらどうなるか、する前から全て予測するのは不可能だったとは思う。だからと言って今更「キセーカンワ全部やめ!」とか言い出し、例えばウチが農家から米買えなくなったり、コンビニ入金が出来なくなっては大変困る。一度うまい米食ったらグレード下げられない。(^^)行儀の良い意見だが、やっぱり「キセーカンワや改革はするけど、弊害が出たらさっさと問題を解決し、やめるものはやめて調整する」しかないんだろうと思う。

いつも「規制緩和の弊害!」「格差社会!」「後期高齢者反対!」「ひどい政治!」とか大騒ぎするけどさ。どーしても納得できないのは、その割に「好きな政治家ベストテン」とかやると、必ずコイズミ氏がトップになることだ。何度も書いたけど、そのイタイ大改革をやった張本人はコイズミなんですよ。フクダちゃんはツケを回されただけ。あんたら、改革が大嫌いなくせになんで改革の急先鋒の人が大好きなの。…へん。これも論理矛盾。「一番嫌いな政治家がコイズミ」か、「大好きなコイズミのやった改革だから、そのせいで陥ったビンボも不幸もガマンする」でないと筋が通らない。最近、日本人の前頭葉壊れてないか?そいうや子供の学力低下も叫ばれてるよなあ。(- -)好感度が低いだけで、このツケの全ての責任者のように言われて辞めたフクちゃんを、私は大変気の毒に思う。

しょせん政治家なんて好感度なのかな。リーダーに人物としての魅力があったら、そいつの政治に多少欠点があっても国民は付いて行くのかも知れない。政治や政治家が固い報道番組だけでなく、バラエティーで芸能ニュースと同じ比重で解説されるようになってから、彼らの扱いは芸能人と同じになった。カオが悪いだけでも不利。トークがつまらなかったら論外。人気がないのに長々就任してたら「辞めてしまえー」とブーイングの嵐。…そーいう職業じゃないと思うんだけどな。歌って踊れて司会も出来て、ギャグは気が利いてて知識もあって、その上政治もできる…そういう人物でないと国民は納得しないのか。一体そんな人間、日本に何人いるんだろう。(^^)ともあれ、色々災難がある中で国民がやっと手にした「ささやかな幸せ」を抹消するようなセージカイカクだけはやらないでね。100円ショップもなくさないでね。それが庶民の願い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 2日 (水)

ミカンの皮の悪夢

唐突ですが。昔の漫画やアニメを実写化するのが流行ってるが、私が一番実写化したらいいと思うのは「ぼくの動物園日記」である。そう、あのカバ園長・西山登志雄さん原作の、実話の動物飼育物語。子供の頃大好きでね。足りない巻は古本屋を探して集め、何度も読み返したもんだ。この本で動物への愛情と共に、人間と動物という別種の生物の間に横たわるギャップ、というものを学んだ。昨今の「ペットかわいーもの」みたいな甘ったるい世界ではない。一歩間違えば人間が大怪我したり死んだりする。その逆に間違えば動物の方が死ぬ。お互いの通じ合う部分と、相容れない部分を両方理解しなければ、正しい飼育はできない。私の動物観はこれで育まれたから、いまだにイヌネコでも過剰にベタベタ可愛がる感性には共感できないでいる。

その中で最も衝撃的で悲しい話は、戦時中の悲劇(回想)として語られる、猛獣達の殺戮だ。空襲で猛獣が町へ逃げ出しては困るというので、軍部の指令で、檻の中の無抵抗の動物達が順に殺されていくのである。でもこれは有名なエピソードなのでどこかで読んでね。私にとってそれ以上に、トラウマになるほど心に残った話は「キリンの死」だ。

…時は終戦直後。人々もようやく心の余裕を取り戻し、餌を食べる動物達を微笑ましく眺めている。と、誰かがキリンにミカンの皮を投げる。キリンはうまそうに食う。それがあまり嬉しそうに見えるので、観客は喜ぶ。やがて多くの人がミカンの皮を投げるようになる。しかし、お客の多い日曜の次の月曜日、動物達はみんな腹を壊すのだ。原因はお客が投げ過ぎたエサ。野生動物と違い、動物園の飼育下の動物は無制限に食べてしまうのである。キリンも例外ではなかった。しかし、飼育員がエサやりを止めると「あんなにうまそうに食ってるのに邪魔するひどい奴!」と罵られる。戦時中自分達が飢えていたので、食べる事を止めさせるのは悪行に見えるらしい。

やがてキリンにミカンの皮をやるのが流行り始める。わざわざ溜めて、大量に抱えて動物園に来る。バケツごと持ち込む者もいる。飼育員が必死で制止しても、「そら、もっと食え!」と、キリンの頭上を一面のミカン皮が舞い飛ぶ。…そして、キリンは死ぬ。解剖すると、胃の中から大量の未消化のミカンの皮がごっそり出て来る。嘆き悲しむ飼育員。しかし、キリンの檻の前に「キリンは死にました」という札が掛かると、人々は「きっとエサをケチって餓死させたのだ」と憎しみを込めて噂し合う。「キリンを殺したのは、善意。多過ぎる善意なのだ」とエピソードは締めくくられる。…今でもこういう人結構います。ハトやネコを餌付けして周囲に問題を起こす人。でも、ちょっと品行の悪い奴がいるとネットで叩きまくる現象も似たようなものだな。だから私は正直、「民衆の総意」というものが正義だとは信じていない。

いやね。実はこの物語の記憶に、「さあガソリン代が下がって嬉しいでしょー!」と自説を撒きまくってる誰かのイメージがふと重なってね。いつかそれが「地方行政の停止」とか「消費税大幅アップ」という未消化のミカンの皮となって、どこかからゴッソリ出て来やしないかと。ちなみにうちの町の消費者生活センターだか何だかは閉鎖になり、町役場に統合された。まあこれは町が合併したせいだと思うけど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

風になれ風邪を引くぞ

Asirin_2 どうもー。今日は久し振りに(初めてかも(^^)?)爽やかな記事なのだ。うちのやまくんがヤフオクで電動自転車を落札したのう。メーカー希望小売価格8,9000円の所が2万ちょっと。彼は一定価格以下でしか入札しないので、(^^)値が吊り上った場合は簡単に諦める。決して競う事はしない。だから何を入札しても大体買えないのだ。なのに、今回は先着5名の5番目にギリギリで滑り込んだ。うちってほんと「首の皮一枚で繋がって生きてる」感じっす。

車の免許のない私は機動力ゼロ。広大な千葉の片田舎に住んでるので、ドライバーのやまくんがいないと身動きが取れない。自転車は何度か買ったが、カーポートが雨ざらしなので(何度シートを組んでも台風のたびにぶっ壊れるので諦めた)、その上、海が近いせいもあるのか駐輪してるとあっという間に錆びる。だから今まで自転車さえ持てなかったのだ。でもこの電動自転車は小型で、なんとか玄関に入れられる。これが来た事は正直大きい。それでも当初私は中々信じられなかった。「ちゃんと動くの?」「アシストされてもアシストだけだから、乗ると結構疲れるのでは」…でも、そんな不安は今日の試運転で吹っ飛んだ。

すげーぜ!バイクと同じでキイでエンジンを掛ける…でなくて後部バッテリーのスイッチを入れる。電動モーター起動は、やはりバイク同様ハンドルグリップを回して行うのだ。走行中に切れるように、もう1つの電動オンオフボタンもハンドル近辺に付いている。こんなの無免許の私が乗っていいのかなー、許されるのかなー…と思いつつ漕いで走り出した。ご覧の通りタイヤが異様に小さいのでいくらも進まない。重い。仕方なくグリップを回す。―おおぉ!「ぶいーん」との音も何もなく、自転車は突然気持ちよく勝手に走り出し、加速するではないか。モーターで動くものに初めて乗った私には、何の人力も浪費しないで自動的に進んでいくのが信じられなかった。時速は20キロだそうだ。なんて気持ちいいんだラクなんだ。(^^)(^^)今日は御存知の通り風も強く、その上寒く、自転車で爆走するような気候では全く無かったのに、私は走り続けた。後ろからやまくんがRX-8で付いて来る。風が強い分、空は見事に晴れ上がって光が射し、周囲のビジュアルはとても美しい。ただ…寒い。

実際、これは「漕いで」進むような代物ではない。どうしてもグリップ全開、危ない時と停止の前だけ自転車漕ぎをする事になる。比較すればすっごく遅いが、ほとんど原付と変わらない。でもタテマエ上はあくまでも「自転車」だ。道交法違反になると困るからちゃんとペダルも漕げよ、と事前に言われていた。確かに最近この辺、農道でまでスピード違反の取締りをやっていてオマワリさんが随分出てるから気をつけなきゃ。勢い余ってこのまま防犯登録に行こう…と4キロ先の自転車屋まで行った。そしたら「車体番号がないので登録できません」と言われた。言われて初めて気が付いた。確かにこれ、普通全ての自転車に付いている番号の刻印がどこにもない。規格が違うのか?わー盗られたらどうしよう! でももちろん駐輪中はチェーンも巻くし、モーターのキイも抜いておく。モーターの回らないアシスト自転車なんてサーカスの熊でも乗らない。(^^)きっと大丈夫だ。…そう信じよう。結局、そんなこんなで8をお供に10キロほど爆走した。バッテリーは20キロ分くらいもつそうだ。

アシスト自転車を発明してくれた人ありがとう。免許のない私にも「遅いバイク」の醍醐味を味あわせてくれて本当にありがとう。漕ぎはアシストというより電動に完全依存だから、アシスト自転車というのは「人間の方が自転車のアシストをする」という意味なのだと思うんだが、取り合えずこれを「アシリン1号」と名付けました。(^^)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年1月 4日 (金)

涙の十段お重

2008osechi どーも明けましておめでとう。<(_ _)>と言いたい所なのだが、今年は正月からめでたくない事態となった。本宅の日記にも少し書いたけど、帰省先の伊賀上野で、亭主やまくんの母が元旦早々入院してしまったのだ。山の上だから1日は風が強く、元旦のお出掛け先で義母は風にあおられて転倒、大腿骨を骨折した。医者は「年寄りはよく折る場所だ」と処置に慣れた様子だったが、手術したら高齢だけに何が起きるか分からないとも言われた。しかも病院は混んでいるらしく、手術は8日になる。(病院は、正月早々満員御礼でした。年寄りの事故が多いんだねえ)今現在我々は千葉に帰って来ているが、手術前後は当地に居なければならないから来週また伊賀上野に戻る。やまくん、もう元気そうではあるが、この間まで自分の脳出血で長期療養していたのだから大変である。でも実の息子が居ない訳にはいかないものな。いざという時は輸血を!…と言っても、母親確かO型なんだな。やまくんはB型だ。ちなみに私はA型だ。誰も役に立たんではないか…

今年は義母が弁当屋のお重を二段注文してたので、おせちは作らなくてもいいのかと思ったのだが、これでは少ないと言うので結局また今年も作ったのだ。大晦日に頑張って八段。…なのに母親が入院だ。食わねばならない2人で計十段。無理だー!誰か呼ぼう!と思ったのに、気が付いたら結局ほとんど片付いてたね。今年は、何故かれんこんがすげー高くて焦った。ブリはやめにしたしイクラもちょっぴり。イカも高く、安い冷凍イカを探し出すのに苦労した。魚介が高いと肉類が中心になってしまう。そうすると年寄り好みでないメニューになってしまう。だから、食いたくなくて転倒された訳でもないだろうけど… 色々悩ましい。

今年のメニューはそんな訳で、いつもの出来合いの数の子、イクラ、黒豆、かまぼこに加え、いつも作る煮しめ、きんぴら、手綱こんにゃくの煮物、なます、くわい、百合根、栗きんとん。オリジナルは「かつおなまりの煮凝り(市販のをもっかい煮た。ブリの代わり)」「豚の角煮」「かぼちゃ煮付け」「芥子れんこん」「茄子の丸煮」「イカときぬさやの炒め物」「アスパラのベーコン巻」「だし巻き卵」そんなとこかな。ちゃんと恒例の雑煮も茶碗蒸しもお屠蘇もやりました。2人だけでも、一応決まり事はやらないと何となく居心地悪いから。亡くなったお義父さんがこういうしきたりをちゃんとやる人だったのでね。これも供養と思っている。

今年は年の始めからどうも、災難やドジが固まって押し寄せてる感じだ。私も物引っくり返したり忘れ物したり、色々失敗が多いし。もろに事故渋滞には引っ掛かるし。これだけ来ると、逆に「始めに出尽くして、後は災難知らず」なのだと思いたくなる。しみじみ、高齢者医療は安いままでお願いしたい。でも暫定税だって無い方がいいし、消費税も上げるな…ではもたないだろうしなあ。どこかで誰かが貧乏くじを引くのだ。出来れば「高価・フカヒレやトリュフ入りの料亭のセレブお重」なんか取ってる幸せな所に引いて欲しいものです。(T^T)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月27日 (木)

「可哀そう」の罪

とうとう年末。薬害肝炎問題も、かなり解決に向けて動き出したようでまあ良かった。(^^)あと、主な懸案は年金問題と特殊法人の合理化と原油高とテロ特措法の始末ですかね。政府さん頑張って下さい。

この間気になったんだけど、特に記事を付けそびれたニュースがあった。↓

「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071225-00000302-yom-ent

要するに、欧米ではこの悲劇は「負け犬の死」と思われ、評判は良くないとの事。確かに私も、悲惨な結末が分かってるだけに恐くて見られなかった(^^)記憶がある。子供とイヌ出したら泣くかと思って!…とか言いながら結局ホントに泣いちゃったりするしな。最近上映の「マリ」のコマーシャル「死んじゃうのやだよ~」だけで…ちょっと危なかった(- -)私である。だからこの手のは絶対見ないの。あと、ブレイクするのが難病で死ぬ映画ばっかりというのもすごくイヤ。この国、不幸を乗り越えて戦うのがキライなのかと思ってしまう。

実際、日本人独特の「可哀そう」という感覚は海外では通用しない。例えば今まで「発展途上国」と呼ばれ、いわば「可哀そう」な立場にあった国々がちょっと発展してきたら…どこが可哀そうだー!と叫びたいくらい金稼ぐ。学力も伸びる。図々しくなる。どことは言わないが。彼らは諸所の事情で圧迫されていたに過ぎないのであって、元々凄まじい可能性やパワーを秘めているのだ。逆に言うと、今まで政治的事情や紛争で多くの国が発展を抑えられていたからこそ、日本みたいな覇気のない国が「先進国」ヅラをしていられたのではないかと思うくらいだ。たとえば、世界にはまだまだ貧困で教育を受けられない子供が数多くいる。そういう所で奨学金制度を充実させたり、海外が援助したらどうなるか。彼らは「わーいこれで思い切り勉強ができる!」と、それはそれは頑張るのだ。一気に学力も上がる。「将来は学者とか医者とか技術者になって、国を発展させたい」とか、とても立派な事を言う。日本が戦後の貧困から立ち直った時、果たして子供や周囲の大人はこんな風だっただろうか? 「わーいこれで思い切り金儲けして贅沢できる!」…が大勢だった気がするが。「勉強できて嬉しいなあ」「立派な人になってみんなに尽くしたい」…少なくとも私の時代、こんなセリフを周囲で聞いた覚えは一度もないぞ。最近は日本の子供も学力レベルもどんどん落ちているという。そりゃ、勉強が楽しくて夢を持って頑張ってる子供と、イジメに怯えながら親に言われて仕方なく勉強してる子供じゃ比較にならんわな。頭の問題ではなく、人生観の問題だ。

何が言いたいのかというと、「日本は外国を可哀そうとか言える程、余裕があるんですかー?」と言いたいのだ。現在全ての面で海外にどんどん追い抜かれているのに、国内のゴタゴタばかりで巨視的な危機感が無さ過ぎだ。国際貢献にしたって、何をする事が貢献に当たるのか、という理念が統一されてない。カネ出すだけでは馬鹿にされる事は経験済みだが、じゃあ自衛隊出せばいいのか。それともボランティア出せばいいのか。それとも国連に従う事が貢献なのか。それとも、たとえば紛争のある国なら、その対象国の援助に集中すべきなのか。でも国内で民族や宗派が割れてたら、誰の肩を持つのが貢献に当たる? …何もかもはっきりしてない。「この国大変かも」「可哀そうかも」というイメージで考えても、結局何の役にも立ちはしないだろう。日本は、相手の国の状況や、国際的なパワーバランスを勉強してから現実的に対応を考えてます? 単に「どうやったら日本が善良で正義っぽいか」というだけで、自分の事しか見えてないのと違う? しかし、そうやって自分に耽溺する割には「自分の事=国内問題」すら解決出来てないのはどいういう訳だ。

不幸な人間(もしくは国)は幸せへの道を閉ざされてるだけで、その道さえ開ければ不幸ではなくなる。だから本来、可哀そうな人間など誰もいないのだと思う。難病で亡くなるのは不幸かも知れないが、死なない人間は誰もいない。生きてるうちに本人の納得できる戦いができるかどうかが問題なのだ。薬害の恐ろしさを訴えて亡くなった方も、不幸ではあるが、意味のある仕事をこの世に残したのだから決して「可哀そう」ではない。私だったら自分が不幸な時、「可哀そうー」と言うだけで何もせず通り過ぎる人間を見たら、まず腹が立つと思う。力あるならば何かすべきだ。そういう発想があるから、ネロ少年の話も現地ではウケないのではないか。「絶対画家になってやるぜ!」と根性で生き延びるネロ少年とか… もし飢えたら、せっかくの忠犬もそこにいる事だし…(そこまでしたら天国には行けんだろうなあ(- -;))

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年11月22日 (木)

女が描く戦争。

N○Kのクローズアップ現代を見て、「猿橋勝子」という女性科学者の事を初めて知った。不勉強にして知らなかった。…というより、こんなに偉大な人なのに、死去されるまで巷間で名前を聞いた事さえなかった。だから日本の教育もマスコミも信用できないんだよな私は。ビキニ事件の放射能汚染の酷さを驚異的な正確さで分析したにも関わらず、日本の男学者たちに「女に分析資料は任せられない」なんてひどい事言われ、核実験が安全だと主張していたアメリカには弾圧され… しかしアメリカの学者との分析競争で勝って、見事に科学者としての能力の高さを証明し、女性科学者を励ます「猿橋賞」を創設したそうだ。なんて偉い人だろう。ちゃんと伝記でも読んで、これからは尊敬する人はと聞かれたら「猿橋勝子」と答えようかと安直に思った。

この方は核実験の縮小、つまり平和に大きく貢献したのである。それに引き換え私はちっとも偉くない。今描いてる作品は戦争物。…正確には内乱だが。これ以外に今描きたいのもやっぱり戦争物だ。女性は平和のための力、という考え方には真っ向対立してる気がする。でも本当はそうではない。「女の描く戦争物なんて」と小馬鹿にするむさい連中に、生活という「現場」を背負った戦場、というのを描いて見せたいという気持ちがあるんだと思う。だからって、科学という男社会で「女の科学者なんて」と偏見を受けた人と同様に考えたら不遜すぎるけど。(大体私は社会的実績なんてないし)

ところで、最近のアニメの戦場は女だらけのようである。(ちゃんとは見てません)下手すると女しかいない。でもそれはやっぱり男の願望で作られた夢の世界だ。何故なら美少女、美女ばかりでオバサンがいない。血みどろの訓練もしてないのに「ちょー能力」で妙に強かったりする。何より、女だらけの世界には必ずある「女性特有の現実主義」が全くないと思う。だから私は何の説得力も感じない。そして、悪い事に最近は当の女性がその「男の夢」に合わせて自分を作っている気がするのだ。だからアニメの戦場はどんどん現実から乖離し、本来戦場物で描かれるべき教訓や、戦う事それ自体の残酷さが欠け落ちている。目をそらす。もはや「娯楽としての戦争」でしかない。まあ、現実持ち出すよりアニメ美少女になりきってる方が楽だし気持ちいいだろうけど。

戦争の残酷さをいくら訴えたって、戦争はきっと消滅しない。国家のために戦う戦争は絶対嫌だが、今敵が襲い掛かってきたら、何の能もない私だって自己防衛くらいは(可能なら)してしまうだろう。「そういう現場」に立たされた「現実の人間」はどう行動するのか。それを正面から(マンガなので全部リアルにはできないが)考えてみたいだけだ。戦ってる最中だって人間は腹が減る。排泄もする。暑くても寒くても病気になる。病気や怪我は治療せねばならない。赤ちゃんにはミルクが必要。女性には生理もあるぞ。そういう、人間としての生きる事情を無視したから、旧日本軍はあれほど残酷で無意味だった。そして兵士の命を大事にした米軍は大勝利した。戦って死ぬのでなく、ただ南方をうろついた末餓死させられるなんて最悪だ。戦争は全部無意味だろうけど、中でも「第二次大戦の日本の戦争」は世界一無意味だったんではないだろうか。だから、私は国家の命で戦う戦場は描かない。描けない。馬鹿馬鹿しいから。そういう戦争でなく、「現場の人間が生き残れる物語」を描いてみたいのだと思う。得るものは戦いの勝利ではない。生存だ。そして、実は多く生存した側が「勝利」なのだ。そういう視点って、意外と男性には持てないんじゃないかと。

まあ、偉そうな事言う程の作品になるかどうか知らんが…(ならなくても責任取れないが…)ただ「女性キャラの露出度が少ない」といった感想だけは持たないで欲しいと思ったの。危険な場所で肌を露出し、でかい乳揺らして走り回ってたら大怪我じゃない。ねえ。私には、「露出度の高い女性戦闘員」ほどバカに見えるものは他にない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年10月27日 (土)

それは異様な朝だった。

なんかさ。誰も異様だとは思わないのかな。…カメ一家長男会見の日、朝テレビを付けたらT○S以外民放全部がリアルタイム中継。言っちゃあ何ですがスポーツ、しかも周辺関連ニュースですよ。その前も後も、ワイドショーは長時間を割いてこの問題について討論、討論。この国の人間、大半カメダ一家が大好きなんだな。私にはそうとしか思えない。スポーツで反則したり、常識の無さすぎる行動取ったり、あるいは選手の強さを誤解させる情報を流したりするのは一般から批判されても仕方ないだろうが、何故赤の他人の家庭の家族関係や教育方針まで、日本全国が寄ってたかって指導せねばならんの。というか、何で無関係な人間達にそこまでやる権利があんの。まるで、にわかに日本中がカメダ一家に対する「逆モンスターペアレント」になったみたいな。

今は、たとえばこのブログだってそうだけど、どこの誰でもネットさえ契約してれば、ご簡単にどんな情報でも発信できる。(カス情報でもね)匿名やハンドルネームなら、記事内容が酷かろうが、もしくはゲロッと意見を変えて手のひらを返していようが、書いた本人に追求や非難の手は及ばない。言いたい放題責任感なし。ニュース関連のブログも、フリンとか、問題になった人物が反論できないような批判しやすいニュースだとあっっ!という間に40件以上つく。非難も増える。ところがチャンピオンがカメダを庇ったとか(^^)、攻撃性のないニュースだと関連ブログ数もガクッと落ちるのな。ニュースがすたれて盛り下がってくると、今度は中身の無い、記事のコピペやエロサイト広告のブログばかりが付く。分かり易過ぎてうんざりしますが、要はストレス解消の弱い立場いじめ、もしくは話題性に乗っかった利用。…ばかりではないが、ネットにはそういうのが非常に多いという話。なのに「ネットで騒いでる」と言うと、今はマスコミから政治家から教育関係者からスポーツ関係者まで、実に深刻に気にしますから。「自分達がネットでテキトーな意見を書けば、偉い有名人だって思い通りに操れるゲヘヘ」と思い嘲笑ってる連中がいっぱいかと思うと… ほんと、これが民主主義の弊害かなと…

意見は意見。別にどんな意見だって有り得る。でも、意見てのは「コレはこうすべきだ!」と他人に強制するもんじゃない。それに付随する社会的責任を負ってないなら強制する権利もない。なのに最近はなんか、モンスターペアレントとか(今日テレビでやってたもんで)責任感もないのに過度に自分に「権利がある」と思い込んでる人種が多いのが私は嫌だ。ナメるな。自惚れるな。権利ってのは法で作ったものだ。だから、ルールも良識もない無法な人間に「権利」を主張する権利はないんだ。そして、そんな風に無法だったカメダ一家を批判してる人間の中に、もっと無法な人間がいたらお笑い種じゃない。私は、これ以上事件をどうこう言う程ボクシング界を知ってる訳じゃないので、もういいと思った。知ったかぶりな意見を言うのも分を過ぎてると思うし。でも、今のマスコミに、もしくは一般に「分を知る」「分を過ぎる」という言葉の意味を知ってる人間は何人いるのかなー。「今が何分か知る」「時間を過ぎる」という意味?とか言われそう。

マスコミが朝っぱらからあれだけ報道して、「日本中が注目してる!」と叫んだら、私まで注目せにゃならんの?と思うじゃない。アメリカの山火事とか、C型肝炎の問題とか守○とか、あるいはイランの経済制裁とか、気になる事いっぱいあったのに。カメダ中継の最中には、もし仮にどこかで戦争が勃発してても後回しにされたかも、と思うと何だかげんなりする。大体今、スポーツで一番凄いのはダルビッシュだぞ。(- -)マツザカでもオカジマでもカメダでもない。それだけは確かだ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年10月10日 (水)

亭主の倒れた日

私の亭主、「やまくん」が脳出血で突然入院した。その後出血は治まったようで、どうにか3日目に退院したもの、医者から1ヶ月の自宅療養を命じられた。一歩間違えば本当に危ない箇所の出血なのだが、幸いにもマヒや障害は出ていないようだ。ただ頭痛が酷く、ろくに活動できない。医者は1~2週間痛み止めを飲んで安静にしてるしかないと言う。じっとしてるのが苦手な男なのに、可哀そうにしばらく家にいる。本宅HP「生玉荘」の日記に顛末は少し書いておいたが、こちらでもまとめておく。

「やまくん」が頭痛がすると言い出したのは、入院の3日前くらいだった。いつもと違ってなかなか治まらないし、本当に痛そうなので医者に行けば、とは言ってたのだが… 本当の所、私も歯周病やひどいコリの激痛と闘っている最中だったので、面倒も見切れなかったし、コリやストレスが原因だろうと思っていた。それでも土曜はどうしても休めないからと出勤した。日曜日、やはり出掛けねばならない用事があったので車を出してもらったが、もう限界という感じだったので必ず医者に行くように言い、私は途中から別の人の車で送ってもらった。そんな人間に運転させて冷たいと思わないで欲しい。免許がないので、この人がいないと僻地の私は身動きが取れないのだ。で、その後病院から私の携帯に電話が掛かった。脳出血で緊急入院したから病院へ来いと言う。うちからもかなり遠方の大病院である。送ってくれた人にまた苦労を掛け、車で駆けつけた。出先で、車を持ってる人が周囲にいなければ私もパニックに陥ったかも知れない。どうにか再会した時、やまくんはベッドで笑っていたが、後で聞いたら最高血圧が240近くあったという。私はちょうど低血圧で苦しみ、なんとか血を増やそう、血行を良くしようとあがいている時だった。高血圧の事情なんて全く分かってなかった。

やまくんは最初、近所の割と大きな病院に行ったのだが、CTスキャナがないという理由で別の病院に行くように言われた。ところが行った病院には脳外科がなかった。更に遠い総合病院に行くよう指示された。もちろん本人の運転で。行った先の大病院は2時間待ちだった。待って、やっと診察を受けた時、医者は「痛み止めでも出しましょう」「念のためCTも取っときましょーね」という軽いノリだったという。しかしCTの映像が上がった時周囲が妙に慌てだし、突然ストレッチャーに乗せられてガラガラ運ばれたのだという。そしてやっと医者から「脳出血」を教えられ、入院となった。それまでの扱いとのこの落差。つまり、脳出血が判明してるのに放置してもしもの事があったら病院の責任問題になるので、どうしても2~3日の検査入院をして欲しかったらしい。(憶測ではない。医者がそう言ったそーだ) それでもベッドも手も足りないから、退院は早めにして欲しい。これが現在の医療の現実なんだな。結構大きな病院でも、あった筈なのに気が付けばCTスキャナがない。何故なら医師不足でスキャナの技師がもういない。または、あった筈の科が無くなっている。近辺の大病院の状況は、普段からちゃんと調べておかないと駄目だね。この入院した大病院でも、歯口科や耳鼻咽喉科は休業していた。そういう患者は地元の病院に行って少ないからなんだろう。

私の自宅から駅までは歩いて小一時間(もっとか?)、タクシー呼んだら往復料金取られるので、2日は根性で歩いた。私のような免許のない人間は鉄道だってそうは使えない。で、病院のある駅から病院へのバスは、1時間に1本くらい。その上休日は半日運休。こちらは近かったのでタクシー使ったが、入院が数日で済まなければ歩く事にしただろう。いざという時足のない人間は、自分や家族が病気になったらどんな目に合うか良く分かった。医学は日夜進歩していると思うのに、庶民が充分な医療を受けられる環境はどんどん無くなりつつある。年金やテロ特措法も大切だろうけど、やっぱり政治家は命に関わる医療を最優先に考えるべきだと、今更ながらに思った。医者志望の学生は、成績が中の上くらいならみんな学費半額免除にするとかさ。最近は有名人の病気のニュースを聞くと、可哀そうというより「あ、でもこの人達はいい医者に充分な治療を受けられるんだろう」とか思っちゃうもんなあ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年10月 6日 (土)

バブル期のワーキングプア

なんか、「ワーキングプア」とか「ネットカフェ難民」とかが社会問題になっているようである。今の私は千葉の田舎に住んでいるので、実態はよく知らないのだが。そんなにビンボーなのか? ちらっとTVで見た限りでは、安い部屋くらい借りられそうな収入はあるようなのに。…私は昭和末期、高田馬場の下宿にいた。その下宿は光熱費別で家賃2万だった。だから暮らせたのだ。すげー頑張って漫画描いてたけど、バブル絶頂期に立派なワーキングプアだった。今からするのはその頃の話である。現代の話ではないぞ。

私の原稿料は一枚5~6千円、カラーだと1万円だった。でも、滅多にカラーページなどもらえない。私のジャンルじゃなかったが、少女漫画なんかだと作家は使い捨て状態で、原稿1枚3千円という話も聞いた。漫画描きなんて何の保証もない仕事だから、運良く単行本出してもらって少しは余裕が出ても、恐くて無駄金は使えなかった。無論単行本など出してもらえない作家の方が多い。出てもメジャーでないと印税20万くらい。もーけるというような額じゃない。世間の人は「漫画って当たるとデカイのよね」という夢しか見えないようだが、当たらない人間が9割以上なのだ。

世間の人は良く知らないだろうが、漫画家と編集者の間には通常ちゃんとした契約関係はない。単に「編集の気分で」作家を使うか切るか決められてしまうのである。作家と契約を結ぶ出版社もあるが、そういう所で描くと一切他社の仕事はできないし、編集の言いなりに描かされる。よしんば人気が出て自由に描ける立場になっても、それはそれで、もう作者が描きたくないのに人気がある限りほぼ強制労働で続けさせられたり、大変らしい。(私はそういう仕事はしなかったので良く分からん(^^))…つまり。漫画描き(と、後述するアニメーター)は人類最悪の労働条件下にいたのだ。(一応過去形にしておく)雇用条件は「気分」。報酬は「相場」。人気があると無理矢理働かされ、ないとゴミのように捨てられる。病気したって誰も助けない。切られたって無論退職金も出ない。それでも、本や出版社自体が存続していれば怒りの矛先も持てるが、小さい出版社だと突然廃刊する。会社が潰れる。原稿持って夜逃げする。一度、割と大手の某徳○書店でこの騒ぎがあった。単に「漫画はもーからない」という理由で突然会社が方向転換し、雑誌が廃刊して消滅したのだ。描いてた作家たちはそのまま放り出された。つまり、別に落ち度もないのに突然全員解雇されたようなもの。連載中の物語もぶった切り。出版社は読者にも作家にも責任なんて一切取らなかった。なのに社会的制裁とやらを受ける訳でもない。

アニメーターはもっと悲惨だったらしい。当時は鉛筆描きの動画、一枚百円。原画でも3百円。アニメ会社自体の給料は雀の涙で、アニメーターは食って行きたければ「腕が壊れるまで描いて描いて描きまくる!」しかなかったようだ。とある知り合いの同級生、アニメが好きで上京しアニメーターになったものの生活が厳しく、結局、結婚を控えて転職せざるを得なかった。最近、日本のアニメがすごい!とか言うのは、実は中国や韓国に外注し、人件費を安く制作できるようになったせいである。それ以外の理由ではないと思う。(その分海賊版も盗られれまくり(^^))報道番組で「最近海外の人が多く、日本の若者のアニメーターが減ってるのは残念ですねー。志して欲しいですね」なんて訳の分からない事言ってましたが、ほんと世間って何も知らない。

だから…「お金がなくても、ネイルアートだけはしっかり付けてるネットカフェ難民」の気持ちなんて、悪いけど私には分からないのだ。下宿の片隅、金が無い時はコンビニでおにぎりとアサリ缶を買い、「今日もごはんが食べられます。ありがとう」と手を合わせて食べてた私には。ワーキングプアは政治の力で解決しなければならない、なんて言ってるが、その恩恵は多分、売れない作家やアニメーターの下にもたらされる事はないだろう。たとえアソウタロウさんが漫画文化を奨励してくれても、もーけるのは版権握ってる出版社や広告業界だけだ。どっかの軍事政権に経済援助するのと変わらない。末端にまで届きはしない。(^^)私が、世の中の悪さを政治のせいにするのが嫌いな理由はここにある。企業や業界の悪い体質を作ってきたのは民間の人間だ。それも、トップでも末端でもなく、中間職で「上から来たストレスを下になすり付ける」ような輩だ、という事を私は知ってるので。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

より以前の記事一覧