カテゴリー「映画・テレビ」の記事

2008年10月26日 (日)

世紀の駄作はまた楽し(^^)

本日、よーやくタダ券で「崖の上のポニョ」見て来ました。公開からかなり経ったし見た人も多いだろうから、以下ネタバレで書きます。まず最終的感想。「ゲドにも負けたな、親父」…すいませんね。(^^)もちろんジブリだから動画はしっかりしてるし、何のかんので最後まで見せられてしまうが。ストーリーが酷い!(^^)感覚的にも「そりゃ違うだろ」という突っ込み所満載。どこが酷いのか、順を追って書いてみよう。

①どっこも盛り上がらないのこと… どういう話かというと、(もう知られてますね)海の精みたいな巨大母と、海に住む変な男の間に生まれた金魚(半魚人?)のポニョが家出をし、宗助という5歳の男の子に拾われてなつき、一度父に海に連れ戻されるが、魔法で人間になって津波を起こし、宗助の元に戻り、水没した町の中で宗助に「好き」と言わせ、本格的に人間になっておわり。…ほんとにそれだけなのだ。大半は人間になったポニョが人間のやる事をやって大喜びする日常のシーン。町が津波で水没するシーンだけがやや盛り上がるが、印象に残るのは、あの波の中を軽そうなトッポか何かで爆走する、宗助の母リサの運転技術の高さだけだ。デイケアの仕事なんかやってないでラリーに出るべきだ。ポニョが何故そんなに宗助になついたのか不明。宗助の方も子供特有のこだわりでポニョが気に入ったのか、異性愛なのかまるで不明。魔法の暴走で月は大接近し、人工衛星が落ちて通信は途絶え(なのに何故か海自は出てる)、地球が破滅しかけてるのに町の人はニコニコ、何の社会的展開もない。宗助がポニョを好きだったら人間になれるが、嫌われたら海の泡に…という人魚姫と同じ設定でも、宗助は元々ポニョを好きとしか言ってないし、ライバルになりそうな人間の少女も出番なし。それをラストで「ポニョが好きですか」「好き」と言ったからって、今更どーだというの。感動するポイントがまるでないのだ。子供は映画館で「あっカニだー」「タコだー」と喜んでたようだが…そんなら水族館の方がためになるしなあ。

②あれは海ではないのこと… 前評判で「海がテーマ」だと聞いてたから、どう描いたのか見てみたかったのだが…私が心配したとーりの「ダメ海」だった。(^^)あれは海ではない。コールタールと色紙の貼り絵だ。海の手下みたいな半生物のネトネト波が出るせいでコールタールに見えるのだろうが、なんたって波がない飛沫がない。落ちれば岩をも砕く、あの恐ろしい波の重量感がまるでない。だからあれ程シーンを割いているのにも関わらず、津波特有の迫力がない。前にも書いたが、海は常に動いているのに律動感がないのだ。確かに淡水じゃないから、海には粘度がある。しかしそのせいで水はのっぺり続くのではなく、一つ一つの波や海流が固まりになって別に動いている。だがら海の水には「切れ目」があり、その境目には粘度とはかけ離れた、レースのような泡や小波が発生する。それが全然認識できてない。だから「海を描いた物語」とはとても私には見えないし、水と呼ぶには爽やかさもない。大体、海から上がって体拭くだけで済むわけないだろ。(^^)シャワー浴びないと赤剥けじゃん。そもそも「海に金魚」という時点で違和感はあったしなあ。一緒に見たやまくんは、「なぜクラゲの中に入ったポニョが消化されないのか」引っ掛かってたしなあ。作者ほんとは海体験がないのね、という感じ。やっぱりガンバの海に勝てる海はないなあ。

③海辺の生活が変なこと… やまくんは船乗りの息子なので、船と海にはうるさいぞ。(^^)その彼の指摘だが、もし船が音信不通になったら、家族は絶対あんなに普通にしてはいられない。見付かるまで一睡も出来ないくらい。なのにあのお遊び感覚の日常は何だ。それに、宗助の父が帰る筈の日に用事で帰らないというエピソードな。船には航行計画というものがあるから、ほんとは必ず母港に帰る。「ちょっと用事で帰れない」なんて営業マンみたいな仕事はしない。そんな事許したら海上事故だらけだ。それに家族が行方不明なのに、どーでもいい海の母と「ポニョがラブラブ」みたいなクソ話をする訳がなかろ。襟首つかんで「ちょっと!あんたらが津波起こしたなら船の消息くらい分かるでしょ!夫を返して!」くらい言うに決まってる。あと、この港の生活様式がバラバラ。最初に地引網みたいのが出るが、ゴミばっかり拾ってるから商売になるまい。あれではゴミ処理船だ。でも漁港かというとそうでもない。船が陸に上げられてたが、そういう施設があるのは造船所だ。でも造船業でもなさそう。宗助父が何の船に乗ってるのかも最後まで分からず。貨物船ならますます航行スケジュールは厳密だ。…大体30代だろ。常識的に釣り船でもなきゃ、その年代で船長はまずない。現実に海で生きてる人を観察して描いたのか?

④何もかも中途半端… ポニョって可愛いというほど可愛くないし、不気味というほど不気味でもない。アクションも走るだけで、特に見せ場もない。他のジブリヒロインと違って意外と思い入れできないんだよな。あえて言うなら、魚から人間になる途中形態の「3本指の手足」のままアクション見せてくれたら少しは面白かったのに。すぐ人間になっちゃうのでつまらん。宗助も、母リサが大事なのか、船長の父を慕ってるのか、トキさんの心を開きたいのか、ポニョの事だけ考えてるのか不明で、ただ優柔不断な印象は免れない。その「トキさん」はデイケアセンターで1人皮肉ばかり言うスネた婆さんなのだが、だからって宗助や世間を憎んでいる…という程でもない。だから後で1人宗助を助けようとしても、別に感動もない。行動的でカッコいいのは母リサだけだが、夫の行方不明や、息子が人面魚と結ばれる(つまり5歳で嫁に来る?)事をどう捉えているのか描かれてない。宗助父もちらっと出るだけで、長嶋カズシゲが声を当てた意味も不明。変な男「フジモト」が何故海にいるのか、魔法の薬で何をしようとしてたのか、なんで嫁さん「グランマンマーレ」と別居してるのかもサッパリで、ポイントで唯一の悪役…の筈が存在感がない。そのグランおばさんだって、母なのか女なのか、あるいは海の守り神なのか、位置づけがはっきりせん。ただ「でかいな」だけが印象。大体、デボン紀の魚が現代に泳いでる理由はなに。太古の海の生命は素晴らしい、がテーマなの? 恋は異種族でも貫ける、がテーマ? 家族愛がテーマ? 老人でも元気になれると言いたかった? 全てが小出しにされ、全ての描写が深くなく、緊迫感も真剣さもなく、中途半端で散漫なのだ。思いつきでイメージだけ構成しても、最後までストーリーの方向性が見出せなかった、という感じ。この話が見られたのは、ジブリスタッフの過酷で細密なアニメート作業のたまものだろう。脚本は大失敗と言うしかない。

⑤心に残るセリフがない… いわゆる「決めセリフ」になるような、記憶に残る言葉が全くない。「ポニョすきー」だけが耳につく。あの、タルいと言われるハウルですら「年を取っていいことは、驚かなくなることね」とか、千と千尋でも「人間は何も忘れない、思い出せないだけ」とか、それなりにいい言葉はあったのに。ラピュタのシータが可愛い顔して「ここは私とあなたのお墓よ」なんて言うのも良かったな。でも…ポニョは一体観客に何を残したのだ? あんたがソースケ好きだからどーだってーの? 自分が思い込んだら町を沈め、人に迷惑掛けてもいいって話なの? 魔法の力を解放して地球の危機を救い、代償に泡になるとか、宗助と離れて今度会った時にはただの魚になってるとか、そういう自己犠牲だったら少しは感動したろうに。まあジブリはアンハッピーは描かないけど、ご都合主義が行き過ぎたのか、すでにテーマ自体が崩壊している。このヒロインが存在しなければならない、物語上の理由が見えないんだ。人間は善や光の面と、悪や不幸の面を必ず両方持っている。悪い、もしくは不幸な人間を描かないという事は、つまりもはや「人間そのものを描く勇気がない」という事でしかないんじゃないか。だから…「ゲド戦記にも負けた」と言わざるを得ないのだ。ゲドがどれ程の欠点を持っていたとしても、あの「根性の曲がった隣人や悪役」たちには強烈な存在感がある。悪い意味で人間的である。テルーとアレンは「恋」をしてただろうと思える。でも、ポニョは足を生やしてワガママしたかっただけで、別に恋してるようには見えないのだ。

「好きだよ」と言うのは、実は大した愛情表現ではない。好きと言葉に出すだけでは、決して心の深い物は伝わらない。あるいはこの世紀の駄作を見て、「ほんとに愛情を伝えるにはどうすればいいのか」考えてみるのもいいかも知れない。私がもしこの設定でストーリーを立てるなら…「デボン紀の生物への愛」をテーマにするかも知れないが。(^^)

追記の蛇足・一番面白かったのは、上映前の館内注意やサービス案内のアニメに出て来た「鷹の爪団」だー。(^^)この館内で売ってるのは何でしょう?というクイズで、ファーストフードやセットチケットなど答えに3つ選択肢があって、3番目が「排出権」なのは笑ったー。(^^)子供も笑っていた。分かるのか。偉いなあ。

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2008年5月11日 (日)

封印のガメラ映画(^^)3

この記事は「封印のガメラ映画(^^)2」の続きです。1と2を読んでからお読み下さい。

その頃、ラジオで「500カラットのダイヤを使う作戦」を聞いたのが「逃げた男」。オパールが実は怪獣の卵で損したから、今度はこのダイヤを盗ってやるーと出掛ける。…全国報道するもんじゃないと思うなあ。狙われるの分かってるのに。ともあれ、「赤外線ダイヤ光」でうまくバルゴンを誘導し、琵琶湖(関西(^^))に沈めようという作戦が、今度は成功しそうなその時に、この男がやって来てダイヤを強奪し、ボートで逃走。ピストル一丁で脅されるなよ…チームは主人公と娘と科学者。丸腰の民間人ばっかし前線に立ってます。そして男はダイヤごとバルゴンに食われ、最後の希望は潰えるのだった。非科学的な作戦で貴重なダイヤを焦がすに忍びなかった英雄的行為、かも知れない。…そしたまたこの間長ーい間、ガメラは出ないのだ。「…これ、ガメラの映画じゃない…」

バルゴンが背中から出す「殺人光線の虹」だが、これは「全ての物を消滅させる」恐ろしいものだという。それは原子分解か何かで、殺人のレベルではないのでは? しかし科学者は科学者のくせに「殺人光線と呼んでいいでしょう」と命名しちゃうのだった。全てが消滅した現場に車のミラーだけが残されていた。鏡で安直に反射するらしい。「そうだ、これを見て下さい」と突然ガスバーナーで実験し始める主人公。バーナーの炎でバーナーは融けないが、それは噴射してるからで、別のバーナーに炎を当てれば融ける。だから殺人光線をバルゴン自身に当てれば…と言いたかったらしい。が。バーナーの炎を人に向けて長々説明すなー!いけないって習わなかったの? あー危ない。こうして、人口雨でバルゴンを足止めし、「パラボラアンテナのよーな鏡」と生贄の戦車を用意して、最後の「虹を反射させる作戦」が敢行される。人口雨で動けなくなるなら、梅雨を待って放水すれば済んだんじゃないのか。大体「水で溶ける」生物なら水飲まないのか。そんなトイレットペーパーのように脆弱な生き物がどーやって生存してきたのか。そういや目玉が妙に可愛いなあバルゴン…という多くの疑問の中、作戦は成功してバルゴンは殺人光線を浴び、深く傷付く。しかしまだ死なない。もはや絶望か! ところで虹光線、虹のようにカーブして対象に届くんですが、反射させたら真っ直ぐ走ってました。どうやって光線がカーブしてたのか知りたいなあ…

そしてー。ようやく凍り付いてたガメラが解凍され、バルゴンに向かって飛んで行く!さあ最後の決戦だ。でも物語の大半、出ないか凍ってて(^^)、しかもヘロヘロに弱ったバルゴンを倒して、なんかヒキョーだぞガメラ。バルゴンは紫の体液を残し琵琶湖に沈む。湖から断末魔の虹が…ちょぼっと伸びて、また引っ込む。なんか可愛い… 途中で止まり、途中で引っ込む光線… 開発したら凄いなあ。宇宙が支配できそう… ま、こうしてガメラはまた飛び去り、主人公は娘とひっついてめでたしめでたし。私の知らない科学法則をたっぷり見た、という感じの迷作でしたね。まったくこの時代は…と言うのは簡単だけど、ファンタスティックフォーの科学だって似たようなものだしな。(^^)観客のレベルに合ってれば映画はそれでいいかもね。ちなみに見てないけど、SF史上最大の科学的不条理は「スーパーマンが地球を逆に回したら、時間が逆行した」事件だと言われている。

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封印のガメラ映画(^^)2

この記事は前回の封印のガメラ映画(^^)1の続きです。1からお読み下さい。

全然ガメラが出ないガメラ映画。バルゴンが放つ「殺人光線の虹」のエネルギーを感知し、この辺でようやくグルグル飛んで来る。「わーいガメラだー!」…しかしガメラ得意の炎もバルゴンの冷凍光線で凍らされ、あっさりやられる。すげー情けない。「ねーガメラあれだけ?」ところでオパールを持って逃げた男、実は仲間を殺して(主人公は死んだと思ってる)宝石を独り占めした…という事が主人公の兄にばれる。そして乱闘に。この乱闘が…長い!本格的!ガメラの戦いより余程恐い!かつては「ギャング映画の大映」と呼ばれたそうだ。やはり本領には一番熱が入るのだな。

…さて。その頃主人公と、バルゴンを倒す村の伝承を担ったニューギニアの娘は日本に帰って来て空港に。実は現地には日本人の医者が住み着いており、娘は彼に習っていたので日本語は堪能だった。…とはいえ、着の身着のままで行った筈の主人公がいつの間にかスーツ、半裸だったヒロインはワンピース姿に。おしゃれ。いつ買った… 未開地のボランティア医者、実はおーがね持ちか。そう言えば書きそびれてたが、洞窟でオパールを発見した時、狂喜する大阪弁の男の描く夢が「これで都会にマンション買って!女房子供呼んで!全国を車で旅行するんや!」…だった。これが当時の最高セレブのイメージだったのね。悲哀。(T^T) 

「逃げた男」と会って兄と義理の姉も殺された事を知り、激昂する主人公。ここでまた長い本格的乱闘。男の戦いを逃げもせず見つめている娘、突然顔色も変えずビール瓶で敵をゴンッ。こうして主人公が勝つ。恐いぞ娘… そして彼らは自衛隊に話を付け、(…付くのね)娘は先祖から伝わるバルゴンの倒し方を教える。「バルゴンは水に弱く、水に入ると溶けてしまう」…てあんた。さっき海から上がって来た筈でしょー! 娘は巨大なダイヤモンドを出す。「バルゴンはダイヤの光が好き。これでおびき寄せ、湖に放り込んで倒したという」…500カラットの研磨したダイヤ。御先祖、ダイヤの研磨まで出来たんですか。まあ、とにかくこうして「ダイヤ作戦」が始まる。ダイヤをヘリに吊り下げ、おびき寄せるのだがバルゴンは動かない。「だからこんな作戦は信用できんと言ったのだ!」しかし…さあ、ここからが科学的不条理の真骨頂だ。(^^)

バルゴンは「水虫用赤外線」を浴びて孵化した。だから科学者によると、突然変異(奇○児、という差別用語で呼んでます)だと言うのだ。科学者曰く「放射能で(差別用語)が発生するように、赤外線でバルゴンが(差別用語)になるのは科学的に有り得る事です」て。…有り得ねーってば!赤外線は温まるだけよー!コタツで被爆するのか!遠赤外線の焼き芋も危なくて食えねーのか!!しかし一同深く納得。この頃はホーシャノーもセキガイセンも見境無かったのね。ともあれこうして、「赤外線をダイヤに当てて強化した光」を使った新たな作戦が執行される事に。で、実験中の「ルビーで殺人光線を出すレーザー砲」に、ルビーの代わりにダイヤをセット。これで「赤外線でパワーアップしたダイヤの光になる」…ならねーと言うのに! ルビーレーザーの赤い光と赤外線ごっちゃにしてますね。大体、含まれてるクロム原子を励起させる為にわざわざルビーを使う(調べた(^^))のだぞ。炭素の塊のダイヤ入れたって何の役にも立たねーだぞ。高温ならコゲるぞ!何とかしろよ科学者!

まだ終わらなーい。あんまり長いのでまた分けます。(^^;)続く。 

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封印のガメラ映画(^^)1

レンタルDVD屋の片隅にひっそり固まっていた、古いビデオ。「ガメラ対バルゴン」。ご亭主やまくんがなぜかこれだけは見た事がない、是非見たいというので借りた。一緒に見た。…スサマジかった。(^^;)何がスサマジいかって…これは書くしかない… ストーリー全部書いたらネタバレだろうと思ったんだが、既にウィキに詳細にあらすじが載ってたし(あらすじつーか、あのまんまです)、昭和41年の作だから時効という事で見逃して。

平成ガメラなども誕生し、昔の名作がテレビ放映されたりする中で、何故かこの「ガメラ対バルゴン」だけは出て来ない。(リメイク版はあるようだが、中身は相当変わってるらしい)今日見てその理由が分かった。…こりゃー放映出来んわ。ウィキには「差別用語のせい」と書いてあったし、それも主な原因だろうけど…それ以前の問題だ。とにかく科学考証がムチャクチャ過ぎー!無茶過ぎて何が起きたのか、しばらく理解出来ないくらいだ。多分左脳使わずに考えた科学だろう。戦後20年くらいだと、これでも人は感動したのだろうな…ツッコミ所が多過ぎて、とてもまとめて書けない。順番に書いてみる。

科学考証と言ったけど、科学以前の考証も… 戦時中、ニューギニアの洞窟でオパールを発見して隠した男がいた。いかにも怪しい4人の男が地図を見て話し合う。船員に成りすまして現地へ行き、オパールを手に入れようという密談。テーブルの上にはピストルと…クワイのように長い芽の生えた手榴弾? 後で分かるが、これ「導火線の付いたダイナマイト」である。パイナップル型のダイナマイトなんかあったっけ… で、「ニューギニア」の小さな村に着いたら、どー見ても顔と体を黒く塗った日本人の「原住民」がいて、みんなでハワイアンを踊っているのだ。…ニューギニアだってば。調べたら伝統舞踊では多少は腰蓑も付けるようだけど、絶対フラダンスじゃないって。それにあっちでは顔を原色に塗る。ま、それはいいとして、この部族の「危険だ」という制止も聞かず、欲望の塊となった3人の男達(一人は日本で留守番)はカワ○チ探検隊のように洞窟へ向かうのだった。「危険な毒サソリがいる」…別にわざわざ「毒」付けなくても、ふつーサソリは毒があります。このメンバーの、サソリにやられてしまう大阪弁の男が、なんかあの「オタク防衛相」そっくり。

主人公はオパールを隠した男の弟なんだが、宝石を独り占めしようとする一番悪どい奴にダイナマイトで閉じ込められる。…オパールというが汚い茶色で、とーてー宝石に見えない。これを見てなぜ「あっオパールだ」と思ってしまったのか。物語の根本動機からして分からない。その後主人公は現地の美人に助けられ、禁断の封印を開けてしまった事を教えられる。その頃裏切り者は「宝石」を隠し持って船の中。水虫が悪化し((^^;)…水虫ですよ)、医者の勧めで赤外線を当てる治療をして、ライトを付けたまま麻雀に出掛ける。この赤外線で、実は宝石でなく怪獣バルゴンの卵だった「オパール」が孵化する…のだが。オパールを隠した服、赤外線で焦げてたし。怪獣が発生しなくても船火事でやられてると思うし。医者役は、なんと若き日の藤岡琢也さんだ。気の毒に。そういえばガメラ映画なのに、イントロでガメラ少し出るだけで、ここまで怪獣全く出て来ないの。子供は絶対飽きる。ずーっと延々と、大人の欲に絡んだ汚い争いと裏切り。「ねー怪獣はー?」

で、船はあっという間に巨大化した怪獣に破壊されて沈み、水中で紫の光を発して神戸にバルゴン上陸。宝石を買おうと港に来ていた、「怪しい中国人」も逃げる。お約束の破壊。怪獣の容姿はトカゲ+カメレオンの角のあるやつ。長い舌から冷凍光線を出す。何故出るのか…考えてはいけない。まず壊すのは神戸タワー?…に形状が似てるが「大阪タワー」らしい。それから大阪城を凍らせる。この話、関西圏だけ破壊してます。で…エラソーに自衛隊(らしきもの)に指示を出しているのが首相ではなーい!(^^;)「知事」!じゃー府知事か! 少し前ならノック、今ならハシモトが自衛隊アゴで使うのかー! お…面白過ぎて是非見たいぞそんな非常事態。

うわぁ科学的不条理について書く前に、設定的不条理だけでこれだけの文章量になっちまった! 疲れたから続きはまたね。こんなの徹夜で書くようなレポートじゃないよな…(- -;)

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2007年4月30日 (月)

トロイ「ア」と呼んで

テレビ放映していた「トロイ」見ました。いや、実はオーランド・ブルームが見たかったんだけど(^^)、結局カッコ良かったのは、というかほとんど主人公だったのは、ブラッド・ピットのアキレスでしたね。ブラピさんはこの映画のためにわざわざ体を鍛えたそうである。だからすごいムキムキ。せっかくのオーランド・ブルームのパリスなのに、でもって有名な「絶世の美女との禁断のロマンス」の物語なのに、この主役のロマンスの影が薄いこと薄いこと。その上逃げ腰の弱っちい男に描かれてるし。物語は主に、アキレスと、彼が捕虜にした巫女のブリュセイス(トロイの王子たちのいとこ、という設定になっている。神話では平民じゃなかったかな?)とのロマンスが中心だ。…としか受け取れなかったぞ。恋はしても全くラブストーリーに向かない、戦闘だけが人生の不器用な男を好演してました。アキレスとアガメムノンの確執、親友(これもいとこって設定だったな)のパトロクロスの身代わり、ヘクトルとの対決や、その遺体を馬車で引きずる所など、神話の中のエピソードも要所要所で生かされている。ただ。ヘレン(「ヘレネ」と言ってよ。西川きよしさんの奥さんみたいじゃん(T^T))は最後パリス達と無事に逃げちゃうし、全く別物な部分も多くある。根本的に違うだろーと思うのは…神話のトロイア(私はトロイでなく「トロイア」と呼びたい)戦争は、最低でも10年以上は掛かってる筈なのね。映画の感覚だと、1ヶ月以内に片が付いてる感じ。まあ美少女も10年経っちゃったらおばさんになりますから。(^^;)

「波のように押し寄せる軍勢」という言葉はよくあるが、ほんとーにうん万くらいの兵士がわらわらと波のように動いていたシーンはかなり見応えがあった。軍船もうん百隻海に浮いてたし。どこまでが実物で、どこまでがCGか全く分からない。(CGだよね…)槍と剣と弓矢と盾だけの、肉弾戦の戦闘シーンもしっかりと作られている。確かに、これだけの物量は本物のセットやエキストラだけでは映像化は不可能だろう。リアルなCG使って大失敗した映画も多くあるが、トロイは成功した使用例だなと思った。

ただ、神話時代を題材にしてる割に神話的な部分が全くなく、完全な生身の人間の愛憎劇になってるので、映像がスペクタクルな割には世界観にスペクタクルがない感じはする。これは最近の映画に共通の特徴だろう。愛や家族を守る戦いに共感する事はあっても、国家や神のために命を懸ける人間には、もう今時の人は感情移入しないだろうから。神話ではアキレス(アキレウス)は神様の血を引いてるし、戦争の引き金のヘレン自体が女神である。大体戦争全般において、ギリシアの神々が裏で糸を引いている。だから、そういう要素を全部すっ飛ばすと、なるほどこういう人間関係だったのね、というのが良く分かる構成になってるとも言える。まあ史実ははっきりとは分からないが、「女房寝取られ」は開戦の口実で、当時商業都市として莫大な富を蓄えていたトロイアと、ギリシア連合国家の野望と確執が裏にあった…という辺りがトロイア戦争の社会背景の真実ではないかと思われる。ともあれ、しっかり作ってあって気持ち良く見られた映画ではあった。それにしてもアキレス目立ち過ぎですが。

ただねー。最近のテレビ版の劇場映画って、最後突然終わってしまうのな。長いからなのかも知れないが、エンドロールも役者やアテレコ声優の名前もなんもなし。急に「世界の車窓から」とか言われてしまって。次の映画の番宣だけは途中でどんどん入れてた癖になー。昔はちゃんと、淀長さんや水野さんの映画解説が入り、いい音楽と共に役者の名前が出て…余韻ってもんがあったぞ…

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2006年9月24日 (日)

いまごろゲド戦記

 ついに。やっと。見て来ましたゲド戦記。(^^)ネットでは相当不評らしいですが。いやぁ、私は宮崎父の作品よりずっと感情移入したなあ。いくたが「こんなんメジャーなロードショウでやれるんだ、だったら私だってめじゃあかも(^^)」とか思ってしまうようないい作品でしたね。(注・知らない方へ。このブログの作者はいくたまきという…まーやや特殊な漫画描きです)

 ゲド戦記は原作読んでないから何とも言えないが、おそらくそれとは別物なんだろう。(原作はゲドの若い頃が主軸らしい)だがまー、知らないからそれは置いといて、このアニメに話を絞る。

 宮崎息子氏の作品であって、父のではないが、絵柄やキャラ配置、デザイン、動きなんかは基本的にそっくりだ。なのに同じような絵で、今まで宮崎アニメで決して描かれなかった、人間の暗黒面がしっかり描かれている。「ハヤオお父さんと同じような作品」を期待した人にはショックだったろう。特に「父」の作品では、悪役が悪さをするだけで、町の民衆は大体みんな善人。なのにこの作品は庶民がとっても根性悪い!(^^)ただのオバハンが特に憎たらしい!(^^)(^^)でも、そーなんだよ。国が衰退して人心の荒れた町に、善人が大量にウロついてる筈がない。動きも、コナンやルパンみたいな不条理な超人技を使う事がなく、現実の人間がやれる範疇に収まっている。魔法も大量には出て来ない。そういうリアルさが、気に入らない人には「面白くなさ」に見えるんだろう。でも、

 これは「宮崎アニメ」を築いた人とは別の人の作品なんだよね。同じものを期待するべきではない。(ついでに、グィンの原作も期待すべきではない)むしろ、のっけの「父殺し」のテーマに、「善人ばかりの王国の崩壊」という、根深い主張が込められている気がする。家族が殺し合い、責任ある人間が不正や淫行で日夜アゲられてる時代にですよ。無理矢理「不治の病」やら「戦争の悲劇」やら、「死んだ筈なのに会いたくて帰って来る家族愛」の話ばかり作り、「さー感動しましょう。これで感動しないならあなたはオニ」なんて言う方が余程不健全だ。今の現実は、このゲド戦記の設定の時代とほぼ同じなのよ。特殊な悪者ではなく、普通のミンシューが闇に支配され、社会が乱れ自然も荒れてるのよ。自分と無関係な誰かのラブストーリーや、変なホームドラマより、私には全然身近に思えたわ。

 死への恐怖と不安に、可愛いアニメ顔が歪む。私は「宮崎絵」のキャラが「顔に深い皺を刻んで苦悩する」所を初めて見た。そして、凶状持ちの主人公だとゆーのに「宮崎絵」のキャラで初めてカッコ良く見えたのだった。この作者がこれからどういう方向に進まれるのか、私は非常に興味がある。善人ばかりが登場し、大して善人ではない筈の観客が「まー私もこういう明るくて優しい人なのよ」と思い込む物語…それは客を甘やかしてるだけではないか。それで許せる時代もあったけど、取り合えず今現在の日本では許せない。今は、自らの足元の暗黒と戦うべき時代だ。特にこの国は。

 と、ゆーよーな事を考えさせる映画なので。(^^)お子様連れで見るのはお薦めしません。映画の宣伝やりにくかったろうなあ… ヒロインも、アニメオタク受けしそうな可愛いトコ全然ないしなあ… だから私はこのヒロイン大好きです。(^^)

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2006年7月 2日 (日)

バルトで泣くねん

Bart 今日、「バルトの楽園」見て来ました。タイトル画面で「楽園」にルビが出るまで、ずーっと「らくえん」だと思っていた(^^)。「がくえん」だったのね。私は単純なので、そして映画は「チケット代のモトを取る為、意地でも感動する」主義なので、単純に感動して帰って来たのだけど。うるさい人間なら、色々ツッコミ所がありそうな気はした。

ストーリー自体は史実だし、戦争がらみの出来事の中では稀に見る、爽やかで感動的な物語。いまだ(しかも世界的に)最悪の象徴のように言われている旧日本軍人の中にも、気骨と人道主義を持った人物がいたという話。…それはいいのだが。松平健の「松江所長」の人格が素晴らしすぎて、「あまりにも正しい者が勝ち過ぎ」の感がある。ドイツ人捕虜の人権を守った、模範的なこの「奇跡の収容所」は現実に存在した。しかし、とーぜん他の場所には、陰湿で残酷な定番の「地獄の収容所」やら、「非人道的行為」も多々存在しただろう。そういう闇の部分が、物語の初め以降ほとんど出て来ないのだ。んでもって、捕虜を大切にして軍部から睨まれる、正義の所長が松平健で、捕虜をいじめてブン殴る、悪い所長が板東英二でしょう。(^^;)こりでは悪が勝てる訳がない。(なんか板東さんの配役が気の毒で…)見てるうちに、第一次大戦下とか、捕虜とかそーいう事すっかり忘れて、異境の地でのドイツ人たちの元気な自活生活、という感じに呑まれてしまう。これでいいのか…と思いながらも、反面、当時の日本軍の残酷さや高圧さ、なんてドロドロした描写はもー見たくねー(嫌というほど想像付くから)、だから感動的な所だけ見せてくれ…という気持ちにもなってくる。

闇の部分をを飛ばすのが、たとえ映画的に問題だとしても、同じ日本人だから、ではなく、分かり切った「悲惨の描写」自体にもう倦んでいる気がするのだ。昔、悲惨な出来事というのは非日常だった。だからタマには映画やドラマで見るものだった。今や悲惨で残酷な現実の方がよっぽど日常じゃない。何か、それ以外の結論や選択肢が見たいのだ。可哀想だからといって、人は人を救わない。そういう現実を、我々はもう散々見せられている。「死んではいけない!」というが、何故死んではいけないのか? それに答えた物語も多くはない。(「愛」とか言うくらいで)この映画はそれにちゃんと答えていた。そこが偉い。私が感銘を受けたのはその部分。

収容所内で祖国ドイツが敗れた事を知ったハインリッヒ総督は、自決を図ろうとしてマツケン…でなくて松江に助けられる。そこで彼が生きろと言った理由。「あなたはみんなの誇りなのだ。だから死んではならない」― そう、この話の大きなテーマの一つは「どんな状況下でも誇りを失わない事」なのですね(^^)。愛でなく、命が惜しいからでなく、ただ自分の生き方に誇りを無くさない為に生きる。これはかなり説得力があったなあ。少なくとも私には。愛よりもプライドで感動する人間が、そんなに多いのかどうかは分からないが。

あと所感・

1・捕虜の中に一人、黒眼鏡を掛けた盲目のお兄さんがいてね。仲間に助けられながら労働もして、最後この人で泣かせに来るな…と思ったら案の定きました。すっかりハマって涙ぐんだ私。(T^T) 見終わって、同居人と感動した部分について話そうとしたら、彼は言った。「そうそう、あの、メガネ掛けた嘉門○夫みたいな…」 (しーん)そ、そのヒトにだけは似てるとゆーなー! ああ、涙がすっかり乾いた。(--;)

2・ドイツと日本の混血の娘役の、大後寿々花さんがすげー美少女に見えた。アイコンタクトして、青い目に黒髪。これいけますよ。エキゾチックで。

3・クライマックスの第九の音源はカラヤンのベルリン・フィルだ。ぜーたくだなあ…音楽的には、かなりいいもの聴かせてくれます。こういう所にお金掛けるのは許す(^^)。でも市原悦子さんの使い方はもったいなかったよーな。

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2006年5月 9日 (火)

第三の漫画家

Welles ←突然ですが「第三の男」のオーソン・ウェルズです。強めにぼかしを入れ、拡大してもあまり使えないようにしたのでお許しを<(_ _)>。(絵で描いてみたけど似なかった) 連休中はポートタワー、深川江戸資料館、近所の海っぺた等に行ったが、安売りしていたDVDでこの映画を見て、結局それが一番印象に残った。これを最後に見たのは子供の頃だったか。当時は、ハリー(オーソン・ウェルズ)のやっていた悪事が何だったのか全く理解できなかったっけ。今見ると、第二次大戦後の監視付きの危うい平和や、4カ国の分割統治下のウィーンの事情の複雑さ、といった時代背景も分かってやっぱりいい。光と影の使い方とか、「鳩時計」の名セリフとか、ラストの長回し…なんて、映画解説に必ず出て来る事はともあれ置いといて。今回印象に残ったのは、三文作家ホリーの「みっともない講演」のシーンなのよ。

たまたま熱烈なファンがいたおかげで、高名な作家と勘違いされ、小説についてのブンガクテキな講演を依頼されたホリー氏。そのお陰で金も無いのにウィーンに滞在できたのだが、いざ壇上に立たされると… なんせこの人の専門は娯楽西部劇もの。難しい議論を吹っかけ、何も知らないのだと分かって失望した聴衆が、ナダレのように席を立って帰っていく。笑うシーンなのかも知れないが、私にはとても笑えなかった。昔、私が「漫画家」だとゆーので、「子供たちに漫画の描き方を教えてくれ」と頼まれた時の事を思い出したのだ。

マンガつってもねあーた、私が描いてたのは麻雀劇画誌とロリコン漫画誌と4コマ誌…なんて恐ろしい事、細々説明できる訳ないじゃない。かくて成り行きで。その時私の背後にはホワイトボード、前面には子供の群れがいた。子供たちの声。「サザエさん描いてー」「キティちゃん描いてー」… (T^T)描いたよ。あたしは。リクエスト全部。『あたしはマ○ガ太郎さんじゃないんだよ』とも、『いいかガキども、漫画家に別の作者のキャラを描かせるのは最大の侮辱なんだぜ。覚えときな』とも言わなかった。人間腹さえ据えれば何だってできる。しかし…悲しかった。

ともあれ、連載をもらった時はいつもそれなりの結果は出した…と思うし、いつも最低限「自分でつまらないと思う作品だけは、絶対描かなかった」。それだけが誇りだ。本音で喜んでくれた人も結構いる筈だ。だが、編集とか「売る立場」の人種は、私の作品を見ると取り合えず「あ、これはウレナイ」と思っちゃうらしいのな。私は自分の世界!とか言ってこだわるタイプに見えるらしい。ひどいのになると「売るとはどういう事か」について説教まで始める。人の気持ちを考えてないように言われる。そういう連中の論調は大体同じだ。違うと言ってるのに。私は人を反応させたい一心でものを描いてるし、世間的に「めじゃあ」でないだけで、自分と同じ感覚の人間も多く存在する事を知っている。なのに「それを分からない人間が大多数だ」という妄想はいつまで続くんだろう。パパとママと子供2人の「平均的世帯」すら平均で無くなっているこの時代に。

私は間違いなく、もう現役でないと思われてる。何の売れ線にも引っ掛からないのに、今更大きな所へ出て行ったら、どれ程冷酷な扱いをされるかも大体分かっている。だから人前に立つ気は無いが、きっと本は出すよ。それを喜んでくれる人間も居る事を知ってるから。そして、私が昔描いた事の一部を使ったり、「参考に」したりしながら、作家としては私を評価しないで侮蔑してきた人種、もしくは本を、私もまた評価してやる義理はないから。正義の行いをして、女を助けようとした映画の中のホリー氏は少しも尊敬されず、最後まで一瞥もくれられずにフラれるが、だからって別の行動も取れなかったろう。そして、彼がもし「悪の」ハリーを倒して女と結ばれバンバンザイ、になってたら、「第三の男」は随分つまらない映画になっていただろう。だから。

やせ我慢でも、人はそれぞれ自分の行くべき道をまっすぐに行くしかないのだ。たとえその為に、安楽をもたらす誰かと永遠に行き違ったとしても。

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2006年2月27日 (月)

こういう映画が見たかった

いや~久々に面白い映画を(地上波で)見たので書く気になりました。(^^)最近例の民○党騒ぎといいオリンピックの不調といい、スッキリしない話が多かったけど、今日はスッキリしたぞ。…つっても。私が面白がる映画の話だから期待しないよーに。

そう…「ハムナプトラ」(今頃!)。レイダースの焼き直しかグロ物か、と思って劇場には見に行かなかったのだけど、いやぁこんなに面白いなら見に行けば良かった。まず、のっけから登場人物全ての性格が破綻。ヒーローはやさぐれの傭兵、ヒロインは破壊癖のある図書館員、その兄は山師。で、呪いの墓の財宝への欲に憑かれた監獄の署長(?)と共に史上最悪のパーティを組んで遺跡へ赴き、これもアメリカ人のパーティと競争したあげく(主人公イギリス人だからね)、「復活すると魔王となって世界を滅ぼす」という神官をキッチリ起こしてしまう。全ての災いの元凶はお前らだー!と言いたいようないーかげんな連中が大暴れ。いーねー(^^)。まず初盤でヒロインが大ドジをして、図書室に並んだでっけー本棚を都合20個くらい、それは見事にドミノ倒しするシーンに惚れた。あれはCGではない。あんな…あんなおバカなシーンを撮るために、一体どれ程の労力が払われた事か。NG出たら全部立て直し? こういう。こういうバカさ加減が私は欲しかった。

多分この映画、アメリカでは酷評されていたと思うが、まー当たり前だろう。(映画の中で2,3回、「アメリ○人てバカだから…、あ、ごめんなさい」「いや、バカだって」とか平気で言ってるし。自虐なのか?)でもな。第1次大戦直後の時代設定とか、周囲のキャラクターの行動原理や動機付けなんか、シナリオ構成はほんと、お手本と言っていいほどきっちり作ってあるのよね。その癖、世界が滅びるかミイラに食われるか、という瀬戸際まで、随所でギャグのくすぐりを入れてくるこのテンポ。イギリス風だ。全てを真面目にきっちり作りながら、しれっと全てぶっ壊す快感。正直、最近は「主人公が死んでかわいそう」つーだけの映画が多く(失礼)、私は辟易して映画はほとんど見なくなっていたのだが、「そーだ、映画ってこういうエンターテーメントだったんだ」と改めて思い出させてくれたよ。人間はいずれ亡くなる。それは万人平等だ。だから、それさえ言っていれば人間を描いた事になると思うのは、逆に傲慢ではないのか。どう生きるかが問題なんだ。死ぬかもしれない寸前までギャグを放つ、という精神は、実はすごく崇高な哲学かもしれないのだ。

構成力がないから心象風景。設定が無いから豪華CG。人間像が描けないから悲劇で泣かせる。…そーゆーものはもういらない。まず普通の「しっかりした物語」を作ってくれ。その後初めて、「それを壊して面白い」と感じるんじゃーないか。…とか考えて、結局私が「名画」と思えるのは、いまだに黄金時代のああいう映画だけなんだな。と気付いた。「サイコ」「シャレード」「スティング」「博士の異常な愛情」…このへん。どんなに映画技術が発達しても、この頃の作品を超える映画は今でも1本もない。と私は思っている。自分が書くものに関しても色々悩んだけど、私にとって原点とすべき世界はやっぱしこういう世界なんだろうな。

それにしても、墓の遺跡を守る組織のあんちゃんカッコ良かったなあ…((^^)じる)

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