カテゴリー「音楽」の記事

2007年5月13日 (日)

WITをよろしく その2

WITはジャズバンドである。(多分)リーダーは中村孝成という。大学生。天才アルトサックス奏者。性格は温和。争いを嫌うが、ごく稀に激昂する。大自然と紅茶が好き。大抵音楽の事しか考えてないので世事にうとく、一般常識にズボッと抜けている部分がある。…そういう設定である。彼はもちろん私の創造した、架空の人物である。というか作者の一種の理想像だ。描きたかった漫画の主要登場人物で、シナリオは何年も前に完成しているのだが…どうしても世の中に受け入れられない感じがして、中々描けないでいた。ネットにキャラ画像やあらすじは上げてあるんだが。そうこうしているうちに時代はどんどん変わっていった。子供がジャズやる映画が出て、何とかいう音楽漫画(これだけ流行ってるのに一切見てない(^^))が世の中に出て、今から出したらマネだと思われるかも、私の方がずっと前なのにぃ…などとホゾを噛んでいた。どうしても、自分のレベルが孝成に届かない面もあった。理想像過ぎて、描く自信が足りないというか。

WITのメンバーは孝成と同じ大学のジャズ研。江田はトランペット奏者で、孝成の高校からの腐れ縁の親友。ピアノ三田村は、不条理な展開をする孝成のメロディをまとめるアレンジャーで、あるいは孝成より天才かも知れない。愛宕と稀は大学からの付き合いで、どっちもマイペースな変人。稀はベースからクラシックギターまでこなす。彼らはどんなに欲しくても得られなかった、私の架空の音楽仲間だ。「じゃず」の譜面を書く才能なんか私にはない。今「WITの曲」として作っているのは、キャラクターから「孝成ならどういう旋律を作るか」「三田村はどうアレンジするか」と想像して初めて出来たもので、いわば「なりきり効果」の産物だ。だが、何と言っても現実に譜面を書くのは私でしかない。悲しいかなどうしても上限がある。想像の中の孝成はもっと天才なのに!と常に悩んでいる。でも…今までの作曲と違い、「また作っても誰も聴いてくれない」という孤独感からは少し解放された。たとえ架空でも仲間がいるから。

そんな訳で、今まで作ったジャズ「風」をまとめて「WIT」のアルバムを作る事にした。あくまでも実在のバンドとして。曲というより、私は人物そのものをこの世に存在させたい。自分はプロデューサーのつもりで。だからラベルにも「ハイパーリアル・メンバーの写真のようなイラスト」を描く予定なんだけど… 写真のような絵って難しくてね。今何で悩んでいるかというと、譜面でなくて実はそのイラストだったりする。(^^;)困ったもんだ。ともあれ、もし無事に完成したら、どうかWITをよろしく。

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WITをよろしく その1

ずっと作曲をしている。頭の中では、物心ついた時から。譜面(スコア)を書こうとあがいて、「結局、楽器や演奏者がなければ、曲になってるかどうかさっぱり分からん」事に気付いて挫折したのが中学~高校。上京してビンボーしていた頃は、音楽なんて夢のまた夢なので、曲に歌詞を付けて(そうするとメロディが記憶できるから)小汚いノートに綿々と書き綴っていた。作曲家になろうとも、なれるとも思わなかった。何よりも音楽を勉強できる経済レベルではなく、そういう世界には縁もなく、曲を作りたいなんつー話を聞いてくれる人もいなかった。大体、メロディは浮かぶものの、自分でも何のジャンルだか全く分からない。歌謡曲でなし、ポップと言うには重すぎ、クラシックにしては軽すぎ、ロックほどノリも良くない。自分ではいい曲だと思うが、こんなジャンル不明なもの、どこの誰に聴かせりゃいいのか。そうして年月は過ぎた。

結婚して、パソコンを使える有り難い境遇になった。私が難しいパソコンを(パソコンヲタ達に笑われながら)必死で覚えたのも、ほとんど音楽が作りたかったからである。楽器もなく、演奏もできない人間もパソコンなら助けてくれる。早速音楽ソフトを買った。…その当時はMIDIもなくFM音源ボードで、ペラペラのつまらない音しか出ない上、スコアが3段しか書けなかった。(T^T)違う…そーじゃなくてぇ。ようやくローランドのMIDIと作曲ソフトを手に入れたのが98時代。スコア16段。大抵のオーケストラ楽器も使える。ああ、ようやく頭の中にあった音が、どんな曲だったのか確かめられる! こうして、その時から延々と譜面を書き続けてきた。出来た曲は無理矢理録音し、(MDに外部録音した後、再びパソコンで録音して処理(^^) 1台ではこうするしかない)データを焼き付けて「アルバム」を作った。…知っている限りの、ほとんどの人間は全く興味を示さなかった。アルバム製作開始から、始めの年に12曲、その後は毎年10曲ずつ作り続け、去年アルバムは7枚目となった。お誘いメールを貰ったので、音楽サイトにもブログを作り、(「「いくたまヒルズ」である)もっと多くの人に聴いてもらおうと頑張った。多少は聴いてくれる人もいるようだが…多少である。感想もたまにしか来ない。

譜面にしてきたのは、学生時代から下宿時代まで、メモって溜め続けてきた「過去の曲」である。全くの我流、独学だが、数をこなせば何とかなるの法則で、「らしきもの」にする技術は多少長けてきた。しかしこうして譜面を書いていた期間、「頭の中の新しい曲」はほとんど作れなくなっていた。私のなけなしの「サイノー」も、ここらで頭打ちか。歌詞メモノートには80曲以上のストックがあるが、ろくでもないのも混じっている。それに、さすがに少々飽きてきた。誰もあまり反応してくれんし。もちろん他人に聴かせるのは初めてだとしても、過去の曲だけに何かが変化して、発展する訳でもないし。何か全然別のものが作ってみたくなった。出来れば、「何々の曲を作ってます」と、ちゃんと人に説明できるもの。でも、もう何も浮かばない… そして、

好きな楽器の音色を使い、何も考えず、いいと思う流れで音符を置く、という事をやり始めた。「じゃず」だろうか。じゃずと言ったら本物のジャズの人に笑われる。…しかし、こうして架空バンド「WIT」は生まれた。

 《つづく》

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2006年11月 4日 (土)

観音開きのステレオ

ポール・モーリアが亡くなった。という記事が挙がっていた。…別に凄く知っている訳じゃないが、この名前は子供の時の原体験に繋がっているので、ふつふつと記憶が沸いた。そういう私は今日も、仕事にもお金にもならないオリジナル曲を、せっせとパソコンで作っている。なんで作曲なんかやり始めたのかなあ… ともあれ、私の音楽の原体験が、母親の大事にしていた何枚かのLP(もちろんレコード世代だ)だったのは確か。

子供用の童謡のドーナツ版なんかも買ってくれたけど、別に好きではなかった。(すいません)聴いていたのはトリオ・ラ・パンチョス。サム・テイラー。コンチネンタルタンゴ。そしてこの重い布陣の中に、1枚だけ混じっていたイージーリスニングが、ポールモーリア・グランドオーケストラのヒット曲集だった。オリーブの首飾り。愛の賛歌。これに比べると…日本の歌謡曲はなんて、暗くて重くてださいのだろう。とか本気で思っていた。(ほんとにすいません)自分で歌うとやっぱり演歌みたいになる癖に、演歌的な「いつも女は不幸」みたいな世界がとってもヤだった。それは多分本当に、すげー不幸の一歩手前くらいの環境だったから。あと一押し!で落ちそうなのに、なんでこれ以上不幸な歌を聴いて、背中をドンと押されねばならん。…だからおそらく、私がガキの癖に曲を作りたいと思った原因はこの辺だろうと思う。自分の中にあるニッポン的な重いリズムを、異世界の明るい音律で消してしまいたかったのだ。でもポール・モーリアはともかく、サム・テイラーが軽い訳じゃないのに聴いてたのは何故だ。(^^;)どうにも矛盾してるね。

母親は、若い頃からずーっと1台のステレオを大事にしていた。今時のステレオを思い浮かべてはいけない。木製である。4本の木の足が付いている。スピーカー部分には、ゴージャス(そう)な模様の付いた布が貼ってある。その上部全面になんと、仏壇のような観音開きの蓋がある。…左右に開くと右側が、当時大きな体積を必要としたラジオ。そして左側の空間がレコードプレイヤーだ。箱の中だから暗い。よって、電源を入れると小型のぼやけた照明が灯るようになっている。物心付いた時から見ているので、ステレオとはこういう物だろうと思っていた。しかし長じて後に、人に「観音開きのステレオ」の話をしたら、誰も信じてくれなかった。珍しい物だったのかな。買った当時は高かったんだろう。母親はどんなにビンボーしても、意地のようにこのステレオで洋楽を聴いていた。だから私にも染み込んだ。母親がさすがに飽きた頃には、私がこれで勝手にポール・モーリアを聴いていた…というわけ。子供は親の背を見て育つと言うが本当だ。おかげで子供向きの音楽に反応しない、4拍子よりも3拍子で乗る子供ができてしまった。

中学で初めて買った洋楽はカーペンターズ。高校以降はヒネて変な曲を聴いていたが、自分で曲を作ってみるとやはり、この時代の影響が大きかったのが分かる。透明感のある音が好きである。重くて暗めの曲が出来てしまう事もあるが、半音のネジマガリ方にジャズの影響がある。(さすがにジャズは作れないが…)日本人にはどうしても、「天国のような」明るくて軽くて美しくて透明、な音は作り切れないんじゃないだろうか。軽くて美しく、しかも広がりがあるというのは大変な事なのよ。自分で譜面書いてみると分かるが、音に深みを持たせようと楽器を多く重ねていくと、どうしても音が濁ってくるんだ。軽く作ったから軽いんではないという話。聴き手に負担を掛けない曲を作るため、ポールモーリアさんは影でどんな苦労をしたんだろうな。

ともあれ、合掌。作曲家にも何もなれそうもないけど、私も頑張ります。

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2005年11月17日 (木)

どーすんだいブログ2つも

lunamd1 えっとねー… 「Amaban GO!」という音楽のサイトからお誘いメールが来たにょ。音楽データ貼れるにょ。つい、ページ作ってしまったにょ… こっちのブログだけでもあっぷあっぷしてるのに… どーすんにょ。また新しいパスワードまで作っちまって… 忘れるって… なんかもー頭がうにょうにょ…

 でも自作の「ルナテック」一曲、とりあえず上げてみた。あ、このイラストは自作MD用のラベルだお。もちろん自分の絵だお。うふ。

 あ、ものすごーく関係ないんだけど、今テレビで宣伝やってた、諸星大二郎原作の映画って… アレか?「おらといっしょにぱらいそさ行くだ!」 うわーすごいのに手ェ付けましたね~

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